バークレーは非常にリベラル・革新的な街として有名だけど、街並みは非常に保守的だ。小さな一軒家が只管並んでいて、高層建築は大学構内を除きほとんど存在しない。
市内に拠点を構える建築家へのインタビューがあった:
InBerkeley » Berkeley’s conservative impulse in architecture
KM(Kava Massih): One of the things I’ve always been surprised at is that progressives see architecture as the opposite. The more liberal you are, the less you see development as a good thing. Yet trying to hang on to the status quo is a conservative trait.
リベラルであるほど開発を支持しないという一見矛盾した現象はどこから来るのだろう。ダウンタウンの開発計画については、
IB: What do you think about the Downtown Area Plan?
KM: Well, it was very watered down. The issue for me is that the less density we have in Berkeley, the more sprawl there will be elsewhere. You’ll continue to have people commuting from Tracy. But it’s impossible to tell someone we’re putting up a tall building next to your house. That new building may house 400 people, but no one thinks about the good environmental consequences of that.
アーバンスプロールの影響を挙げている。都市部の人口密度を挙げることは通勤による環境負荷を減らすだけではなく、郊外におけるスプロールを減らす。
ではなぜリベラルは開発を支持しないか。これはむしろ問題の設定が間違っている。
リベラルと呼ばれる人々が必ずしも言葉の意味としてリベラルであるとは限らない。むしろ、ある一定の思想を持っている人々を指すラベルに過ぎない。このことは自称リベラルな人々と議論したことがあればすぐに分かることだ。だから問題への答えは簡単だ。アメリカでリベラルと呼ばれる人々はたまたま建築において保守的な選好を持っていたに過ぎない。日本で政治的な左右が特定アジア諸国に関する立場によって決まるように、アメリカではそれが宗教的な立ち位置によって決まっているように思われる。
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