倫理に関するエコノミストの態度

日本語でブログを書き始めたので、最近経済についての日本語のブログを探している。今回はその中で経済学がどういうものかについて書かれたエントリーについて:

そうか、経済学って世の中のための学問なんだ – WATERMANの外部記憶

「対話でわかる痛快明解 経済学史」という本を読んで感じた経済学についてのイメージについて書かれていてとても興味深い。どの分野でも暫く浸かっていると、世間から自分のやっていることがどう思われているのか分からなくなる。これは先日書いた「何で経済学は難しいのか」というエントリーで頂いたコメントでも痛感した。

このブロガーの方は経済学が世の中のための学問だと感じて頂けたそうだ。それほどサンプルが多いわけではないので確証はないが、個人的な印象ではエコノミストはこの点に関していくつかのタイプに分けられるイメージがある:

  1. 人間の行動を説明することが主目的で規範的な判断を避ける(数理系や実験系など)
  2. 特定の目的の達成のために経済学が最も役に立つと考えている(開発系やファイナンス系など)
  3. 研究対象に倫理的判断が必要ないので深く考えない(マクロ・成長論など)
  4. 経済学が最も妥当な規範を提供していると本気で考えている(応用ミクロ系)

タイプ1はそもそも経済学が倫理的な判断をすると考えていない。自分のやっていることが社会のためにどうかについては考えないし、むしろそれが善悪の判断に使われることを嫌う。理論系であることがほとんどだ。

タイプ2は二種類に分かれる。一つは途上国開発、教育政策、移民支援、ジェンダーなどの問題を解決したい人たちだ。彼女ら(実際に女性の割合が多い)は道徳判断を経済学に準じて行っているというよりは、既に持っている目的を達成する手段として(計量・実験)経済学を使っている印象がある。集団の行動をコントロールするという点において経済学は心理学・社会学より優れているためである。二つ目はファイナンス系の人だ。彼らは一般的道徳と関係のない目標を持っている点で一つ目のパターンと異なるが、経済学を人間の行動を説明する便利な理論としてだけ使っているところはかわらない。

タイプ3は、倫理的判断がそもそも必要ないパターンだ。もともと景気変動や経済成長など文字通りの経済現象に興味がある人が多いように思う。経済を勉強している理由は経済に興味があるからで倫理的なそれとはあまり関係ない。また、景気変動は少ないほうがいいし、成長は早いほうがいいので倫理的判断をする必要があまりない。一応自分のしてることは社会のためだと考えているが、実質的にはタイプ1と大差ない。

タイプ4は、一見倫理的な人間には見えず、しばしば冷たい印象を与える。もともと強い道徳観を持っておらず、それ故に論理的に考えた上で経済学を最も妥当な判断基準として採用しているタイプだ。道徳の外に立っているため個人レベルでは無道徳(amoralであってimmoralなわけではない)だが、社会レベルの判断については最も強い信念を持っている。費用便益分析を持ち出す人はほぼ確実にこのタイプだ。

私はというと、倫理学から経済学にたどり着いた典型的なタイプ4だ。いわゆる経済現象には何も興味がなかったが、社会的にすべきことは何かについて考えていたらそれが経済学の提示する倫理観と一致していた。今では人並みに経済現象にも興味を持っているが、いまだにマクロ金融政策には何も興味がわかない。

倫理に関するエコノミストの態度」への2件のフィードバック

  1. Data-oriented な順に並べると、2→3→1→4という感じでしょうか。
    2の分野は外の人も入りやすい印象があります。
    3の分野は一部理解できますが、やはり壁があります。
    1と4の分野は僕にはなかなか難しいなぁ。

  2. 1の人は理論物理とか数学の人と大差ないですね。経済学の道徳的インプリケーションを認めないため、普段の生活においてはたまたま自分が持っている道徳観を安易に持ち出します。宗教的なこともあります。

    4は、ベンサムやミルの功利主義の精緻化と捉えられるように思います。一種の倫理工学ですね。政策議論において一番口を出すのはこのタイプなので、多くの人に立場を理解してもらう必要があります。

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