スポーツ面は必要?

The New York Timesがスポーツ面の必要性について議論しているようだ:

Marginal Revolution: How to save The New York Times?

More radical moves, like dropping the sports section, have been rejected because they would undermine the quality of The Times or would not save much money, Keller said.

明らかにスポーツが強みではない新聞にスポーツ面がある理由はバンドリングの理論で説明できる。スポーツ面を追加することによる限界費用(紙面の増加による費用)は小さい。しかし一部の顧客はスポーツ面に大きな需要を持っている。そのような客のスポーツ面以外への需要は他の顧客より少ないだろう。よってスポーツ面を加えることで顧客全体の支払い意志額を平準化できる。支払い意志額が均一ということは需要曲線にフラットな部分があるということであり、独占的な生産者は総余剰のより大きな部分を単一価格で取り込むことができる

ではなぜ今、スポーツ面の是非が問われているのか。それはニューヨークタイムすがスポーツ情報の供給を独占していないからだ。新聞におけるスポーツ面に限ろう。以前であればある街で売られている新聞の数は少なかった。ある新聞社がスポーツ面に力をいれてニューヨークタイムスから顧客を奪おうとすることは可能だが非常に難しい。新聞の流通費用が大きく、利益を挙げるためには上に述べたように様々な情報を集めて売る必要がある。しかしそうなると、スポーツ面を売りにしている新聞も新聞全体としての価値でニューヨークタイムスと競争する必要があるからだ。よってそのような新聞はいつのまにか総合紙となっているか、スポーツに極めて関心のある層だけを対象とした新聞になるだろう。

この構造は新聞による情報流通の独占と共に崩れた。スポーツ情報だけを提供したい企業はスポーツ情報だけのウェブサイトでも運営すればよい。スポーツにさほど関心のない人間であっても新聞をまるごと買わなくてもよいのであれば利用する。ニューヨークタイムスがそのような競争相手以上のスポーツ情報を提供できなければ、スポーツ面を残すことは彼らの利益にならない。それどころかバンドリングによる支払い意志額の均一化がうまくできなくなり、スポーツ面に止まらず全体としての利益は一段と減少する

私はこのような情報のアンバンドリングが新聞業界衰退の最大の理由だと考えている。インターネットの普及は新聞社による情報のバンドリングとそれにより効率的な価格戦略を不可能にした。おそらくもとからニュースという財はそのような戦略がなければ固定費用をカバーするだけの収益を得られない産業だったのではないだろうか。