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キリギリスの方が安全な社会

アリとキリギリスの寓話について、アリのように「安心」ばかりを追求することの費用についての指摘:

アリとキリギリスはどちらが幸せか 安心に払うコストを考える – keitaro-news

『安心』は不確実性を排し、変化を忌み嫌うことです。日進月歩で進む環境を無理に安定させようとすれば『安心』のために支払うコストは多大なものになります。

「安心」を過度に求めるアリ的な生き方は割に合わない。みんなが「安心」を求めれば「安心」の価格が上がるからだ。単なる需要と供給の問題だ。

安定や安全に関するコストを計算していますか?。

そして高いものを「買う」ときにはよく調べてからにするべきだ。

しかし、現代人にとって本当の問題は「安心」を求めることではなく、「安心」を買ったつもりになって「リスク」を買ってしまうことだろう。昔は「安心」と言えばアリ的生き方のことだったが、世の中はキリギリス的生き方のほうが「安心」な方向へ向かいつつある。別の言い方をすれば、リスクを避けたいのであれば三十年前に安定と呼ばれていた生き方をしてはいけない。両親に恋愛のアドバイスを求める人がどれ程いるだろうか。就職・転職でも同じだ。

いまや同じ会社で定年まで勤め上げることは難しい。転職をすることはリスクではない転職という困難な作業に対するスキルを上昇させることだ。そしてネットワーキングこそが現代の転職において最も重要なものだ。ひたすらこつこつと働くのではなく、外に出ていろいろな人に知り合い、チャンスがあればそれに乗っていくことが最もリスクの少ない生き方になりつつある。

「安心」のためにいくら払っているかを考えるだけでなく、本当に対価として得ているものが「安心」なのかよく考える必要がある。