農業補助金が話題になったので、Wikipediaの記事を参考に補助金を縮小・廃止すべき理由を六つほど並べてみた。もちろん補助金を続けるべきだという意見もあるとは思うが、やめるべきだという理由を明らかにすることは結論はどうであれ重要なことだろう。常識に属するような話だが、繰り返しいろんな場所で論じられることには意味がある。
農業補助金は保護主義
そして保護主義は(社会全体でみるとマイナスという意味で)社会厚生上望ましくない。自由貿易をすることによって国際的な分業がなされ世界的な生産の効率が上がる。より多くの商品が安価に生産できて困ることはないだろう。
食糧自給率の維持は非現実的
有事の際の食糧自給を持ち出す向きもあるが、この議論は基本的にナンセンスだ。エネルギーを全く自給できない国が海外からの補給なしに戦争を継続することはできない。極端な話、食糧が生産できても消費地まで輸送すらできないわけだ。むしろ食糧の供給元を分散化したり貯蔵量を増やしたりするほうが効果的な対策だろう。
途上国に対する害悪
アメリカやヨーロッパにおける過剰な補助金によって、国際市場における農作物の価格が下落している。これは補助金を出す国の国民にとってマイナスなだけでなく、農業を主産業とする途上国の交易条件を悪化させる(彼らの輸出品の価格が下がるので必要な輸入のためにより多くの本来自分たちの消費に使える資源・労働を犠牲にする必要がある)。これは開発援助をまるっきり打ち消してしまう程の規模だ。
補助金は国内市場も歪める
これはどんな補助金についても言えるが、外部性を内部化するための補助金・税金でなければ価格を人為的に変えることで生産・消費を歪めてしまう。ある農作物が特別に安ければ、その作物は過剰に生産・消費される。アメリカのソフトドリンクの多くが砂糖ではなくハイフルクトースコーンシロップ(HFCS)を使っているのはコーンに対する補助金のためだ。このことの健康への影響も取り沙汰されている。
安定性は保険や先物でカバーすべき
農業への補助金が、不安定な農業経営を助け安定した供給を目指すためにあるという意見もある。しかし、収益が不安定な業界は他にもあるし、それを政府を補助することはない。通常は保険や先物によってリスクはヘッジされる。
レントシーキング
これだけ農業補助金に反対すべき理由があるにも関わらず先進国ではどこでも補助金があるのはレントシーキングのためだ。少数の利益享受者がロビー活動により補助金を求める。個々の消費者にとっては立ち上がって反対するほどの悪影響もないので政治的には比較的簡単に通ってしまう。補助金自体が社会厚生を悪化させるだけでなく、レントシーキングために費やされる資源は社会に何ももたらさない。
うちの親なんて、いまだに食料自給率が大事だと信じています。飢餓体験に訴えるプロパガンダがいかに有効かということですね。
農業への補助金を縮小した方が良いのはほとんど明らかなので、あとは政治的な手段の問題でしょう。一票の格差の問題、国政の代表者を地区毎の選挙で選んでいる問題あたりから変えて欲しいものです。
いやほんと、そうとしか言いようがないですね。一票の格差がどう正当化されるのかさっぱりわかりません。
今の補助金や農政に対する否定的な見方は賛成です。ただ、正答があれば便利かもしれません。
私は、「耕地の生産性が倍増すれば方々が丸く収まる」と考えています。自給率とかではなく、耕地の生産性です。日本人は1400㎡、アメリカ人は4000㎡の耕地を必要としています。それが半分でよければ、巨大な余剰の国土が出現します。社会資本投資も激減します。
耕地の生産性倍増は、農業技術で可能です。農業の粗生産額は少なく魅力のない産業ですが、耕地の半分が余剰となると社会は一変します。補助金というのではなく、耕地の生産性倍増に関しては、国民全員の希望です。日本でも100万haの余剰耕地が出現すると、再生エネルギーのめどがつきます。
生産性を上げるのは当然いいことですが、それは現在の政策では抑制されるばかりですね。
しかし生産性倍増はあまり現実味があるとは思えません。できるならなぜ実際に起きていないのでしょう。
ピンバック: Meet Joachim van der Waals
こういった感情に反する正論を広める事は
経済学にとって重要なファクターですね。
TVメディアが第一の情報ソースという多数派に、
学問的正論をどうやって届けるかという問題は
今後世代間対立となって社会問題化するかもしれません。
それなりに多くの方に読んでいただいているブログとしてはこういう話題は取り上げる必要があると思います。この内容は学部の普通の教科書に書いてあります。
最近日本で若者は農業をやろうというプロパガンダが流行っています。補助金がなければ存続できないような産業に若者を振り向けるのは、詐欺だと思います。
農業に若者を向けようではなくて、農業が効率化するように農地の売買を簡単にするなどの現実的な方策をとって頂きたいですね。
農業事業の株式会社化(大資本の参入)障壁も同様に問題です。というか、補助金問題との関連性もあるかと思います。日本の農業が株式会社化され、会社規模が十分に大きくなる事で解決する問題もあるかと思います。
企業農家については、私も以前に記事を書きました。
株式会社化は全面的に賛成です。導入しない理由が正直見つかりません。。。
食糧自給率は継戦能力維持のためだなんて珍説の類ですよ。未来のリスクのための最低限のリスクヘッジ。市場は予想不可能に機能を失うこともあるからね。
自給率は最も良く耳にする言説だと思いますよ。市場が問題ならまずエネルギー自給率を高めることを考えたらいかがでしょう。単なるレントシーキングの言い訳との区別がつきにくいので、必要性の立証責任はより重くあるべきだと思います。
ほとんどの農家は兼業農家、なのに農業収入+補助金+最低所得保障 は明らかに過保護だと思います。
自給率も然り。有事の際って、先進国がモノを買えなくなるとは思えませんし。
”数字だけ”ならオレンジやキウイの輸入を止めれば上がりますけどね。
冒頭にもありますが、正論で突いていけば改革の狼煙が上がるかもしれません。
いやほんとどの論点もかなり明らかで、総合的に見ても現状が過剰なのは否定しがたいと思います。過少になる政治的な要因がありませんから。
こういう話は繰り返し主張することに意味があると思っています。
池田信夫さんは、比喩的に経済学者は純文学ではなく大衆小説を書けとか、パンフレットを出せとも言っています。
私も含め一般大衆は、心地よい浪花節的な情緒論に流されやすい傾向があります。経済評論家の言説は目にする機会も多いのに比べ、経済学者のそれは目に触れにくく、内容も難解なことが多い印象です。
逆に、経済学者のインセンティブを高めるのにはどうしたら良いのでしょう?
これからも、青木さんの記事に期待しています。
面白いお話です。
>池田信夫さんは、比喩的に経済学者は純文学ではなく大衆小説を書けとか、パンフレットを出せとも言っています。
経済学者の仕事は経済の啓蒙ではないので「大衆小説」ではないでしょう。実際の学者の性質なりは普通の理工学系と大差ありません。
>私も含め一般大衆は、心地よい浪花節的な情緒論に流されやすい傾向があります。経済評論家の言説は目にする機会も多いのに比べ、経済学者のそれは目に触れにくく、内容も難解なことが多い印象です。
評論家が世間に啓蒙を行うのはいいことだと思いますが、気づくと一線を越えている方が多いんですよね。わかりやすく説明するのと間違った説明するのは紙一重なところもあるので微妙なバランス感覚が必要だと思います。
>逆に、経済学者のインセンティブを高めるのにはどうしたら良いのでしょう?
学者の仕事は基本的に研究なのである程度の分業は仕方ないと思います。むしろ「評論家」やジャーナリストの分野の改善・競争が望ましいのではないでしょうか。
横から口をはさんでコメントを付けますが、
ジャーナリストや評論家の仕事の質が改善されるには、消費者である一般大衆の彼らに対する要求水準を上げる必要があり、そのためには大衆は専門家から専門知識の薫陶を受ける必要があり・・と循環論法みたいになってしまうのではないでしょうか?
ごもっともですが、最初に啓蒙を始めた専門家はそこから利益を得ることができるので完全に循環論法にはなっていないかと。政治的に教育の改善を期待するよりは、誰かが立ち上がることのほうがまだ現実的のように思います。
ピンバック: Colour Me Economics
ピンバック: Tweets that mention 農業補助金をやめるべき六つの理由 » 経済学101 -- Topsy.com
「外部性を内部化するための」とはどういう意味でしょうか?
ぼんやりわかるような気もするんですが・・・
外部性というのは、ある行為の結果が行為者以外に現れる現象です。教科書的な例では公害なんかが当たります。本来のコストを負担していないために過剰に公害が発生します。内部化というのはそれに税金をかけるなどしてそのコストを実質的に負担させ、社会的に適切な判断を行うようにすることです。
ありがとうございます。
自給率についてですが、無意味な概念ではなく、(少なくともポテンシャルレベルとしては)高い方が良いと思うのですが。世界的に供給不足が生じた場合、自国の生産能力が低ければ、大量のお金を失ってしまいます。以前のエントリーで、日本が石油購入に投じているお金が膨れ上がっているという記事がありましたが、同じようなことが食料で起きる可能も否定はできないと思います。
(国際農産物市場については無知ですが、もし価格差別があり得るならば)自給率が高い方が、食料購入取引におけるバーゲニングパワーが高まるようにも思います。
とはいえ農業補助金が無意味(非常に非効率)なのは、もはや歴史によって実証されていると思いますので、いかにして効率性を高めるかですが、既に議論されているとおり、政治に帰着するのでしょうし、人気と能力を兼ね備えたリーダーが出てこない限り、難しいように思います。
不得意な産業で自給率が下がるのは分業の関係上自然なことです。突然の供給不足に関しては政府がそれを予測する能力があるのかということになります。もし不足がある程度の確度で予測されるなら民間が勝手に資源確保に走るはずです。私は政府に民間を上回る能力があるとは思っていないのでやはり政府が手を出すのはどうかなぁと考えています。
政治的には諸外国でも解決していないようにかなり絶望的ですが、少しでもこの話を広められればいいなぁと思います。
いつも楽しく読んでいます。感謝いたしております。
農業補助金制度は政治的なもの:
日本の農政は自民党の票田の上につくられたもので、経済学的な検討など加えられたことは一度としてないでしょう。そして50年間農家、JAとの関係が続けばこれはもうとても変えられるものではなくなっています。今度の政権交代でも50年間の既成事実を反対にして自由化するわけにはいきません。
民主党の政策をみると、
1.小規模生産でも生活できる農山漁村の確立
生産効率のみを追求する自民党政権の小規模農家切り捨て政策は、農山村の荒廃と伝統文化の破壊を招いていることから、あくまでもこれまでの小規模生産でも生活できるように、総合的な農山漁村振興政策を実施する。その一環として、高齢者の力を活用し、また、完全な地方分権を実現することにより、若者も定着できるよう雇用の場を増やす。
2.個別(戸別)所得補償制度の創設
世界貿易機関(WTO)における貿易自由化協議と、各国との自由貿易協定(FTA)締結を促進する一方、農産物の国内生産を維持、拡大する。そのために、基幹農産物については、わが国の生産農家の生産費と市場価格との差額を各農家に支払う「個別(戸別)所得補償制度」を創設する。
日本の輸出産業をより強くするにはFTAが必須です。そうすると農業の自由化も当然のことです。戸別所得補償制度はここに新しい考えを入れているように思えます。この制度を実施してゆくと、高齢化とともに、また農業の自由化とともに、特殊な高度な農業と基幹作物(良質な米)の一部以外は残らなくなるでしょう。
民主党、小沢幹事長、の狙いはFTA締結、農業自由化、戸別補償制度による現存する農業の変革につながるでしょう。こういう農業補助金は政治的に50年の既得権益を壊し、JAを崩壊させるものだと思われます。まったく理論経済学的ではありませんが、政治経済学的です。見間違ってはいけないかもしれませんよ。
ご覧いただきありがとうございます。
>日本の農政は自民党の票田の上につくられたもので、経済学的な検討など加えられたことは一度としてないでしょう。
全くその通りだと思います。
>日本の輸出産業をより強くするにはFTAが必須です。そうすると農業の自由化も当然のことです。戸別所得補償制度はここに新しい考えを入れているように思えます。
戸別補償は関税や輸入制限に比べると望ましいですね。市場の歪みも小さいですし、費用が目に見えやすくなります。
>まったく理論経済学的ではありませんが、政治経済学的です。見間違ってはいけないかもしれませんよ。
私もそう思いますが、とりあえず経済学的におかしいということは繰り返し主張していく必要があると思っています。政治力がある人達には実際に政策を変えるところまで頑張って欲しいと思います。
長期自民党時代の農振法や逆ザヤ等の補助金漬けベトコン票田を彷彿します。欧州や米国州政府の補助金漬けキッチン戦争の二の舞かな。