「ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう」では「金儲け=悪」が基本的に間違っていることと、なぜそれに大学生が気付かないのかについて書いた。しかし、一つ答えていない問いがある。それは「金儲け=悪」という道徳がそもそもどこからきたのかということだ。
いつからそういう道徳があるのかという問題は歴史家にまかせるとして、私の考えは道徳規則が社会の変化においついていないというものだ。ビジネス・金儲けがほとんどの場合社会的に望ましいためには、そういう風に社会が作られている必要がある:
社会的に望ましくないビジネスは割に合わないように社会は作られている。
しかし、そういった社会制度が整備されたのは比較的最近のことだ。例えば、価格カルテルは社会的に望ましくない企業活動だが、反トラストが政府の重要な機能と認識されたのはそう昔のことではない。アメリカでシャーマン法が成立したのは120年ほど前のことだ。
社会的に望ましくない行為を取り締まる必要が認識されたとしてもそれを実際に執行するためには有効な警察力をもった国家が必要だ。国家の力が弱かった時代(ないし国)においては法律があっても取り締まりは難しい。また民主主義が確立していなければ、それだけの権力を国が持つことの弊害は極めて大きい。
そういった状況では、商売・金儲けが社会善と一致しないため、それに代わるものとして「金儲け=悪」という道徳規則が成立するのは想像に難くない。法律がなければ莫大な利益は他人の犠牲の上に成り立つことが多いだろう。
もちろん今でも法の抜け道は存在し、「金儲け=悪」という概念が存在する余地はある。しかし、本当にやるべきことは金儲けが社会的に望ましいことになるような社会制度を整えることだ。現代に生きる我々はそれを成し遂げるための仕組みを持っている。
追記:図を使ってこのことを説明してみました。下のピングバックリンクからどうぞ。
日本では江戸時代に、米が基本通過だったために、米を生産する農家を商家よりも高く評価しなければならなかった身分制度。
欧州においては、キリスト教が「金儲け=悪」の由来なんですかねぇ…。食糧を生産する人が貴いというのは農耕社会以来、数千年おいて培った人間の価値観なのではないかと。歴史家だったらもっと深い考察もできるんでしょうが…。
> 道徳規則が社会の変化においついていない
>法律がなければ莫大な利益は他人の犠牲の上に成り立つことが多いだろう。
この視点はなかったです。が、その通りだと思います。ありがとうございます。
fukuiさん:
>欧州においては、キリスト教が「金儲け=悪」の由来なんですかねぇ…。
もう一つメタのレベルでの議論が必要だと思います。たまたまキリスト教が発端だっとしても社会的に望ましくない道徳規則が生き残るのは難しいように思います。
>食糧を生産する人が貴いというのは農耕社会以来、数千年おいて培った人間の価値観なのではないかと。
人類の歴史上、食料生産こそがもっとも社会的に望ましい行動だったからでしょう。
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