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北朝鮮の経済成長

北朝鮮経済に関するスウェーデン語の本の書評だが、グラフが興味深い。

Super-Economy: North Korean economic history

韓国と北朝鮮における一人当たりGDPの推移を五十年以上に渡って推計したものだ(データ)。1970前後を境に二つの経済が大きく乖離しているのが分かる。韓国は指数関数的に豊かになっていく一方で、北朝鮮はまったく成長していないどころか九十年代に大きく落ちている。このような共産主義国家における経済の停滞は以下のように説明される。

We can also speculate that centrally planned economies do better the first few decades. When the revolutionary fervor is still high the incentive problems are mitigated. During the initial phase the country can grow through brute capital accumulation (forced savings) and by pushing everyone into the labor force.

共産主義国家の成立直後は革命の余韻もあり労働意欲も高いし、国家権力によって強引に貯蓄・投資を行い、労働人口を拡大させることで経済成長が達成される。

But after a while the socialist economy inevitably runs out of steam, and starts to stagnate. They have never been able to solve the information problem to produce decent consumer goods.

しかし、しばらくするとそういった労働意欲は減衰し、貯蓄・投資の向上や労働人口の増加、教育水準の上昇といった政策にも限界が見えてくる。市場メカニズムなしでは、次に何を生産すべきかを適切に判定することも難しい。

またこのグラフは、経済成長を犠牲にすることの意味も示している。成長率は毎年積み重なっていくものなので、僅かな違いが長期的には莫大な差につながる。仮に1970の時点で北朝鮮国民がたとえ成長が遅れても共産主義でいいと考えていたとしても、四十年後にこれだけの格差を生むことを受け入れたとは思えない。

公約を守らない政治家

政治家が公約を守らないのは世界中どこでもあることだが、どうやったら約束を守らせることができるだろうか。

Overcoming Bias : Unwanted Politicians

約束を破るというのは何も政治にだけ存在するわけではない。ビジネスでも当然約束ぐらいはする。そしてその遵守は司法制度によって担保されている。破ればペナルティがあるから約束は守られるということだ。では何故同じ仕組みが政治家には適用されないのか。

“I promise that, if elected, I will do X, Y, and Z.  But I don’t just make promises; I show you I am committed to keeping my promises.  My word isn’t my only bond; my house is also my bond.

別に国がそれを強制しなくても、政治家個人が自分の資産を担保にしてもよい。公約を守らなければ家を第三者に寄付するという契約を結べばよい。もし有権者が公約を守らせることに大きな価値を認めるのであれば、このような契約を第三者と結んだ政治家は選挙で優位に立てるはずだ。

“If elected, every month I will impanel a new random jury of voters in my district.  I will inform them in detail about my upcoming decisions, and will ask them for their choices.  Then I will just do what they say.

政策を事前に決めるのが困難なのであれば、陪審のような制度を作っても良い。何か決定する度に選挙民をランダムで選んで議論してもらいその結果を政治家が実行することにコミットする。これは政治家の裁量を縛るだけでなく、統計的には直接民主主義になるので政治家が国民の声をきかないといった批判に対する答えになりうる。

もちろん、間接民主制にはその存在意義があるのでこのような方法が社会的に望ましいとは限らないが、何も議論をしてもらう人を選挙民からランダムで選ぶ必要はない。例えば20代、30代の官僚からランダムで選ぶということもできる。もし私が政治家になるなら、いかにこの層から意見を集約できるか考えたいぐらいだ。

利益誘導や政治的圧力を防ぐ仕組みは必要になるが、法的なコミットメントまでいかなくても、毎回ランダムに人を集めて議論を行うそのプロセス・結果を公開し、実際にそれに従ったかを自ら公開する政治家ぐらいはいてもいい。

ランダム選挙

選挙に関する面白い提案があったのでご紹介。

Fewer Voters Are Better Voters

The reason so many bad policies are good politics is that so many people vote: about 62 percent of adults at the last general election, both in Great Britain and in the United States.

どうして、どうしようもない政策が政治的に遠ってしまうのか?ロビー活動がその原因として挙げられるが、そのロビー活動が効果的なのはあまりにも投票する人数が多いからだという。

This is the position of voters in a general election. Each individual’s vote makes no difference to the outcome. Even marginal districts are won with majorities of hundreds.

自分の投票が結果に与える確率はほぼゼロなので結果を目的に投票するインセンティブはない。これは直接民主主義でも変わらない。

The answer is not to increase voter turnout. On the contrary, the number of voters should be drastically reduced so that each voter realizes that his vote will matter.

ここまではよくある話だが、次の展開が面白い。人数が多いことが問題なら減らせば良いという。選挙区毎に例えば十二人をランダムに選んで投票させればいいと提案されている。

ランダムに選択し投票を強制することで、世代によって投票率が違うといった問題は回避できる。また、個々人の投票が結果に大きな影響を与えるため考えて投票させることができる。

To safeguard against the possibility of abuse, these 6,420 voters would not know that they had been selected at random until the moment when the polling officers arrived at their house. They would then be spirited away to a place where they will spend a week locked away with the candidates, attending a series of speeches, debates and question-and-answer sessions before voting on the final day.

買収の問題を防ぐために事前には知らせずに、該当者は連行され(spirited away)、一週間候補者と共にスピーチ・ディベート・質疑応答を行うという。人数が少なければこういった啓蒙にかかる費用も小さくなる。

All of these events should be filmed and broadcast, so that everyone could make sure that nothing dodgy was going on.

これらの内容をさらに録画・放映することで疑わしいことが行われないことを担保するそうだ。

人権の問題などいろいろと弊害もあるし、実現する見込みは皆無だが、思考実験としては面白い。

政治では事実よりもストーリー

最近興味のある話題にぴったりの記事がBBCから:

BBC News – Why do people often vote against their own interests?

マサチューセッツで民主党が議席を失ったことは大きな反響をよんでいる。これによりオバマ政権が医療・健康制度改革を成し遂げることはより難しくなっている。そして、医療制度改革に反対している人々の多くは、まさに新しい制度により助けられる人々だ。どうしてこのような事態が生じるのか。

If people vote against their own interests, it is not because they do not understand what is in their interest or have not yet had it properly explained to them.

人々が自分の利益に沿わない投票を行うのは、自身の利害を理解していないからでも適切な説明がなされていないからでもないという。

They do it because they resent having their interests decided for them by politicians who think they know best.

There is nothing voters hate more than having things explained to them as though they were idiots.

有権者は政治家が知った顔で選択を押しつけることに憤っているし、何よりも子供相手のようにいちいち説明されるのが嫌いなのだ。

As the saying goes, in politics, when you are explaining, you are losing.

説明をしている時点でもう負けているという。気が滅入るような話ではある。

Gore: “Under the governor’s plan, if you kept the same fee for service that you have now under Medicare, your premiums would go up by between 18% and 47%, and that is the study of the Congressional plan that he’s modeled his proposal on by the Medicare actuaries.”

Bush: “Look, this is a man who has great numbers. He talks about numbers. I’m beginning to think not only did he invent the internet, but he invented the calculator. It’s fuzzy math. It’s trying to scare people in the voting booth.”

Mr Gore was talking sense and Mr Bush nonsense – but Mr Bush won the debate.

しかし例として挙げられているブッシュとゴアのやりとりを見れば頷かざるをえない。ゴアはメディケアのプレミアムについて数字を出して論じ、ブッシュはそれを皮肉っている。ブッシュの発言部分なんて読んでいて吹き出してしまうレベルだが、ディベートに勝ったのがブッシュだが笑ってもいられない。

[…] stories always trump statistics, which means the politician with the best stories is going to win […]

統計よりもストーリーが大事であり、勝つのは最もいいストーリーを持っている政治家なのだ。間違ったことをいってはいけないが、本当に人を動かそうとするならうまい話を考えることの重要性も忘れていはいけない。政治はこの微妙なバランスで成り立っている。そしてそれゆえに、支持の得られない正論・道を踏み外したポピュリズムがどこの国にでもあふれているのだろう。

平沼発言の問題

よくあるが見過ごせない失言なので軽く取り上げておく。

<平沼赳夫氏>蓮舫議員の仕分け批判「元々日本人じゃない」(毎日新聞) – Yahoo!ニュース

平沼氏はあいさつの中で、次世代スーパーコンピューター開発費の仕分けで蓮舫議員が「世界一になる理由があるのか。2位では駄目なのか」と質問したことは「政治家として不謹慎だ」とし、「言いたくないが、言った本人は元々日本人じゃない」と発言。「キャンペーンガールだった女性が帰化して日本の国会議員になって、事業仕分けでそんなことを言っている。そんな政治でいいのか」と続けた。

まず、次世代スーパーコンピュータ開発で世界一になる必要があるかは実質的内容で決めるべきことだ。不謹慎だというのは議論でも何でもない。全ての分野で一位を目指すのは非効率な以上、どこに注力するかをきちんと議論するのが政治家の仕事だ

後半は救いようがない。「言いたくないが」と断れば差別発言が許されるわけではない。むしろ「言いたくないが」などと述べる人はみなその次のセリフをいいたくてしょうがないように見えるのは何故だろう

キャンペーンガールだった帰化女性を選んだのは国民であり、それを可能にしているのは日本の法律だ。それをどうこう言うのは頂けない。私はむしろキャンペーンガールだった女性が帰化して国会議員になったことは、蓮舫議員の行動に対する評価は別にして、それ自体として凄いことだと思う。

平沼氏はパーティー終了後の取材に対し、「差別と取ってもらうと困る。日本の科学技術立国に対し、テレビ受けするセンセーショナルな政治は駄目だということ。彼女は日本国籍を取っており人種差別ではない」と説明した。

元々日本人でないというのは変えようがないこれを論うのが差別でなくて何なのか。口が滑ったのなら訂正なり謝罪なりすればいいだけの話であって、「テレビ受けするセンセーショナルな政治」の問題にすり替える必要はない。

どこかで同じようなことがあったと思えば、以前西和彦氏が同趣旨の発言をしていた。その時のエントリーはこちらだ:「スーパーコンピューターが必要か」。西氏は次のように述べている。

1967年生まれの蓮舫議員は1995年に台湾からの帰化日本人である。1997年に双子の子供を生んだときには、日本の国籍になったにも拘わらず、中国 風の名前をお付けになっている。家庭的には感覚は中国のひとなのであろう。私はそうは思わないけど、日本のスーパーコンピューターをつぶすために、蓮舫議 員のバックは誰で、その生まれた国の意向があるのかなあと思う人もいる。もし、そうだったらビックリだけど・・・。

こちらもまた「私はそうは思わないけど」と断った上で言いたい放題だ。その時に書いたことを引き写しておく。

「私はそうは思わないけど」などという留保つければ、(どんな背景があるかはともかく)正式に日本国籍を取得して、民主選挙で選ばれた国会議員を憶測で非難することが正当化されるわけではない

帰化日本人が議員になることを許容しているのはこれもまた民主主義により正当化されている日本の法律だ。アメリカの外国系の帰化人との比較も行われているが、アメリカで帰化人が子供に自国風の名前をつけることを批判したら人種差別問題だ

このことは蓮舫議員の言動・政治を支持するかとは関係ないし、スーパーコンピュータ開発の是非とも関係ない。問題は、発言内容ではなく、発言した人間の出自・立場で発言を判断し・貶めようとすることだ。西氏の文章について書いたことがまるっきり当てはまる。

議論において、発言内容それ自体(「スパコンで世界一になる意味はあるのか?」)に反論するのではなく、発言者(蓮舫参議院議員)の物言い・出自を批判するというのは極めて不健全なことだ