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過剰タクシーって何?

追記:タクシー市場は複雑な構造をしていますが、単純な数量規制をするのはおかしいというのがこのエントリーの趣旨です。いろいろな政策が考えられるとは思いますが、数量規制にはならないということです。

またおかしなニュースをTwitter経由で(ohuzakさんどうも):

中日新聞:過剰タクシー調整へ 松本交通圏協議会が初会合:長野(CHUNICHI Web)

松本市役所で開かれた。国土交通省北陸信越運輸局は、同地域のタクシー台数が40〜110台過剰と指摘。本年度中に同協議会で、台数を抑制する地域計画を策定する見込みだ。

タクシーが過剰だというが、一体その数字はどうやってはかるのだろう。市場の失敗がない限り、適正な供給量は市場で決定される。タクシーに関してどのような市場の失敗があるのだろう(注)。サービスの供給が減り、価格が上がれば消費者にとっては確実にマイナスだ。何か理由がない限りタクシーの台数を下げるという政策の正当化は難しい。

タクシー業界は2002年の規制緩和を契機に都市圏で過当競争に陥り、厳しい経済環境も重なって、運転手の過酷な労働条件などが問題になっている。

タクシー運転手は他人に迷惑を掛ける可能性があるので、過酷過ぎる労働条件は是正する必要がある。しかし、それは労働条件を規制すればいいだけだ。労働者のコストが増えるので結果として供給は減るだろう。不の外部経済の内部化だ。

逆にタクシーの数に制限をつけても需要が減るわけではない。むしろタクシー当たりの仕事が増える。一台当たりの運転手を増やすインセンティブもないだろうから労働条件は悪化するだろう

また台数の過剰などが原因で、県内のタクシー運転手の年間所得は、県内全産業平均より200万円少ないことも示された。

労働者の収入が少ないことは市場の失敗ではない。収入は需要と供給によって決まる。タクシー運転手の所得が低いのは、景気が悪いこととタクシーの運転をできる人が多いためだ。単純な所得が問題なら社会保障で対応すべきであってタクシー市場を歪めるべきではない。

またタクシーの数を制限してタクシーの価格が上がったとしても運転手の所得が伸びるわけではない。運転手になりたい労働者が減るわけではないので、タクシー会社は従業員たる運転手の給料をあげる必要はない。タクシーの供給を制限することで利益をあげるのはタクシー会社であり、そのタクシー会社から利益を供与される人々だ。

(注)ネットワーク効果はあるだろうが、数量制限は逆効果になる。情報の非対称についても数量制限は関係ない。

交通経済学

交通経済学の父とされるJohn R. MeyerについてEdward Glaeserの解説がEconomixにある:

Remembering the Father of Transportation Economics – Economix Blog – NYTimes.com

まず鉄道について基本的な二つの事実が挙げられている:

Railroads were said to be natural monopolies, and regulation was needed to deter overpricing. On the other hand, railroads were also considered prone to ruinous price wars, and regulation was deemed necessary to “insure profits sufficient for the development and expansion of the industry.”

一つは自然独占でもう一つは過剰競争だ。鉄道は非常に大きな固定費が掛かるかつ、同じ場所に複数必要ないほどトラフィックがないことが多いため、自然に一社が一つの路線を受け持つことが多い。これは価格が独占価格に高止まりすることを意味するため価格の規制が正当化される。不適切な価格規制を行うと経営努力を行うインセンティブがなくなるなど非効率が発生する。

同時に、複数の鉄道が同じ市場で競争した場合には価格が下がりすぎ破綻しやすい。莫大な固定費の影響で平均費用が限界費用より大きく、競争により価格が限界費用に近づくと固定費をカバーするだけの利益が上がらなくなるからだ。

高速道路とバスについても重要な政策方針が示されている:

First, highways will never be appropriately used until they are appropriately priced. Unless drivers pay the full social cost of crowding congested urban roads during peak hours, then those roads will remain overused and society will pay a large cost in wasted time.

高速道路は適切な価格付けがなければ適切に使われないドライバーが混雑などの社会的費用を全て負担するような価格付けにならない限り、常に過剰な需要が発生し、時間の浪費と言う形で社会的な無駄が発生するという。

これは現在の日本の政策の問題を明らかにしている。道路はその容量に達した途端に極めて非効率的な移動手段となる。しかし、個々のドライバーは自分が運転することで他のドライバーが時間を浪費することにたいし費用を払わないため、放っておくと常に混雑=容量オーバーが発生する。これを防ぐには通行料という形でこの負の外部性を個人に負担させる必要がある。

高速道路無料化ないし上限千円と言った政策はこれに完全に反している。結果は予想される通り大渋滞が発生して利用者がみな無駄な時間を過ごすということだ。このような無駄を省くには、まず高速道路の料金は渋滞をコントロールするためのデバイスであって、道路の建設費用をカバーするためのものではないということへの理解が必要だ(料金が費用をカバーできるかは規模の経済で決まるが、それは二次的な問題だ)。

よくアメリカでは高速道路が無料だと言われる。それは単に高速道路の輸送容量が十分あるためだ。容量が足りないベイエリアのブリッジではどれもかなりの料金を徴収している(残念ながらこの料金も混雑解消というよりも一種の財源として設定されている印象はある)。

利用者にとってみれば混雑している高速道路に料金を上げるというのはどういうことだという意見もあるだろうが、現実には混雑しているからこそ料金を上げる必要がある。高速道路無料化に対する立場は基本的な経済学を理解しているかを示すよい指標になっている

Second, buses are pretty much everywhere more cost-effective than urban trains. We are so used to buses as we experience them, moving slowly along crowded city streets, that we forget Mr. Meyer’s point that buses on dedicated lanes, “freeway fliers,” can be just as fast as urban trains.

バスの効率性についても指摘されている。バスは鉄道に比べると固定費も小さく、運用のための費用が全体的に小さい(それに比べ鉄道は物資の輸送については極めて効率的だ)。しかし、バスの効率性は道路の混雑に依存している。道路の混雑が適切な建設や混雑料金によって解消されていない場合バスは非常に非効率になる。バス専用レーンを導入することでこの問題は解決できるが、バスに対するイメージがあまりにも悪いため導入は進まないようだ。

これは自分の感覚にも一致する。東京で暮らしているとほとんどの場所には電車と徒歩で移動できる。バスは田舎にいったときにしか使わないためサンフランシスコなどに出てバスをみると違和感を感じる。さらにアメリカだと自家用車の利用が多いためバスは客層が好ましくないという問題もある(車が非常に不便なサンフランシスコや学生がパスを持っているバークレーはましなほうだろう)。何故東京では電車が極めて発達しているのに対しバス交通は貧弱であるかも興味深い。