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世界的少子化

日本では少子化を食い止めるかということに莫大な予算を投じようとしているが、世界的にも少子化は進んでいる。違うのは、別にそれほど悪いことだとは思われていないことだ。

Fertility and living standards: Go forth and multiply a lot less | The Economist

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あと2、3年のうちの世界の半数の国で(合計特殊)出生率が2.1を切ろうとしている。2.1というのは人口を維持していくのに必要な数値だ。上のグラフは各国の一人あたりGDPを出生率に対し片対数プロットしたものである。ここのプロットの大きさは人口を表している。この傾向は先進国だけにとどまらない:

Between 1950 and 2000 the average fertility rate in developing countries fell by half from six to three—three fewer children in each family in just 50 years.

半世紀の間に発展途上途上国の出生率は半分に減った。これが世界全体の平均出生率に大きな影響を与えるのは言うまでもない。次の段落は、どうして出生率が減ったのかについてバランスのとれた見方を示している:

Now imagine you are a bit richer. You may have moved to a town, or your village may have grown. Schools, markets and factories are within reach. And suddenly, the incentives change. A tractor can gather the harvest better than children. Your wife may get a factory job—and now her lost wages must be set against the benefits of another baby. Education, thrift and a stake in the future become more important, and these middle-class virtues go hand in hand with smaller families. Education costs money, so you may not be able to afford a large family. Perhaps the state provides a pension and you no longer need children to look after you. And perhaps your wife is no longer willing to bear endless offspring. Higher living standards, better communications and more education enable you to rely on markets and public services, not just yourself and your family.

市場の発達は出産に係るインセンティブの構造を大きく変えた。子供の労働への需要の減少、女性の労働市場参入による育児の(機会)費用増大、教育費の増加、社会保障の充実などは何れも子供を作るインセンティブを減らす。少子化を食い止めたいのであればこれらの要素を打ち消すような政策を採ればよい。

  • 子供が行っていた仕事を肩代わりする財・サービスの規制
  • 女性の労働市場参加に対する制限
  • 育児費用の補助
  • 教育費の補助ないし教育の制限
  • 社会保障の削減

しかし、これらの多くは社会的に受け入れられるものではなく、実際に選択されるのは育児費用・教育費用の補助だけになるだろう。少子化が進む原因の一部しか対策が打てない以上、少子化対策が困難なのは当然である。ではそもそも少子化対策は必要なのだろうか。

少子化を含めある現象が社会的に望ましくないかないかは以下の二点できまるだろう:

  • インセンティブに基づいて最適な行動がとれていない場合
  • 正しいインセンティブが与えられていない場合

しかし、この二つの観点から少子化を見ると何れも少子化は望ましい現象であるように思われる。

The link between wealth and fertility does not explain everything. In some countries, poor women have the same number of children as rich ones. This suggests that other factors are at work. The most obvious is that many people in poor countries want fewer children, and family planning helps them get their wish.

貧しい国において、多くの人はもともとあまり多くの子供を欲しておらず、避妊技術がそれを可能にしたと述べられている。これは一点目の議論だ。避妊技術がない場合、冷静に考えれば子供がもう必要ではないにも関わらず妊娠・出産に至るということは十分にありえる。

記事においては、調査によると欲しいと思う子供の数は実際の子供の数よりも多く、またアフリカでは避妊をしたいと考えていてもできないと答えている女性が多いと述べられている。もちろん、調査での答えと実際の行動とは一致するわけではないが、少子化の原因の一つは女性が自分の思う通りに出産をコントロールできるようになったことであるのは確実だ。避妊技術の普及と女性の教育水準向上がこれを可能にした。そしてこれは望ましい変化だろう。

では、女性の出産へのコントロールが増したとして少子化が社会的に望ましくない根拠は何だろう。それは出産に関するインセンティブが社会の利益と一致していない場合になる。しかしこちらに関しても少子化が社会的に望ましくないと主張するのは難しい。それどころかいくつもの利点が挙げられている:

Cutting the fertility rate from six to two can help an economy in several ways. First, as fertility falls it changes the structure of the population, increasing the size of the workforce relative to the numbers of children and old people.

一つ目は人口構成の変化だ。発展途上国であれば少子化は労働人口の増加を意味する。これは日本のような先進国にはあてはまらないが、世界の多くの国で成り立つ。

By making it easier for women to work, it boosts the size of the labour force.

育児負担軽減は女性の労働市場への進出を促す。確かに高齢化が進めば、働く世代の総数は減っていくが、女性の労働がそれを打ち消すように働く。

Because there are fewer dependent children and old people, households have more money left for savings, which can be ploughed into investment.

さらに労働人口の相対的増加は貯蓄率の上昇とそれに伴う投資の増大を呼び起こす。高齢化が進む日本では貯蓄率は減少しているが次の点は日本にあてはまる:

Lastly, low fertility makes possible a more rapid accumulation of capital per head.

最後は一人当たり資本の増加だ。特に土地のように供給が固定的(で減価しない)な財がこれにあたる。

政治家は少子化対策をどうするか叫ぶ前にそもそも少子化の何が問題なのか、そして出生率のコントロールがその問題に対する適切な答えなのかを論じるべきだ。個人的には少子化にまつわる問題は過大評価されいるし、出生率を上昇させる試みはポイントを外している思う。

認知能力の重要性と社会の変化

Arnold Klingによる、この三十年間の社会変化の分析がおもしろい:

The State of the Economy, I, Arnold Kling | EconLog | Library of Economics and Liberty

I think that perhaps the most important trend of the past thirty years is the increased importance of cognitive skills relative to physical labor.

彼が指摘する、この三十年間で最も重要な変化は肉体労働に対する認知的能力(cognitive skill)の上昇だ。具体的に「認知的能力」が何を意味するかについては説明されていないが、文字通り解釈するなら情報処理能力のことだろうか。

1. It changed the role of women. Their comparative advantage went from housework to market work.

認知能力が重要になることで、女性の労働市場での価値が相対的に上昇した。男女の認知能力の比較ついては各論あるだろうが、女性が肉体労働よりも認知能力を必要とする仕事を得意とするのは明らかだろう。

ただ、この因果関係は一方的ではないだろう。女性の労働市場への参加が進むことで、男性にとっての認知能力の価値も上がる

何故認知能力が重要になったのか、女性の労働市場への参加が進んだのかということについては技術の変化が最も大きな貢献をしたと考えられる。前者の場合は製造業の生産性上昇に伴うサービス産業へのシフト、後者の場合は家事労働を軽減する家電の発達がある。

フェミニズムのような思想の発展の寄与も無視できないが、それは根本的な原因というよりも結果に近いだろう。もし思想的に労働市場で働くという考え方が浸透したとしても、女性の労働市場での生産性上昇・(家事の軽減による)機会費用の減少がなければ、その流れが定着することはない。雇う側は生産性に見合った給料しか出せないし、家事労働は誰かが負担する必要があるため経済的に持続しないからだ。

2. This in turn, as Wolfers and Stevenson have pointed out, changed the nature of marriage. Men and women look for complementarity in consumption rather than in production.

女性の所得向上は、結婚において生産面での補完性ではなく、消費における補完性を求める傾向につながる。Betsey StevensonとJustin Wolfersの議論についてはそのうち紹介するとして、概要を述べよう。女性の50年前、結婚の最大の機能は分業であって。男性が市場で外貨を獲得し、女性が家事・育児を行うというものだった。しかし家事労働の減少と女性の労働市場の地位向上はこのアレンジメントの必要性を激減させた。育児についてはその手間は家事ほどには軽減されていないが、育児には消費という側面もある。また、平均寿命の増進により育児の結婚における重要性は減った。

代わりに、重要となるのが消費の補完性である。これは男女が同時に行った方が効用の高い消費行動があるためだ。生産面での分業が必要なければ結婚の意味は協調的な消費に移る。例えば、現代社会において男女が個別に食費を稼ぐのは容易だ、しかしこれは個別に食事を採ることが望ましいことを意味しない。さらにわかりやすいのは消費としてのセックスだろう。医療の発展による避妊技術の普及は性行為から生殖としての意味を取り除いた。

3. This in turn leads to more assortive mating, with achievement-oriented men looking for interesting mates rather than for good maids.

この補完性の変化により、男性の相手探しは家事能力の有無から興味を惹かれるかどうかということに焦点が移った。書かれていないが女性であれば所得獲得能力からということになろうだろう。

このことは未婚率の上昇にもつながるだろう。五十年前、生産面での補完性は程度の差はあれ多くの男女のペアについて成立した。女性の労働市場での所得獲得能力がない以上、働ける男性との組み合わせはほぼ常にプラスだ。それに比べて消費面での補完性は普遍性がない。例えば、財政について考えない場合、女性が望ましいと思う男性の割合は100%よりもかなり低いだろう。男性には同様の傾向がないとすればこの割合が結婚率に近くなるはずだ。

4. This in turn leads to greater inequality across households. It also fosters greater inequality among children. The children of two affluent parents are likely to have much better genetic and environmental endowments than the children of two (likely unmarried) low-income parents.

結婚のあり方の変化は家計所得の不平等に繋がる。消費の補完性は社会経済的なステータスが近いほうが高いと考えられ、高所得カップルと低所得カップルといった分離が進む。当然この傾向は遺伝的・環境的に次の世代にも引き継がれる。

5. Inequality is exacerbated by globalization and technological change. If your comparative advantage is basic physical labor, you have to compete with machines as well is with workers from the Third World.

肉体労働の価値の低下は結婚市場を通じて不平等を進めるだけでなく、そによって生じた低所得の家計の所得を一段と減らしていくことを意味する。

The net result is an economy that has improved considerably for people with high cognitive skills, but which has improved only somewhat for people with relatively low cognitive skills.

結果は認知能力の高い人々にとっては大きな改善となるがそうでない人には改善が見られないことになる。

認知的能力という言葉はこれから大きなキーワードになっていくかもしれない。

男女格差指数

2009年の世界経済フォーラム(World Economic Forum)男女格差指数(Global Gender Gap Index)が発表された:

男女格差が最も少ないのはアイスランド、日本は75位 | 世界のこぼれ話 | Reuters

日本が世界で75位で、1位はアイスランドといった情報はいくつもの新聞社などで報じられているが一体どんな指数なんだろう。

同報告書は、経済活動や教育・政治へ参加する権利など、男女間格差がどれだけ縮小したかという視点からランキングを作成、発表している。

例えばこのロイターの記事では上記のような説明がなされている。しかし、これだけではこの指数が何を意味するのか分からない。せめて「同報告書」がどこにあるのかぐらい示すべきではないだろうか。

その報告書はこちらだ。HarvardのRichardo Hausman、BerkeleyのLaura D. Tyson、WEFのSaadia Zahidiによる200ページ強の報告書だ。この数字を報道している人々はきちんとこれを読んだのだろうか。一瞬では読めないが大した量でもない。意味が明らかでない統計量を報道する以上その定義を示すのは義務ではないだろうか。

報告書によれば四つの分野:

  • Economic Participation and Opportunity
  • Education Attainment
  • Health and Survival
  • Political Empowerment

の四つのカテゴリーの中にそれぞれ複数の変数が含まれている。例えば、労働参加率、大学進学率、平均寿命、国会議員数の男女比(の逆数)だ。各カテゴリーについて属する変数の標準偏差が等しくなるように重み付けされて0から1までの値が計算される。最終的なスコアはカテゴリー毎の四つの数値の単純平均となる。ちなみに女性の方が高い数値を記録した場合は1に切り下げられる。

では日本はどうなっているのだろう。報告書の119ページに乗っている。日本は前回の98位から75位に上昇している。内訳は経済活動・機会が54位、教育水準84位、健康生存が41位、政治参加110位となっている。

経済活動・機会では専門職への進出が最高値であるが、賃金格差が大きい。これは硬直的労働市場のため職場復帰が難しいからだろう。復帰後の所得が低いため格差が大きくなり、それに対応して復帰が容易な専門職への進出が進んでいると考えられる。男女格差というよりは労働市場が根本的な問題だろう。

教育水準では大学進学率以外は最高値である。その大学進学率も男性62%に対し女性54%である。しかし、この指数の計算には進学率の水準ではなく、比だけが用いられるため非常に不利な扱いになっている(例えばすぐ上のジャマイカでは大学進学率が男性12%、女性26%で女性の方が高いため最高値になっている)。

次の健康・水準はわずか二項目で平均寿命比と出生時の男女比だ。女性のほうが平均寿命は長いので前者は最高値だが、後者は89位である。出生時の男女比が使われているのは、インド・中国など男子を望む傾向が非常に強い国々における女児の割合が低いという問題を考慮するためだが(missing women problem)、日本で男児より女児が6%少ないことは男子を優先する傾向の現れなのだろうか。男子を生む傾向があるか、性別判断をもとに流産していない(ないし出産後殺害していない)限り男女比が偏ることはない。前者は男女格差とは関係ない。後者が現代の日本で行われているようにも思えない(注)。

最後の政治参加は政治家の男女比だ。日本では政治家のほとんどが男性なため極めて低いランクになっている。これがいいことなのかどうかはよく分からない。政治家が望ましい職業かによるだろう。個人的には政治家になることがいろいろとわりに合わないため、地位・権力に強い関心がある人がなる傾向があり、それが男性による政治の独占を招いているように思う。

どの変数も解釈が難しく、それらを加重平均して作られた指数にどのような意味があるのかはよく分からない。

(注)男児が生まれるまで出産を続けるという程度であればあるかもしれない。しかし毎回の出産における男女比が一定であれば全体における男女比も一定だ。例えばカップルの数が[latex]N[/latex]で、男児が生まれる確率が[latex]p\in(0,1)[/latex]だとする。1人目は全カップルが生み、男[latex]N p[/latex]人で女[latex]N(1-p)[/latex]人だ(整数問題は考えない)。2人目を生むのは1人目が女だった[latex]N(1-p)[/latex]組みのカップルで、男[latex]N(1-p)p[/latex]人・女[latex]N(1-p)^2[/latex]人を生む。[latex]n[/latex]人目として生まれる男は[latex]N(1-p)^{n-1}p[/latex]人で女は[latex]N(1-p)^n[/latex]人だ。何人目であっても生まれる子供の男女比は[latex]p:1-p[/latex]であり、当然その無限和の比も[latex]p:1-p[/latex]だ([latex]\sum_{n=1}^{\infty}N(1-p)^{n-1}p=N[/latex]人対[latex]\sum_{n=1}^{\infty}N(1-p)^n=N \frac{1-p}{p}[/latex]人)。