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薬剤師に薬学部が必要なのか

この井上さんの書く記事は議論の土台としては面白い。以前は「医師増員のため、医学部を廃止せよ」に「なぜ資格試験や教育が必要なのか」というコメントを付けた。

今回は薬剤師と薬学部教育に関するトピックで、コメント欄で複数の方が興味深い議論をしているのでそれを合わせて紹介したい(コメント欄という性質上、非常に読みにくく議論も錯綜しがちなのでまとめも兼ねる):

アゴラ : 薬剤師に薬学はいらない 井上晃宏(医師)

井上さんの主張はまあ次のようなものだ:

  • (現在の)薬学部教育は薬剤師養成とは乖離している
  • 研究者なら創薬コースがある
  • 薬理学・製剤学なら本があるので一年もあれば十分

これは前回の医師教育のポストにも当てはまるが、彼の主張には二つほど問題がある。まず、現状の教育水準に問題があることはそれを廃止して他の方法で同じ水準を達成すればいいことを意味しない。現状がよくないのであれば最も自然な対応はそれを改善することだ。もう一つの問題は、彼が試験と学校教育を交換可能なものだと認識していることだ。これはコメント欄におけるap_08さんの指摘がわかりやすい:

アメリカの薬学部学生には、たとえば病院実習があり、朝たびたび、病棟回診(毎日)を医師チームと一緒にします。回診では実際病室を訪れる前に、医学生や 研修医が前日からの患者の経過を報告し、その日の検査や治療のプランを立てるために、ティームで短いディスカッションをします。薬学部学生は、現に投与さ れている薬や、他に何か新しい薬のオプションについて自分の意見を述べたり、指導医から質問されたりします。実習ローテーション中、現場で実際にどのよう に薬が使われ、担当の患者さんが治療にどう反応するか経過を追います。また回診が解散すると、医学生や研修医と医師の病棟オーダーを一緒に考えてアドバイ スをしたり、一緒に文献検索をしたりして、教科書の範囲を超える専門知識やスキルを、実地で身に付けて行きます

学校教育にはできるが、試験と独学では(効率的に)達成できないことが存在する。もし試験ですべての技能をチェックできるのであれば学校はどれも必要ないだろうし、授業があったとしても期末試験一発でいいはずだ。しかし、現実はそうではない。実習のほうが確実に身につくこともあるし、試験では正確に測れないこともある。また試験一回であれば運か実力か判断がつかない。以前、大学の価値は何かというポストで大学教育のシグナリング効果とそれを代替するようなビジネスについて述べたが、現実には大学の重要性は増すばかりだ。もし試験で学校教育が代替できるのであれば、すでにそういったビジネスが非常に時間とお金のかかる大学を脅かしているはずだろう。そうなってはいないという事実が、大学教育という一見非常に非効率にみえる仕組みに代わるものが見つかっていないことを示している。

コメント欄の議論については錯綜しているのでトピック毎に論じたい:

薬剤師の職域

薬剤師の職域を広げるべきだということについてはap_09さんがアメリカの医療現場を挙げて説明している:

アメリカでは薬剤師には薬の適応・投与量から、副作用、医薬品の交差反応、薬の特異反応 (idiosyncratic reaction)に至るまで、実に詳細な知識があります。クリニックと薬局は分離していて、薬剤師さんは個々の患者さんが何の病気で何の薬をどれだけ、 どのぐらいの期間処方されているか、何のアレルギーがあるか、実によく把握しています。医者が現在の薬と交差反応を起こす可能性があったり、投与量を間 違ったり、とにかく何かリスクのある処方を出すと、すぐさまダイレクトに連絡をよこします。

これは妥当だろう。井上さんの現状レベルの薬剤師なら薬学なんて必要ないという意見より、薬剤師のレベルを上げてよりよいサービスを提供できる環境をつくろうという意見のほうが生産的だアメリカの実情をよく知ったうえでよいところを取り入れようという考えでとてもよいものだ。医者がすべてをカバーするのに比べればコスト面でも有利だろう。

医療の競争原理

医療に市場競争を持ち込もうという提案はこの議論の根底にある。最初のほうにkbk7478さんの問題提起がある:

現状の医療費拡大を食い止める最もいい方法は、開業医に対する診療報酬を大幅に削減することです。ただ単に技術料を下げては勤務医に影響を及ぼしますので、技術的に簡便な医療行為に競争原理を導入すべきです。

この発言は疑問が残る。まず医療費拡大の最大の原因は人件費の増大ではなく、医療技術の発展だ。また診療報酬の削減を持ち出すのは二つほど難点がある。一つは、日本の診療報酬は国際的にみて低水準だということだ。もう一つは、診療報酬を削減するという考えは市場原理に真っ向から反していることだ。例えば、地方における医師不足の原因は診療報酬が設定されているため価格メカニズムが働かないことだろう。価格規制がなければ、医師が不足している地域で診療報酬が上がって需給は調整されるはずだ。

また競争原理という言葉の定義もよくわからない。競争自体は完全な独占市場でなければ働いている。この曖昧さがap_09さんの次の発言にも現れている:

‘簡単な医療技術に競争原理を導入’というのは、薄利多売、量をこなしてかどをはしょり、低品質低価格で儲ける者が勝つ、いわば「悪貨が良貨を駆逐する」ということなんでしょうか?まさか違いますよね。

程度の問題はあるが、「なぜ資格試験や教育が必要なのか」にもあるように、医療において完全な自由市場が機能することはない。一つは情報の非対称による「悪化が良貨を駆逐する」という現象だ(これについては、ap_09さんがご自身のブログでも挙げられている例がわかりやすい)。資格制度による質の担保や情報の共有が必要だ。

競争原理の導入についてはarcsineさんも次のように述べているが、

フェアな競争原理というのは最適な医療を適正価格で提供する者が生き残り、そうでないものが淘汰されるという理想的な状況を指す言葉として用いました。

それに対するlocalsgさんの次の指摘は適当だ:

まず、「適正な医療を適正価格で提供するものが生き残り」というこの言葉が成立するためには医療から公定価格を取り払う必要があります。公定価格が存在しているのに上の言葉は成立しないでしょう。ap_09先生がおっしゃっている「どの疾患や外傷でも診療請求の仕方が一律」というのはこのことです。

医療において適切なサービスと価格を定義するのは難しい。そもそも規制なしに機能しない市場であるため、競争的な価格が何かわからない。また、市場がつける価格が市場外の観点からみて不適正だと考えられるがゆえに健康保険制度が存在するともいえる。

市場経済医療が主体となっている典型的な国がアメリカですが、その実情はまさに金持ちは高度医療を安く受けることが出来、貧乏人は最低品質の医療を高い値 段で受けるという状況です。いや、医療自体を受けれないこと、医療を受けることによって破産することも希ではありません。アメリカの破産原因の最も多い理 由が医療なのですよ。だからこそ、オバマ政権では何とかして国民皆保険制度を導入しようとしているのです。

アメリカの現状については「アメリカの健康保険」でも紹介した。アメリカの医療に深刻な問題があることはアメリカに住んだことがあれば誰でも分かるだろう。逆に、実際来てみないとどれほど酷いかは実感できないかもしれない。

なお、医師に関して言えば、医療に市場原理が導入されて困ることはほとんどありません。むしろ、一部の医師からは既に「もう国民皆保険は諦めて、さっさと混合診療に移行した方が楽だろう」という意見も上がっています。

についてもそのとおりで、医療に市場原理が導入されれば医師の給与は上昇する。価格規制が取っ払われるのだから当然だろう。アメリカの医師の給与は日本のそれの数倍だ。ap_09さんのコメントも的確だ:

私は制度の大枠としては、日本は優れていると思っています。医療技術は世界的にも最高レベルなので、医療教育そのものは原則的に良く機能しています。また、ドクターショッピングもしほうだいです。
アメリカもイギリスも、好きに医師や病院を選べる自由はないです。イギリスでは医療費を抑えるために、国の方針で誰がどの程度の検査や治療法を受けられるか制限されています。もっとも、アメリカではお金さえ出せば納得行くまで、文字通り世界最先端・最高峰が可能ですが。

競争原理を導入するには情報の非対称が課題となるが、アメリカでは保険会社が支払いを抑えるために加入者が通える医者に制限を加えることが多い。消費者の選択肢を狭めることで費用を抑えるのだ。企業が社会的に望ましい形で競争するのは、それが彼らの利益になる場合だけだ。政府による適切な運用が難しい分野は市場による運営も難しい

但し、医療において単純な市場原理が働かないことや他の国に比べてましであることは現状でよいことを意味するわけではない。bobby2009さんの次の指摘は世間の考えを代表している:

病院の勤務医もドラッグチェーンストアの薬剤師も十分に足りている状況であれば、そもそも、このような議論など無意味ではないでしょうか。

勤務医の不足や地方の医師不足は診療報酬の設定が不適切なためおきていると思われる。市場を使わない以上、適切な価格の設定は困難ではあるがこれだけ問題が報道されている以上何らかの調整は必要だろう。またドラッグチェーンストアの薬剤師不足も定員の増加や資格の細分化などでまた医療制度全体の問題に立ち入らずとも解決できるだろう。

医療と市場との関係は非常に複雑だ。当事者である医療関係者がこれを説明しても説得力を持ちづらく、もっと医療や経済学を理解したジャーナリズムの活躍が望まれる。とはいえ、医師の方々のこの問題にかける情熱は素晴らしい。彼らは別に社会全体の医療の問題を考える個人的な利害を有しているわけではないのに、複雑な医療市場や健康保険の仕組み、国際的な状況などに精通している。

情報の共有

情報を共有すべきというaoi700aoiさんの指摘は最もだ:

情報の非対称性というヤツですね。
もっと医療に関する情報を、独占しないで、広く提供したらどうでしょう?

これについてap_09さんは次のような提案をしている:

大賛成です。どうやらこれが鍵のような気がします。
1.ネットで医学一般の知識の普及。
2.医師会、学会による登録医の教育、研修、勤務、専門・認定医保持等、医師個人の情報公開
3.病院に患者ー医師双方のための調停サービスを置く。 -たとえば、患者さんが医師に聞きたいけれど、聞きづらいので、代わりに間に立ってもらう。

どれも妥当だ。特に多大な費用がかかるものではない。しかし同時に、localsgさんの次の指摘もまた正しい:

医学の情報というのは別にどこかに秘匿されているわけではありません。医学文献は最新のものであっても一般の方が手に入れることは十分可能です。教科書レベルの話であればちょっと大きな本屋に行けば誰でも購入出来ます(馬鹿高いですが)。

大学の図書館などを利用すれば医学の査読ジャーナルにだって比較的簡単にアクセスできる。

でも問題はそれらを購入したところで、読んでも意味が分からないということです。読むためにはベースの知識が必要だからです。家庭の医学のような本は出 ていますが、これは一般向けに内容をものすごくはしょって書かれています。深いところを書いても理解出来ないからです。専門分野の深いところになると、医 師でもそれを理解出来ないことが多々あります。

専門家が専門家たる所以はここにあり、消費者にとって情報があったとしても理解するのは難しい。

根拠のない治療、例えば風邪における点滴等ですが、「あそこの先生にかかれば風邪でいつでも点滴をしてくれる」という下らない理由でどうにもならないヤブ開業医にかかる患者さんはものすごく多いです。

こういった問題があるのも事実だろう(よく面白半分に挙げられる「Dr 林のこころと脳の相談室」なんていい例だ)。単純な医療に関する情報公開よりも上のap_09さんの提案でいえば2にあたる医師に関する情報公開が重要だろう。これは「なぜ資格試験や教育が必要なのか」でも指摘した評判の効果を高める。あのときは「資格」が必要ないかもしれない理由として挙げたが、資格制度を用いた上でより効率的な競争させる上でも役に立つ。

もちろん、医学に関する知識をより分かりやすい形で提供することは重要だろうが、それだけでは情報の非対称の問題は解決できない。仮に時間をかければある程度理解できたとしても、それだけの資源を投入するのは割に合わない。これは単なる分業であって社会的にも望ましい。localsgさんが情報共有に反対している風に取られているが、別にそうでもないのは次の一文から明らかだろう:

なお、むしろ医学知識や医療制度に関しては私も公開すべきという立場ですし、一般の方が積極的に参加すべきだと思います。

むしろそれで問題が解決するわけじゃないという主張であり、より積極的に情報を共有しようというaoi700aoiさんやap_09さんの考えと排他的なものではない。程度の問題であって、今よりも患者が医療を理解するべきかもしれないが全て理解することを期待するのは無理だし、望ましくもない。

医療業界の問題を議論する資格

localsgさんの

なお、井上氏の議論で最も欠けているのは、「専門家の仕事に対する敬意」です。彼自身の経歴からすると薬剤師としての実務に就いた経験はほぼ皆無のはず で、臨床医として経験は5年未満です。一般的に医師が臨床医として1人前「弱」と言われるまでには卒後10年はかかります。現在の彼は「周囲の一人前の医 師達に支えられてやっと臨床を行っている」レベルのはずです。
その彼が「現状でも、どうしようもない医師はいくらでもいるではありませんか。」だの言っているのをみると、「(どうしようもない医者とは)それはブーメランか?」という感想しか出てこないです。彼は自分のことをよほどの天才だとでも思っているのでしょうか?

という発言についてbobby2009さんの

医療業界の問題を議論する資格として、医者である必要すらありません。時間を割き、行政から医療現場までの問題に関する情報を広く収集し、正しく認識する能力があれば良いという事です。

やsatahiro1さんの

localsg氏は医療従事者でさえも医療問題を識別して考える能力がないのに、ましてや専門外の者が「全体を俯瞰する視野と全体最適な解決策を提案できる能力」を以ってしても、問題解決の糸口を提供できないと言う。

といった批判があがっている。これについては、localsgさんの言い方に棘があることと小さなコメント欄という議論の場が原因だろうが、次の発言にあるように単なる誤解だ:

どうも、議論が拡散しているようですが、そもそも私が言っているのは医療全般についての話ではありません。医学教育を受ける初学者が「これは医師になるために必要、これは医師になるために不要」と言うことの是非を問うているのです。

localsgさんが井上さんのポストについて問題としているのは、医師や薬剤師が持つべき知識・経験についての主張だろう。これはその分野に関する専門的知識がなければ難しいことだ。門外漢である私にはさっぱり分からない。私ができるのはせいぜい制度論だ(もちろん医療制度の専門家でもないが):

医療制度全体論に関して言うならば、必ずしも制度論を語るのに医師である必要はありません。むしろ医師以外の方がまともな意見を持っている場合は多々あります。

制度論ではどれだけの知識を保障するのにどのようなトレーニング・教育・試験が必要であるかは専門家に聞いて、その情報をつかって最適な制度を考える。これは高速道路の便益をはかるときに交通工学の専門家に交通量予測を頼むようなものだろう。

薬剤師に薬学部が必要なのか」への13件のフィードバック

  1. 学校教育と試験が完全互換可能であるとは私は思っていませんし、そうは書いていません。試験と互換可能な部分(単なる座学)につてはアウトソーシングし、スクーリングが必要な部分(実習)については学校教育を残すべきだと思います。
    旧司法試験がそうでした。
    現状は、本を読めば解決してしまう部分まで学校が担当し、むやみに学校教育を延長し、現役活躍期間を短くしています。
    外科医の20代の時間はとてつもなく貴重です。30代になったら習得できない技術があり、40代になったら老眼が忍び寄り、50代では引退を考えざるをえません。

  2. コメントありがとうございます。

    >学校教育と試験が完全互換可能であるとは私は思っていませんし、そうは書いていません。

    完全にそうだとは書いてありませんが、試験を極めて重視されているのは確かではないでしょうか。

    現在のシステムや諸外国のとの比較からすれば医学部教育や薬学部教育が不必要だというのは大変過激な主張です。

    >旧司法試験がそうでした。

    旧司法試験には多くの問題点があったことから制度が変更されたと考えています。多くの人間が長い時間を試験勉強に費やし、そもそも合格せずに撤退するというのは社会的に極めて非効率なシステムです。

    >現状は、本を読めば解決してしまう部分まで学校が担当し、むやみに学校教育を延長し、現役活躍期間を短くしています。

    「むやみに」という点では(トートロジー的に)その通りですが、井上さんの主張はそういうレベルの話ではないと思います。

    >試験と互換可能な部分(単なる座学)につてはアウトソーシングし、スクーリングが必要な部分(実習)については学校教育を残すべきだと思います。

    もしこれが主な主張であれば、どこまで互換可能であるか、そしてそもそもどの程度の知識・経験を要求するかということが問題になります。それはコメント欄でlocalsgさんが指摘する「能力批判」であり、経験を積んだ医師同士で解決すべき問題だと考えます。

  3. 私は日本の診療報酬体系は是正すべきだと思います。同一地域、同一内容の診療費が
    開業医/勤務医かで大幅に違うのですから。
    都会/地方の格差はまた別の問題でしょう。

    日本はこうした個別のいくつかの問題を除けば制度はうまく回っていると思うのですが、医局の力が弱まって配分がうまく行かなかったことと、医療費を削りすぎたこととが問題だと思います。

  4. >同一地域、同一内容の診療費が開業医/勤務医かで大幅に違うのですから。都会/地方の格差はまた別の問題でしょう。

    診療報酬の決定過程に問題がありそうですね。

    >日本はこうした個別のいくつかの問題を除けば制度はうまく回っていると思うのですが、

    これは全くその通りだと思います。

    >医局の力が弱まって配分がうまく行かなかったこと

    価格を使わずに割り当てで対応していたという側面は重要そうです。

    >医療費を削りすぎた

    薬の利用などでもおかしなインセンティブになっているのが分かります。

  5. >もし試験で学校教育が代替できるのであれば、すでにそういったビジネスが非常に時間とお金のかかる大学を脅かしているはずだろう。そうなってはいないという事実が、大学教育という一見非常に非効率にみえる仕組みに代わるものが見つかっていないことを示している。

     「試験組」と「学校組」との両方が存在し、対等に市場競争しているなら、そういうこともありますが、国家は片方しか許していません。
     私は、両方を許可すべきであると考えます。効率が高い方が生き残るでしょう。

  6. >私は、両方を許可すべきであると考えます。効率が高い方が生き残るでしょう。

    医師や薬剤師に関しては政府の規制があるため確かに競争にはなっていません。

    しかし、数年間の義務教育と独習の上での試験で同じ品質を保証する方法がないので、現実的に二つの制度を混在するのは難しいのではないでしょうか。単に簡単な方に人気が出るということになるでしょう。司法試験のそれは移行処置に過ぎないはずです。

    上の例は、資格が絡んでいない通常のビジネスにおいて大学教育が他のモデルに対して現状非常に優位であることから、医療に関しても大学教育の有利が推測されるという意味で挙げました。

    医療において義務教育よりも試験が効率的だというためにはもっと多くの情報が必要なように思います。

  7. Rion 様
    拙ブログにトラックバックをどうもありがとうございました。
    また、コメントを引用して頂いて恐縮です。

  8. コメントありがとうございます。ブログの記事は非常にわかりやすい内容だと思ったのでリンクさせて頂きました。

    ユーザー情報のURLがトラックバック用アドレスになっていたので修正させていただきました。

  9. 初めまして。薬剤師をしています。

    井上氏の意見は、直感的な印象を土台にしている点で、同意する人が多いと思います。
    私自身は、日本のアンバランスな医療制度に縛られて仕事をしていますので、一般の方が薬剤師に持っている「薬剤師の専門って何だ?」という素朴な疑問が、いつか日本の医療職の正常化の議論に繋がればと願っています(残念ながら職能団体同士の協議では解決不可能のようですので)。

    先日は、薬物治療の誤り(医療裁判でも有責を認定されてものと同パターン)を医師に指摘したところ、越権行為として地域から抹殺されそうになりました(笑)。現在の制度では多くの薬剤師が袋詰めに徹する気持ちも分かります。

    議論の際、すぐに他罰的な傾向に陥る昨今の論調には閉口します。一般に「医師」という肩書きはその分野では信頼すべきものと理解されます。品位を落とされぬよう願っています。

  10. はじめてコメントさせていただきます。BLOGOSを辿ってきました、井上先生よりは長く、localsg先生よりは短い医師歴の者です。

    感情、好悪、利害等によるバイアスが強くかかったように思える議論がネットに散見される中で、Rion様の冷静な論理には強く同意します。

    ところで、瑣末なことではありますが、ご質問があります。文中に例示されておりました”Dr 林のこころと脳の相談室”ですが、どういった意味で提示されているのか、文脈からはいくつかの解釈から1つに絞れませんでした。少なくとも林先生のサイトの記載内容は(精神医学自体にまだ不確定な点が多いため学術的な議論の余地は当然あるものの)妥当であると思いますので、単に非専門家が内容を理解できないという意味として挙げられていると考えればよいのでしょうか。

  11. おはようございます。コメントありがとうございます。

    >井上氏の意見は、直感的な印象を土台にしている点で、同意する人が多いと思います。

    医師制度や薬剤師制度に問題があるのはその通りだと思います。ただ、ちょっと提言が過激すぎるのでよい落としどころはどこだろうかと考えています。

    >一般の方が薬剤師に持っている「薬剤師の専門って何だ?」という素朴な疑問が、いつか日本の医療職の正常化の議論に繋がればと願っています

    多くの人が高給の袋詰めだと思っているのは事実だと思います。私としては、袋詰めなら教育なんていらないという方向よりも、袋詰め以上の役割を担うという方向のほうが望ましいように感じます。

    >越権行為として地域から抹殺されそうになりました(笑)。

    人口密度が低い地域だとそういうことが起きるのは避けられなさそうです。経済学的にいえばそういうケースでは両者が一体となって経営することが解決方法となります。

    >一般に「医師」という肩書きはその分野では信頼すべきものと理解されます。

    信頼というのはいろいろな要素で担保されるものではないでしょうか。現在は選抜・教育制度で質を確保していますが、aobatyouzaiさんが挙げたような誤った薬物治療への対応のお話などがあれば世間の信頼は揺らぎます。

    医師への信頼がない状態というのは患者も自分で知識を吸収したり、多くの医師に話を聞いたりするので社会的にもコストリーな状態だと思います。患者への情報公開や複数の医師への相談を促すのも重要ですが、医師への信頼を高めるというのもやはり重要なことです。

  12. >感情、好悪、利害等によるバイアスが強くかかったように思える議論がネットに散見される中で、Rion様の冷静な論理には強く同意します。

    ありがとうございます。医療に関する議論は医師の専門性への自信や消費者の不信感で非生産的な状態になってしまうことは多いです。

    この分野に専門知識を有しているわけではありませんが、井上さんの記事について複数の医師の方々を含め有意義な議論が展開されていたので、整理をかねて記事を書かせていただきました。

    >文中に例示されておりました”Dr 林のこころと脳の相談室”ですが、どういった意味で提示されているのか、文脈からはいくつかの解釈から1つに絞れませんでした。

    確かに明示していませんでした。

    >単に非専門家が内容を理解できないという意味として挙げられていると考えればよいのでしょうか。

    そういうことです。あのページは先生の語り口が面白くいろいろなところで取り上げられていますが、しばしば患者が○○が必要だとか私は○○だとかいう相談をして、ばっさり否定されています。

    正直、私は患者が医療の知識を身につけるという方向性にはあまり期待していません。私は情報を集めるのも好きですし、科学の基礎知識も持っているつもりですが医療行為の妥当性を判断できるほどの知識を自分で身につけるのは無理だと思っています。また仮に長い時間かけてできたとしてもそれは時間の無駄で、専門家に任せる方が適切です。

  13. >先日は、薬物治療の誤り(医療裁判でも有責を認定されてものと同パターン)を医師に指摘したところ、越権行為として地域から抹殺されそうになりました(笑)。

    こんな、頭痛がしたくなるような状況がまだあるんですね。こんなだから、医師に反感のある人が多いのでしょうか?

    Rion さん、URLの訂正ありがとうございました。、当方Blog-toddlerとでも言うところでしょうか(笑)

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