https://leaderpharma.co.uk/ dogwalkinginlondon.co.uk

Quora

Quoraを持ち上げる記事が日本語でも増えてきているようなので、逆に否定的な記事を取り上げてみる(ht @daihakusui)。

Why I Don’t Buy the Quora Hype

Quoraの利点については同じくTechCrunchの翻訳記事があるので見比べて読むと面白い。

The answer is simple: I think that Quora will continue to be an excellent resource if the same people who have been hyping it, and who have invested in it, keep posting their thoughtful answers.

Vivekの一番の論点は回答・回答者の質だ。Quoraは招待制であり、しかもシリコンバレーの有名人が多く参加しているため回答の質が異常に高いとして有名になっている。しかし、この回答(者)の質が維持できるような仕組みは用意されていない

Silicon Valley is again drinking its own Kool-Aid; it is looking at the world through its own prism.

現在、著名な人々がQuoraで質問に答えている理由はQuoraが今ホットな話題だからであって、それが次の話題に移れば人間も移っていくと考えるのが妥当だろう。既にある分野で有名な人物が無料で他のサイトに出向いてまで質問に答えるインセンティブは少ない。

You can talk about your own products and services, and disparage others’; in other words, it is a spammers’ paradise.

もう一つの論点はスパムに対する対応だが、こちらは外れているように思われる。旧来のフォーラムであれ、SlashdotやDiggのようなニュースサイトであれモデレーションの方法はそれなりに確立している。モデレーションをコミュニティに頼るためには、まずコミュニティを作る必要があるが、その観点からすれば著名人を集めてとりあえず有名になるというQuoraの戦略はむしろうまくいっている(そこまでしなくてもスタッフを貼りつけておけばいいが)。

ここで興味深いのがスパムを含め回答の質が問題になっていることだ普通Q&AサイトというのはAつまり答える側にメリットが少ないので適切な回答がつかないことが最大の問題だ。そのためQ、質問する側についてはルールが設定される一方、答える側はスパムでなければとりあえず許容されるのが普通だ。そのバランスは質問の分野や質問の難易度によって変わるのでバーティカルにもホリゾンタルにも分割してしまったほうがいい(ちなみにStackoverflowは一見バーティカルな分割のみだが、そもそもレベルの高いユーザー向けでしかもプログラミング以外にはSuperuserがあるので実質的には難易度による限定も出来ている)。

では何故Quoraでは回答の質ばかりが問題になるのだろうか。それはQuoraが基本的にQ&Aサイトではなく(ニュースの代わりに)質問をネタにした雑談サイトであるからのように思われる。雑談サイトでは、トピックについてしゃべりたい人がたくさんいるので回答の量自体には大した価値がない。

例えば、TechCrunchへの最新の質問を見れば、このどれもが一定の回答を求めた質問ではなく、むしろ2chのスレッドのようなものであるのが分かる。では雑談サイトでとしてはどうか。シリコンバレーや起業というキーワードに興味のある人向けの雑談サイトとしてはうまくいっている一方で、それ以外の分野へどうやって広げていくかという戦略は見えてこない

#ちなみにdrink the Kool-Aidというのは怪しげなことを盲目的に信じるというような意味で、Kool-Aidは粉を溶かす飲み物です。

英語は終わらない

英語はリンガフランカとして世界中で利用されているが、その地位に対する懐疑論。

The future of English: English as she was spoke | The Economist

The Economistはこんな記事掲載していていいの?というレベル。英語時代の終焉的な煽りタイトルに長い前置きがある割に、その内容は昔からある技術が全てを解決するというものだ。

  1. 英語のネイティブは330Mほどしかいない(話者は1B以上)
  2. ナショナリズムが公用語化を阻む
  3. 機械翻訳の発展が公用語の必要性自体をなくす

一つ目はナンセンスだ。あくまで第二言語・リンガフランカとしての英語の話しをしているのだからネイティブの数はそれほど問題ではない。そんなことを言ったら長く学術分野で使われてきたラテン語なんてろくに使われていない。

二つ目もリンガフランカとしての英語には関係ない。誰も世界中で英語が母語になるなんて話はしていない。

最後のIT技術の発展云々は可能性としてはありうるが、それがいつになるかは誰にも分からない(言語学者である著者がそれを知っている理由もない)。過去のリンガフランカを例に出して英語も永遠には続かないと書いてあるが、100年後・200年後どうなるかなんて話は普通の人にとってどうでもいいことだろう。今までのところIT技術の発展は言語の壁を取っ払うよりも、情報の共有を通じて言語≒英語の価値を上げる方向に作用している。10年・20年使えそうな技術なら習得する理由としては十分過ぎる。

給食費未納問題

給食費未納「問題」が話題になった。

給食費未納問題、平成17年度と21年度のデータ比較

文科省にあるデータ(印刷物スキャン…)がきれいに公開されている。これを見る限り、未納「問題」は半ばマスコミに作られた「問題」のようだ。ポイントは以下。

  1. 未納の生徒が存在する学校が55.4%
  2. 未納の生徒は1.2%
  3. 未納額の割合は0.6%
  4. 学校の認識としては、保護者の意識問題が53.4%、経済問題が43.7%

四年前のデータもあるが、二点では趨勢について何かいうのは難しいのでおいておく(大差ない)。まず55.4%というのは未納の生徒が一人でもいる学校の割合であり、あまり意味のある数字ではない。実際に未納となっている生徒は1.2%、額にして0.6%に過ぎない。二クラスに一人いるかいないかという水準であり、未納の原因が経済的なものである可能性も考えれば保護者のモラル云々につなげるのは早計だろう。また、未納の原因については学校側の意見であって、実際の原因は分からない

要するに、

  • 未納の規模は報道のイメージより遥かに小さい
  • 未納が近年になって増えたというデータは見当たらない
  • 未納が親のモラルの問題だという根拠は薄い

ということで、一時よく聞いた「若者の凶悪犯罪」なんかと同じくマスコミが煽っているだけのように思える。じゃあ未納はほっといていいのか、と突っ込まれそうだが、本当は重大でない問題に大きなリソースが割かれるのは社会的な損失となる。給食費でいえば回収率は99.4%であり、これ以上回収率を上げるのには大きな費用がかかるだろう。企業の売掛金回収率と比べればこの数字は相当に高い。全員が払っていないと不公平感が生まれるという意見もあるが、実際に「全員」に払ってもらうのは現在のスキームでは不可能であり、結局のところでどこかで妥協するしかない

もちろん理想的には、授業料と一緒に徴収する、天引きする、無料化するなどそもそも学校が集金を行わない仕組みにするのがよいだろう。日本中の学校が債権回収業務に従事するなんて非効率すぎる。

Sonyは何の会社?

何やらSonyについて盛り上がっているようですが、Sonyが今どんな会社かはIR情報を見れば分かる。

これが2010年第二四半期のビジネス分野別売上だ。青い部分がSonyと聞いてまず思い浮かぶ電気製品の類で、緑はPlayStationのようなゲーム機本体やゲームソフトだ。後はSony PicturesやSony Music Entertainment、そしてソニー生命・ソニー損保・ソニー銀行といった金融業務となっている。こうみると一般の消費者のイメージ通りエレクトロニクスとプレステの会社かな?と思われる。

しかし、会社にとって売上よりも大事なモノがある。それは利益だ。各セクションの売上高と利益が上のグラフにまとめられている。利益を一番稼ぎ出しているのは金融業務で、エレクトロニクス関係は利益率が相当低い事がわかる。映画にいたってはマイナスで、かろうじてプラスのゲーム関係もようやく黒字化といったところだ。IBMのように収益性の低い業務を切り離すというのもありえない話ではない(但しソニーの強みが本当に金融なのかと言われると…)。

都知事の反同性愛発言

石原慎太郎都知事の反同性愛発言が物議を醸しているそうで。

痛いニュース(ノ∀`) : 「テレビなんかにも同性愛者が平気で出る」…都知事、アニメ漫画規制に意欲

石原慎太郎知事は「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」と応じた。

しかも、都青少年健全育成条例改正案という同性愛とは関係ない件に関連した発言だそうで。政治的には実に巧妙だ:

  1. 同性愛という意見の分かれやすいトピックで反対勢力を分断する
  2. ゲイが嫌いか好きかという話題になれば、反対派は条例改正案に対しても好き嫌いで反対しているように見える
  3. そもそも同性愛者がテレビにでることと改正案の内容は関係ないので話題がずらせる

反対派に対して本当の議題よりも一段と不適切な発言を投げかけることで注目を逸らしている。

この記事を読んでいたらつい最近みた次のビデオを思い出した。同性愛的傾向が個人の選択か(Is Homosexuality a Choice?)というトピックについてのビデオだ。これはアメリカでは定期的に話題になる。

この問いが重視されるのは、ゲイであることが自由意志によるものでなければ罪に問えないという哲学的な問題に基づいている。しかし、よく考えると個人の選択かどうかは重要ではない。自由意志かどうかが問題になるのは、同性愛であることないし同性愛に基づく行動を取ることが非道徳的という前提が成立している場合だけだ(コーヒーとお茶どちらが好きかというのが自由意志に基づいているかどうかを議論する人はいない)。

しかし、同性愛である事自体を罪とすることは出来ないし(思想・良心の自由)、同性愛的な行動が特別に本人ないし他人に害を及ぼしているようにも思えない。もちろん同性愛者による犯罪も当然存在するが、性的傾向との因果性は確立されておらず区別して考える理由はない(※)。同性愛が自由意志に基づいているかという話題に持ち込むことで、同性愛はよくないという前提を作り出す仕組みになっている(よって、自由意志かどうかは関係ないと返すのが正しい)。

(※)反同性愛の立場を取る論者はよく同性愛者の方が性病・精神病・ドラッグ使用が多いという統計から同性愛は望ましくないと結論付けるが、これは相関と因果の取り違えに過ぎない。社会が反同性愛的であるがゆえに同性愛者が問題を抱えている可能性もあるし、同性愛を認める人の多くが都市生活者というだけかもしれない。

P.S. ビデオを紹介するために記事を書いたと言っても過言ではないので是非御覧ください。笑えます。