iPod Touchはゲーム業界にとっての脅威か

iPod Touchがゲーム会社にとって最大の脅威だという記事があった:

Pachter: iPod Touch is “dangerous” for publishers // News

Putting well established franchises such as Madden on the iPod Touch for USD 10 cheapens their value, he explained. “Whether it’s the same experience or not, and it’s not, why would I ever spend USD 60 for Madden if I can get it for USD 10 on my iPod Touch?”

問題はiPod Touch上のゲームの価格が非常に低いということだ。ここではMadden NFLが例に挙げられている。通常のMaddenは$60で売られているがiPod Touch(ないしiPhone)では$10だという。

しかしこれがゲーム会社にとって脅威だというのは余り説得力がない。EAはMaddenをiPod Touch / iPhone上で発売しないこともできた。それを$10で発売したのは単なる価格差別だろう。iPod Touch / iPhoneユーザーのMaddenへの支払い意志額は明らかにゲームコンソールのそれよりも遥に小さい。しかもコンソールユーザーは質の違いを理解しているので価格差があるからといってiPod Touch / iPhone版で済ますとは考えにくい(そもそも両者を保有しているとも限らない)。

While he believes the iPod Touch versions of games are geared towards a different audience, he doesn’t think that makes the device’s surge in popularity any more desirable.

この点については指摘されているが、それでも脅威だという。

When it’s USD 99, every nine year old kid is going to have one of those instead of a DS or a PSP, and if you train kids that this is the game that you want to play…

価格が下がるにつれて子供がDSやPSPよりもiPod Touchを選び、それに従ってゲームへの支払い意志額も減るとのことだ。しかしこの主張が成立するためにはDSやPSPの価格帯が変わらないという仮定が必要だ。もし強力な競争相手が存在するならコンソールの価格は下がるはずでこれはゲーム会社にとってはプラスだ。

How about Tetris? Why would you pay USD 20 for Tetris when you can get it for USD 6.99 or USD 3.99 on iPod Touch?

テトリスが$20で売れなくなるというがそれは当たり前だろう。単純なゲームを開発するのは簡単なので高値で販売するのは困難だ。

Furthermore, the analyst believes the device could spawn a whole generation that won’t ever move on from playing games on their Apple device.

さらにはゲーム機を使わない世代が出現するのではないかと予想している。これは杞憂だろう。ゲーム機が登場する前にはとうぜんゲーム機を見たこともない人しかいなかった。Wiiが新しい市場を開拓したのもごく最近だ。コンテンツに価値があり、値段が価値を下回っている限り市場はなくならない。

むしろ最大の問題はiPod Touchが音楽プレーヤーとしてのiPod+iTunesと携帯電話としてのiPhoneとの互換性から携帯ゲーム機市場で独占的な地位を築くことだ。ゲーム機市場は常に限られた数のコンソールメーカーで占められているがメーカー感の競争はかなり熾烈だ。これがコンソール開発への技術投入、コンソール価格の低下を促し、ひいてはゲーム開発会社の利益となってきた。Appleは新しいプラットフォームを作ってきた実績があるが、プラットフォームの運営に関してはMicrosoftやIntelのように中立的な立場をとることに熱心ではない(MSのどこが中立的かという話はるがAppleとは比べ物にならない)。ゲーム会社はプラットフォームのオープン化を要求するか、androidのようなよりオープンなプラットフォームへ展開するなど対策を講じるべきだ。

プロスポーツにおけるミニマックス

最近複数箇所で見たような気がするFreakonomicsのSteven LevittがKenneth Kovashと共著した論文の紹介:

Matthew Yglesias » Minimax Strategies in Professional Sports

pitch selection in Major League Baseball and play-calling in the National Football League. Authors Kenneth Kovash and Steven Levitt find that: “Pitchers appear to throw too many fastballs; football teams pass less than they should.”

プロスポーツはゼロサムゲームでもあるにも関わらずミニマックス戦略をとらないというのが結論だ(注:ゼロサムゲームとは利害関係が完全に対立しているゲームで、合理的なプレーヤーはミニマックス戦略をとることが示されている)。これは別にプロスポーツでもなくても同じだ。

They opt for the “minimax” solution — the set of plays that minimizes their maximum possible loss – and their play selection does not follow a predictable pattern that might give their opponent an edge. But minimax predictions typically have not fared well in lab experiments.

実験室でも被験者はミニマックス戦略をとらない。こちらは進化論的に説明できるだろう。自然界はゼロサムで出来ていないので人間が自然にミニマックス的行動をとるとは思えない。また、実験では勝敗にかかる利害が小さいし参加者がルールを完全に理解しているかもわからない。

ではプロスポーツの場合はどうだろう。プロ選手は勝敗に強い利害関係があるし、ゲームの内容を完全に理解しているのでより理論に近い行動をとると考えられる。よって上記の理由で合理的行動から乖離する可能性は低い。よってプロスポーツでミニマックスが観測できないことは合理性仮説に疑問を投げかけるというわけだ。

しかしプロスポーツがゼロサムだという仮定の正当性はどうなのだろう。プロスポーツの勝敗結果はゼロサムだが、スポーツチームは勝率を最大化しているわけではないし、ましてやここの選手は言うまでもない。勝敗結果を多少犠牲にしてでもファンの支持を得る行動をとるのが、犠牲が小規模に抑えられるのであれば、最適な行動だろう(本当に期待勝敗結果を最大化すると思っているのだろうか??)。

文献紹介によるとテニスのサーブの左右やサッカーのPK戦のキーバーの行動、ポーカーではミニマックスと整合的な行動をとるとされている。テニス選手の成果がほぼ完全にランキングで決まること、PK戦では結果が全てであること、ポーカーはそもそもファンが評価するものでないことからすれば野球やフットボールの試合より遥に完全なゼロサムになっており、特に矛盾はない。

論文本体へのリンクはこちら。詳しい方のコメント募集。

スクルージノミクス

面白そうな本がいつも読んでいるブログで紹介されていたの注文してみた。本の名前はScroogenomicsだ。

Game Theorist: Scrooge is an economist

スクルージ(Scrooge)というのはディケンズの小説クリスマスキャロルの主人公で極めつけの守銭奴として描かれている。

Scroogeonomics is an aptly titled 170 odd page presentation of the case against Christmas but more generally against gift giving.

この本は贈り物をする習慣に反対する内容だそうだ。他人にプレゼントを贈るのがあまり「効率のよい」行動でないのは明らかだろう。第一に相手が何を欲しがっているのかが分からない。実際、

Actually, he does better than that, he calculates it. It is around $12 billion per year made up of the money value of the total difference between what a gift is worth to someone versus just having the money.

お金をそのまま渡すのに比べて年間120億ドルの無駄が生じているそうだ(そしてプレゼントを選ぶのに悩む時間費用もだ)。だからといって現金を人に上げるのは難しい。アメリカでは冠婚葬祭でも現金がやりとりされることはほとんどない。現金が望ましくないとされている社会では、ある個人がそれを変えることはできない。

とはいえこういう風習はだんだんなくなってきているように思う。親戚が子供に物を買って与えることは少なくなってきている(うちでは子供のころから現金だったような気がする)し、カタログや金券も増えている。百億ドル単位での無駄があるのならこの流れは当然だろう。むしろプレゼントを渡すという習慣がどのように発生したのかのほうが興味深い。ほぼ全世界共通ともいえる習慣であり単なる偶然なはずはない。この本がその辺を解き明かしてくれると期待してみよう。