学校での成績評価は何を基準に行われるべきかという話題。
“Over time, we began to realize that many teachers had been grading kids for compliance — not for mastering the course material,”
争点となっているのは、学校の成績のいい学生が標準化された試験では悪い点をとったり、逆に成績の良くない学生がいい点数をとったりすることだ。
この原因は、一部の教員以外には、明白だろう。中学校や高校の成績は、出席や宿題を含め、教師の行ったことに従ったか(=コンプライアンス)によって大きく変わる。筆記試験もあるが、教師本人が出題する以上基本的な構図は変わらない。
もちろん出席・宿題・素行といったものを点数に反映させるのは躾のために必要だという意見はある。しかし、小学生ならいざ知らず高校生以上では躾が教育の主要な目的では(少なくとも建前上は)ないはずだ。
しかも、そういった意見はあくまで教師の性善説を前提としている。教師が試験以外の要素を評価の(主な)基準とするのは何もそれが生徒にとって好ましいからとは限らない。むしろそう信じるほうが難しい。命令に従ったかどうかで評価すれば教室運営は楽になるし、多くの人は他人を服従させるのが好きだ。一般社会では普通得られない程の権力を味わうことができる。
素行を成績評価に中心に据えることには幾つかの潜在的なメリットがあるものの、教師のインセンティブを考えれば望ましい結果を生むとは考えにくい。標準化された学力試験が適切な指標かはともかく、こういったインセンティブの問題はない。
ちなみに日教組は全国学力テストに反対している。