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何故嘘は犯罪ではないか

嘘をつくことが何故法律で規制されないのかについて:

Overcoming Bias : Allowed Lies

We now empower the legal system to punish folks for “fraud” in misrepresenting themselves in contracts, and for certain other sorts of lies known as “slander” and “libel.”  Which makes sense because we think such lies hurt us overall. But beyond these cases the legal system isn’t much empowered to punish lies.  Why?

詐欺や名誉毀損などは規制されているが一般的な嘘は規制されていない。理由はいくつか挙げられている:

there are many areas in which it is not very clear what exactly is a lie

there are also many other areas, such as in flattery, where we are well aware that most folks lie most of the time

一つには嘘を定義するのが難しいケースがあること、もう一つは真実とは異なることを述べるが当たり前のケースがあることだ。

we could voluntarily choose to bond ourselves to a private agency that would keep some deposited cash if we were ever caught in a lie.

さらに規制されていないだけではなく民間企業が嘘をつかないことを保証する仕組みを提供していないと指摘している。

一番大きな問題は嘘が定義しやすいかどうかというより嘘をついたことを確定する手段がないことだろう。著者のRobin Hansonは、既婚者が独身を装って女性に声を掛けるケースを挙げている:

For example, consider the case where a married man lies about whether he is married when trying to attract a single woman into a relationship.  Single women typically insist they do not want such lies, and it would be easy to determine if the man is in fact married.  So why do we not use the legal system to discourage such lies?

もちろんこの場合嘘をつく本人は意図的に嘘をついているので民間企業が信頼を担保することはありえない。彼は、

the costs to reliably determine if a lie happened could be low

嘘をついていたかを判定するコストは低いといっているがそんなことはないだろう。言ったか言ってないかという話は常に確認は困難だ。結婚しているかいないかを話のネタにすることも考えられる。

また、この例でいえば行動の帰結が規制されているため行動それ自体を規制する必要はあまりないし、本当に未婚か否かを知りたいのであれば比較的小さな費用で調べることが可能だ。

言論の自由との兼ね合いがあるので「嘘」を規制するのはそれが正確に定義でき、有無が正確に決定でき、帰結を規制するのでは足りず、情報を提供するのでも間に合わない場合に限るべきだ。そしてその数少ない例外が詐欺・名誉毀損の類だろう。

ちなみに著者はジョージ・メイソン大学の経済学者であるが、このエントリーには経済学者らしからぬ部分がある。

Single women typically insist they do not want such lies

それは嘘をつかれたいかどうかと聞かれれば嫌だと言うだろう。いい人とそうじゃない人どっちが好みかと聞かれたらいい人だと答えるようなものだ。一般に言って、あるものが欲しいと発言することとそれが本当に欲しいこととは別のことだ。

“Everything is worth what its purchaser will pay for it.” – Publius Syrius

単に質問してもしょうがない。相手の行動とその行動を取るための費用を観察することが必要だ。

アメリカのマクドナルド分布

直近のマクドナルドからの距離(as the crow flies)に比例して色付けされた全米マップ:

McDonald’s. Yes, They Really Are Everywhere | GeekDad | Wired.com

mcd

こういうマップを自動的に作ってくれるソフト・サービスを作れば結構面白いかなと思う。もちろんArcGISとか使えばできるけど敷居が高すぎる(ライセンスも厳しすぎる)。住所ないし座標のリストをインプットして描画する地図の種類、それに色彩などの設定ができれば十分。多少不正確にはなるだろうけど、Google Mapの外部APIを使えば割合簡単にできるだろう。

チャーター都市

経済成長論で著名なポール・ローマーが始めたCharter Citiesについて本人へのインタビューがFreakonomicsに出ている:

Can “Charter Cities” Change the World? A Q&A With Paul Romer – Freakonomics Blog – NYTimes.com

チャーター都市のアイデアは次の一節にまとまっている。

The key to the project is a charter city, which starts out as a city-sized piece of uninhabited territory and a charter or constitution specifying the rules that will apply there. If the charter specifies good rules (or in our professional jargon, good institutions) millions of people will come together to build a new city.

それぞれのチャーター都市は都市形成に必要な無人地域から始まる。都市はチャーターないし憲法という形で独自のルールを持ち、そのルールがよいものであれば新しい都市が形成される。もちろんこれに対して適切な問いは:

Aren’t the cities that the world needs springing up naturally?

何故それを人工的に始める必要があるのかということだ。それに対しポール・ローマーは、

The evidence suggests to the contrary that many societies are stuck with bad rules. Moving from bad rules to better ones may be much harder than most economists have allowed. The construct of a charter city is a suggestion about how we can change the dynamics of rules. It is a way to speed up the rate of improvement in the rules.

実際に社会における悪いルールが改善されることは非常に稀だと述べている。既存の都市における規範が改善するのを待つよりも新しい規範を備えた都市を作る方が効果的だと言う。その例として、

suppose you were the president of Cuba. Suppose you wanted to do for Cuba what Deng Xiaoping did for China

中国における経済改革を挙げている。そしてそのような特区を作るためには国際協定が必要となる。

In practice, countries around the world, even countries that can’t get along, still respect treaties.

第三国を巻き込むことでコミットメントの問題を解決するわけだ。しかし現実性はどうなんだろう。

People always think that the unfamiliar is impossible. Many times, all that holds us back is a failure of imagination.

聞いたことがないからといって無理だと思っていては始まらないと述べられている。それは尤もだが日本での経済特区が成功しているようには思われない。既に形成されている大都市のアドバンテージが余りにも大きいのが原因のように思われる。もちろん彼の主な興味の対象は都市人口の比較的小さな開発途上国にあるため状況は異なるだろう。

ちなみに質問の冒頭は的外れだ。

You recently gave up your tenured teaching position at Stanford to launch an ambitious development initiative.

彼ならどの大学も喜んで席を用意してくれるだろう。

クリーピー

アメリカでおそらく最も有名なオンラインコミックxkcdから:

xkcd – A Webcomic – Creepy

電車で気になる女性を見つけた男性が声を掛けようとするが、一人で最悪の事態を想定して何もしない。でも女性も実は興味を持ってるというプロット。

ここの四コマは割合いつも面白い。今回は二点ほど考えることがある。一つはこの場合の男女マッチングがうまくいかない理由は情報が不完全であるためだということ。この場合両者が興味を明らかにすれば共に得するはずだ。しかし、均衡において情報は隠れたままだ。登場人物の男性は失敗した場合の損失=恐怖が大きすぎるので相手から明らかなシグナルがなければ声を掛けない。それに対して女性から明らかなシグナルを送ることは相手が女性のことを軽い女だと誤解してしまう(ないし知ってしまう)可能性がある。よって両者ともに何もしないことが均衡になる。この問題については、複数回の接触による情報のやりとり、お見合いのようなシステムが解決策になる。しかしこれらはどれも現代社会では役に立たない。見知らぬ人間が出会いをし続けるという状況自体がごく近代の産物であるためだ。

それに加え進化心理学的な問題がある。上のような解決策はどれも両者の選好を所与としたうえで情報問題をどのようなメカニズムで解決するかということだが、冷静に考えればそもそも両者の選好はあまり合理的とは言えない。例えば男性が声を掛けて失敗することを恐れるのは合理的なのか。現実には、この四コマに出てくるようにfacebookを通じて失敗が知れ渡ることはない。最悪彼女の友達のネタになってもそれ以上の何かがあることではない。よって男性が失敗それ自体を恐れるのはあまり賢いようには思われない。

これは進化論的に説明できる。人間は通常のリスク(特に非常に小さな確率で生じる現象)についてはしばしばリスク愛好的であるのに対し、社会的なリスクについては極めてリスク回避的である。猿が自分の遺伝子を広めるためには子孫が繁栄する必要がある。ある猿にとって森を離れて歩き出すことはその猿自身にとって期待値に言えば自殺行為だが、成功した場合には子孫が繁栄する。その猿の人生にとってはマイナスでも進化論的には非常に適切な行動なのだ。そして我々はみなそういう猿の末裔である。これにより人間が極めて小さな確率を過大評価すること、例えば期待値が価格の半分でも宝くじを買うという行動、が説明できる。それに対し、社会的なリスクは猿にとって致命的だ。二十匹の群れにおいて村八分にされることは個体の死を意味する。そのため社会的行動においては非常に慎重になるのが望ましい。

しかしこれらは何れも現代社会においては当てはまらない。宝くじが自分だけ当たるかもしれないと思うことも、アイドルをみて自分もなれるんじゃないかと思うことも本人の人生にとって期待値的にプラスにはならない(大抵の人が家庭を持って子孫を残せる世の中では進化論的にさえ有利でない)。同じように社会関係における過剰なリスク回避行動も本人の得にならない。この四コマの場合であれば男性が失敗を気にするのは不合理だ。失敗してもまたその女性と会うことはおそらくない。バーであれば次のバーに行けばいいだけだ。最悪違う街にでも引っ越せば何も分かりはしない。

女性にとって同様だ。噂が広まらずほぼ確実に避妊が可能な社会において女性が実際に貞淑であろうとするインセンティブはない。但し、男性には、少なくとも長期的な関係においては、そういう女性を望む強い選好がある点だけは多少違う。男性は子供が本当に自分の遺伝子を引いているかを確認できないからだ。そのため女性は貞淑である必要はないが、そうである振りをする必要がある。具体的には、会話が始まっても簡単に関心を明らかにせず、時間を掛けるということになる。それに対し男性は相手に合わせて待つか、時間を掛けずとも身持ちが悪いということにはならないと説得することになる。この構造は子供に対するDNA鑑定が一般化し、そのことに適合した制度ができれば多少変わるだろうが当分はこのままだろう。