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郵政で高齢者配慮は必要か

わざわざ取り上げる程のものでもないと思うけど、よくある話なので:

asahi.com(朝日新聞社):日本郵政、高知で地方公聴会 「高齢者に配慮を」 – ビジネス・経済 via ohuzak@Twitter

郵便、貯金、保険の3事業を一体で運用し、高齢者らの使い勝手をよくするよう求める意見が相次いだ。

サービスの質は改善されるべきだが、それは他のサービスでも変わらない。違うのは、その要求が市場を通じて行われるか、政治を通じて行われるかということだ。市場を通す場合には、その改善で消費者がどれだけ得をするかとそのためにどれだけの費用がかかるかが比較される。それに対し、政治では票の数に応じて決まる。どちらが望ましいかは明らかではないだろうか。

「分社化で郵便配達人に貯金の出し入れを頼めなくなった」「電子メールやネットを使えない高齢者は多い。高齢者に優しい郵便局を目指してほしい」といった声が出た。

確かに不便な点あるかもしれない。しかし問題はその不便さを解消するための費用が便益に見合うかどうかだ。そしてある人が不満を述べるかどうかでそれを知ることはできない不満を表明すること自体には費用がかからないからだ。

二つの応答が考えられる。一つは過疎化だ。人口密度が減ることで採算が取れなくなる。しかし、採算が取れないということは概ね社会的な観点からみて費用の方が便益よりも大きいということなのでこれはサービスを維持する理由にはならない。高齢者は移動できないため過疎によって悪影響を受けるという議論は可能だが、それをサービスの維持で解消するというのは望ましくない。貧しい高齢者は他にもいるので過疎地の高齢者だけの対策で市場を歪めるよりも、再配分政策・社会保障政策で一元的に扱うべきだ

もう一つの可能性は、市場が競争的ではないというものだ。これは過疎地には当てはまるだろう。しかし、日本の郵便局が過疎地でだけ価格を釣り上げているという話は聞かない。また、過疎地における自然独占が問題なら消費者による事業の所有で対処できる。消費者が独占事業を垂直統合することで両者は一体化し、独占により消費者を搾取するという現象自体がなくなるからだ。これにはアメリカの過疎地で電力会社が消費者組合となっている例がある。

公聴会は作家で社外取締役の曽野綾子氏がまとめ役。来年1月には京都府、愛知県、新潟県で開く。

ミニスカの話(ミニスカートが悪いのかレイプのパターンを考える)でも出てきた曽根綾子氏だが、どうして郵政事業の必要性に彼女が登場するのだろう。経済の分かる人材を登用していただきたい。

レイプのパターンを考える

開発援助の成果主義

なぜ開発援助に成果主義の導入が進まないのかについての明察:

Linking aid to results: why are some development workers anxious?

Linking aid more closely to results is attractive from many different perspectives.  My own view is that linking aid directly to results will help to change the politics of aid for donors.

成果主義の導入は何よりも援助国が開発援助を政治的に正当化するのに役立つという。

I think donors will be freed from many of the political pressures they currently face to deliver aid badly; and it would be politically easier to defend large increases in aid budgets.

成果がきちんと観測できるのであれば、直接指示を与える必要もないので効率的だし、納税者も納得する。営業のように結果の見えやすい部署が成果主義に近い形で運営されているのと同じだ。

But there is one group of people for whom these ideas seem to be quite unsettling: development professionals in aid agencies and NGOs.

しかし、開発に関わる専門家やNGOはこれに反対しているという。何故だろうか。

The “risks” identified in the CAFOD brief are not primarily about the consequences for development but rather risks to the privileged position enjoyed by professional staff in aid agencies and NGOs.

それは援助の効果の問題ではなく、成果主義の導入が彼ら専門家やNGOが占めている特権的な地位を脅かすからだ。これは少し考えれば明らかだ。成果主義が導入されれば、今まで業務を細かく指示してきた管理職は必要なくなる。次の政治家との対比は切れ味がよい:

Politicians are, of course, at their most dangerous when they can no longer distinguish their own interests from the interests of the people they are meant to serve.  Similarly we should be concerned when we hear development professionals identifying themselves as speaking for the poor, and arguing that they must retain influence (i.e. power) – purchased by the relative wealth of their country – to promote strategies which the country would not pursue on its own.

政治家は正しい意図を持って政治のキャリアに入るが、いつのまにか政治的な力を手にすることが自己目的化する。これはあらゆる職業にあてはまる。自分の判断は一番正しいという考えが内面化された時に力を得ることは常に正しいことになる。開発援助の専門家であれば、援助される側に任せるのではなく、自分が指示するのが最も望ましいという信念を抱いたとき、自分が援助の内容を管理する力を保持することは望ましいことになる。自分が正しいと信じていないと何も変えることはできないが、それが飯のたねになったときその正しさへの信念を捨てるのは難しい

統計は作るもの?

現実には統計が結果から作られているという話:

Deciding the conclusion ahead of time : Applied Statistics

元ネタはThe Washington Postが報じているThe Chamber of Commerce(商工会議所?)のメール:

The e-mail, written by the Chamber’s senior health policy manager and obtained by The Washington Post, proposes spending $50,000 to hire a “respected economist” to study the impact of health-care legislation, which is expected to come to the Senate floor this week, would have on jobs and the economy.

Step two, according to the e-mail, appears to assume the outcome of the economic review: “The economist will then circulate a sign-on letter to hundreds of other economists saying that the bill will kill jobs and hurt the economy. We will then be able to use this open letter to produce advertisements, and as a powerful lobbying and grass-roots document.”

彼らは支持する企業とともに、オバマの医療制度改革が雇用を減らし経済に悪い影響を与えることを示すという研究成果を求めていて、そのためにエコノミストを探しているというものだ。

The more serious issue is that this predetermined-conclusions thing happens all the time. (Or, as they say on the Internet, All. The. Time.) I’ve worked on many projects, often for pay, with organizations where I have a pretty clear sense ahead to time of what they’re looking for. I always give the straight story of what I’ve found, but these organizations are free to select and use just the findings of mine that they like.

そしてこういった結論ありきの統計分析というのはありとあらゆる場所で行われている。例え分析者が真面目にやっても組織が都合のよい結果だけ選ぶのは避けられない。

This also reminds me of something I’ve noticed on legal consulting projects: typically, the consultants on the other side seem incompetent, sometimes extremely so.

さらに筆者自らのリーガル・コンサルティングにおける経験が語られている。どうも相手側のコンサルタントが無能過ぎるという。理由としては弁護士が有能なコンサルタントが誰かしらないことや、数字が自分に都合のよい場合にだけまともな人間をやとっているということが上げられている。

しかし、こういった問題は実はアカデミックな研究の場合の方が深刻なように思われる。研究者、特に若手、は面白い結果を出す強いインセンティブを持っているが、統計分析がきちんと行われているかをチェックする機能は法廷や政治程には強くないだろう。もちろんピアレビューはあるが基本ボランティア作業だ。これが訴訟であれば相手の統計のあら探しをするのは当然の仕事であり、いつまでも無能な統計専門家が市場に残るのは困難だろう。

文化地図の軸は何か

イングルハート・ヴェルツェルによる文化地図(Inglehart-Welzel Cultrual Map)の軸の取り方について:

Overcoming Bias : Key Disputed Values

以下のグラフが文化地図と呼ばれるものだ。世界価値調査(World Values Survey)のページに置いてある:

map

マップ上の点は国を表しており、色分けは何らかの共通点でもって複数の国を囲ったものだ。例えば日本は生存よりも自己表現に重きを置いているが多くの欧米の国ほどではなく、伝統的価値観ではなく世俗・合理的な価値観が非常に強い国ということになる。

このマップを理解するにはこれがどのように作られたかを知る必要がある。実際の論文などは見ていないのでWikipediaなどからの推量になるが以下に簡単に説明する(間違いがあったら指摘してほしい)。

元となっているデータは世界価値調査というもので、それぞれの国においてどのような価値観が支持されているかを調査したものだ。データはインタビューによって集められる。

The WVS questionnaire consists of about 250 questions resulting in some 400 to 800 measurable variables.

250程の質問項目を元に400から800個の指標が作られるそうだ(例:個人的幸福度)。しかし、イングルハートはそれらの指標の多くを僅か二つの指標(軸)で説明できてしまうことに気づき、それを生存・自己表現と伝統・世俗という二つの軸で表現した。それが上のマップだ。

幾何学的に言うと、多次元空間に各国の指標の組をマップしたら何故かある二次元(超)平面の付近に並んでいたのでその平面を切り出してみたということだ。

このマップに対してRobin Hansonは次のように指摘している:

WVS leaders’ views on the key value disputes are found in their diagram labels: “survival vs. well-being” and “traditional vs. rational-legal.”  But we need not accept their labels. Given many data points in a high dimensional vector space, factor analysis strongly suggests the most informative subspaces to consider, but says less about the best axes to consider, and nothing about the best axis names.

マップでは生存・自己表現と伝統・世俗という二つの軸を取っているが、このマップを評価する上でイングルハートが提示した二つの軸を採用する必要はない。二つの指標で表されるということはある特定の二つの軸を選ぶ根拠にはならないからだ。

これは上の幾何学的な解釈から明らかだろう。重要なのは多次元空間上の点の位置が二次元平面で表されることで、その二次元平面の軸をどう取るかという話とは別の話だ。高校数学を思い出して欲しい。二次元平面を表現するには何が必要か。その平面上の一次独立な二つのベクトルの組なら何でもよい。

追記:主成分分析の基底の取り方について指摘を頂いたのでコメント欄を参照ください。

Given that one factor is the lower left to upper right wealth factor, the other factor is an upper left to lower right factor, stretching from Russia to the USA.  But what is the essence of that factor?

まず左下から右下を眺めると経済発展を表していることに注目する。それに対してもう一つの対角線、左上から右下、はどう表現できるか。これはロシアとアメリカの違いにも対応する。左上に共産圏、右下に自由主義圏が並んでいるの分かるだろう(日本はどちらでもないが若干共産よりだ)。

It seems to me that USA side values make sense when the priority is making families and personal relations work well, while Russian side values make sense when the priority is larger community health and threats.

彼はここで右下に個人・家族主義的な傾向、左上に共同体主義的な傾向を見出す

So why would Russia side nations focus more on community, while USA side nations focus more on family?  My story is much like that Diamond’s Guns Germs and Steel: geography made some places more vulnerable to invasion.

この違いについては地政学的な差異を挙げている。侵略されやすい国は共同体主義的となり、そうでない国は個人・家族主義的となる。外的な脅威があれば個人・家族の価値よりも社会の価値が自然と重視されるからだ。

So there you have it: I suggest the two main value disputes in the world are rich vs. poor and family vs. community priorities.

まとめると彼の主張は各国の価値観の違いは貧しいか豊かかと家族か社会かという二つの要素で説明できるというものだ(上のマップ上では対角線となる)。

これは生存・自己表現と伝統・世俗という分け方よりも実感にそぐう。日本の例がわかりやすい。日本が自己表現を重視しているかはよく分からないし、宗教にこそ熱心ではないが伝統的価値観を重んじない国ではないだろうしかし日本はかなり経済的に発展している比較的共同体重視の国と言われれば非常にしっくりくる。アングロサクソンは経済的に発展している個人主義の国々、ラテンアメリカは経済発展は遅れぎみの個人主義の国々、旧共産圏は経済発展が遅れぎみの共同体主義の国々となる。

Given many data points in a high dimensional vector space, factor analysis strongly suggests the most informative subspaces to consider, but says less about the best axes to consider, and nothing about the best axis names.

スーパーコンピューターが必要か

スーパーコンピュータ開発の是非について非常に頂けない(が他分野でもよく見られる)意見があったので紹介:

アゴラ : スーパーコンピューターを復活してほしい – 西 和彦

筆者はスーパーコンピュータ業界の民間人として、日本のスーパーコンピュータの歴史をひも解いている。しかし、肝心の「何故、日本政府が世界一のスーパーコンピュータ開発に税金を投入すべきなのか」とう問いへの答えは極めて貧弱だ:

日本のために世界一を取るのではなく、世界の競争のために、日本も世界一を取るのだ。

これ以外に世界一を取るべき根拠が挙げられているようには見えないが、これは果たして根拠になっているのだろうか。

日本という国に対して、何かをすべきという議論を行うにはそれが最終的に日本全体のため(国益)になると主張せざるを得ない(これは国だけでなくあらゆる社会について当てはまることだ)。何らかの偶然で価値観の一致が見られない限りこれを避けることはできない。そして、スーパーコンピュータ開発においてそういった一致がないのは明らかだ。

さらに、テレビ報道に出てきた国会議員を批判する箇所は救いようがない。

1967年生まれの蓮舫議員は1995年に台湾からの帰化日本人である。1997年に双子の子供を生んだときには、日本の国籍になったにも拘わらず、中国 風の名前をお付けになっている。家庭的には感覚は中国のひとなのであろう。私はそうは思わないけど、日本のスーパーコンピューターをつぶすために、蓮舫議 員のバックは誰で、その生まれた国の意向があるのかなあと思う人もいる。もし、そうだったらビックリだけど・・・。

件の蓮舫議員の言動が問題になることは分かる。しかし、「私はそうは思わないけど」などという留保つければ、(どんな背景があるかはともかく)正式に日本国籍を取得して、民主選挙で選ばれた国会議員を憶測で非難することが正当化されるわけではない

帰化日本人が議員になることを許容しているのはこれもまた民主主義により正当化されている日本の法律だ。アメリカの外国系の帰化人との比較も行われているが、アメリカで帰化人が子供に自国風の名前をつけることを批判したら人種差別問題だ

記事の冒頭に戻ろう。

蓮舫参議院議員が鬼のような顔をして、「スパコンで世界一になる意味はあるのか?」と仕分けしていたからである。仕分けされているときに、それに反論して いる文部科学省の役人を有り難いと思った。日本のスパコンのために頑張ってくれている!官僚をこんなに有り難いと思ったのは久しぶりだ。

世界一のスーパーコンピュータ開発が必要だと思うなら、すべきことは、

「スパコンで世界一になる意味はあるのか?」

という問いに真摯に答えることだ。繰り返しになるが、選挙で選ばれた議員の質問に答えるのは民主主義を支持するなら必要なことだ。議論において、発言内容それ自体(「スパコンで世界一になる意味はあるのか?」)に反論するのではなく、発言者(蓮舫参議院議員)の物言い・出自を批判するというのは極めて不健全なことだ

ちなみに、

それに反論して いる文部科学省の役人を有り難いと思った。日本のスパコンのために頑張ってくれている!

反論している文部科学省の役人は「日本のスパコンのために頑張ってくれている」のではない。役人は日本の国益のためにスパコン開発が重要だと考えているからそう主張しているだけだ。