https://leaderpharma.co.uk/ dogwalkinginlondon.co.uk

トービン税の問題

トービン税については前取り上げたが、それに対する反対意見があったので紹介:

Tobin tax: How to reveal you don’t understand risk : Core Economics

A great way to reveal that you only understand risk management in static terms is to advocate a Tobin tax on financial transactions.

トービン税はリスクマネジメントを静的にしか理解していないことを示すという。

People who look at the financial system and see the massive growth in trading volumes of capital market and risk market instruments and conclude that it is all just speculation run amok, just don’t get it.  They don’t have a good understanding or intuition about how risk is dynamically managed in the economy.  They want a Tobin tax to suppress speculation, not realising that they will damage the allocative efficiency of the financial system.

著者によれば、資本市場・保険市場の拡大は投機ではなく、リスクが動的に管理されている証拠であって、トービン税を掛けると金融システムの効率を損なうそうだ。

市場のどこまでが投機なのかというのは実証的な問題なのでよく分からないがいまいち説得力がないように思う。理由は以下だ:

  • 現状はファーストベストではないだろうから税金を掛けると結果が悪くなるとは一概に言えない
  • トービン税が非効率性を生むとして、問題は他の経済活動に税金を掛けるのとどっちが非効率かということだ

前者についてはそもそもトービン税の推進派も税金が何らかの非効率を招くことは否定しないだろう。しかし実体経済へのマイナスの影響を与える投機行動を直接規制できないのであれば取引全体を規制することは正当化しうる(公害を取り締まる方法がないことを前提とすれば競争を促さないことが正当化されるのと同じだ)。

後者は税の超過負担の問題だ。一定の税収が必要なことを前提とすれば、必要悪としての税金はなるべく経済に歪みをもたらさない場所に掛けるのが望ましい。よってトービン税の非効率性を議論するなら、他の税金にくらべて非効率だという必要がある。

まあ、トービン税が導入されることは政治的になさそうなので実質的にはどうでもいい気もする。

中国の大気汚染と情報集約

中国の環境(大気)汚染についてthe Atlanticから:

The Atlantic Online | November 2009 | How I Survived China | James Fallows

著者のジャーナリストJame Fallowsが中国滞在注に体調を崩したのをきっかけに大気汚染の問題について論じている。

The health situation for ordinary Chinese people is obviously no joke. After stalling, the Chinese government recently accepted a World Bank estimate that some 750,000 of its people die prematurely each year just from air pollution. Alarming upsurges in birth defects and cancer rates are reported even in the state-controlled press.

中国の健康問題は実際深刻である。ここでは世銀による推計として年間75万人が大気汚染が原因でなくなっていると指摘されている。奇形やガンも激増しているが国有のメディアはそれを報道しないそうだ。

The Chinese government does not report, and may not even measure, what other countries consider the most dangerous form of air pollution: PM2.5, the smallest particulate matter, tiny enough to work its way deep into the alveoli. Instead, Chinese reports cover only the grosser PM10 particulates, which are less dangerous but more unsightly, because they make the air dark and turn your handkerchief black if you blow your nose. (Spitting on the street: routine in China. Blowing your nose into a handkerchief: something no cultured person would do.)

環境問題は報道されないだけではなく、そもそも測定すらされていない。大気汚染の指標である浮遊粒子状物質の量のうちPM2.5がそれだ。PM2.5は直径2.5μm以下の粒子のことで健康被害が大きいとされている。測定されているのは目に見えるPM10だけだ。非公式な数値がアメリカ政府(大使館)から提供されているが、そのレベルは非常に危険なものとなっている。

この事例は民主主義の情報を集める(aggregate)機能を示している。共産主義におけるメディア規制はよく問題になるが、影響はそこに止まらない情報の流通・利用が妨げられるということはそもそも情報を集めようというインセンティブをなくなるということだ。この例では中国政府は自分に都合の悪い情報、PM2.5、の流通を阻止しているが、そのために政府にとって他の有用な情報が入ってこないこともありうる。政府が自ら必要な情報を秘密裏に集めようというのは非効率どころか不可能だ。

逆にテクノロジーはこの情報収集機能を強化している。一つの例はウェブでありTwitterだろうが、CitySourcedなど新しい取り組みもある。政府と国民の情報の非対称を解決することは社会にとって大きなプラスを生み出す

People seem to feel alive.” That made sense when I heard it—in China I had felt terrible, but alive—and makes me say that foreigners who want to go should not be deterred. They could even work on the environmental problems affecting the billion-plus permanent residents.

このような大気汚染にも関わらず中国は活気づいており、尋ねる価値はある、それどころか外国人が環境問題に取り組むことができると締めている。

しかしこの結論はあまりに楽観的過ぎるように思う。現地の人々が環境問題に気付いていないわけではない。気付いているがそれがビジネスにならないと知っているだけだろう。

交通経済学

交通経済学の父とされるJohn R. MeyerについてEdward Glaeserの解説がEconomixにある:

Remembering the Father of Transportation Economics – Economix Blog – NYTimes.com

まず鉄道について基本的な二つの事実が挙げられている:

Railroads were said to be natural monopolies, and regulation was needed to deter overpricing. On the other hand, railroads were also considered prone to ruinous price wars, and regulation was deemed necessary to “insure profits sufficient for the development and expansion of the industry.”

一つは自然独占でもう一つは過剰競争だ。鉄道は非常に大きな固定費が掛かるかつ、同じ場所に複数必要ないほどトラフィックがないことが多いため、自然に一社が一つの路線を受け持つことが多い。これは価格が独占価格に高止まりすることを意味するため価格の規制が正当化される。不適切な価格規制を行うと経営努力を行うインセンティブがなくなるなど非効率が発生する。

同時に、複数の鉄道が同じ市場で競争した場合には価格が下がりすぎ破綻しやすい。莫大な固定費の影響で平均費用が限界費用より大きく、競争により価格が限界費用に近づくと固定費をカバーするだけの利益が上がらなくなるからだ。

高速道路とバスについても重要な政策方針が示されている:

First, highways will never be appropriately used until they are appropriately priced. Unless drivers pay the full social cost of crowding congested urban roads during peak hours, then those roads will remain overused and society will pay a large cost in wasted time.

高速道路は適切な価格付けがなければ適切に使われないドライバーが混雑などの社会的費用を全て負担するような価格付けにならない限り、常に過剰な需要が発生し、時間の浪費と言う形で社会的な無駄が発生するという。

これは現在の日本の政策の問題を明らかにしている。道路はその容量に達した途端に極めて非効率的な移動手段となる。しかし、個々のドライバーは自分が運転することで他のドライバーが時間を浪費することにたいし費用を払わないため、放っておくと常に混雑=容量オーバーが発生する。これを防ぐには通行料という形でこの負の外部性を個人に負担させる必要がある。

高速道路無料化ないし上限千円と言った政策はこれに完全に反している。結果は予想される通り大渋滞が発生して利用者がみな無駄な時間を過ごすということだ。このような無駄を省くには、まず高速道路の料金は渋滞をコントロールするためのデバイスであって、道路の建設費用をカバーするためのものではないということへの理解が必要だ(料金が費用をカバーできるかは規模の経済で決まるが、それは二次的な問題だ)。

よくアメリカでは高速道路が無料だと言われる。それは単に高速道路の輸送容量が十分あるためだ。容量が足りないベイエリアのブリッジではどれもかなりの料金を徴収している(残念ながらこの料金も混雑解消というよりも一種の財源として設定されている印象はある)。

利用者にとってみれば混雑している高速道路に料金を上げるというのはどういうことだという意見もあるだろうが、現実には混雑しているからこそ料金を上げる必要がある。高速道路無料化に対する立場は基本的な経済学を理解しているかを示すよい指標になっている

Second, buses are pretty much everywhere more cost-effective than urban trains. We are so used to buses as we experience them, moving slowly along crowded city streets, that we forget Mr. Meyer’s point that buses on dedicated lanes, “freeway fliers,” can be just as fast as urban trains.

バスの効率性についても指摘されている。バスは鉄道に比べると固定費も小さく、運用のための費用が全体的に小さい(それに比べ鉄道は物資の輸送については極めて効率的だ)。しかし、バスの効率性は道路の混雑に依存している。道路の混雑が適切な建設や混雑料金によって解消されていない場合バスは非常に非効率になる。バス専用レーンを導入することでこの問題は解決できるが、バスに対するイメージがあまりにも悪いため導入は進まないようだ。

これは自分の感覚にも一致する。東京で暮らしているとほとんどの場所には電車と徒歩で移動できる。バスは田舎にいったときにしか使わないためサンフランシスコなどに出てバスをみると違和感を感じる。さらにアメリカだと自家用車の利用が多いためバスは客層が好ましくないという問題もある(車が非常に不便なサンフランシスコや学生がパスを持っているバークレーはましなほうだろう)。何故東京では電車が極めて発達しているのに対しバス交通は貧弱であるかも興味深い。

OECD諸国のジニ係数と相対貧困率

相対貧困率で検索してくる人がいるので追補でも。

OECD諸国の相対貧困率とジニ係数についてはWikipediaにも掲載されている(一次文献はOECD Social, Employment and Migration Working Paper No. 22 Selection of figures from OECD Questionnaire on Income Distribution and Poverty)。

以下がそれを棒グラフにしたものだ:

inequality

せっかく入力したのでGnumericのデータcsvファイルも置いておく。

相対貧困率であれジニ係数であれ一つの統計を計算して所得分配を表すという主張に無理がある。比べるなら所得の分布をヒストグラムなどで示すほうがわかりやすい。また前回述べたように、所得分配を全人口(ないし全世帯)について見ると、年齢・経験による所得の増大と個人・世帯間の格差の区別がつかない。世代毎に所得分配を示した上で所得階層間の移動の度合いを説明する必要がある。

また個人・世帯ごとの所得は国内での物価の差で調整されていないだろう。例えばニューヨークやサンフランシスコは非常に物価・家賃が高いので同じ給料ではまともに暮らせない。国内に特別に物価の高い地域があれば名目所得の分布はより不平等に見える。通常の財であれば裁定取引により価格が国内で劇的に異なることはないだろうが、土地やサービスではそうはいかない。

P.S. これぐらい新聞社なんなりがやるべきだろう。またアメリカ在住者からすると、アメリカと日本との間に大きな差のでない不平等さの指数に意味があるとは思えない。

追記:物価調整(PPP)については前回のポストへのコメントWillyさんからご指摘があったことに気づきました。感謝。

追記:さらに言えば高齢化が進むとこの手の指数はどれも悪化する。年齢が上がるにつれ所得に差がつくからだ。

国名  ↓ ジニ係数  ↓ 相対貧困率  ↓
AUS オーストラリア 30.5 11.2
AUT オーストリア 25.19 9.29
BEL ベルギー 27.16 7.76
CAN カナダ 30.09 10.34
CZE チェコ 25.96 4.25
DEN デンマーク 22.48 4.32
FIN フィンランド 26.1 6.36
FRA フランス 27.3 7.04
GER ドイツ 27.75 8.89
GRC ギリシャ 34.47 8.89
HUN ハンガリー 29.34 8.2
IRL アイルランド 30.37 15.4
ITA イタリア 34.71 12.9
JPN 日本 31.38 15.25
LUX ルクセンブルク 26.06 5.46
MEX メキシコ 47.97 20.26
NLD オランダ 25.06 6
NOR ノルウェー 26.1 6.33
NZL ニュージーランド 33.67 10.4
POL ポーランド 36.74 9.85
POR ポルトガル 35.61 13.67
SPA スペイン 32.91 12.1
SWE スウェーデン 24.28 5.25
SWI スイス 26.66 6.74
TUR トルコ 43.91 15.88
UKG 英国 32.56 11.42
USA 米国 35.67 17.09


教員の養成と市場

日本では教員養成課程の六年化が取り沙汰されているようだが、アメリカでも教員の質が取り沙汰されている:

Duncan to ed schools: End ‘mediocre’ training – Class Struggle – Jay Mathews on Education

Education Secretary Arne Duncan, in prepared remarks circulating in advance of a speech Thursday, accuses many of the nation’s schools of education of doing “a mediocre job of preparing teachers for the realities of the 21st-century classroom.”

Duncan’s speech points out two major deficiencies in education school teaching with which most critics would agree: They do a bad job teaching students how to manage disruptive classrooms, particularly in low-income neighborhoods, and they don’t offer much in the way of training new teachers how to use data to improve their classroom results.

教育長官のスピーチ原稿で、大学における教員養成教育の問題が指摘されているそうだ。特に教室の秩序を守る方法やデータを使う方法を教えていない点が批判されている。

ちなみにArne Duncanの経歴をチェックしたところシカゴ大学付属のUniversity of Chicago Laboratory Schools(ちなみに高校に当たるGrades9-12で学費だけで$23,671だ)からハーバード大学を社会学で卒業している。自分が教師であったことはないそうだ。まあむしろロースクール出てないことのほうが驚きかもしれないが。

大学が教員養成に力を入れていないのは事実だが、それを指摘するだけでは問題は解決しないだろう。根本的な原因は教員養成課程を卒業した後の労働市場にある。ロースクールやビジネススクールであれば大学のランキングやネットワークがものを言うので、大学は魅力あるカリキュラムを立てる。しかし教員を採用する側は大学で何を学んだかを余りみないので市場が働かない。アメリカではそもそも教員の給与水準が低いという問題もある。

日本の教員養成の問題も同様だ。教育機関の競争が余りなく、採用プロセスが不明瞭だ。何を学んだら将来、特に就職に役立つか分からない(ないし関係ないということが分かっている)のだからカリキュラムが改善される理由がない。

もちろんカリキュラムの内容を政府が指定してしまえば大学がどうやってカリキュラムを組むかという問題は解決する。これが教員免許更新制度とそのための講習義務付けが目指していた方向性だろう。もちろん政府が何故ましなカリキュラムを提供できるのかという疑問は残るが筋は通っている(教員養成が市場よりも一種の計画経済的政策と相性がいいというのは疑わしい)。

教員養成六年化計画はそれに比べると理念が見えない。最後の二年を政府が提供するというなら分かるが単に長くしたところで問題は悪化するばかりだろう。免許更新・義務講習を避けたい教員の政治的意図ばかりが透けて見える。