HMGシンポジウム

アメリカの競争政策を担う司法省(DOJ)と連邦取引委員会(FTC)が水平合併(Horizontal Merger)に関するワークショップを開催する予定だ。これに先立って、TRUTH ON THE MARKET では専門家によるコメント集められている。

TRUTH ON THE MARKET » Welcome to the Truth on the Market Merger Guidelines Symposium

コメントは以下の質問への回答だ:

  1. Do the Merger Guidelines Need Revision?
  2. If yes, what is the most important revision  you would recommend and why?

一つ目は水平合併ガイドラインの変更が必要か、二つ目はもしそうならどこを直すべきでなぜそう思うのかだ。

水平合併ガイドライン(Horizontal Merger Guideline)とはDOJとFTCが発表している、企業合併に関する指針だ。両者はこのガイドラインに則って合併に関する調査さらには訴訟手続きを行うかを決める。DOJとFTCはともに行政機関であり、彼らがしたがうこのルールもまた法律ではないが、企業にとっては極めて重要だ。実際に合併が反対された場合、裁判によって決着をつけることになり、迅速な合併は不可能になる。

WikipediaにもあるようにHMGは1968年に始めて作られた。競争政策は基本的に産業組織論と呼ばれる経済学の一分野に含まれるが、当時の産業組織論はSCP(Structure-Conduct-Performance)とよばれるモデルを使っていた。簡単に言うと、市場の構造(structure)が企業の行動様式(conduct)に影響し、その行動様式が市場支配力(performance)を決めるというモデルだ。具体的には何らかの市場支配力の測定値を市場の集中度のような構造変数に回帰することになる。

しかし、産業組織論がゲーム理論を取り入れて発展することでSCPは廃れた。これに対応し、1984にHMGの大きな改正が行われた。一つの特徴は市場支配力の存在それ自体を最終目的としないことだ。社会余剰の最大化が目的であり、競争の促進は余剰を増やす限りにおいて追求されるようになった。例えば、合併によって生産の効率化がなされると分かっているなら、市場の集中度が増しても社会的にはプラスでありうる。HMGはさらに1992年に修正されているが以来、現在にいたるまで変更されていない。

では、専門家は何をいっているのだろう。コメントの多くは次の三つの点を指摘している:

  • 一方的な(unilateral)行動とコーディネーションとを明確に分けていること
  • 市場の確定を要求していること
  • 静的なモデルを想定しすぎていること

一つ目は前者を静的なゲーム・後者を動的なゲームと分けて考えていることへの批判である。しかし前者を動学化することは可能でありその場合後者との区別はなくなる。理論的に両者を分ける理由がない以上、ガイドラインでも分離するのは望ましくない。

二つ目はほとんど全ての論者が上げている。ガイドラインではまず合併の是非を決める上で合併する企業のいるマーケットを決めることを求めている。これはSSNIPテストと呼ばれる手続きで決定される。SSNIPテストについてはポストを改めて纏めたいが、理論的に多くの問題が指摘されている。またそもそも、市場を確定することは合併の是非を決める上で必要がない。

三つ目はR&Dの取扱いに関して指摘されている。合併によって長期的な生産性向上が見込める場合にも、生産要素共有などにより得られる生産性向上同様の配慮をすべきだということだ。もちろん、このような配慮は非常に注意深く行う必要がある。生産性向上の有無についてもっとも多くの情報を有しているのは合併企業であり、彼らは常に生産性向上があるから合併は正当化されると主張するからだ。

さらに、内容自体とはもう一つの問題が指摘されている:

  • 当局は実際にはガイドライン通りの行動をとっていない

例えばガイドラインではハーフィンダール・ハーシュマン・インデックス(HHI)を基準にする旨が述べられているが実際の当局の行動はそれと整合的でない。これがどの程度問題かについては議論がある。ガイドラインが当局の政策運用を正確に表していないことは企業の側に不確実性を与える一方で、ローファームや経済コンサルティングファームは実際の運用について十分な知識を要している。専門家を雇っている限り、不確実性の問題は生じない。また、これだけ複雑な政策を正確に記述する事自体不可能だという主張もある。

同じ議論はそもそもこのガイドラインを修正すべきか否かにも適用できる。実際の運用は専門家に理解されているのだから上記の三つのポイントについても改正する必要はないという意見だ。これには二つの利点がある:

  • ガイドラインの改正には多くの労力がかかる(当局のエコノミストの時間を消費する)
  • ガイドラインを一段と経済理論に忠実にすることで法曹関係者の反発を招く

個々のコメントについてはリンク先サイトで探してほしい。

日本では未だに経済理論の競争政策への導入が進んでいないそうだ。これは非効率な政策運用を招くので早急に正すべきだ。また、日本企業であってもアメリカ・EUで訴えられることは実際にあり、こういった経済理論に根ざした司法のもとで争う必要がある。

Netflixのストリーミング

映画DVDレンタル最大手のNetflixは最近ストリーミングに力を入れている。DVDの場合、頼んでから届くまで時間がかかるがストリーミングならその場で鑑賞できる点が受けている。NetflixにとってもDVDを大量に在庫する必要が減るという利点がある。

Netflix to Launch Streaming-Only Service…but Not in the U.S.

Unfortunately, this new streaming-only option won’t be available to any Netflix subscribers in the U.S.

Netflixはストリーミングだけのサービスを売り出すと報道されているが、アメリカでは提供されないそうだ。

Hastings wouldn’t reveal which overseas market would be first to get the new service “for competitive reasons,” but he did say that their initial approach is to prove their model before offering the expanded service in other countries.

その理由として、ビジネスモデルを先に海外で試したいという理由を挙げている。さらに、

It’s likely that Netflix wouldn’t even go this route if they had their way, but apparently, DVDs-by-mail isn’t an option for them overseas.

郵便を利用したDVDレンタルというシステムは異なる郵便システムを持つ国で成り立つかも分からない。

ではアメリカではストリーミングだけのオプションを提供しないことには他の理由はないのだろうか。社長は次のように発言している。

“Everybody also wants to get DVDs,” said Hastings. “All the new releases are on DVD, the vast catalog is on DVD. When there is demand, it will make sense for us to meet that demand for streaming only.”

アメリカ人はみなDVDレンタルサービスも欲しがるため、ストリーミングのみのプランは必要ないということだ。しかし、この発言は真実を語っていない。仮にほとんどのアメリカ人がストリーミングとDVDレンタルという二つのサービスを両方需要していたとしても、個別にも提供したほうが利益は増えるはずだからだ。

直感的に言うと、個別にサービスを提供すれば、Netflixは合わせたパッケージの価格に加え二つの個別価格という三つツールを使うことができるため、一つの場合にくらべれば最低でも同じだけの利益は得られる(財が大量にあれば個別の価格付けのための費用が発生するだろうがNetflixにはあてはまらない)。ストリーミングに強い選好がある人、DVDレンタルに強い選好がある人、どちらも特別に欲しいわけではない人という三つのグループに別々の価格を割り当てる価格差別の一種と捉えてもよい

では何故Netflixは個別のサービス提供を行わないのだろうか。Netflixが主張するように、適切な価格付けのための実験を先に行う必要があるということも考えられる。実際の価格付けは難しいのでこれは頷ける。しかし、ストリーミングやDVDレンタルへの需要や提供できるサービスの質は国によって大きく異なるだろうから海外でやってみたからといってそれがアメリカに適用できるかは疑わしい。

もう一つの解釈はNetflixがDVDレンタルにおける優越的な立場を利用してストリーミング市場での地位を確保しようしているというストーリーだ。NetflixはDVDレンタルにおいては非常に大きなシェアを持っているが、この業界の未来がストリーミングにあるのは明らかだ。抱き合わせにして提供することで、NetflixのDVDレンタルが欲しいひとはストリーミングにおいてもNetflixを利用することになる。このような戦略の有効性については改めてまとめたい。

記事では、もしストリーミング単独サービスへの需要がないとして、そのことがどうハリウッドの販売戦略と結びついているかについて論じられている。興味を持ったかたはどうぞ。

P.S. NetflixのストリーミングはSilverlightを利用しているためLinuxでは動作しない。Silverlight採用においてMicrosoftがどのような取引を行ったかも気になるところだ。

男女格差指数

2009年の世界経済フォーラム(World Economic Forum)男女格差指数(Global Gender Gap Index)が発表された:

男女格差が最も少ないのはアイスランド、日本は75位 | 世界のこぼれ話 | Reuters

日本が世界で75位で、1位はアイスランドといった情報はいくつもの新聞社などで報じられているが一体どんな指数なんだろう。

同報告書は、経済活動や教育・政治へ参加する権利など、男女間格差がどれだけ縮小したかという視点からランキングを作成、発表している。

例えばこのロイターの記事では上記のような説明がなされている。しかし、これだけではこの指数が何を意味するのか分からない。せめて「同報告書」がどこにあるのかぐらい示すべきではないだろうか。

その報告書はこちらだ。HarvardのRichardo Hausman、BerkeleyのLaura D. Tyson、WEFのSaadia Zahidiによる200ページ強の報告書だ。この数字を報道している人々はきちんとこれを読んだのだろうか。一瞬では読めないが大した量でもない。意味が明らかでない統計量を報道する以上その定義を示すのは義務ではないだろうか。

報告書によれば四つの分野:

  • Economic Participation and Opportunity
  • Education Attainment
  • Health and Survival
  • Political Empowerment

の四つのカテゴリーの中にそれぞれ複数の変数が含まれている。例えば、労働参加率、大学進学率、平均寿命、国会議員数の男女比(の逆数)だ。各カテゴリーについて属する変数の標準偏差が等しくなるように重み付けされて0から1までの値が計算される。最終的なスコアはカテゴリー毎の四つの数値の単純平均となる。ちなみに女性の方が高い数値を記録した場合は1に切り下げられる。

では日本はどうなっているのだろう。報告書の119ページに乗っている。日本は前回の98位から75位に上昇している。内訳は経済活動・機会が54位、教育水準84位、健康生存が41位、政治参加110位となっている。

経済活動・機会では専門職への進出が最高値であるが、賃金格差が大きい。これは硬直的労働市場のため職場復帰が難しいからだろう。復帰後の所得が低いため格差が大きくなり、それに対応して復帰が容易な専門職への進出が進んでいると考えられる。男女格差というよりは労働市場が根本的な問題だろう。

教育水準では大学進学率以外は最高値である。その大学進学率も男性62%に対し女性54%である。しかし、この指数の計算には進学率の水準ではなく、比だけが用いられるため非常に不利な扱いになっている(例えばすぐ上のジャマイカでは大学進学率が男性12%、女性26%で女性の方が高いため最高値になっている)。

次の健康・水準はわずか二項目で平均寿命比と出生時の男女比だ。女性のほうが平均寿命は長いので前者は最高値だが、後者は89位である。出生時の男女比が使われているのは、インド・中国など男子を望む傾向が非常に強い国々における女児の割合が低いという問題を考慮するためだが(missing women problem)、日本で男児より女児が6%少ないことは男子を優先する傾向の現れなのだろうか。男子を生む傾向があるか、性別判断をもとに流産していない(ないし出産後殺害していない)限り男女比が偏ることはない。前者は男女格差とは関係ない。後者が現代の日本で行われているようにも思えない(注)。

最後の政治参加は政治家の男女比だ。日本では政治家のほとんどが男性なため極めて低いランクになっている。これがいいことなのかどうかはよく分からない。政治家が望ましい職業かによるだろう。個人的には政治家になることがいろいろとわりに合わないため、地位・権力に強い関心がある人がなる傾向があり、それが男性による政治の独占を招いているように思う。

どの変数も解釈が難しく、それらを加重平均して作られた指数にどのような意味があるのかはよく分からない。

(注)男児が生まれるまで出産を続けるという程度であればあるかもしれない。しかし毎回の出産における男女比が一定であれば全体における男女比も一定だ。例えばカップルの数が[latex]N[/latex]で、男児が生まれる確率が[latex]p\in(0,1)[/latex]だとする。1人目は全カップルが生み、男[latex]N p[/latex]人で女[latex]N(1-p)[/latex]人だ(整数問題は考えない)。2人目を生むのは1人目が女だった[latex]N(1-p)[/latex]組みのカップルで、男[latex]N(1-p)p[/latex]人・女[latex]N(1-p)^2[/latex]人を生む。[latex]n[/latex]人目として生まれる男は[latex]N(1-p)^{n-1}p[/latex]人で女は[latex]N(1-p)^n[/latex]人だ。何人目であっても生まれる子供の男女比は[latex]p:1-p[/latex]であり、当然その無限和の比も[latex]p:1-p[/latex]だ([latex]\sum_{n=1}^{\infty}N(1-p)^{n-1}p=N[/latex]人対[latex]\sum_{n=1}^{\infty}N(1-p)^n=N \frac{1-p}{p}[/latex]人)。

猿の経済学

NPRから猿が経済学的に合理的な行動をとっている研究について:

Scientist Monkeys Around With The Economy : NPR

We were trying to answer questions about whether monkeys are able to behave in an economic way.

研究のテーマは、猿が経済的な行動をとれるのかということだそうだ。

what would happen if you trained a low-ranking vervet monkey to do things that other vervet monkeys, even high-ranking monkeys, couldn’t do?

これを調べるために、社会的地位の低い猿に特殊なスキルを習得させた場合に、その猿の地位がどう変化するかを調べた。

Roughly an hour after she’d open the container for everyone, she was getting groomed a lot more, as much as a high-ranking monkey, and she no longer had to do hardly any grooming herself. But that was not the most spectacular finding.

猿は貨幣を持っていないが、代わりに毛繕いに関する行動を調べた結果、スキルを持った猿の地位の向上が確認された。

So what then did, is we got a second low-ranking female, trained her to open a second container with apples in it, and then we saw that the value of the first provider dropped, more or less, to the half of what she had before. So now we had a competition between two animals. Both of them could provide this good, these apples, and so the value of the first one dropped down again. And of the second one who was very low at the beginning of the experiment, she went up. And they ended up both in the middle, so to speak.

さらにもう一匹同じような猿に同じスキルを習得させている。この場合にもスキルをもった猿の地位は上昇するが、その上昇は限られる。これはより貴重なスキルを持っている人のほうが競争が少なく大きな利得を得られるという標準的な経済学の結論に対応している。

Animals that cannot form binding contracts, animals that cannot talk about what they want to do or cannot offer verbally or anything – they nevertheless are quite accurate in adapting their behavior to what the market gives them.

monkeys arrive at these economic outcomes not through sitting down and negotiation, but through feeling and emotion.

そしてこの現象には契約も言葉も必要ではない。感情によってそういう風に行動しただけだという。

計算された暴力

Science Dailyでドメスティック・バイオレンス(DV)に関する研究が紹介されている:
Violence Between Couples Is Usually Calculated, And Does Not Result From Loss Of Control, Study Suggests

Violence between couples is usually the result of a calculated decision-making process and the partner inflicting violence will do so only as long as the price to be paid is not too high.

多くの場合、カップル間(但しDVはカップル間のそれである必要はない)の暴力は計算された意思決定の結果だということだ。

The violent partner might conceive his or her behavior as a ‘loss of control’, but the same individual, unsurprisingly, would not lose control in this way with a boss or friends

本人は衝動的にやってしまったと主張するが、同じ人間が上司や友人の前で同じように「衝動的」な行動をとることはないそうだ。DVを暴力をふるう側のほとんどが精神病だとする向きもあるようだが、病気だと考えるよりも合理的な行動として解釈する方が方法論的に健全かつ生産的だろう。

上の主張についていえば、上司や友人の前では暴力的でないが身内に暴力的なタイプの精神病だと言うことはできるが、それは過剰な拡大解釈だ。全てを病気だと解釈することは一種の反証不可能仮説だ。何でも説明できるだろうが予測力がない。

記事によれば、DVは理性的な意思決定の結果(the result of a calculated decision-making process)とされているが、そのように解釈できることは必ずしも行為者が理性的でよく考えて行動していることを意味しないことにも注意が必要だろう。単に、理性的な意思決定の結果として理解できるのであれば主観の解釈は必要ない。もちろん本人が自分の行動をどう説明するかも関係ない。

Neither of the couple sits down and plans when he or she will swear or lash out at the other, but there is a sort of silent agreement standing between the two on what limits of violent behavior are ‘ok’, where the red line is drawn, and where behavior beyond that could be dangerous

この発言は暴力を伴う人間関係が一種の均衡になっていることを如実にしめしている。許容される暴力の限度についての同意(agreement)があるように見えるそうだ。

when speaking of one-sided physical violence, most often carried out by men, the violent side understands that for a slap, say, he will not pay a very heavy price, but for harsher violence that is not included in the ‘normative’ dynamic between them, he might well have to pay a higher price and will therefore keep himself from such behavior.

一定限度内の暴力は許容されるが、一線を越えた場合に別離や外部への通報というペナルティが発生するため暴力をふるう側もそこで止まるとのこと。

この状況は一種のゲームの(パレート)非効率な解として理解できる。両者にとって暴力を伴わない関係が望ましいにも関わらず、暴力を伴う均衡が選択されているためだ。

解決策としては刑罰などでペナルティを大きくすることが考えられるだろう。しかしこの方法が効果的かは疑わしい。ペナルティが暴力をふるう側の行動に影響を及ぼすためには、ペナルティに訴える可能性が現実的でなければならない。しかし、ペナルティが加害者への罰則に過ぎなければこれはうまくいかない。いくら加害者が損をしても、被害者が得するわけではない。むしろ、両者が関係を続けていることから、被害者にとってその関係は一応プラスの利得を持っていると推定できるためペナルティによって別れるのであれば被害者にとってマイナスだ。最終的に被害者がペナルティに訴えないと分かっているかぎり、加害者へのペナルティの大きさは加害者の行動に影響しない。通報した場合に被害者に報酬を与えればいいが、虚偽の通報などより大きな問題が発生するだろう。

もう一つの方法は二人で話合うか第三者が相談にのりコーディネーションを行う=均衡を選択することだ。この方法にも大きな課題がある。それは、暴力のない状態が必ずしも暴力を伴う状態にくらべ(パレート)改善とは限らないことだ。暴力をふるう側にとって暴力を伴う状態のほうがない状態よりも望ましいなら、さあ暴力をなくそうといっても合意は得られない。通常の交渉であればこれは補償により解決される。両者にとっての余剰の和が大きければそれを暴力をふるう側に配分することで合意が得られるからだ(そして「暴力をふるう」側は結果的に暴力をふるわない)。しかし現代社会であからさまに不平等の存在する男女関係は許容されないためこのような交渉は成立しないだろう。

P.S. 逆に言えば、フェミニズム以前の社会においてはパートナー間の不平等は存在したが、実際に暴力が発生する可能性は低かったかもしれない(実際の数字は分からないが、最初から亭主関白な家庭において妻への暴力が多いとは思えない)。

追記:亭主関白な家庭でもDVはあるという指摘があった。これは結婚しない場合の女性の利得=アウトサイドオプションが非常に低い場合にはありうる。この場合、不平等な関係であっても女性には、最悪の場合とくらべて、余剰が残っているので交渉力の関係によっては暴力がない関係にならないことが考えられる。これは女性のアウトサイドオプションが大きくなるにつれ解消される(男性は最低でもそれだけの利得を女性に割り当てなければ交渉が成立しない)。また、現実にはパートナーの暴力に対する選好に関して不確実性が存在するため、期待値的に大丈夫だと思って結婚したがそこから抜けられないというパターンもありうる。