エイズとの戦いに負ける世界

アフリカでのエイズ対策が苦境に陥っているようだ。

Pace of U.S. Funding for African AIDS Slows Just As Number Requiring Treatment Explodes – WSJ.com

The growth in U.S. funding, which underwrites nearly half the world’s AIDS relief, has slowed dramatically. At the same time, the number of people requiring treatment has skyrocketed.

AIDS対策の費用の半分を占めてきたアメリカによる援助は伸びどまりつつある一方、治療を必要とする人の数は爆発的に増えている。How the war on AIDS was lostにはサブサハラでの感染数と治療開始数がグラフになっている:

治療が感染に追いついていないということはHIVが拡散していくことを意味する。

Some 33. 4 million people worldwide have HIV, and under new guidelines by the World Health Organization, the number eligible for treatment has grown to 14 million, dwarfing the 4 million in treatment currently. Another 2.7 million people become infected each year.

現在3,340万人のHIV感染者が存在し、毎年270万人増えていっている。

The therapy, which doesn’t cure AIDS but allows people with HIV to live normal lives, means the number of people who need drugs will continue to grow.

治療によってAIDSが完治するわけではなく、普通の生活を送れるようになるだけなので、恒常的に治療を必要とする人の数は増えるばかりだ。この理由についてはEasterlyとFreschiは次のように指摘している。

How did this enormous tragedy occur? Perhaps because the global health community concentrated on AIDS treatment and neglected prevention (which they never figured out how to do).

AIDS患者を治療することに資源を集中し、感染の拡大を防止する努力を怠ってきたというものだ。既に苦しんでいる患者を助ける方が政治的なメリットが大きいからだ。こういった援助は国内での支持を取り付けるだけでも一苦労だが、さらに効果的な援助や他国との協調を行うのは非常に困難だ。どうするのが結果として一番いいのかという議論が広がることがまず必要だろう。

追記

AIDSによる死亡者数の伸びは止まりつつあるようだ。AIDS Deaths Worldwide: 1990-2007から:

水資源ビジネス

最近twitterで水資源についての話題があったので、前に読んだ記事をご紹介:

Pricing Water For The Poor – Forbes.com

日本では最近水資源ビジネスを支援しようという動きがある

経済産業省は18日、水質浄化や上下水道の運営を手掛ける「水資源ビジネス」を本格的に支援する方針を固めた。欧州の巨大企業は発展途上国などの上下水道を運営し「水メジャー」と呼ばれている。同省は水資源ビジネスを成長分野と位置付け、海外の水道事業への参入や水処理プラントの建設などを後押しする。

しかし、和製石油メジャーを作ろうという政策がどれだけの便益をもたらしたかは定かではないし、水不足は石油不足とは異なる性質がある。それは、適切な価格付けがなされていないという需要の問題だ。要するに、水が安すぎるため過剰に・不適切に使用されているということだ。こちらを放置したたまま、単なる利権・無駄遣いにつながるおそれのある、資源確保にばかり積極的に出るのは頂けない。

では本題の最初のリンクに戻ろう。これはもともと「ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう」で紹介しようと思った記事だ。

Biswas, 70, runs his own think tank, the Third World Center for Water Management, in Mexico City. The center gets its revenue from contracts to advise governments on water management as well as contributions from foundations and aid agencies.

紹介されているAsit Biswasさんは水資源管理のシンクタンクを運営している。彼のビジネスは水を効率よく利用するためのアドバイスをすることだ。水不足が叫ばれ始めて久しいが、彼によれば水資源は問題ではない:

“There is enough water until 2060,” he says. “Water isn’t like oil in that once you use it it breaks up and can’t be reused.” Water can be reused umpteen times. […] The main problem, he says, is that water management in most countries is abysmally poor.

総量の決まっている原油とは異なり、水の再利用や淡水化に関する技術は発展している。水不足最大の問題は、水資源の管理が極めて杜撰なことだという。

Governments, however, are not in the habit of attributing shortages to their own ineptitude. They are more likely to describe the problem in apocalyptic terms.

しかし政府は自分たちの管理が問題だとは認めず、水資源の枯渇を叫ぶ。その方が彼らには都合がよい。

“There’s a lobby that says water is a human right [and hence it should be free], and that’s baloney,” says Biswas. “Food has been declared a human right, and people still pay for it. So why shouldn’t they pay for water?”

反対側からは水の利用は人権でありゆえに無料であるべきだという意見もあるが、それについても食料との比較で切り捨てる。食料は人権だが無料ではない。これは医療を人権だと称するのと同じ間違いだ(参考:医療は人権か)。人権かどうかと無料であるかは違うことだし、タダである量を供与することとタダで好きなだけ使わせることは違うことだ

Ideally, water, or any scarce good, should be priced at its marginal cost. If the last gallon supplied costs a penny to acquire and deliver, then every gallon should be priced at a penny, even if some of the supply can be had for free.

そしてその価格は教科書通り、限界費用であるのが望ましい。消費者は社会的な費用を負担することで、社会的に望ましい利用を行う。なぜならそうすることが消費者自身にとって望ましいからだ。

“The universal access to clean water will never be realized if water supply is free or heavily subsidized,” he says.

水の価格がゼロだったり大量の補助を受けていたりする限り、清潔な水へのアクセスは実現されないのだ。

開発援助の成果主義

なぜ開発援助に成果主義の導入が進まないのかについての明察:

Linking aid to results: why are some development workers anxious?

Linking aid more closely to results is attractive from many different perspectives.  My own view is that linking aid directly to results will help to change the politics of aid for donors.

成果主義の導入は何よりも援助国が開発援助を政治的に正当化するのに役立つという。

I think donors will be freed from many of the political pressures they currently face to deliver aid badly; and it would be politically easier to defend large increases in aid budgets.

成果がきちんと観測できるのであれば、直接指示を与える必要もないので効率的だし、納税者も納得する。営業のように結果の見えやすい部署が成果主義に近い形で運営されているのと同じだ。

But there is one group of people for whom these ideas seem to be quite unsettling: development professionals in aid agencies and NGOs.

しかし、開発に関わる専門家やNGOはこれに反対しているという。何故だろうか。

The “risks” identified in the CAFOD brief are not primarily about the consequences for development but rather risks to the privileged position enjoyed by professional staff in aid agencies and NGOs.

それは援助の効果の問題ではなく、成果主義の導入が彼ら専門家やNGOが占めている特権的な地位を脅かすからだ。これは少し考えれば明らかだ。成果主義が導入されれば、今まで業務を細かく指示してきた管理職は必要なくなる。次の政治家との対比は切れ味がよい:

Politicians are, of course, at their most dangerous when they can no longer distinguish their own interests from the interests of the people they are meant to serve.  Similarly we should be concerned when we hear development professionals identifying themselves as speaking for the poor, and arguing that they must retain influence (i.e. power) – purchased by the relative wealth of their country – to promote strategies which the country would not pursue on its own.

政治家は正しい意図を持って政治のキャリアに入るが、いつのまにか政治的な力を手にすることが自己目的化する。これはあらゆる職業にあてはまる。自分の判断は一番正しいという考えが内面化された時に力を得ることは常に正しいことになる。開発援助の専門家であれば、援助される側に任せるのではなく、自分が指示するのが最も望ましいという信念を抱いたとき、自分が援助の内容を管理する力を保持することは望ましいことになる。自分が正しいと信じていないと何も変えることはできないが、それが飯のたねになったときその正しさへの信念を捨てるのは難しい

どうして開発援助がうまくいかないか

開発援助についてのいい例えがあったのでご紹介:

Beneath the appeal: modestly saving lives | openDemocracy via Chris Blattman

The economist Jeff Sachs compares the current situation in Africa to a forest fire: if we try to put out the fire with one hose, and the fire continues to rage, do we conclude that fighting fires is hopeless? Do we conclude that water is not effective at putting out fires?  Or do we conclude that we have not yet applied enough water and that we do not have enough firefighters and hoses?

援助は山火事と戦う消防士のようなものだという。ホース一本で山火事に立ち向かっているときに火の勢いが衰えなかったらどう思うか。水を掛けるので火事を消せないと考えるか、水が足りないと考えるかという選択肢がある。

しかし、本当の問題はこれを見て「水を掛けるのは無駄」と考える人が多いことではなく、みんな「そんなのどっちでもいい」と思っていることだろう。山火事の例でいえばこの山火事はLAで起きているのではなく、アフリカで起きているのだ。

アフリカで貧困問題が深まっても、先進国への影響は軽微だ。海・砂漠・イスラム圏で隔離されていて難民の心配も比較的小さいし、もとから貧しすぎるので市場としての価値はほとんどない。さらにはみな陸続きなので部分的な改善があっても人の流入で打ち消されるし、HIVが猛威をふるっている。

もちろんこれが問題なのかどうかもよく分からない。人間が自分に近い人間を優先するのは倫理的にも責められることではない。結局のところ倫理は社会に属しているので、現在の枠組みで海外支援が劇的に増加することはありえない。個人的には(限界)費用のかからない知識の伝播ぐらいしか解決策はないように感じる。

世界的少子化

日本では少子化を食い止めるかということに莫大な予算を投じようとしているが、世界的にも少子化は進んでいる。違うのは、別にそれほど悪いことだとは思われていないことだ。

Fertility and living standards: Go forth and multiply a lot less | The Economist

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あと2、3年のうちの世界の半数の国で(合計特殊)出生率が2.1を切ろうとしている。2.1というのは人口を維持していくのに必要な数値だ。上のグラフは各国の一人あたりGDPを出生率に対し片対数プロットしたものである。ここのプロットの大きさは人口を表している。この傾向は先進国だけにとどまらない:

Between 1950 and 2000 the average fertility rate in developing countries fell by half from six to three—three fewer children in each family in just 50 years.

半世紀の間に発展途上途上国の出生率は半分に減った。これが世界全体の平均出生率に大きな影響を与えるのは言うまでもない。次の段落は、どうして出生率が減ったのかについてバランスのとれた見方を示している:

Now imagine you are a bit richer. You may have moved to a town, or your village may have grown. Schools, markets and factories are within reach. And suddenly, the incentives change. A tractor can gather the harvest better than children. Your wife may get a factory job—and now her lost wages must be set against the benefits of another baby. Education, thrift and a stake in the future become more important, and these middle-class virtues go hand in hand with smaller families. Education costs money, so you may not be able to afford a large family. Perhaps the state provides a pension and you no longer need children to look after you. And perhaps your wife is no longer willing to bear endless offspring. Higher living standards, better communications and more education enable you to rely on markets and public services, not just yourself and your family.

市場の発達は出産に係るインセンティブの構造を大きく変えた。子供の労働への需要の減少、女性の労働市場参入による育児の(機会)費用増大、教育費の増加、社会保障の充実などは何れも子供を作るインセンティブを減らす。少子化を食い止めたいのであればこれらの要素を打ち消すような政策を採ればよい。

  • 子供が行っていた仕事を肩代わりする財・サービスの規制
  • 女性の労働市場参加に対する制限
  • 育児費用の補助
  • 教育費の補助ないし教育の制限
  • 社会保障の削減

しかし、これらの多くは社会的に受け入れられるものではなく、実際に選択されるのは育児費用・教育費用の補助だけになるだろう。少子化が進む原因の一部しか対策が打てない以上、少子化対策が困難なのは当然である。ではそもそも少子化対策は必要なのだろうか。

少子化を含めある現象が社会的に望ましくないかないかは以下の二点できまるだろう:

  • インセンティブに基づいて最適な行動がとれていない場合
  • 正しいインセンティブが与えられていない場合

しかし、この二つの観点から少子化を見ると何れも少子化は望ましい現象であるように思われる。

The link between wealth and fertility does not explain everything. In some countries, poor women have the same number of children as rich ones. This suggests that other factors are at work. The most obvious is that many people in poor countries want fewer children, and family planning helps them get their wish.

貧しい国において、多くの人はもともとあまり多くの子供を欲しておらず、避妊技術がそれを可能にしたと述べられている。これは一点目の議論だ。避妊技術がない場合、冷静に考えれば子供がもう必要ではないにも関わらず妊娠・出産に至るということは十分にありえる。

記事においては、調査によると欲しいと思う子供の数は実際の子供の数よりも多く、またアフリカでは避妊をしたいと考えていてもできないと答えている女性が多いと述べられている。もちろん、調査での答えと実際の行動とは一致するわけではないが、少子化の原因の一つは女性が自分の思う通りに出産をコントロールできるようになったことであるのは確実だ。避妊技術の普及と女性の教育水準向上がこれを可能にした。そしてこれは望ましい変化だろう。

では、女性の出産へのコントロールが増したとして少子化が社会的に望ましくない根拠は何だろう。それは出産に関するインセンティブが社会の利益と一致していない場合になる。しかしこちらに関しても少子化が社会的に望ましくないと主張するのは難しい。それどころかいくつもの利点が挙げられている:

Cutting the fertility rate from six to two can help an economy in several ways. First, as fertility falls it changes the structure of the population, increasing the size of the workforce relative to the numbers of children and old people.

一つ目は人口構成の変化だ。発展途上国であれば少子化は労働人口の増加を意味する。これは日本のような先進国にはあてはまらないが、世界の多くの国で成り立つ。

By making it easier for women to work, it boosts the size of the labour force.

育児負担軽減は女性の労働市場への進出を促す。確かに高齢化が進めば、働く世代の総数は減っていくが、女性の労働がそれを打ち消すように働く。

Because there are fewer dependent children and old people, households have more money left for savings, which can be ploughed into investment.

さらに労働人口の相対的増加は貯蓄率の上昇とそれに伴う投資の増大を呼び起こす。高齢化が進む日本では貯蓄率は減少しているが次の点は日本にあてはまる:

Lastly, low fertility makes possible a more rapid accumulation of capital per head.

最後は一人当たり資本の増加だ。特に土地のように供給が固定的(で減価しない)な財がこれにあたる。

政治家は少子化対策をどうするか叫ぶ前にそもそも少子化の何が問題なのか、そして出生率のコントロールがその問題に対する適切な答えなのかを論じるべきだ。個人的には少子化にまつわる問題は過大評価されいるし、出生率を上昇させる試みはポイントを外している思う。