借り主の過剰保護はやめよう

「追い出し屋」が社会問題になっているが、問題解決の糸口は更なる保護にはない。

asahi.com(朝日新聞社):「追い出し屋」に刑事罰 法案、来春までに提出 – 社会 via ohuzak@Twitter

借り主の連帯保証を請け負う家賃債務保証業者に国への登録を義務づけ、悪質な取り立て行為には刑事罰を科す。滞納履歴など個人の信用情報を扱うデータベース(DB)の事業者も登録制にして国の監督が及ぶようにする。

悪質な取り立てが問題だから何とかしようというのはよい。しかし、まずすべきは何故悪質な取り立てが生じるかを考えることだ。成績が悪い子供がいたら、どんな理由があるのか考えてそれを取り除くのが正しい。悪い点をとったら廊下に立たせるというのは賢明ではない。

国土交通省によると、民間賃貸住宅(約1300万戸)の約4割が家賃保証業者と契約し、急速に市場が拡大。これに伴い、一部業者による追い出し行為が社会問題化した。

追い出し行為が生じるのはそれで利益があがるからであり、それで利益があがるのは家賃を払わない借り主が居座るからだ。そして、借り主が家賃を支払わずに居座れるのは借り主の過剰保護のためである。

借り主が家賃を滞納しても追い出せないなら、家主が賃貸を渋るのは当然だ。まず賃貸住宅の供給が細る。日本に家族向けのそれなりの広さの賃貸住宅があまりないのはこのせいだ。そのために住宅ローンを組めないひとや短期の在住者は望む物件を見つけることができない。

また、賃貸をする場合でも家賃を滞納しないかどうかを厳重にチェックする。滞納したら丸損になるわけだから当然だ。ちょっとでも怪しい人には貸さないということになる。例えば外国人が日本で家を借りるのは難しい。

家賃保証業が成立のも当たり前だろう。家主がみんなお金持ちという時代ではない。賃貸物件を借金して運営する人も多い。当然滞納リスクを避けたいわけで保険として家賃保証業が生まれる。

もし家賃保証業者による追い出しが強く規制されると、家賃保証のための費用、すなわち保険料がまず上がるだろう。保険料が上がれば賃貸事業の魅力がなくなり、分譲への転換や新規の賃貸物件建設の減少が生じる。最終的には賃貸住宅の一段と供給が減り、よりリスクを負うことになる家主の借り手選別が深まる。データベースに関するの過度の規制も同様の効果がある。情報の共有ができなければ家賃滞納リスクをヘッジしにくくなるからだ。

しかも家賃保証業に対して規制を強めることで新たな行政コストが発生する汚職や天下りの温床にもなる

根底にはあるのは冒頭に述べた、間違った結果への対処だ。結果だけを見るのではなく何故そのような結果になるかを考える必要がある問題が滞納によって追い出される借り主なのであればそのリスクを関係ない家主に押し付けてもリスクが消えてなくなるわけではない。リスクを突きつけられた家主の行動が変わるだけだ。貧困については社会保障政策で対応し、緊急時にはシェルターを提供するなどするほうが望ましいだろう

追記

結論で「貧困については社会保障政策で対応し、緊急時にはシェルターを提供するなどするほうが望ましいだろう」としたが、これはあくまでさらなる貧困対策が必要で住居の提供を政府が行うべきだという前提に立った場合だ。社会保障が既に十分ないし費用超過であれば別に追加の保障が必要だとは思わない。また、過度の借り主保護がなくなれば賃貸物件の供給が増え審査も緩くなるので政府が住宅を提供する必要はおそらくないだろう。

保険市場の非効率性

保険市場は極めて非効率な市場だ。支払った保険料のうち自分に支払われる額は期待値で1/3から2/3にすぎない。いざという場合に備えるのならある程度の貯金をすべきであって、それではどうしてもカバーできないようなリスクにだけ保険を買うべきだろう。

アゴラ : それでもあなたは生保に入りますか?

書評している本が手に入らないので何ともいえないが、保険購入に関するアドバイスがある:

  • 加入は必要最小限にしよう
  • 死亡保障は掛け捨てでよい。貯蓄としては損
  • 医療保障は公的保険でかなりカバーされているので、あまり必要ない
  • 「途中で解約したら損」というのは嘘
  • 必ず複数の会社の保険を比較して選ぼう

とても妥当な助言だろう。保険とは自分のリスクを誰かに負担してもらって代わりにフィーを払うことだ。お金をたくさんもっている人は多少のリスクを負ってもかまわないし、異なるリスクをまとめれば全体のリスクを減らせるので、リスクを売り買いすること自体は社会の効率を改善する

しかし、保険市場は効率的に運営するのが極めて難しい。リンク先では心理バイアスによる間違った選択や売り込みのための費用が指摘されているが、もっとも大きな問題はモラル・ハザードと逆選択だ。前者は保険が掛かっていることによって非保険者が社会的に望ましい注意を払わないこと、後者はリスクの高い人間ばかり加入したがるので市場が成立しなくなる現象だ。どちらも保険市場における情報の非対称性、前者であれば被保険者の行動、後者であればその情報が保険会社からは観察できないために起きる。

保険会社はこれらの問題を免責(deductible)や健康診断で防ごうとするし、国民健康保険なら強制加入によって対応する。それでも非効率であることは変わらない。よってなるべく保険の購入量は減らすというのが望ましい戦略になる。

書評されている本の著者は自分で新しい保険会社を立ち上げたという:

著者は、このような詐欺的な生保の商法に挑戦し、営業経費をほとんどかけないネット生保「ライフネット生命保険」を設立し、その副社長になった。

これは非常によいビジネスのやりかただ。社会の中の非効率性を解決するビジネスを提案し、自分もそれで利益をあげることだ。

以下、気になったので指摘しておく:

  1. 保険料が10万円で、病気になったら医療費を払ってくれる「掛け捨て」
  2. 保険料が20万円で、病気になったら医療費を払い、無事に満期を迎えたら10万円の「ボーナス」が払い戻される

この二つの保険のリスク保障機能は同じで、Bのほうが10万円を無利子で固定するだけ損なので、あなたが合理的なら、Aを選ぶはずだ。ところが、ある外資 系保険会社が行なったアンケートによると、実に95%がBを選んだという。これは「掛け捨て」と「ボーナス」という言葉に引っかかる(行動経済学でよく知 られる)バイアスだ。

AとBは本当に同じリスク保障機能と言えるだろうか。Aなら健康なら-10万円、病気なら-10万円で、Bだと健康なら-10万円、病気なら-20万円だろう。病気のときの出費が100万円だとすると保険なしでは健康なら0万円、病気なら-100万円なのでAもBもリスク回避機能はあるが、明らかにAのほうがその機能は高いだろう。実際には満期までの割引もあるのでAのほうが望ましい。

また保険会社がBを勧めるのは消費者の錯覚を悪用しているだけではない。Bは病気の場合のリスクを一部温存するため、被保険者はある程度の健康への配慮を続けるだろうし、不健康だと認識している人はBを選ばない。よって、この例ではAとBの期待支払額は変わらないが、通常はBを選ぶ客のほうが保険会社にとって低リスクなのでBの期待支払額を割安に設定するだろう(でなければ競合他社が割安に提供して顧客を奪うだろう)。自分は平均より健康だと思っている消費者はこのことを経験的に知っているので計算をせずにBを選んでいるだけかもしれない。

医療は人権か

NYUのWilliam Easterlyによる医療を受ける権利に関する記事:

FT.com / Comment / Opinion – Human rights are the wrong basis for healthcare

The notion of a “right to health” has its origins in the United Nations’ Universal Declaration of Human Rights in 1948

医療を受けることを人権として確立しようとする運動自体はもう半世紀以上に渡って存在しているが、

President Barack Obama recently held a conference call with religious leaders in which he called healthcare “a core ethical and moral obligation”.

最近アメリカでの医療制度改革議論に伴い注目されている。

This moral turn echoes an international debate about the “right to health”. Yet the global campaign to equalise access to healthcare has had a surprising result: it has made global healthcare more unequal.

しかし、医療政策にモラルを持ち込むことは成功しているとは言い難く、むしろ不平等を拡大している。その理由が次の段落で説明されている。

So what is the problem? It is impossible for everyone immediately to attain the “highest attainable standard” of health (as the health rights declaration puts it). So which “rights to health” are realised is a political battle. Political reality is that such a “right” is a trump card to get more resources – and it is rarely the poor who play it most effectively.

端的に言って、最新の治療を社会の構成員全員に提供することは不可能である。よって医療に対する権利の議論は限られた資源を如何に分配するかというよくある政治の問題になってしまう。そして、貧困層は一般にいって政治力がない。

The WHO 2004 report that emphasised the “right to health” did so on behalf of only one specific effort – Aids treatment.

Saving lives in this way is a great cause – except to the extent that it takes resources away from other diseases.

具体例としてWHOによるAIDS対策が上げらている。AIDS対策は最も大きな効果を挙げたが、同時に他の疾病に対する予算を食いつぶした。結論としては、

The lesson is that, while we can never be certain, the “right to health” may have cost more lives than it saved. The pragmatic approach – directing public resources to where they have the most health benefits for a given cost – historically achieved far more than the moral approach.

医療政策を権利の問題と処理するのではなく、一般的な公共政策として単に便益な分野に資源を集中すべきだとされている。

医療政策に関してはこの考えは妥当なように思える。しかしこの議論には弱点がある。一つは、この議論がありとあらゆる政策分野に適用できてしまうことだ。どんな場合には権利の設定が適切で、どんな場合に行政的対応が望ましいかという判断基準が必要だ。例えば、一般的な財の配分は権利による対応が効率的なことは社会主義がうまくいかないことから明らかだ。

二つめは、権利と政策との間には明確な区別がないことだ。例えばプライバシーを権利として認めるか否かは主に取引費用の問題だろう。取引費用がなければコース的な意味で最適なプライバシーが成立するはずだ。しかし、完全なプライバシーへの権利がある場合と全くない場合以外にも特定の条件でプライバシーへの権利を設定することもできる(有名人ならプライバシーへの権利が狭くなるなど)。

個人的にはある程度の医療を権利として保障することは、再配分政策として意味があるように思う。例えば日本では生活保護法で医療扶助が規程されている。生活保護受給者は国民保険から外れるが国民保険同様の治療を無料で受けられる。これは再配分政策の現物支給として捉える事ができる。再配分政策を行う際に、本当に困っている人が誰なのかを特定することは難しい。支給を何にでも使える現金ではなく、医療という現物にすることで不正受給を減らすことができる。

アメリカの健康保険

アメリカでは健康保険が非常に高く、しかも健康保険に加入していない人が大量に存在するというのは有名な話だ。何故皆保険が必要かについては、いろいろな説明があるが、アメリカの健康保険制度のまずい点を象徴する記事があった:

Op-Ed Columnist – Dad’s Life or Yours? You Choose – NYTimes.com

Mr. Waddington has polycystic kidney disease, or PKD, a genetic disorder that leads to kidney failure. First he lost one kidney, and then the other.

ある一家の苦難が取り上げられている。58歳の父親は遺伝疾患である多発性嚢胞腎(PKD)を患っていて両方の腎機能を失っている。PKDには治療法が確立されておらず、腎機能を回復するためには腎臓移植が必要だ。

Doctors explained that the best match — the one least likely to be rejected — would perhaps come from Travis or Michael, his two sons, then ages 29 and 27.

もっとも拒否反応の虞が少ないのは二人の息子からの移植となる。しかし、ここで健康保険制度の問題がからんでくる。

Travis and Michael each had a 50 percent chance of inheriting PKD. And if pre-donation testing revealed that one of them had the disorder, that brother might never be able to get health insurance.

PKDは遺伝病であり息子はそれぞれ50%の確率でPKDを継承しており、腎臓移植のために検査を行うとPKDの有無が判明してしまう。そしてPKDを発症すると明らかになれば、二度と健康保険に加入することは不可能になる。

As a result, their doctors had advised not getting tested.

そのため医者ですら息子からの移植に反対し、

of course Mom immediately shot it down, with Dad firmly behind her.

両親もまた子供からの申し入れを拒否したとのこと。これは現状の制度を前提とすれば合理的な判断となる。アメリカの医療費はそもそも極めて高額であり、しかもアメリカの健康保険の大半は雇用主により提供される(これも先進国唯一である)。記事中で紹介されている調査によれば、健康保険のない勤労年齢のアメリカ人の死亡率は保険のある人にくらべ40%も高い。

David Waddington finally got that transplant when a kidney from a deceased donor became available.

父親は最終的に亡くなった人から移植を受けられたそうだが、健康保険の問題はまだ続いている。

Though PKD has no cure as such, there are experimental medications that may delay kidney problems. To get access to the medications, a patient must be tested — and since Travis and Michael Waddington don’t dare get tested, they don’t have access to these medications.

[…] recently Michael began suffering pains and went to the emergency room. After examining him and ordering tests, the doctor asked him, “Have you ever heard of PKD?”

PKDの発症を遅らせる実験薬があるにも関わらず、投薬を受けるためには検査が必要なためにそれを避けていた息子の一人がPKDを発症したとのこと。

生命保険の証券化

ウォールストリートの投資銀行が新たな金融商品の開発を行っている:

Back to Business – Wall Street Pursues Profit in Bundles of Life Insurance – Series – NYTimes.com

The bankers plan to buy “life settlements,” life insurance policies that ill and elderly people sell for cash — $400,000 for a $1 million policy, say, depending on the life expectancy of the insured person.

基本となるのは生命保険だ。現在生命保険に加入している人からその保険を買い受ける。

That is because policyholders often let their life insurance lapse before they die, for a variety of reasons — their children grow up and no longer need the financial protection, or the premiums become too expensive. When that happens, the insurer does not have to make a payout.

加入者の中には加入し続ける理由がなくなったり、保険料が高すぎたりで途中で解約を望む人がいるのに対し、

Insurance companies, they note, offer only a “cash surrender value,” typically at a small fraction of the death benefit, when a policyholder wants to cash out, even after paying large premiums for many years.

保険会社は途中解約者に非常に小さな金額しか支払わない。高齢や病気により死ぬ前にお金が必要なひとも該当する。それら途中解約を望む加入者は引き続き保険料を支払ってくれる人を求めている。買い取った人は加入者に一定の金額を支払った上で保険料を納め、元々の加入者が死亡した際に保険金を受け取る。早く死亡すれば利益が大きく、長生きすれば利益が小さくないし損失を出す金融商品だ。

Then they plan to “securitize” these policies, in Wall Street jargon, by packaging hundreds or thousands together into bonds.

投資銀行はこの商品にお得意の証券化を行う。複数の保険契約を合わせて債権として証券市場での売買を可能にする。

“These assets do not have risks that are difficult to estimate and they are not, for the most part, exposed to broader economic risks,” said Joshua Coval, a professor of finance at the Harvard Business School. “By pooling and tranching, you are not amplifying systemic risks in the underlying assets.”

この商品は、保険計算でリスクを推定できるし、他の金融資産の価格変動と相関しないので魅力的なようだ。

In many ways, banks are seeking to replicate the model of subprime mortgage securities, which became popular after ratings agencies bestowed on them the comfort of a top-tier, triple-A rating. An individual mortgage to a home buyer with poor credit might have been considered risky, because of the possibility of default; but packaging lots of mortgages together limited risk, the theory went, because it was unlikely many would default at the same time.

While that idea was, in retrospect, badly flawed, Wall Street is convinced that it can solve the risk riddle with securitized life settlement policies.

しかし問題も多い。まず挙げられているのは、この手法が現在の不況をもたらしたサブプライムと同様の手法であることだ。

But even with a math whiz calculating every possibility, some risks may not be apparent until after the fact. How can a computer accurately predict what would happen if health reform passed, for example, and better care for a large number of Americans meant that people generally started living longer? Or if a magic-bullet cure for all types of cancer was developed?

またリスクが計算できるという前提も疑わしい。健康保険制度の改革やガンの治療法の発見などが起きれば生命保険を元にした商品の価格が暴落するのは間違いない。

それ以外には二点ほど大きな疑問がある。一つは、この商品の取引が市場の効率性を高めるがゆえに利益を生むわけではないことだ。利益が生まれる最も大きな理由は、前述の通り、生命保険の途中解約が経済的に不利であることだ。これは保険会社が保険の引き継ぎを想定していないことに起因する。もちろん計算に入れていないことをもって保険会社を批判するのは結構だが、単に保険会社から投資銀行にお金が移動しても社会的な余剰は増えない。また、保険会社側もこのような取引が一般化すれば保険料の増額に踏みきるだろう(保険契約の引き継ぎを完全に禁止するのは現実的でない;お金渡して本人に払わせれば継続できる)。引き継ぎによって最大の利益を得るのは身寄りのない高齢者や死期の近い病人であり、保険料の増額の影響を最も強く受けるだろう。

もう一つの問題はインセンティブだ。保険金殺人などというように、生命保険を赤の他人が購入することは潜在的な問題がある。ここで提案されている生命保険を用いた証券を購入した人々は元々の契約者が早く死亡することによって利益を得る。これがどう社会的に許容されるのかも興味深い。