絵で見るコミュニケーション手段の拡大

Facebookの携帯進出」について過去記事(「IDをめぐる争い」、「プライオリティ・インボックス」)を参照していたら、図にしたほうが分かりやすいきがしたのでサクっと追加してみる(「金儲け=悪」の話を絵で説明してみる)。

前ID時代

郵便

個人識別としてIDが生まれる前の時代には、個人とのコミュニケーションは基本的に対面に限定されていた。対面でのやりとりするのは非常にコストがかかるためコミュニケーション自体が少なかったことは容易に想像できる。宛名を指定して郵送することで個人にメッセージを送ることも出来たが、住所はあくまで「家」を指すもので個人のIDとは言い難い

ちなみにアメリカで他人宛の郵便物を開封するのが厳罰だ。これは郵便というプラットフォームを擬似的な個人IDシステムと稼働させるための措置であり、そういったシステムの重要性を示している。

電話

固定電話の普及は、郵便に変わる比較的安価なコミュニケーション手段の登場を意味した。電話であればその場で応答が得られるので、紙が必要である場合以外は、電話が主な連絡手段となった。しかし、固定電話は基本的に家や会社に属するものでまだ個人のIDとは言えない

ID時代

携帯電話

携帯電話は、郵便や固定電話と異なり、完全に属人的なコミュニケーション手段を提供し、ある人の連絡先といえば携帯の電話番号を意味するようになった。また電話番号を使った文字情報の伝達=SMSは郵便に似ているが遥かに効率的な非同期型のコミュニケーション手段となった。携帯電話が爆発的に普及したのも頷ける。

Facebook

Facebookを代表とするソーシャルネットワークはある意味で「薄い」コミュニケーション手段をユーザーに提示した。別に電話したりメールしたりするほどの用事はないけれど、ステータスぐらい見せてもいいという間柄だ。もちろん、既に電話やメールを直にやり取りする相手にも追加のコミュニケーション手段は有用だ。個人ベース(プロフィール)でありながら、ステータス更新という一対多のチャンネルを提供した点が新しい(※)。

Facebookがダイレクトメッセージやチャット機能、携帯への進出で狙っているのは、上の図で言えば内側への侵攻作戦と捉えられる

(※)メールを複数人に送信するニュースレターなどはステータス更新に近く、実際にそれを勧めるネットワーキングの本などもある。しかし、メーラーのインターフェースはそういったメール利用にうまく対応できていないためうまく機能することは少なかった(自分でフィルターを設置しない限り、全てのメールが同じ場所に放り込まれる)。しかし、これはあくまでソフトウェア的問題であり、Googleのプライオリティ・インボックスはそれに対する一つの回答となっている。

Twitter

Twitterもまた同じ図の上で表現することができる。TwitterはFacebookにおける自分対友達という一対多の側面を拡大し、もはやフォローする側とされる側に何のレシプロカルな関係も(少なくともシステム上は)求めない。もちろんユーザーがTwitter上でフォローしあったり、ダイレクトメッセージを使って次の段階に進む(=他のIDの交換や実際に会ってみる)のを妨げるものではない(※)。

FacebookはファンページとLikeを使ってこの領域に踏み込もうとしているが(例えばこのブログのファンページ)、友達関係を基本としたネットワークにうまくTwitter的な人間関係を組み込むのに苦労しているようだ。

(※)出会い系と称されるサービスのように、この絵で内側に進む場所を提供することは非常に価値がある。

おまけ:ブログとの関係

このような個人のコミュニケーション手段とマスメディアとの中間に位置するのがブログだ。ブログはマスコミ的手法を個人で利用できるように低コスト化するという方向性だが、FacebookやTwitterが担っている領域をカバーしてきた面もある。多くのブログが補助的な手段としてTwitterを利用するように境界は曖昧だ。特にブロガーがTwitterを個人として利用する場合その区別はほとんどなくなり(例えばこのブログのアカウント)、Twitterのさらに外側に位置するコミュニケーション手段の一種として捉えることもできる。個人を起点としたコミュニケーション手段がさらに拡大していけば、そもそもマスコミ的手法の必要性自体が薄れてくるだろう(ニュースを提供するというサービスとしては必要だが、意見を世間に発表する場としての地位は揺らぐ)。

注:当たり前ですが、コミュニケーション手段の利用法は人によって様々なのでこんな簡単に切り分けられるわけではありません。例えば知らない相手にコールドコール・ナンパ・飛び込み営業すればすっ飛ばすこともでき、ゆえにそういった能力は貴重(だが難しい)と考えられるわけです。あくまで分かりやすくするため便宜的に分けたものとお考えください。

Facebookの携帯進出

Facebookが携帯開発に乗り出しているいるというニュースが報じられている。

Facebookはなぜ今, Android携帯を開発中なのか–iPhoneではトータルなソーシャル化が不可能だからだ

OS自体をコントロールしなければ機能的に「トータルなソーシャル化ができない」というと書かれているが、それは正確ではない。ウェブ上のFacebookもまた、「OSの深部」にアクセスしているわけではないからだ。ブラウザー上で動く限り利用出来る機能は制限される。他社ブラウザーに頼るのはよくて、他社携帯電話に頼るのがマズイのは何故だろう

それはFacebookが人々のデフォルトのIDを手に入れたいからだ。言い方を変えると、ユーザー同士が連絡を取り合う際にFacebookを通じて連絡を取って欲しいということだ。すでにメッセージをFacebookを通じてやり取りする人は多いが、仲の良い友人間やビジネスレベルにおいては電話(とSMS)が主体となっていて、Facebookはあくまで「薄い」友人関係において主要な通信手段となっている(この以前は放置され気味だった人間関係をうまく管理できるところがFacebookの強みといってもよい)。

携帯電話は現状において、最も確実に連絡を取る手段であり、ここを抑えずにFacebookがメインのコミュニケーション手段になることはありえない。Appleはコミュニケーション手段を抑えようという考えを持ってはいないようだが(他の理由で)自社プラットフォームのオープン化を推し進める気はなく、Googleは自身がAndroidとGmailを基調としたソーシャル化を狙っている。この情勢でFacebookにとって携帯ネットワークに手を出す一番効率的な方法はオープンソースであるAndroidを改造することというわけだ。

但し、FacebookがAndroidに手を加えてリリースしたとしてそれを他の携帯会社が利用する理由はない。Facebookアプリはいくらでも存在するわけで、OSレベルでFacebookへのアクセスが追加されたOSを利用する大きなメリットはないからだ。ウェブにおける「いいね!」ボタンのように、他のアプリに対してFacebookとの連携で価値を提供する必要があるだろう

日本プレミアム

円高で輸入品の販売が好調なようだが、もとから内外価格差の非常に大きな製品が多い。

Yen Pumps Up Luxury Prices

For decades, the model for selling luxury imported goods in Japan has been simple: plush surroundings, attentive service—and the “Japan premium.”

日本へ進出する海外ブランドの基本戦略は常に価格を上げることだった。日本は所得水準高く、それでいて言語的、地理的、政治的な理由(=関税など)によって裁定取引が起きにくいため、海外ブランドにとっては大きな収益を上げるための格好市場だからだ。そもそも国内の物価水準が高いため飛び抜けて高い価格がつくことが多い。高価格商品への共食いを防ぐために、低価格のラインを全く展開しないことも多い(ヨーロッパの高級車なんかが典型だろうか)。

“Given the economy and the new price transparency, while the Japan premium will not go away, it will be difficult to maintain going forward,”

しかし、この状況も徐々に崩れつつある。経済の低迷によって高価格商品への需要が落ち込む中で、インターネットを通じた裁定取引が容易になっているためだ。内外価格差を調べるのは簡単だし、乗用車のような大型商品を除けば、クレジットカードの普及もあり海外への注文も難しくない。ブランド側で輸出入をコントロールしようにも、販売した製品を輸出されてしまうのは止められない(著作権法を盾に海外輸出を止めようという動きもあるが順当にうまくいっていない)。

Coach says Japanese consumers can’t be sure they’re getting the real thing unless they buy at a Coach store, an authorized retailer or Coach.com.

ブランド側の対策としては、まず正規品であることをアピールすることがある。ここで登場しているCoachは特に内外価格差の大きなブランドでプレミアムイメージの維持には最新の注意を払っているはずだ。今まで海賊版撲滅を目指してきたブランドが、逆に海賊版が大量に存在することを放置することで(正規品の)中古市場・国際裁定取引に対抗しようという流れが強まるかもしれない。海賊版が増えると正規品全体の需要は減る一方で、正規品内での自社直販への需要は増えるためだ。

商品の構成を変えるのも有効だろう。全く同じ製品を展開しないことで単純な価格比較を難しくすると同時に、プレミアム感を高める戦略だ。Burberryなんかは昔からこの戦略をとっているが日本限定ラインが他のブランドにも広がるだろう。服などであればあからさまに国内外でラインをわけなくてもサイズの違いでラインをわけてもよい。

超ヤバい経済学

Superfreakonomics」の邦訳「超ヤバい経済学」が出版されるということで再度(Amazon Associateのテストを兼ねて)再度ご紹介。正直、この邦題はどうにかならないのかとも思うが、続き物なのでしょうがないのだろう(カタカナでいいと思う)。

超ヤバい経済学
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原書に対する海外での評価については「SuperFreakonomicsまとめ」で取り上げた。その時の主な意見は次のようなものだ:

  • 前作の「ヤバい経済学」と比べると、レヴィット個人が関わった研究を越えて様々な話題を取り扱っている。
  • その一方で個々の記事の質には疑問を持つ専門家が多い。
  • 取り上げられている話題は社会的にも重要なものが多い
  • 面白さを優先するあまり奇抜さを狙い過ぎている。

奇抜さを狙う(逆張りをする)人のことをコントラリアン(Contrarian)と言うが、この手の経済学啓蒙書の多くは常識に反する現象を経済学を使って説明するという構成を取る(簡単なところで最低賃金をあげると仕事が減る)のでそれ自体は珍しくない。前作「ヤバい経済学」が出版されたときには同じような本が少なかったこともあり大ベストセラーになったが、現在では同種の本はいくつもあり、この本でなければいけないということもないだろう。

とはいえ、売春市場に関する章など、かなり面白い部分もあるのでもっとこういう経済の本を読みたいという人にはおすすめできる。また、英語が比較的平易なので原書を英語の勉強に使うのも悪くない。統計に興味のある人は、本書に関する統計屋さんのツッコミリスト(※)あるので、読みながら説得力のない場所を探してどうして説得力がないのかを考えてみるのもいいトレーニングになりそうだ。

※このポストを書いたKaiser Fungの「Numbers Rule Your World: The Hidden Influence of Probabilities and Statistics on Everything You Do」も面白かったのでそのうち紹介したいけど邦訳はないのかな。

年金は経済問題じゃない

年金・社会保障の負担が大きな話題になっているが、それは経済問題なのだろうか。

Overcoming Bias : Old Are Lazy, But Fit

Scienceからの表で各国の高齢化の様子を三つの指標で表している。一番左側は65歳以上、すなわち高齢者が15-64歳の生産年齢人口に対してどれくらいいるのかを示している。小学校なんかでも習う、大人一人あたりが担う高齢者の数だ(しばしば逆数をとって、高齢者一人あたりを何人で支えるか、という形で紹介される数字だ)。

グラフにしてみるとこんな感じだ。高齢化が進んでいく様子がよくわかる。日本は既にここに登場する国の中では最も高齢者が多く、今後も伸び続けると予測されている。2045-2050年には15-64歳一人につき0.8人近くの高齢者がいる計算だ。高齢化が問題だと言われるのはこのせいだろう。

何故65歳以上を高齢者と呼ぶのだろう。統計上はそう定義されているし、年金の受給や定年も65歳を目安に設定されている。しかし、寿命が伸びているのだから65歳以上の割合が伸びるのは当たり前だ。では65歳以上ではなく、期待余命15年以下の人を高齢者と考えるとどうだろう。それが上のグラフだ(表の真ん中)。こうすると「高齢者」の割合は長期的に見ても2,3割で落ち着く。つまり、引退し年金で生活するのを(平均)最後の十五年とすれば、その負担が爆発することはない。

余命があっても健康でなければ働けないし、他人の助けが必要だ。そう考えると余命ベースで考えるのは恣意的だし、そもそも高齢だけを社会からサポートを受ける条件とする必要はない。年齢とは関係なく、(年齢によるものも当然に含まれる)障害を持つ人の割合を見てみるとどうだろう。それが上のグラフだ(表の右)。割合は一割前後で半世紀ほとんど変動しないと予測されているのが分かる。平均年齢が上がるため緩やかな上昇傾向にあるものの、上の二つグラフに比べると驚くほど安定している。

There is no basic economic problem; we have plenty of capable workers. We instead have a political problem – old folks feeling entitled to more leisure at the expense of their juniors.

ここから見えるのは、高齢化・年金問題が基本的に経済の問題ではないということだ。働ける人はたくさんいて、助けが必要な人の割合はあまり変わっていない。歳を取って働けない人を養うことは難しいことではないはずだ。では何故それが社会問題になるのか。それは65歳を過ぎたら働かずに年金=若い世代の稼ぎで暮らすのが当然という人が大勢いるためだ。しかしこの状況を打破するのが極めて困難であることは一番最初のグラフを見れば明らかだろう。