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読む量は増えている

YouTube・ビデオゲーム・iPod・携帯など読書離れが危惧されているが、我々が読む文章は増えている:

Study: Rumors of Written-Word Death Greatly Exaggerated | Epicenter | Wired.com

“Reading, which was in decline due to the growth of television, tripled from 1980 to 2008, because it is the overwhelmingly preferred way to receive words on the Internet,”

文章を読むことによる情報収集はテレビの影響で減退していたが、この三十年近くの間に三倍にもなったという。これは文章がインターネットで最も利用されている情報伝達手段であるためだ。

これは少し考えれば何も不思議ではない。インターネットは情報伝達、特に文字情報の伝達、のコストを劇的に下げた。コストが下がれば消費が増えるのは当たり前だ(Kindleのベストセラーの多くは無料だ)。音声や映像の配信費用も下がったが、それは文字情報の衰退を意味しない。文字と音声・映像は限られた情報伝達をシェアしているわけではないからだ。どちらも安くなり、どちらもより多く消費されるようになったということだろう。だからこそ我々はネットをやりすぎて仕事が進まないなんていう状況に陥るのだ。

ネットが情報伝達を担うことに抵抗する既存メディアは、三桁ジーンズを批判するデザイナーのようなものだ(注)。新しいプレーヤーは市場全体を拡大させていく。既存のプレーヤーがやるべきことはそれをパイの奪い合いと捉えることではなく、広がる市場での自分のプレゼンスを築き、さらには市場の拡大をさらに進めることだ

技術進歩に異を唱えても先は見えている。たとえその意見が「正しく」とも、市場の大きな流れを変えることはできない。その「正しさ」さえも変えられていくのだ。

追記

(注)新しいポストを書くほどでもないのでここで件の記事へのコメントを一つ。「川久保さんは、安さを求めた結果、若い人たちの創造性が失われていくのも心配だというのだ」とあるが、安い衣服は組み合わせたり加工したりして創造を促す側面がある。これは音楽のリミックスにも通じる。ただし、音楽の場合と異なり政治・法律を利用して利得を拡大しようとしているのではないのでそういう考えで仕事をすることには何の異論もないし、それで成功されていることは素晴らしいことだ。

情報提供者への謝礼

取材先に謝礼を払うかどうかというのは報道機関にとっては大きな論点のようだが、先日のテロ事件(参考:テロリストへの間違ったシグナル)に関連してその問題が浮かび上がっている:

The Shady Mainstream Media Payday of Flight 253 Hero Jasper Schuringa – journalismism – Gawker

Jasper Schuringa probably didn’t think twice before dismantling Northwest Airlines Flight 253‘s would-be bomber. But before telling his story, he wanted money, and he got it. From major news outlets who pay up and lie about it.

問題の便で犯人の確保に協力した人物に大手メディアが多額の謝礼を払い、かつその事実を隠しているとGawkerは報じている(インタビュー動画)。どういう仕組みかについては、MEDIAiteの記事から次のように引用している:

The practice of paying a “licensing fee” rather than a direct exchange is a way networks who claim to never pay for interviews can get around the issue. By paying for images and video, they are free to say no money was exchanged hands for the actual interview – which is still viewed as unseemly for news outlets not named the National Enquirer or TMZ. But paying for something to secure an interview happens quite a bit.

メディアネットワークは取材に謝礼を支払っていないと主張しているが、実際には写真や映像へのライセンス料という名目でインタビューの対価を支払っているというわけだ。

Schurnga sold the “TV Rights” of the first of his two photos to CNN for $10K.

The “print rights” went to the Post for $5K.

Later, Schuringa was paid upwards of $3K by ABC News for a second photo, which Schuringa tried to sell to other local news outlets for $5K, unsuccessfully.

具体的な金額あがっている。様々な権利に対して大手メディアがかなりの額を支払っていることが分かる。では、彼らは何故このような対価を支払うのか。

Because the only way to get interviews with this guy was to pay him, so CNN and The New York Post ponied up

それは、対価を支払わなければインタビューに応じないためだ。インタビューという貴重な財を持っているプレーヤーがもっともそれを欲しがっている人間に売るというごく普通の取引だ

では日本ではどうなのか。日本のテレビ局・新聞社が報道において多額の謝礼を払っているという話はあまり聞かない。しかしそれは、別に日本のメディアが道徳的に優れているからではく、メディアが寡占的なため多額の謝礼は支払わないというルールを作ってそれを守っているだけだろう。これもまた、買い手が少なければ売り手は買い叩かれるという市場のルールに過ぎない

Checkbook journalism is back, and here to stay. Media critics who lambast some news organizations for paying for sources are going to have to deal with the cold, hard fact that getting a scoop has gotten a lot more competitive these days.

お金でニュースを買い集めるという風習(checkbook journalism)が戻ってきていてそれがこれからも続くと指摘されている。そしてその理由は単純にスクープを行うのが難しくなったからだという。

極めて正確な分析だ。報道を配信するための費用が劇的に下がったということは、報道という市場が競争的になったということだ。これは市場参加者であるメディアの力の低下を意味し、その一つの帰結がスクープを買い手独占を背景に買い叩けなくなるということだ。日本でこれだけの経済学的センスをもった大手メディア関係者はどれほどいるのだろう。

追記

検索して出てきたこの動画では海外のメディアでは内規で謝礼が禁止されていると述べられているが、これが有名無実なのはこの記事から明らかだろう。メディアが取材への謝礼を嫌がる本当の理由は謝礼を払いたくないというものだ

謝礼を払うとおかしな証言が出るというのは言い訳だ。それが事実だとして、大手メディアの倫理観に期待しても問題は解決しない。まさにネットのメディアであるGawkerがこの記事で大手メディアの問題を指摘しているように、競争こそがより透明性の高い報道をもたらすのではないだろうか。

本屋のない町

アメリカで最も大きな本屋のない町はTexasのLaredoだそうな:

Laredo could be largest US city without bookstore – Yahoo! News

With a population of nearly a quarter-million people, this city could soon be the largest in the nation without a single bookseller.

ちなみにLaredoの人口は23万人を越えている。

After that, the nearest store will be 150 miles away in San Antonio.

もちろん日本とは違い都市同士はかなり離れている。次に近い本屋はSan Antonioで150マイル、つまり240km先だそうだ。

これを単に書籍の店舗販売一般の問題と片付けるのは難しい:

Nearly half of the population of Webb County, which includes Laredo, lacks basic literacy skills, according to the National Center for Education Statistics.

この地区の人口の半分は基礎的な読み書きの能力に欠けている。ここで使われている読み書き能力の判定基準については以前、ヤクザと識字率というポストで触れた。

Fewer than 1 in 5 city residents has a college degree. And about 30 percent of the city lives below the poverty level, according to the 2000 census.

五人に一人しか大学を出ておらず、30パーセントの住人貧困ライン以下だそうだ。需要のないところに無理やり本屋を営業してもしょうがないが、アメリカの初等教育がどれだけうまくいっていないかを示す例ではある。

追記

Twitter経由でtetteresearchさんから以下のようなコメントを頂きました:

Laredoは米メキシコ間陸上輸送の最大拠点で、90年代以降NAFTAによる貿易拡大による輸送業特需で人口が倍増以上。移民の割合が高い(総人口の95%はヒスパニック系)と思われるのでLaredoの本屋の現状から米国初等教育に関する教訓を得られるか疑問です。

最もな指摘だと思います。そうすると問題は、移民の子弟への英語教育ということになりそうです(まあ移民の子弟は既にテクニカルにはアメリカ人ですが)。ちなみにLaredoの位置は以下の通りです。


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何故雑誌は新聞よりうまくいくか

デジタル化した市場で雑誌の未来は新聞のそれよりも明るいという話:

雑誌の未来、新聞よりは明るい? 光沢は失えど先行きに希望 JBpress(日本ビジネスプレス)

データベースのメディアファインダー・ドット・コムの試算では、北米では今年1~9月期に383誌が廃刊になった。だが、ここ数カ月、生き残った雑誌は意 外な自信を見せ始めている。紙媒体についてもデジタル版についても、雑誌の命運は必ずしも一緒にスタンドに並ぶ新聞と同じではないと考えるようになったの だ。

新聞より雑誌がうまくデジタル化に対応できるのはその通りだろう。しかし、元記事で挙げられているその理由はあまり正確なように思えない:

  • 時間に敏感でないのでアグリゲーターの影響を受けない
  • E-bookリーダーが雑誌なみに画質を再現

私は雑誌の未来が明るい理由は次のようなものだと考える:

  1. デジタル化は市場を広げるためニッチなセグメントで雑誌が活動するのを容易にする
  2. 新聞はもともと様々な情報を集めるアグリゲーターなのでGoogle Newsのようなアグリゲーターと競争になるが、雑誌は直接競争にはならない
  3. 雑誌の内容はニュースではなく著作物であり知的財産として保護される

1はネットがない時代を考えるとわかりやすい。紙媒体がカバーできる面積には限界がある。大都市でニッチな産業が発展するように、ネットは情報面での人々の距離を縮めニッチなビジネスを可能にする。

2は見落とされがちな点だ。新聞各社はGoogle Newsを批判する。それは単に彼らがGoogle Newsと同じ土俵で戦っており負けているからだ。もともと新聞というビジネスの本質は、情報の生産者というよりもアグリゲーターだ新聞社が記者やコラムニストを囲っていたのは単なる垂直統合に過ぎない。垂直統合を有利にしていた技術・経済的背景が変化し、記者やコラムニストがデジタル時代に新聞社から分離していくのはその帰結だ。もともとアグリゲーターとしての機能が小さい雑誌はGoogle Newsのようなサービスとの競争を心配する必要がない。

3は何度か述べているが、ニュースという事実を保護するのは技術的に難しい。雑誌の内容は普通の著作物なので単純にコピーされる心配はないだろう。

追記:はてなブックマークで

Google Newsには新聞は勝てないが雑誌は著作権というアドバンテージで勝てるという話。いまひとつ腑に落ちない。

とあるが著作権の話がメインではない。最大のポイントはGoogle Newsと新聞は競争相手だが、雑誌は勝てる・勝てない以前に同じ土俵にはいないってこと。もちろんそれゆえに雑誌は成功するっていうわけでもない。ニッチを狙うビジネスとメインストリームを狙うビジネスとでは最適な戦略が全然違う。

ネットのルールなんてない

ネガティブ記事は好きではないが、これはどうかと思ったので突っ込んでおく:

マードック氏にグーグルが譲歩 「ネットのルール」はどう変わる インターネット-最新ニュース:IT-PLUS

ここしばらく話題になっているマードックとグーグルとの対立についての記事だ。

デジタル技術や伝送技術などの進歩がネットという新たなコンテンツの流通経路を生み出した。しかし、技術進歩やネットがコンテンツを無料にしたわけではな い。ビジネスモデル(無料モデル)や権利侵害(違法コピーや違法ダウンロード)がコンテンツを無料にしたのである。即ち、技術ではなく人がそうしたに過ぎ ない。ウェブ2.0以来ネット上に定着した「コンテンツは無料」という風潮は不可逆なものではないのである。

「技術ではなく人がそうしたに過ぎない」というのはどういう意味だろう。最終的に行動するのは人間なのだから「人がそうした」と言うならなんだってそうだ。技術が変化し、それに対応して人の行動が変化したのだ。「風潮」というものは市場参加者の最適行動の結果に過ぎない。確かに「コンテンツは無料」という風潮は不可逆ではないが、そもそもの原因である技術進歩の流れが変わっていない以上、人の行動も変わらない。

もちろん、「無料」の変革は大変である。一部の新聞社が有料化してもユーザーは無料のところに流れるだけだろう。また、違法コピー・違法ダウンロードを制 圧しない限り、無料の変革はニュース記事を超えてコンテンツ全般には広がらず、「闇の無料の世界」が拡大するだけである。闇金業者が繁盛するような世界と 同じにしてはならない。

技術的に違法コピー・違法ダウンロードを制限することはとても難しい。よって「コンテンツは無料」というのが支配的な価格付け戦略になっている。一体これをどう解決するというのだろう。ネットは自由みたいな原理主義に加担する気は全くないが、技術進歩に逆らうのはコスト的に難しい

コンテンツを利用して無料モデルで儲けているグーグルなどのネット企業の収益を、コンテンツ側に還元しなくていいのかという問題である。米国ではフェアユース規定が還元しなくていいことの根拠となっているが、結果として「フェア・シェア」が実現されていないのでは、洒落にもならない。

いい悪いの基準が全く分からない。「フェア」という言葉を定義せずに使っても意味がないだろう。コンテンツ企業がコンテンツを提供し、検索エンジンがそれを表示しているのは両者にとって、そうすることがそうしないことより得だからだ。これはある意味「フェア」ではないか。結果として実現される配分は法制度に影響されるが、それを論じるには「フェア」の定義についての合意が必要だ

つまり、マードック氏が第一歩を踏み出し、グーグルはとりあえず最低限の対応をしたが、その結果としてネットの常識がどう変わるかはこれからの勝負なのである。

「ネットの常識」でビジネスが動いているのではないビジネスが動いた結果としてのパターンが「ネットの常識」なのだ。マードック氏がグーグルから譲歩を引き出したのは彼がコンテンツ生産において市場支配力を持っているからだし、譲歩しか引き出せなかったのはグーグルが検索市場のリーダーだからだ。

日本のマスメディアはネット関連の問題では常に受け身であったが、今回ばかりは、行動するなら早く動くべきである。ネット上でのビジネスの「ルールづくり」が常に米国で行われるというのは、もう止めにすべきではないだろうか。

アメリカで「ルール」ができて日本に波及するなんてことはない。アメリカで生じた変化が日本でも生じることで結果としてのパターンが一致するだけだ。技術は国境をまたいで波及するのでそれは自然なことだし、ネット関連の技術変化はアメリカから生じるので、「ルール」がアメリカから日本にやってきたように見えるがそれは表面的な問題に過ぎない

追記:複数均衡を選択するという意味での「ルール」ならあるかもしれないが元記事の話とは関係ないだろう。もし無料均衡から有料均衡へ飛ぶという話ならそれはカルテルだ。