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オンライン数学コラボレーション

ブログでの議論が数学の論文が生まれたというニュースがUCLAの学生新聞The Daily Bruinから:

The Daily Bruin | UCLA mathematician Terence Tao’s site has audience of 40,000 via Environmental and Urban Economics

取り上げられているのはフィールズ賞まで受賞しているスター数学者であるテレンス・タオ(Terence Tao)のブログだ。

After six months and more than 1,000 comments from more than 50 mathematicians, a paper titled “A new proof of the density Hales-Jewett theorem” is ready to be submitted under the pseudonym D.H.J. Polymath because of the difficulty in determining how much each person has contributed. The paper is one of the first to be collaborated through a blog.

多くの数学者からのコメントをもとに完成した論文はD. H. J. Polymathという著者名のもとジャーナルに投稿されるそうだ。これはPolymathプロジェクトの一部だ(ポリマスとは博学なひとのことだ)。Polymathプロジェクトで扱われる問題はプロジェクトのブログで公開されている。

プロジェクト自体の構想についてはTim Gowersのポストに詳しい。このプロジェクトの鍵は次の問いにある:

What about the solving of a problem that does not naturally split up into a vast number of subtasks?

自然に分割できないような問題を解く場合に多くの人間が関わることの意味が何かということだ。これはインターネットという複数の人間が同時に作業をする環境が出現したことで生じた問題だ。彼は、この問いに肯定的な回答をする:

(i) Sometimes luck is needed to have the idea that solves a problem. If lots of people think about a problem, then just on probabilistic grounds there is more chance that one of them will have that bit of luck.

まず運という要素があるなら多くの人間が関与した方が望ましい。これは特許制度の設計でも重要だ。ある発明の価値が決まっていて、発明を試みる度に決まった確率で成功するとしよう。すると発明を試みる人間が多ければ多いほうが発明できる確率は上がっていく。

これが社会的に望ましいとは限らないことに注意が必要だ。社会的に望ましいのは発明の確率をできるだけ上げることではなく(何人が参加しても発明確率は100%にはならない)、試行のコストが限界的な試行の価値=発明の価値×発明確率のその試行による上昇分(marginal value)となった時だ。しかし、参加者は試行の費用が平均的な発明の価値=発明の価値×発明確率÷参加人数(inframarginal value)となった場合だ。この時、社会余剰はゼロになり、当然人数が過剰になっている。但し、発明の価値と発明者にとって私的利益は一致しないため必ずしも過剰にはならない。過剰になるか過少になるかは私的利益の割合によるが最適な値になる理由はない。

(ii) Furthermore, we don’t have to confine ourselves to a purely probabilistic argument: different people know different things, so the knowledge that a large group can bring to bear on a problem is significantly greater than the knowledge that one or two individuals will have.

二つ目の利点は分業だ。これについては異論はないだろう。異なる知識や強みをもつ人間の協力は生産性を上昇させる。

(iii) Different people have different characteristics when it comes to research. Some like to throw out ideas, others to criticize them, others to work out details, others to re-explain ideas in a different language, others to formulate different but related problems, others to step back from a big muddle of ideas and fashion some more coherent picture out of them, and so on.

三つ目の利点もまた分業の一種だが、研究の仕方に関するものだ。アイデアを出すのがうまいひともいれば、それを反駁するのが得意な人もいる。

ここから、

In short, if a large group of mathematicians could connect their brains efficiently, they could perhaps solve problems very efficiently as well.

数学者がうまく協力できれば問題を効率的に解いていけると結論付ける。

Why would anyone agree to share their ideas? Surely we work on problems in order to be able to publish solutions and get credit for them. And what if the big collaboration resulted in a very good idea? Isn’t there a danger that somebody would manage to use the idea to solve the problem and rush to (individual) publication?

次の課題は、ではどうやってうまく協力させるかというインセンティブの問題だ。

Here is where the beauty of blogs, wikis, forums etc. comes in: they are completely public, as is their entire history.

ここでブログやWiki、フォーラムの利点が指摘される。それは完全な公開性であり、証拠が残るという特性だ。

Instead of the usual reaction of being afraid to share it in case someone else beat you to the solution, you would be afraid not to share it in case someone beat you to that particular idea

アイデアを公開して他人に先に使われてしまうのを恐れるのではなく、早く共有することで誰かが先にそれを発表してしまうのを防げるという。

この問題も特許制度が抱えている問題と極めて類似している。特許は重要な発明が企業秘密にされてしまうことを防ぐという目的がある。特許があることで発明者は自分の発明を共有するインセンティブを持つ。インターネットは数学の問題を解く場合において部分的な貢献を公開・共有することを可能にした。これはジャーナルによる公開・共有が基本であった時代では不可能なことだ。

しかし、この方法がうまくいくかは数学におけるイノベーションの発生の方法に依存している。これは以前ふれた特許制度の問題とまったく同じだ。よってその弊害も同様に存在する:

  • 研究の途中で公開できるようになると最適な状態にたどり着く前に公開して終わりにしてしまうインセンティブがある
  • 細かい成果が公表されすぎると後続の研究がそれらを言及するための費用が増える

前者は以前のポストにおけるBoldrinとLevineの指摘を数学に適用したものだ。アイデアを得た人が本当なら最後まで頑張って仕上げたものを途中で公開してしまうということだ。これはいろんな学術分野に当てはまるだろう。

経済でいえばアイデアを出し、直感的な説明をするところはまでは楽しい。しかし、それを示す数理モデルを書いて、解いて、実証やシミュレーションを行うのは面倒だ。ジャーナルしか発表の場がなければそこまで頑張ってやるしかないが、ブログなどでさっさと世の中に公表できるなら最初のステップで終わりしてしまうかもしれない。誰かが後半をやっても前半部分は評価されるわけだ(前半のほうがセンスがいる)。Matthew Kahnは何故このような方法が経済でうまくいかないかと問いかけているがこれが答えだろう。経済学はアイデアと直感というセンスを要する部分が最も評価されるため後半を誰もやりたがらない。数学では重要な問題はいくらでもあって解くという後半のステップの比重が高い(そしてそれが好きな人が集まっている)。

後者は金銭支払いのない研究では大きな問題にはならないがそれでもややこしいことには変わらない。何かの定理を証明したとして既に誰かが発表している内容とかぶっていたらそれを引用する必要がある。もし、その定理に関する情報が学術ジャーナル以外の場所にも散在しているとなると、文献調査作業は非常に手間の掛かるものとなる。今までならその分野を研究している先生に聞いて、ジャーナルデータベースでも検索するだけだったが、そうもいかなくなるだろう。

ちなみにテレンス・タオは学術的に成功した天才児(Child Prodigy)としても有名だ。10歳で数学オリンピックに出場し銅メダル、13歳のときには現在に至るまでの最年少で金メダルをとっている。17歳で地元の大学(Flinders University)で修士号、20歳でプリンストン大学でPh.Dを取得し25歳には最年少でUCLAでテニュアを得ている。

http://rionaoki.net/2009/11/1464

Chorussの実態

Choruss(コーラス)というのはワーナーによって進められている実験的音楽ライセンスプロジェクトだ。数ヶ月前に報道されて以来、その実態は明らかにされていなかった。今回はその仕組みについてかなり詳しい記事がThe Chronicle of Higher Educationで紹介されている:

Music Industry Changes Tune of New Program to Fight File Sharing – Technology – The Chronicle of Higher Education

On the basis of those initial talks, the colleges would pay the music industry a blanket licensing fee, similar to what radio stations pay to air popular songs.

コーラスの一つの特徴はブランケットフィーだ。これはJASRACのような著作権団体がラジオ局などに対し行っているライセンス方法である。音楽のような限界費用がゼロに近い財の場合、このような純バンドリング(pure bundling)が取引費用まで考慮すれば有効なことは多い。

For instance, when asked about the “covenant not to sue,” Mr. Griffin said, “We’d initially considered the idea but have now decided to use a traditional license approach.”

また、単に訴訟を起こさないというだけの契約(covenant not to sue)として批判されていたが、従来通りのライセンス形態になっているようだ。

Another substantial change from the early days of the proj ect is that the licenses now would be with individual students rather than with colleges

契約主体も大学キャンパスから学生個人へと変更されている。

The most unusual feature of Choruss is that users would be able to download any song in the collection to their own computers, with no restrictions.

さらに契約期間中にダウンロードされた楽曲は半永久的に利用が許可されるというのは新しい。聴き放題式の音楽サービスでは契約期間が過ぎれば再生できなくなるのが普通だ。

どれも音楽レーベルや著作権管理団体を批判する人々にとっては望ましい方向性だろう。

Users would install software that would count every time they played a song, for the purpose of distributing royalties to the musicians.

ミュージシャンへの報酬分配目的のソフトウェアインストールは問題となりうるが、課金ではなく統計的処理が目的である以上利用者全員に強制する必要はないのである程度は緩和されるだろう。

そういえばアメリカに比べると音楽の不正コピー問題を日本のメディアで聞くことは少ないが何か理由があるのだろうか。それとも単に私が気付いていないだけなのだろうか。

スポーツ面は必要?

The New York Timesがスポーツ面の必要性について議論しているようだ:

Marginal Revolution: How to save The New York Times?

More radical moves, like dropping the sports section, have been rejected because they would undermine the quality of The Times or would not save much money, Keller said.

明らかにスポーツが強みではない新聞にスポーツ面がある理由はバンドリングの理論で説明できる。スポーツ面を追加することによる限界費用(紙面の増加による費用)は小さい。しかし一部の顧客はスポーツ面に大きな需要を持っている。そのような客のスポーツ面以外への需要は他の顧客より少ないだろう。よってスポーツ面を加えることで顧客全体の支払い意志額を平準化できる。支払い意志額が均一ということは需要曲線にフラットな部分があるということであり、独占的な生産者は総余剰のより大きな部分を単一価格で取り込むことができる

ではなぜ今、スポーツ面の是非が問われているのか。それはニューヨークタイムすがスポーツ情報の供給を独占していないからだ。新聞におけるスポーツ面に限ろう。以前であればある街で売られている新聞の数は少なかった。ある新聞社がスポーツ面に力をいれてニューヨークタイムスから顧客を奪おうとすることは可能だが非常に難しい。新聞の流通費用が大きく、利益を挙げるためには上に述べたように様々な情報を集めて売る必要がある。しかしそうなると、スポーツ面を売りにしている新聞も新聞全体としての価値でニューヨークタイムスと競争する必要があるからだ。よってそのような新聞はいつのまにか総合紙となっているか、スポーツに極めて関心のある層だけを対象とした新聞になるだろう。

この構造は新聞による情報流通の独占と共に崩れた。スポーツ情報だけを提供したい企業はスポーツ情報だけのウェブサイトでも運営すればよい。スポーツにさほど関心のない人間であっても新聞をまるごと買わなくてもよいのであれば利用する。ニューヨークタイムスがそのような競争相手以上のスポーツ情報を提供できなければ、スポーツ面を残すことは彼らの利益にならない。それどころかバンドリングによる支払い意志額の均一化がうまくできなくなり、スポーツ面に止まらず全体としての利益は一段と減少する

私はこのような情報のアンバンドリングが新聞業界衰退の最大の理由だと考えている。インターネットの普及は新聞社による情報のバンドリングとそれにより効率的な価格戦略を不可能にした。おそらくもとからニュースという財はそのような戦略がなければ固定費用をカバーするだけの収益を得られない産業だったのではないだろうか。

ペイウォールはうまくいかない

ペイウォール(paywall)とはウェブサイトが一部のコンテンツを有料にして、フィーを支払わない顧客からのアクセスをブロックすることである。

これについてSlashdotで的を得た意見が紹介されている:

Slashdot News Story | Paywalls To Drive Journalists Away In Addition To Consumers?

‘My column has been popular around the country, but now it was really going to be impossible for people outside Long Island to read it,’ he says. Friedman, who is 80, said he would continue to write about older people for the site ‘Time Goes By.’

ペイウォールを導入するのに伴い、長年勤めてきた記者が新聞社を退職し、ブログで執筆するという話が紹介されている。

‘One of the reasons why the NY Times eventually did away with its old “paywall” was that its big name columnists started complaining that fewer and fewer people were reading them,’ writes Mike Masnick at Techdirt

TechdirtのMike Masnicはニューヨークタイムスがペイウォールを撤廃した理由として、コラムニストが読者の減少を懸念したからだと述べている。

この二つの事例は新聞業界がインターネットによってうまくいかなくなった一つの大きな原因を明らかにしている。

もともと新聞というのはプラットフォームである片方には読者、反対側には執筆者がいる。前者は良質なコラムを望み、後者はより多くの読者を望む。プラットフォーム運営者としての新聞社はこの二つの絡み合う市場をバランスさせていく必要がある

購読料を上げすぎると読者はへり、コラムニストにとっての魅力はなくなる。またコラムニストへの報酬を減らすと読者にとっての新聞の価値は減ってしまう。

しかし旧来の新聞業界におけるバランスはインターネットの浸透によって完全に崩れた。その一つが最初の引用におけるブログの役割だ。新聞社が利益を挙げるためには読者の量を制限する必要がある(注)。だがこれはコラムニストにとってはマイナスだ。昔であればこんなことに文句を言う人間はいなかっただろうが、今は違う。コラムニストにとって読者を探す手段はいくらでもある。ブログがその一つだ。新聞が読者を見つける効率的手段でないなら自分で発表すればよい。もちろんブログで直接金銭収入を得るのは難しいだろうが、知名度があれば他で稼ぐことができる。

この場合であれば、記者は既に大きな注目を浴びており、彼の動きは成功だったと言えるだろう。

(注)これは効率的な価格差別ができないことを前提としている。価格差別が可能であれば、価格を限界費用に抑えたままでも利益をあげることは可能だ。メディア企業を非営利企業として再生しようという動きはこの点をついている。ちなみに、寄付収入の多い劇場などはこのビジネスモデルの典型だ(言うまでもなく、非営利であってもビジネスはビジネスだ)。

Netflixのストリーミング

映画DVDレンタル最大手のNetflixは最近ストリーミングに力を入れている。DVDの場合、頼んでから届くまで時間がかかるがストリーミングならその場で鑑賞できる点が受けている。NetflixにとってもDVDを大量に在庫する必要が減るという利点がある。

Netflix to Launch Streaming-Only Service…but Not in the U.S.

Unfortunately, this new streaming-only option won’t be available to any Netflix subscribers in the U.S.

Netflixはストリーミングだけのサービスを売り出すと報道されているが、アメリカでは提供されないそうだ。

Hastings wouldn’t reveal which overseas market would be first to get the new service “for competitive reasons,” but he did say that their initial approach is to prove their model before offering the expanded service in other countries.

その理由として、ビジネスモデルを先に海外で試したいという理由を挙げている。さらに、

It’s likely that Netflix wouldn’t even go this route if they had their way, but apparently, DVDs-by-mail isn’t an option for them overseas.

郵便を利用したDVDレンタルというシステムは異なる郵便システムを持つ国で成り立つかも分からない。

ではアメリカではストリーミングだけのオプションを提供しないことには他の理由はないのだろうか。社長は次のように発言している。

“Everybody also wants to get DVDs,” said Hastings. “All the new releases are on DVD, the vast catalog is on DVD. When there is demand, it will make sense for us to meet that demand for streaming only.”

アメリカ人はみなDVDレンタルサービスも欲しがるため、ストリーミングのみのプランは必要ないということだ。しかし、この発言は真実を語っていない。仮にほとんどのアメリカ人がストリーミングとDVDレンタルという二つのサービスを両方需要していたとしても、個別にも提供したほうが利益は増えるはずだからだ。

直感的に言うと、個別にサービスを提供すれば、Netflixは合わせたパッケージの価格に加え二つの個別価格という三つツールを使うことができるため、一つの場合にくらべれば最低でも同じだけの利益は得られる(財が大量にあれば個別の価格付けのための費用が発生するだろうがNetflixにはあてはまらない)。ストリーミングに強い選好がある人、DVDレンタルに強い選好がある人、どちらも特別に欲しいわけではない人という三つのグループに別々の価格を割り当てる価格差別の一種と捉えてもよい

では何故Netflixは個別のサービス提供を行わないのだろうか。Netflixが主張するように、適切な価格付けのための実験を先に行う必要があるということも考えられる。実際の価格付けは難しいのでこれは頷ける。しかし、ストリーミングやDVDレンタルへの需要や提供できるサービスの質は国によって大きく異なるだろうから海外でやってみたからといってそれがアメリカに適用できるかは疑わしい。

もう一つの解釈はNetflixがDVDレンタルにおける優越的な立場を利用してストリーミング市場での地位を確保しようしているというストーリーだ。NetflixはDVDレンタルにおいては非常に大きなシェアを持っているが、この業界の未来がストリーミングにあるのは明らかだ。抱き合わせにして提供することで、NetflixのDVDレンタルが欲しいひとはストリーミングにおいてもNetflixを利用することになる。このような戦略の有効性については改めてまとめたい。

記事では、もしストリーミング単独サービスへの需要がないとして、そのことがどうハリウッドの販売戦略と結びついているかについて論じられている。興味を持ったかたはどうぞ。

P.S. NetflixのストリーミングはSilverlightを利用しているためLinuxでは動作しない。Silverlight採用においてMicrosoftがどのような取引を行ったかも気になるところだ。