情報提供者への謝礼

取材先に謝礼を払うかどうかというのは報道機関にとっては大きな論点のようだが、先日のテロ事件(参考:テロリストへの間違ったシグナル)に関連してその問題が浮かび上がっている:

The Shady Mainstream Media Payday of Flight 253 Hero Jasper Schuringa – journalismism – Gawker

Jasper Schuringa probably didn’t think twice before dismantling Northwest Airlines Flight 253‘s would-be bomber. But before telling his story, he wanted money, and he got it. From major news outlets who pay up and lie about it.

問題の便で犯人の確保に協力した人物に大手メディアが多額の謝礼を払い、かつその事実を隠しているとGawkerは報じている(インタビュー動画)。どういう仕組みかについては、MEDIAiteの記事から次のように引用している:

The practice of paying a “licensing fee” rather than a direct exchange is a way networks who claim to never pay for interviews can get around the issue. By paying for images and video, they are free to say no money was exchanged hands for the actual interview – which is still viewed as unseemly for news outlets not named the National Enquirer or TMZ. But paying for something to secure an interview happens quite a bit.

メディアネットワークは取材に謝礼を支払っていないと主張しているが、実際には写真や映像へのライセンス料という名目でインタビューの対価を支払っているというわけだ。

Schurnga sold the “TV Rights” of the first of his two photos to CNN for $10K.

The “print rights” went to the Post for $5K.

Later, Schuringa was paid upwards of $3K by ABC News for a second photo, which Schuringa tried to sell to other local news outlets for $5K, unsuccessfully.

具体的な金額あがっている。様々な権利に対して大手メディアがかなりの額を支払っていることが分かる。では、彼らは何故このような対価を支払うのか。

Because the only way to get interviews with this guy was to pay him, so CNN and The New York Post ponied up

それは、対価を支払わなければインタビューに応じないためだ。インタビューという貴重な財を持っているプレーヤーがもっともそれを欲しがっている人間に売るというごく普通の取引だ

では日本ではどうなのか。日本のテレビ局・新聞社が報道において多額の謝礼を払っているという話はあまり聞かない。しかしそれは、別に日本のメディアが道徳的に優れているからではく、メディアが寡占的なため多額の謝礼は支払わないというルールを作ってそれを守っているだけだろう。これもまた、買い手が少なければ売り手は買い叩かれるという市場のルールに過ぎない

Checkbook journalism is back, and here to stay. Media critics who lambast some news organizations for paying for sources are going to have to deal with the cold, hard fact that getting a scoop has gotten a lot more competitive these days.

お金でニュースを買い集めるという風習(checkbook journalism)が戻ってきていてそれがこれからも続くと指摘されている。そしてその理由は単純にスクープを行うのが難しくなったからだという。

極めて正確な分析だ。報道を配信するための費用が劇的に下がったということは、報道という市場が競争的になったということだ。これは市場参加者であるメディアの力の低下を意味し、その一つの帰結がスクープを買い手独占を背景に買い叩けなくなるということだ。日本でこれだけの経済学的センスをもった大手メディア関係者はどれほどいるのだろう。

追記

検索して出てきたこの動画では海外のメディアでは内規で謝礼が禁止されていると述べられているが、これが有名無実なのはこの記事から明らかだろう。メディアが取材への謝礼を嫌がる本当の理由は謝礼を払いたくないというものだ

謝礼を払うとおかしな証言が出るというのは言い訳だ。それが事実だとして、大手メディアの倫理観に期待しても問題は解決しない。まさにネットのメディアであるGawkerがこの記事で大手メディアの問題を指摘しているように、競争こそがより透明性の高い報道をもたらすのではないだろうか。

何故雑誌は新聞よりうまくいくか

デジタル化した市場で雑誌の未来は新聞のそれよりも明るいという話:

雑誌の未来、新聞よりは明るい? 光沢は失えど先行きに希望 JBpress(日本ビジネスプレス)

データベースのメディアファインダー・ドット・コムの試算では、北米では今年1~9月期に383誌が廃刊になった。だが、ここ数カ月、生き残った雑誌は意 外な自信を見せ始めている。紙媒体についてもデジタル版についても、雑誌の命運は必ずしも一緒にスタンドに並ぶ新聞と同じではないと考えるようになったの だ。

新聞より雑誌がうまくデジタル化に対応できるのはその通りだろう。しかし、元記事で挙げられているその理由はあまり正確なように思えない:

  • 時間に敏感でないのでアグリゲーターの影響を受けない
  • E-bookリーダーが雑誌なみに画質を再現

私は雑誌の未来が明るい理由は次のようなものだと考える:

  1. デジタル化は市場を広げるためニッチなセグメントで雑誌が活動するのを容易にする
  2. 新聞はもともと様々な情報を集めるアグリゲーターなのでGoogle Newsのようなアグリゲーターと競争になるが、雑誌は直接競争にはならない
  3. 雑誌の内容はニュースではなく著作物であり知的財産として保護される

1はネットがない時代を考えるとわかりやすい。紙媒体がカバーできる面積には限界がある。大都市でニッチな産業が発展するように、ネットは情報面での人々の距離を縮めニッチなビジネスを可能にする。

2は見落とされがちな点だ。新聞各社はGoogle Newsを批判する。それは単に彼らがGoogle Newsと同じ土俵で戦っており負けているからだ。もともと新聞というビジネスの本質は、情報の生産者というよりもアグリゲーターだ新聞社が記者やコラムニストを囲っていたのは単なる垂直統合に過ぎない。垂直統合を有利にしていた技術・経済的背景が変化し、記者やコラムニストがデジタル時代に新聞社から分離していくのはその帰結だ。もともとアグリゲーターとしての機能が小さい雑誌はGoogle Newsのようなサービスとの競争を心配する必要がない。

3は何度か述べているが、ニュースという事実を保護するのは技術的に難しい。雑誌の内容は普通の著作物なので単純にコピーされる心配はないだろう。

追記:はてなブックマークで

Google Newsには新聞は勝てないが雑誌は著作権というアドバンテージで勝てるという話。いまひとつ腑に落ちない。

とあるが著作権の話がメインではない。最大のポイントはGoogle Newsと新聞は競争相手だが、雑誌は勝てる・勝てない以前に同じ土俵にはいないってこと。もちろんそれゆえに雑誌は成功するっていうわけでもない。ニッチを狙うビジネスとメインストリームを狙うビジネスとでは最適な戦略が全然違う。

ネットのルールなんてない

ネガティブ記事は好きではないが、これはどうかと思ったので突っ込んでおく:

マードック氏にグーグルが譲歩 「ネットのルール」はどう変わる インターネット-最新ニュース:IT-PLUS

ここしばらく話題になっているマードックとグーグルとの対立についての記事だ。

デジタル技術や伝送技術などの進歩がネットという新たなコンテンツの流通経路を生み出した。しかし、技術進歩やネットがコンテンツを無料にしたわけではな い。ビジネスモデル(無料モデル)や権利侵害(違法コピーや違法ダウンロード)がコンテンツを無料にしたのである。即ち、技術ではなく人がそうしたに過ぎ ない。ウェブ2.0以来ネット上に定着した「コンテンツは無料」という風潮は不可逆なものではないのである。

「技術ではなく人がそうしたに過ぎない」というのはどういう意味だろう。最終的に行動するのは人間なのだから「人がそうした」と言うならなんだってそうだ。技術が変化し、それに対応して人の行動が変化したのだ。「風潮」というものは市場参加者の最適行動の結果に過ぎない。確かに「コンテンツは無料」という風潮は不可逆ではないが、そもそもの原因である技術進歩の流れが変わっていない以上、人の行動も変わらない。

もちろん、「無料」の変革は大変である。一部の新聞社が有料化してもユーザーは無料のところに流れるだけだろう。また、違法コピー・違法ダウンロードを制 圧しない限り、無料の変革はニュース記事を超えてコンテンツ全般には広がらず、「闇の無料の世界」が拡大するだけである。闇金業者が繁盛するような世界と 同じにしてはならない。

技術的に違法コピー・違法ダウンロードを制限することはとても難しい。よって「コンテンツは無料」というのが支配的な価格付け戦略になっている。一体これをどう解決するというのだろう。ネットは自由みたいな原理主義に加担する気は全くないが、技術進歩に逆らうのはコスト的に難しい

コンテンツを利用して無料モデルで儲けているグーグルなどのネット企業の収益を、コンテンツ側に還元しなくていいのかという問題である。米国ではフェアユース規定が還元しなくていいことの根拠となっているが、結果として「フェア・シェア」が実現されていないのでは、洒落にもならない。

いい悪いの基準が全く分からない。「フェア」という言葉を定義せずに使っても意味がないだろう。コンテンツ企業がコンテンツを提供し、検索エンジンがそれを表示しているのは両者にとって、そうすることがそうしないことより得だからだ。これはある意味「フェア」ではないか。結果として実現される配分は法制度に影響されるが、それを論じるには「フェア」の定義についての合意が必要だ

つまり、マードック氏が第一歩を踏み出し、グーグルはとりあえず最低限の対応をしたが、その結果としてネットの常識がどう変わるかはこれからの勝負なのである。

「ネットの常識」でビジネスが動いているのではないビジネスが動いた結果としてのパターンが「ネットの常識」なのだ。マードック氏がグーグルから譲歩を引き出したのは彼がコンテンツ生産において市場支配力を持っているからだし、譲歩しか引き出せなかったのはグーグルが検索市場のリーダーだからだ。

日本のマスメディアはネット関連の問題では常に受け身であったが、今回ばかりは、行動するなら早く動くべきである。ネット上でのビジネスの「ルールづくり」が常に米国で行われるというのは、もう止めにすべきではないだろうか。

アメリカで「ルール」ができて日本に波及するなんてことはない。アメリカで生じた変化が日本でも生じることで結果としてのパターンが一致するだけだ。技術は国境をまたいで波及するのでそれは自然なことだし、ネット関連の技術変化はアメリカから生じるので、「ルール」がアメリカから日本にやってきたように見えるがそれは表面的な問題に過ぎない

追記:複数均衡を選択するという意味での「ルール」ならあるかもしれないが元記事の話とは関係ないだろう。もし無料均衡から有料均衡へ飛ぶという話ならそれはカルテルだ。

少子化とハンバーガー

追記:ハンバーガーの例えがメインな気がしてきたので題名変更。Topsyのほうが変わってません。

昨夜に引き続き日本のニュースに軽いツッコミを:

4割が「子ども必要ない」20〜30歳代は6割−内閣府調査 (1/2ページ) – MSN産経ニュース

結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないと考える人が42・8%に上ることが5日、内閣府がまとめた男女共同参画に関する世論調査で分かった。

男女共同参画社会に関する世論調査のことだろう。過去の調査結果は内閣府男女共同参画局にある。ここで報じられている最新の調査結果はまだウェブで公開されていないのだが、新聞各社にだけ一定期間独占的に供給しているのかと疑ってしまう(まあ出所をリンクしないのは日本の新聞ではいつものことだが)。

子どもを持つ必要はないとした人は、男性が38・7%、女性が46・4%だった。年齢別では20歳代が63・0%、30歳代が59・0%と高く、若い世代ほど子どもを持つことにこだわらない傾向が顕著になった。

確かに二十代では「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はない」と考えている人が六割いるが、「子ども必要ない」と意味が全然違うような気がするのは私だけだろうか。私は子供をを持つ必要はないと考える人間の一人だが、個人として子供がいらないと言っているわけではない。

結婚についても「結婚は個人の自由であるから,結婚してもしなくてもどちらでもよいか」という質問になっており、

少子化の背景に、国民の家庭に対する意識の変化があることを示した結果と言え、内閣府の担当者は「個人の生き方の多様化が進んでいる」としている。

内閣府の担当者が言う通り、日本人が結婚・出産についてリベラルになってきているということだろう。

しかし、これを「少子化の背景に、国民の家庭に対する意識の変化があることを示した」と結論づけるのは早急だ。前述のように、結婚・子供が必要かと実際に結婚するか・子供をつくるかとは別のことだからだ。「ハンバーガーは必要か」と聞かれたら、そりゃ別に必要はないという人がほとんどだが、それはハンバーガーの消費量とはあまり関係ない

晩婚化や少子化といった現象はかなりの部分が経済学的に説明できる(参考:結婚と市場)。もちろん価値観・意識の変化もあるだろうが、それらを政府が変えるというのは難しいし、そもそも政府にそんな権限があるとは思えない。また価値観・意識の変化自体が技術進歩からくる経済状況の変化によって内生的に生じている部分もある。

ハンバーガーの消費が増えるのが心配なら、アメリカ文化に対する日本人の意識の変化なんか考えるよりもハンバーガーの価格を見たほうがいい。安いから消費は増えるのだ。もちろんみんながアメリカ文化が好きならハンバーガー消費も増えるが、それに文句をつけてもしょうがないし、安いハンバーガーを食べてるうちにアメリカの食事が好きになっただけかもしれない。

ソーダからワインへ

ジャーナリズムの将来についてのよいインタビュー(Umair Haque)がHarvard Business IdeaCastにあった。ジャーナリズムに興味があるかたはぜひ聞いてみてほしい。綺麗な発音なので英語の勉強しているかたもどうぞ。

Can Good Journalism Also Be Profitable? – Harvard Business IdeaCast – HarvardBusiness.org

これだけでは不親切過ぎるので要点を箇条書きにしておこう:

  • 新聞社はソーダからワインに移るべき
  • ソーダはどれを飲んでも同じ
  • ワインはそれぞれが特徴的な味をもっている
  • 現在の新聞社はソーダに近い
  • コカコーラやペプシコーラだって違う商品を開発している
  • インターネットは新聞に大きな影響を与える
  • 今ではローカルだった新聞が国全体で競争している
  • ニッチな市場が重要
  • 例えばTalking Points Memo (TPM)
  • 専門家がパースペクティブを提示する
  • ニッチなサイトは広告でも有利
  • でも読者が読みたいものだけ読むのは社会的に望ましくないのでは?
  • いや旧来の新聞だってそんな機能は果たしてないでしょ
  • 政治への関心なんて薄いじゃん
  • 新しいメディアの方がビジネス・広告主・ソース・エディターの利害対立も少ない
  • 非営利組織は社会的によいことをしている
  • 非営利なら商業的なプレッシャーから逃れられる
  • 利益を留保して再投資できる
  • ものではなくて人に注意すべき
  • 専門家と読者をどうつなげるか
  • ソーシャルネットワークも重要
  • 収入ではなく結果を重視すべき
  • 工場からコミュニティーへ

ニュース産業もまた、需要の把握が重要になってきており、生産者と消費者をつなげるのはそのもっとも効率的な方法だ。ニュースや意見に対する意見への需要は高まっておりメディアがなくなることはない。

ただ現存の新聞社が生き残るかは不透明だ。彼らは本当に読者とつなぐべき「専門家」を擁しているのだろうか。アメリカの新聞は専門家を確保しようと動いているようだが、日本の新聞はいまだに自分たちは専門家だと自称しているだけのように思う