インサイダー取引の社会的効用

インサイダー取引は日本でも金融商品取引法で規制されており、刑事罰の対象にすらなるが、実のところその根拠はかなり脆弱だ:

Learning to Love Insider Trading – WSJ.com

Donald Boudreauxは結論をまず一行で示している:

The reassuring truth: Insider trading is impossible to police and helpful to markets and investors.

インサイダー取引を規制することの問題は二つだ。

  • インサイダー取引は市場と投資家にとってしばしば望ましい。
  • インサイダー取引の規制は施行不能である。

この二点が非常に説得的に示されている。一つ目から順に見ていこう。

Prohibitions on insider trading prevent the market from adjusting as quickly as possible to changes in the demand for, and supply of, corporate assets. The result is prices that lie.

まず株式市場の社会的な効用を理解する必要がある。株式市場の究極の目的は資源の最適配分だ。より生産的な事業に投資家が資本を移動する。それにより、限られた資本が全体的としてより効率的に利用され、企業は利益をだし、投資家は利潤を得て、消費者はよりより製品・サービスを享受する。

もしある企業がいつか潰れるということがインサイダーには理解されているとする。もしインサイダー取引が違法でなければ彼らは手持ちの株式を売却(ないし空売り)する。それによりインサイダーは多くの利益を上げるだろうが、市場における当該企業の株価は暴落する。これによりインサイダー情報を持たない外部投資家は損失を被るが、株価は適正水準に瞬時に調整され、潰れかけの企業に資源が配分されることはなくなる

もちろん既存の投資家は損失を被るだろうが、その損失は投資家からインサイダーへの所得移転に過ぎず社会的な損失ではない(=社会から消えたわけではない)。また企業が最終的に清算されるのであれば投資家が損失を出すことには変わりない。むしろ清算までに時間がかかることでより多くの資本が失われ投資家にとってもより大きな損失となる。

もっとも投資家もこの様な構造を全て考慮したうえで投資を行うので、そもそも公正性を問うこと自体に意味はない。仮にインサイダー取引による損失の可能性があるのであれば株式を購入する時点で企業はそのリスクを補償するためのプレミアムを投資家に払っているはずだ。

As Mr. Manne said a few years ago in a radio interview, “I don’t think the scandals would ever have erupted if we had allowed insider trading because there would be plenty of people in those companies who would know exactly what was going on, and who couldn’t resist the temptation to get rich by trading on the information, and the stock market would have reflected those problems months and months earlier than they did under this cockamamie regulatory system we have.”

記事中ではEnronの例が上げられている。Enronが継続可能なビジネスでないことはEnron内の多くの人間が知っていたはずである。インサイダー取引が違法でなければ彼らがその情報を利用することでEnronの株価は事前に暴落し、資本を調達できなくなったEnronは早期に清算されていただろう。そうであれば、貴重な資本が他の有益な事業を行っているからEnronに向けられて浪費されることもなかったはずだ。

二つ目のインサイダー取引の施行不能性については実際に刑事事件になるインサイダー取引の案件がほとんどないという事実からも明らかだが、次の一節が極めて説得力のある議論を展開している:

It follows that unbiased application of these prohibitions should target not only traders whose inside information prompts them to actively buy or sell assets, but also traders whose inside information prompts them not to make asset purchases or sales that they would have made were it not for their inside information.

インサイダー情報を利用して取引を行い、情報がない場合に比べて、大きな利益を上げることがインサイダー取引であれば、インサイダー情報を利用して保有している株を売却するのを止めることも当然インサイダー取引となる

投資家から冴えないと思われている企業が実は画期的な新製品を準備しているのであれば、自社株を持つ社員はそれを売るのをやめる。しかし、「何もしない」ことを規制するのは不可能だ

After all, if capital markets continue to function as well as they do given that many investment decisions potentially influenced by inside information are unstoppable because they are undetectable, why believe that the detectable portion of investment decisions influenced by inside information would be harmful if they were legal?

そして「何もしない」というインサイダー取引が株式市場に問題を引き起こしているようにも見えない。見えるインサイダー取引だけが刑事罰の対象となるほど悪質だという理由は見当たらない

逆に、インサイダー取引を規制する根拠は何だろうか。

There are, of course, situations in which it is in the interest of both a company and the public for that company to delay the release of information.

一つは非公開にすることが企業にとっても投資家にとっても望ましいインサイダー情報が存在することだ。例としては社会的に効率的な企業買収に関する情報がある。事前に買収意図が市場に漏れてしまえば、被買収企業の株価は買収企業が支払う意志のある限界まで釣り上がってしまい、買収は成立しない。これは仮定より社会的に望ましくない。

Discovering what types of inside information are proprietary and which are not proprietary—and, hence, which types of information are appropriate to protect and which not to protect from insider trading—can be left to corporations themselves.

しかし、このような問題は法律で対応する必要がない。どのインサイダー情報を公開するかは企業が自分で決められる問題だ。労働契約において一定の情報公開を禁止すればよい。

The reason is that corporations must compete for that most demanding and vigilant of all clients: capital.

何故なら、望ましいインサイダー取引の規制を行っていない企業は株式市場から資本を集められないためだ。

例えば、金融取引規制法は会社の取締役や重要な地位にいる従業員による自社株取引を規制している。しかし、そんな規制は本当に必要なのだろうか。私が投資家なら、取締役が制約なしに自社株を秘密裏に取引できる企業には投資しない。著者はさらに、異なる企業が異なるインサイダー取引制約を設けられることの効用で記事を締めくくっている。

ではインサイダー取引規制には全くが利点がないのかというとそうでもないだろう。とりあえず二点すぐに浮かんだ。

  • ほとんどの企業にとって適切なインサイダー取引に係る契約の雛形を示す。これにより、企業がいちいち契約を起草する費用、投資家が異なる契約を理解するための費用を節約できる。
  • 金融当局が効率的に監督をできる。企業自身が社員の株取引を監視しても信用がない。第三者が関わる必要があるが、企業毎に規程が異なれば監督は困難になる。

しかし、根本的な問題はインサイダー取引の有無それ自体というよりも、インサイダー取引を監督する側が規制する事柄についての深い理解を欠いていることだろう。規制するか自体は実証的に決まる事柄に過ぎない。

教員の養成と市場

日本では教員養成課程の六年化が取り沙汰されているようだが、アメリカでも教員の質が取り沙汰されている:

Duncan to ed schools: End ‘mediocre’ training – Class Struggle – Jay Mathews on Education

Education Secretary Arne Duncan, in prepared remarks circulating in advance of a speech Thursday, accuses many of the nation’s schools of education of doing “a mediocre job of preparing teachers for the realities of the 21st-century classroom.”

Duncan’s speech points out two major deficiencies in education school teaching with which most critics would agree: They do a bad job teaching students how to manage disruptive classrooms, particularly in low-income neighborhoods, and they don’t offer much in the way of training new teachers how to use data to improve their classroom results.

教育長官のスピーチ原稿で、大学における教員養成教育の問題が指摘されているそうだ。特に教室の秩序を守る方法やデータを使う方法を教えていない点が批判されている。

ちなみにArne Duncanの経歴をチェックしたところシカゴ大学付属のUniversity of Chicago Laboratory Schools(ちなみに高校に当たるGrades9-12で学費だけで$23,671だ)からハーバード大学を社会学で卒業している。自分が教師であったことはないそうだ。まあむしろロースクール出てないことのほうが驚きかもしれないが。

大学が教員養成に力を入れていないのは事実だが、それを指摘するだけでは問題は解決しないだろう。根本的な原因は教員養成課程を卒業した後の労働市場にある。ロースクールやビジネススクールであれば大学のランキングやネットワークがものを言うので、大学は魅力あるカリキュラムを立てる。しかし教員を採用する側は大学で何を学んだかを余りみないので市場が働かない。アメリカではそもそも教員の給与水準が低いという問題もある。

日本の教員養成の問題も同様だ。教育機関の競争が余りなく、採用プロセスが不明瞭だ。何を学んだら将来、特に就職に役立つか分からない(ないし関係ないということが分かっている)のだからカリキュラムが改善される理由がない。

もちろんカリキュラムの内容を政府が指定してしまえば大学がどうやってカリキュラムを組むかという問題は解決する。これが教員免許更新制度とそのための講習義務付けが目指していた方向性だろう。もちろん政府が何故ましなカリキュラムを提供できるのかという疑問は残るが筋は通っている(教員養成が市場よりも一種の計画経済的政策と相性がいいというのは疑わしい)。

教員養成六年化計画はそれに比べると理念が見えない。最後の二年を政府が提供するというなら分かるが単に長くしたところで問題は悪化するばかりだろう。免許更新・義務講習を避けたい教員の政治的意図ばかりが透けて見える。

便乗値上げの規制

アメリカでは多くの州に存在する便乗値上げ(price gouging)の規制について:

Not helping out due to anti-price gouging laws « Knowledge Problem

便乗値上げの規制が何故必要なのか、以前に大抵のエコノミストはそもそも「便乗」値上げが何かと言われると返答に困るだろう。災害時(アメリカではハリケーン、日本なら地震だろうか)に必需品の価格が上がるのは単なる需給の問題だ。

Gasoline consumers in the state would obviously be better off with more supply brought into the state rather than less, and with these stations offering gasoline at a high price rather than not offering gasoline at all.  The law impedes activities by gasoline retailers that would help gasoline consumers.

便乗値上げの禁止という一種の価格規制を導入することは、災害時の供給を減らすことにつながる。短期では、サプライチェーンを全て規制しない限り小売店は在庫を売りきったら終わりだ。長期では、社会的に最適な投資(余分な在庫)が行われない。

この構造は電力市場のメカニズムと似ている。電力は貯蔵不可能でかつ需給がミリセカンド単位で一致する必要がある。しかも個人宅ではリアルタイムで価格を確認することができないので短期価格弾力性はほぼゼロだ。ピーク時と非ピーク時の需要量も劇的に異なり、一部の発電施設は僅かなピーク時にしか起動されず限界費用が極めて高くなる。

電力の供給曲線=限界費用曲線は容量いっぱいのところでほぼ垂直に立ち上がるので、価格規制がなければ需給量が容量限界に達すると一気に価格が跳ね上がる。短期ではこれにより電力会社の費用が上がるわけではないので一種の便乗値上げとも言えるが固定費用が莫大な産業なのでここでレントが発生しなければ容量への投資が行えない。

電力市場ではこのピーク発電能力の確保とピーク時の市場支配力の増大とのバランスを保つためにプライシングの工夫・予備電源の義務付け・連絡線強化・長期契約推進・資産売却命令(divesture)など様々な努力がなされている。便乗値上げについても、単純な値上げ規制より踏み込んだ対策が必要だろう。

P.S. 災害時の便乗値上げを監視するガイドラインをもつ地方自治体は見つかるが、肝心の根拠法が見当たらない。地方レベルの政策なのだろうか?

SuperFreakonomicsまとめ

最近、悪い意味で話題になっているSuperFreakonomicsに関する著名人の反応がよくまとまっているページがあった:

Language Log » Freakonomics: the intellectual’s Glenn Beck? via Cheap Talk

正直評判が悪いので読むまいかとも思ったが一応注文した(同じく悪い話題を提供したリチャード・ポスナーとゲイリー・ベッカーの本も頼んでおいた)。とりあえず前評判をまとめると:

  • 前作はレヴィット個人の研究に基づいていたが今回は様々な話題を取り扱っている。
  • そのため、記事の質に疑問がある。
  • その代わり、取り上げられている話題は社会的にも重要なものが多い(相撲よりは温暖化のほうが重要だろう)。
  • しかし、面白さを優先するあまり奇抜さを狙い過ぎている。

最後の点はContrarian(逆張りをする人のこと)と形容されている。

[Email from Andrew Gelman: “Things get interesting when a scholar steps over the line and moves into pundit territory.  All of a sudden the scholarly caution disappears.  Search my blog for John Yoo or Greg Mankiw, for example…”

何故学者が専門内においては(世間から見ると)異常なまでに慎重になるのに、専門外だと突如何の注意も払わなくなるのは何故かという疑問も呈されており面白い。

さらに職業柄か何故奇抜な行動を取る人が多いかについても説明されている。

We might call this the Pundit’s Dilemma — a game, like the Prisoner’s Dilemma, in which the player’s best move always seems to be to take the low road, and in which the aggregate welfare of the community always seems fated to fall. And this isn’t just a game for pundits. Scientists face similar choices every day, in deciding whether to over-sell their results, or for that matter to manufacture results for optimal appeal.

In the end, scientists usually over-interpret only a little, and rarely cheat, because the penalties for being caught are extreme.  As a result, in an iterated version of the game, it’s generally better to play it fairly straight.  Pundits (and regular journalists) also play an iterated version of this game — but empirical observation suggests that the penalties for many forms of bad behavior are too small and uncertain to have much effect. Certainly, the reputational effects of mere sensationalism and exaggeration seem to be negligible.

物事を誇張したり、奇抜さを売ったりすることをゲームとして説明している。一種の囚人のジレンマで、全ての人が正確性を重視するのが最適だが、他の人が正確性を重視している場合には奇抜さを狙うことが利益になる。よってゲームが一回しかプレイされないなら誰もが奇抜な方をとり、パレート非効率な結末になる。

では何故科学者は正確に成果を発表するのかについては、ゲームが繰り返しだからということになる。アカデミックな世界では間違ったことを書いた場合のペナルティが大きいのでみんな気をつけるということになる。じゃあジャーナリズムなどでも同じ議論が成立するのでは、ということになるが現実にはそうではないようだ。繰り返しゲームお決まりの何でも説明できるけど、どれになるかは全然予測できないという問題にぶちあたる。

おまけ:内輪ネタだけど、このポストへのリンクがあったCheap Talkのポストの次の段落には爆笑した:

Aside on the game name game:  when I was a first-year PhD student at Berkeley, Matthew Rabin taught us game theory. As if to remove all illusion that what we were studying was connected to reality, every game we analyzed in class was given a name according to his system of “stochastic lexicography.”  Stochastic lexicography means randomly picking two words out of the dictionary and using them as the name of the game under study.  So, for example, instead of studying “job market signaling” we studied something like “rusty succotash.” I wonder if any of our readers remember some of the game names from that class.