中国の発展と政治

ノーベル平和賞でまた中国の政治的問題が浮かび上がる一方で、中国の発展は続いている。この経済と政治との乖離をどう説明するべきか。面白いグラフが紹介されている:

William Easterly Is Shrill!

中国の経済成長に関して独裁的な体制がプラスに働いているという人は多い。確かに、あれだけの大きさの国が秩序を維持しているのは強権的な体制によるものだろうが、経済成長自体から独裁制を擁護するのは難しい。

これは紀元後のアメリカと中国の一人当たり精算を表したグラフだ(元データはこちら)。1800年当たりからアメリカが爆発的な成長を始める一方で、中国は1500年ぐらいのレベルで停滞している。

こちらは1900年から1970年までの推移だが、相変わらず中国は停滞し続けている。

そして最期がここ四十年のグラフだ。中国が遂に経済成長を見せている一方で、絶対的水準は依然として低いままだ。これらのグラフから分かるのは、中国の経済成長について驚くべきは最近の成長ではなく、五百年にも及ぶ停滞ということだろう。

出版と印刷は違う

出版社と印刷は違うので、電子書籍は出版社にとっての脅威ではない:

Will technology kill book publishing? Not even close

電子書籍が書籍の大きな部分を占めるようになるのは確実だ。読みたい情報をパッケージして届けるという機能を考えればそれが便利になることは消費者の利益になる(もっとも、その時に「書籍」というカテゴリー自体に何の意味があるかという話はあるが)。

しかし、このことは出版業界というものの行末が、グレーかもしれないが、真っ暗であることは意味しない。その理由が挙げられている。

Myth No. 1.Publishers are merely printers. That would be news to companies like ours, which don’t even operate their own printing presses. Publishers today are in the content business.

出版社は印刷所ではない。紙の書籍が激減すれば印刷所は困るが、出版社はコンテンツビジネスだ。私自身、最近紙の書籍を出版したが、出版社は印刷ビジネスではないのは明らかだった。実際、印刷自体は外注だろう。

Myth No. 2.Authors don’t need publishers in the digital age. Anyone who has ever written a book knows this to be false.

また、著者が出版社を必要としないというのも間違えだ。ある題材(この場合Facebook)について書くことができるかと、その題材が投入する資源に見合うだけの市場をもっているかを知っているかは違うことだ。

企業法務マンサバイバルさんも「この本を企画した編集者の慧眼はすごいと思いました」と指摘されているように、市場の需要と生産要素とを結びつけるのが出版のコアビジネスだ。生産要素の一つで非常にコモディタイズされている紙での印刷自体は言われているほど重要ではないはずだ。

These relationships are even more critical to a book’s success in the digital age. With the ascent of e-books, authors will need publishers to serve as digital artists who can bring words to life by pairing text with multimedia features such as audio, video and search.

書籍におけるデザインの仕事もなくならない。ある程度の分量の文章を効率的にみせるためにはデザインが必要で、これは素人にはなかなかできない。インターネットの普及は紙媒体での仕事を減らしたかもしれないが、WordpressのようなCMSのテンプレート作成への需要が創出された。

むしろ出版「社」にとって危険なのは、会社として軽量化を目指す過程でこうしたコア機能を外注してしまうことだろう。編集者やデザイナーといったネットワークが外にでてしまえば出版社にはディストリビューションしか残らない。

P.S. この記事をTweetされていた大原ケイさんの本は読んでおきたい。

ルポ 電子書籍大国アメリカ (アスキー新書)
大原 ケイ
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新規店舗とレビューサイト

食べログの悪いレビューが新規開業店舗を潰してしまうというエントリー:

食べログが、レストランを潰す – Feel Like A Fallinstar

新規店舗はレビューも少ないので悪意のあるレビューワー(例えば競合店)によって悪いレビューがつけられると困るという話。もちろん、ユーザーもそういったレビューが存在すること自体は理解しているが、「火のないところに煙は立たぬ」的な論理で客が遠のくのは想像に難くない。

しかしこういったレビューサイトもレビューが有用でなければ成立しないわけでただ手をこまねいているわけではない

食べログのレビューを見てみれば、ユーザーには過去のレビュー数、レビューには参考票の数が表示されている。後者は新規店舗では期待できないが、前者のレビュー数はそのレビューワーが真面目にレビューしているかを知る手がかりになる。他にもお店全体の点を表示する際にこういった数字を考慮して計算したり、レビューが極端に少ない間は総合点を表示せずにレビュー絶賛募集中などと表示するのもよいだろう。

アメリカを中心に同じようなサービスを提供するYelpでは、レビュー点数の分布や推移を明らかにしている

こちらは比較的新しくレビューの少ないお店だ。星一つと二つのレビューが一つずつあって一時期平均点が急に落ち込んだのが分かる。

ただこのようなレビュー精度を高めようという企業努力も市場に競争がなければ期待できない。食べログが独走するのではなく、それに対抗するサービスの登場が期待される。

英語のアクセント

経済とは何の関係もないが、あまりにも面白かったので紹介。

YouTube – The English Language In 24 Accents

イギリス各地のアクセント、アメリカの複数のアクセント、日本人を含めた外国人のアクセントを全て一人でしゃべって録画してある。イギリスのアクセントの細かい違いはよく分からない(というか一部は聞き取れもしない)が、アメリカのアクセントや外国人のアクセントは相当にあたっているように思う(ナイジェリア訛りも似ているそうです;日本人と中国人はいまいちかな)。全部聞き取るのは至難のワザだが、逆に言えば共通の発音なんてないし、分かりやすい発音である必要ですらないことがよく分かる。個人的な慣れもあるだろうが、外国語訛りのほうがイングランドの訛りよりも余程聞き取りやすい。

無償投稿カルチャー?

ユーザーの参加を促すことは多くのウェブサービスで非常に重要だ(例えばキャス・サンスティーンのInfotopiaなどに詳しい)。その中でWikipediaに関わるユーザーが減っているという記事。

ウィキを支えた無償投稿カルチャーの落日

「共通の善」のために無償で奉仕するという発想はやや色あせて見え、ネット上の活動に参加することが退屈に感じられるようになった。

その理由を、Wikipediaが新しいサービス(Facebook, Flickr, YouTube, Yelp, etc.)などに比べて、明確な恩恵がなく全体への無償の奉仕だからとしている。しかし、この区別にどれ程の意味があるのだろうか。

競合する多くのサービスもまたユーザーに金銭的な利得を提供するわけではない。例えばレストランのレビューや動画を公開したからといってすぐに直接なメリットがあるわけではない。質の高いコンテンツを公開することで自分のブランドを築くことはできるだろうが、それはWikipediaでも変わらない。頻繁に価値のある貢献を行うユーザーはそのコミュニティーで自分の地位を築く。

オープンソースソフトウェアの開発なんかも同様だ。無償奉仕という特別なカルチャーが原因であるなら、これほどのソフトウェアが公開されることはなかっただろう(例えばこのブログはオープンソースソフトウェアであるWordpressで運営されている)。開発者はスキルを身につけたり、自分の能力を潜在的な雇用主へとアピールしたりするためにオープンソースのプロジェクトを利用している。企業もまた、自社のサービスで利益を出す手段としてオープンソースソフトウェアに投資を行う。

Wikipediaで起きていることは無償投稿カルチャーの衰退ではなく、単にユーザー参加という限られたリソースを巡る競争が激しくなっているだけのことだ(もちろんWikipediaの完成度が上がったこともあるだろう)。そしてユーザー参加を理解することの重要性は一段と増している。