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メンターよりもティーチング

メンターという言葉が持て囃されているが、それよりも人に教えることの方が重要では無いかという指摘:

Mentoring Is Overrated. Try Tutoring Instead – Conversation Starter – HarvardBusiness.org

The idea that best way to learn a subject is to teach it may be the bane of undergraduates left to the mercies of graduate teaching assistants, but it’s remarkably true.

アメリカでは学部教育の大きな部分が大学院生によって行われている。日本の大学からは考えられない程だ。実際、学部生に先生の講義はどうかと聞くと、よく分からない・あまり聞こえない・早すぎて意味不明、などという感想が続き、最後に「ところで今日は○○について話していたと思うんだけど説明してよ」などと言われる。

The power of this practice was recently reinforced at a statistical software customer conference I attended.

ここでは統計ソフトウェアに関するカンファレンスの例が挙げられている(SASかな)。

Three participants — each from different companies — got together during the break to teach themselves (and each other) how to marry the software to the statistics. Intriguingly, this ad hoc group had synergistic skills: One knew the software but had a shaky understanding of the statistics; another understood stats but had only a casual acquaintance with the software; and the third had a problem he thought the software could solve.

三人の別々のバックグラウンドを持つ参加者がグループを作って互いに教えあったそうだ。この手のスタディグループは日本でもよくある。ただし互いに教えるというより誰かが只管教えていることが多い。

Indeed, what really creates critical mass and momentum is a surge in those small three-or-four person “study groups” where it’s delightfully unclear whether the individual participants learn more by teaching or by collaborative learning.

これはビジネスにも当てはまる。新しいソフトウェアが広まるためにはその使い方がユーザーに理解されなければならない。ここで筆者は3,4人のグループを挙げているが、小規模のグループに限定する必要はない。インターネットを用いることでグループを形成することは非常に簡単になった。むしろ重要な点は参加者、特に教える側に、メリットがあるかということだろう。人々を引き合わせた上で適当なインセンティブを与えることで知識の流通・増幅は潤滑になる。

It would be a wonderful — if appropriate — irony if the new paradigm for “executive education” emphasized that the best way for executives to learn well is to insist they teach well.

さらに企業内部での活用も示唆されている。これをさらにシステム化することもありえよう。一定以上の役職の人間に授業をさせるというのは面白い仕組みだ。各社員には一定数のクラスの受講を義務付ければよい。授業をさせることで理解を深めるだけでなく、技術・文化などを継承することになる。さらに、興味を同じくするものが社内でまとまるというメリットもある。企業内部であれば参加を強制できるしインセンティブを与えることも簡単だ。

無神論者の不人気ぶり

アメリカでの無神論者の不人気ぶりを示す記事:

Research Finds that Atheists are Most Hated and Distrusted Minority | NEWS JUNKIE POST

There are many groups in America that are subject to discrimination and prejudice, but none are more hated than atheists.

無神論者が現在アメリカでもっとも嫌われているグループとのこと。根拠として論文が挙げらていたのでその中にあったデータからグラフを作ってみた(ソースはAmerican Mosaic Project Survey, 2003):

ついでに人口五千万人以上の国の無神論者(不可知論者含む)の割合もグラフにしてみた。但し元データが無神論者の割合が五十位以内の国のランクなのでインドなどは含まない。また不正確とされている中国も除く。

グラフ作成にはSwivelを使ってみたがどうだろう。埋め込んだ時に読みにくいのが気になる。

アメリカ市民権試験

アメリカ(オクラホマ州)の高校生に市民権を取得するための試験から選んだ問題を受けさせてみたらどうなったかという話:

September 2009 Volume 16 Number 9 – Oklahoma Council of Public Affairs via Daily Kos

問題(と適当な訳)は:

What is the supreme law of the land?

(国家の最高法規は何か)

What do we call the first ten amendments to the Constitution?

(最初の十の修正条項は何と呼ばれるか)

What are the two parts of the US Congress?

(二つの議会は何か)

How many justices are there on the Supreme Court?

(最高裁判所には何人の裁判官がいるか)

Who wrote the Declaration of Independence?

(独立宣言を書いたのは誰か)

What ocean is on the east coast of the United States?

(アメリカの東側にある大洋は何か)

What are the two major political parities in the United States?

(アメリカにおける二つの主要政党は何か)

We elect a US senator for how many years?

(上院議員の任期は何年か)

Who was the first President of the United States?

(最初の大統領は誰か)

Who is in charge of the executive branch?

(行政の長は誰か)

解答は順にConsitution(憲法)・The Bill of Rights(権利章典)・The Senate and the House(上院と下院)・Nine(九人)・Thomas Jefferson(トーマス・ジェファーソン)・Atlantic(大西洋)・Democrat and Republican(民主党と共和党)・Six(六年)・George Washington(ジョージ・ワシントン)・The President(大統領)だ。普通の日本人でも憲法・大西洋・民主党と共和党・ワシントン・大統領ぐらいは分かっていて良さそうな気はするが、調査対象となった高校生で五問以上の正解者は10.8%しかいない。市民権を得るためには六問以上の合格が必要で、それに該当するのは2.8%に過ぎない。記事中でも指摘されているとおり一般の受験者は対策を講じてから受験するため一概に比較はできないが、実際の受験者(市民権取得を取得しようとする外国人)の合格率は92.4%となっている。ちなみに各問についていえば大西洋がもっとも簡単で正答率61%、ついで民主党と共和党43%、その他については憲法・大統領・ワシントンを含め30%を切っている。

ちなみにこの記事で実はもっとも興味深いのはその結論である:

John Stuart Mill once observed that if government would simply require an education, they might save themselves the trouble of providing it (or in this case, unsuccessfully trying to provide it). If Oklahoma schools fail to get their civics house in order, it would be conceivable to remove the civic education function entirely from the public schools, and to have it done better than is currently the case. State lawmakers could make the passing of a civic knowledge exam a precondition for receiving a driver’s license, and simply make the necessary study materials available online and at public libraries.

ここで著者はジョン・スチュワート・ミルの言葉を挙げ、学校教育が機能していないのであれば公教育を止め、代わりに(免許を取る際などに)試験への合格を義務付け教材をオンラインや図書館に置いておけばよいと主張している。学校教育に問題があるとそれを改善しようという意見しか出てこない日本とは非常に対象てきである。

ちなみに著者はミルの引用を不正確に行っているので自由論(On Liberty)における原文をあげておく:

If the government would make up its mind to require for every child a good education, it might save itself the trouble of providing one.

アメリカにはこのようなリバリタリアンが一定の位置を占めている。著者Matthew Ladnerも保守本流のシンクタンクであるGoldwater Instituteに所属している。

CentMail

スパム対策の一つとして定期的に話題になるメールへ課金制度がまた一つ:

Will Users Donate a Penny Per Email to Fight Spam, Yahoo Wonders | Epicenter | Wired.com

The idea behind CentMail is that paying to send e-mail — even a single cent — differentiates a real e-mail from spam blasts, and thus, spam filters can be adjusted to let the stamped mail sail right through, according to a report from New Scientist.

仕組みとしては、メールを送る際に1¢の寄付を行い、寄付がなされたメールをホワイトリストするというもの。同様の仕組みは何度も提案されているが、今回は支払いが寄付に向かうという点が新しいようだ。

スパムの問題はそれほど複雑ではない。ダイレクトメール同様、広告にかかる費用が少ない。また他の重要な情報と混ざっているため、ユーザーがそれを選別する必要がありその時点で広告の目的は達成されてしまう。そして選別のための費用は広告主によって負担されない。しかもダイレクトメールと比べるとスパムは圧倒的に低コストである。これはスパムの量が膨大になるだけでなく、その平均的な質が非常に低いことを意味する。

スパム対策が難しいのはあるメールがスパムかどうかが分からないことだ。そのため対策の要は如何にして選別を行うかということになる。

一つには技術的解決法がある。これはベイズ統計を使ったスパムフィルターなどが該当する。スパムの目的は広告であるため、文章から広告がどうかを判断する。

それに対して今回のCentMailは経済的なインセンティブを用いてスパムか否かを送り主自身に表明させる。スパムと正当なメールとの違いは内容だけではない。一通のスパムの価値は極めて低く、有効であるために大量に送信する必要がある。CentMailはこの違いを利用する。一通1¢は普通のユーザーにとっては微々たる金額だが、スパム業者にとっては大きな額である。しかし強制的にメール送信に課金することはできないため、自主的に費用を払ってもらうスキームが必要となる。仮に業者が費用を払ったとしても、スパムの総数は減るしその質は上昇するわけだ。この方式を取る場合のキーは二つだ:

  1. 自主的な参加の促進
  2. 急速な普及

一点目は自明だ。正当な送信者がこのシステムを利用しない限り何も始まらない。初期段階においてスパム防止効果は限定的であり、支払いそれ自体に価値があることが望ましい。CentMailのポイントは支払いを寄付という形にすることでこの問題に対処していることである。

しかしもっとも難しいのは二点目である。一点目とも重なるが、このシステムは多くの正当なユーザーが参加していない限り有効に働かない。極端な話、ユーザーが一人であればメーラーの作成者はそれに対応する理由がないし、それ故に他のユーザーも参加する理由がない。当然スパムは以前通りにメールボックスに届くことになる。このシステムが動くためには、多くのユーザーに参加してもらうと同時にISP・メーラーなどの対応を迅速に行う必要がある。後者の課題については、

  • GMail, Yahoo! Mail, Hotmailなどのような単独で大きなシェアを持つ企業と提携するないし、彼らが始める(CentMailはYahoo!)。
  • オープンソースのソフトウェアに当該機能をコミットする(寄付が開発プロジェクトに向かうという趣旨であれば十分に現実的だと思われる)。

などが考えられる。ISPレベルでのフィルタリングも考えられるがネット中立性との兼ね合い上難しいかもしれない。

ラウンドアップ

このブログを始めて一ヶ月経ったので方向性についての総括でも:

  1. 主なエントリーは英文記事の紹介及びそれに対するコメント
  2. 紹介される記事は主に経済・ビジネスやメディア関連
  3. 個人的な話題は稀
  4. 書評はあまり書く気が起こらない

第一点については予想通り。完全な個人用ブログを除けば、多くのブログは記事の紹介を主なコンテンツとしている。情報が大量にある世の中ではフィルター機能が重要となる。また私が毎日チェックするサイトの95%以上は英文なので紹介する記事が英語になるのは自然だ。

第二点も現在の興味のあり方からすれば妥当か。自分の強みから考えても望ましい。コンピュータ関係の内容がほとんど無かったのは新しい傾向だ。

第三点はバランスが難しい。ブログは一種のニュースサイトではあるが、通常書き手をキーにしてアグリゲイトされている。書き手の個性を出すことは必要であるが過剰になると普通の読者には読みにくくなる(実際チェックしている大量のブログの一つが旅行日記などを続けて掲載すると購読を外そうかと思うこともしばしばだ)。ヘビーユーザーについては、個人的な話題を省いたRSSを明示すればよいだろう。

第四点は意外だ。ブログを始めた時点では書評を書くのは主な目的な一つだった。八月・九月で七・八冊は読んでいるが一回しか書いていない。単に書評を書くのは普通の記事に比べ時間がかかるということもあるが、最大の理由は書評を書く程の本はあまりないことだろう。まあ気が向いたときだけ書評を書き、普段は本の名前を紹介するだけで十分だろうか。

今後の展開としてはこのまま経済・ビジネス・メディアについて記事の紹介及びコメントをつけるという形で構わないだろう。需要面においては、ビジネスやITに興味のある人は多い。またそのような人々にとって英語の記事は特に問題ではない乃至勉強になる程度のものだろう。供給面においては、これらのトピックについてきちんとした意見を述べている人は実は少ない。特に英文記事については翻訳などを行っている一部出版社を除けば非常に珍しいといってよい。これに書評や個性を出すための記事を混ぜていく形でよいだろう。あとはプロモーションだろうか。