ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう

Twitterでryosukeakahoshiさんが次のように呟いていた。

いまだに「ビジネス≒金儲け=悪」のような歪んだ先入観を持った大学生がいっぱいいる@福岡。何でそんな考えに至るんだろうか?学校教育?マスメディア?家庭教育?日本の風習?

「ビジネス≒金儲け=悪」という間違った考え方がどうして支持されるかというのは確かに面白い問題だが、その前にそれが間違っているということを説明した方がいいかもしれない。

お金を稼ぐ一番簡単な方法は人々に望まれていることをすること

お金を稼ぐとはどういうことだろう。例えば、レストランであればお客さんに食事を提供することだ。客はお金を払って=他の消費を犠牲にして食事を注文している。別に強制しているわけではないのでこれは客にとって望ましいことなはずだ。その食事は1000円だっとする。レストランはそれを1000円で自分から提供しているのだからそれで利益がでるはずだ。二人が自発的に取引を行っているということはそれが二人にとって望ましいということだ

レストランの例が示すように、ビジネスの本質は社会の非効率を解消して、その分け前を得ることだ。食事を食べたいがおいしい料理をすぐに作れないひとと、それなりの価格でおいしい料理をすぐに作れる人がただ並んでいるのは非効率だ。レストランは食事を提供することでこの非効率を解消し分け前として1000円をもらう。

解消する非効率が全体のパイで、利益はその分け前だ。ないパイは分けられないので、ビジネスが基本的にはパイを作り出す=社会をよくするものなのは明らかだろう。これがいいことでないというならそれはかなり変わった考えだ。

でも自発的じゃなかったらどうするの?

レストランの話は客が自発的に食事を注文していることが前提だ。もしレストランがぼったくりだったら、悪いことだろう。しかし、ぼったくりが犯罪であるように、取引を強制することはほとんどの場合に犯罪となる

これは偶然ではない自発的でない取引は一般に望ましくないので、それを犯罪としているのだ。強制的に物品を奪い取るのは強盗であり、金をだまし取るのは詐欺だ。これらの行為は何も生産しないどころか、その過程で暴力のようなパイ自体を壊す行動を伴う。だからそれは違法とされており、社会的に望ましくないビジネスは割に合わないように社会は作られている。犯罪にするほどではない場合には税金が課される。例えばタバコを吸うことは本人にとってはプラスなので完全に禁止するよりも税金で適当なバランスをとったほうがいいからだ。

抜け道は?

もちろん法律には抜け道がある。世の中の全ての望ましくない行動を事前に列挙することはできないからだ。でも、それを探してビジネスにするというのはあまり賢明ではない。我々はそういった行動を見つけて規制しようという意志をもっており、抜け道を利用して派手に稼いでいる人を見つけたらその抜け道を塞ぐからだ

逆に、社会のためになるけど儲からないこともある。例えば、科学技術に投資することで未来の人たちは利益を得るが未来の人々と取引をすることはできないから分け前をもらうこともできない。しかし、この場合でも悲観的になる必要はない。それが全体として望ましい限り、いつか我々は政府を通じてそれを支援する。政府という主体が未来の人の代わりとなるのだ。

ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう

このようにビジネスは基本的に社会のためになるそういう風に社会は作られている。社会のためになることをしたいなら、なるべく大きな非効率を見つけてそれを改善すればいい。大きなパイを取れば分け前も多くなるのが普通だ。そうなっていない例外的なケースを探してビジネス・金儲けはよくないなんて気取っている暇があったら、何かを始めるべきだ大抵の場合、それで社会はよくなるのだから

ではなんで「ビジネス≒金儲け=悪」なんて考える大学生が多いのか

この問いへの私なりの答えは、ほとんどの日本の大学生は自分で商売をしたことがないから、というものだ。何か自分でものやサービスを売ってお金を稼いだことがあれば、こんなことが分からないはずはない。だってそうだろう。欠陥品を売りつけるのは難しく、みんなが欲しがる商品を売るのは簡単だ。捕まるリスクをおかして欠陥品を騙して売るよりも、商品を改善したほうがいい。それがビジネスであり、そうした改善の結果が金儲けだ。

追記:コメントでktamaiさんが指摘されているように、大学教員のほとんどが自分でビジネスにふれたことがないというのは大きな原因の一つのように思います。皆様有意義なコメントありがとうございます。

追記:図を使ってこのことを説明してみました。下のピングバックリンクからどうぞ。

付加価値を生んで税金(再分配原資)を収められるのは「産業」だけ。事業仕分けでみたように、残りは公務員もNGOも学者も芸術もスポーツも全部それを使う人neu

原油買うので手一杯

Twitter経由で見つけた産総研の櫻井さんのグラフがとても重要なので紹介したい。

壊れたら直そう日記(2009-12-09)

原油の輸入額(名目)とGDP比を時系列順に並べたもの:

oil

ほんの10年前までは毎年5兆円程度だったのが、23兆円にも増えている。主因は価格の上昇。実に4倍以上になっている。

こんなに増えてたら、国内の暮らしもきつくなって当たり前だろう。

非常にもっともな指摘だ。当たり前だが23.1兆円の輸入をするためには、国内での消費を犠牲にして輸出を行う必要がある。2008年度の輸入総額は約72兆円で原粗油だけで13.6兆円を占めている。輸入品のトップ10は以下の通りだ

  1. 原粗油:136,397億円
  2. 液化天然ガス:44,985億円
  3. 石炭:32,569億円
  4. 衣類・同付属品:26,242億円
  5. 非鉄金属:21,470億円
  6. 半導体電子部品:21,326億円
  7. 石油製品:20,014億円
  8. 電算機類(含周辺機器):16,362億円
  9. 有機化合物:14,246億円
  10. 非鉄金属鉱:13,911億円

ほとんど原油を含む燃料・鉱物資源であることが分かる。石油製品や有機化合物は原油を輸入しているのと大差なく、資源関連以外は半導体・電算機しかない。これは十年前の1998年には以下のようだった:

  1. 原粗油:26,177億円
  2. 衣類・同付属品:18,477億円
  3. 魚介類:16,453億円
  4. 半導体等電子部品:13,146億円
  5. 電算機類(含む周辺機器):12,931億円
  6. 非鉄金属:9,568億円
  7. 液化天然ガス:9,355億円
  8. 肉類:8,995億円
  9. 科学光学機械:8,168億円
  10. 電気類の部分品:8,115億円

インフレ調整はしていないが総輸入は353,938億円だった。これが自分が昔子供のころに習った輸出入の風景だ。日本は原材料・食料を輸入するために製品を輸出する。現在でもその基本的構図は変わっていないが、材料を買ってきて製品を作ることの効率が大きく下がった。自分が買いたいものの値段が上がると同時に自分が商売で仕入れる材料の値段が上がったのだから景気云々はおいておいても実質的に貧しくなるのは避けられない。食堂をやっている一家が突然の食材価格高騰にあったようなものだ。

この状況を打開するためには、消費と仕入れにかかる費用を減らす、つまり消費と生産の両面での効率化が必要だろう。その一つの方法は櫻井さんも研究されている太陽光発電であり、燃費の低い自動車・電化製品などもそうだ。経済発展においては資源の存在が成長の阻害になるという説もあるぐらいなので、日本も頑張らないといけない。

もう太陽電池は実用的コストになるかどうか、って段階じゃないです。どこの国や企業がシェアを取るか、っていう経済戦争の段階なんですよ。

ただ、別に「戦争」を起こす必要はない。自分で開発できればそれに越したことはないが、どこかで開発されたものを日本で導入するだけでも天然資源への依存・支出を抑えることはできる(たとえ誰かが技術を独占したとしても全ての余剰を回収することはできない)。他国に勝とうとするあまり政府が口を出しすぎることのないように願う。

何故雑誌は新聞よりうまくいくか

デジタル化した市場で雑誌の未来は新聞のそれよりも明るいという話:

雑誌の未来、新聞よりは明るい? 光沢は失えど先行きに希望 JBpress(日本ビジネスプレス)

データベースのメディアファインダー・ドット・コムの試算では、北米では今年1~9月期に383誌が廃刊になった。だが、ここ数カ月、生き残った雑誌は意 外な自信を見せ始めている。紙媒体についてもデジタル版についても、雑誌の命運は必ずしも一緒にスタンドに並ぶ新聞と同じではないと考えるようになったの だ。

新聞より雑誌がうまくデジタル化に対応できるのはその通りだろう。しかし、元記事で挙げられているその理由はあまり正確なように思えない:

  • 時間に敏感でないのでアグリゲーターの影響を受けない
  • E-bookリーダーが雑誌なみに画質を再現

私は雑誌の未来が明るい理由は次のようなものだと考える:

  1. デジタル化は市場を広げるためニッチなセグメントで雑誌が活動するのを容易にする
  2. 新聞はもともと様々な情報を集めるアグリゲーターなのでGoogle Newsのようなアグリゲーターと競争になるが、雑誌は直接競争にはならない
  3. 雑誌の内容はニュースではなく著作物であり知的財産として保護される

1はネットがない時代を考えるとわかりやすい。紙媒体がカバーできる面積には限界がある。大都市でニッチな産業が発展するように、ネットは情報面での人々の距離を縮めニッチなビジネスを可能にする。

2は見落とされがちな点だ。新聞各社はGoogle Newsを批判する。それは単に彼らがGoogle Newsと同じ土俵で戦っており負けているからだ。もともと新聞というビジネスの本質は、情報の生産者というよりもアグリゲーターだ新聞社が記者やコラムニストを囲っていたのは単なる垂直統合に過ぎない。垂直統合を有利にしていた技術・経済的背景が変化し、記者やコラムニストがデジタル時代に新聞社から分離していくのはその帰結だ。もともとアグリゲーターとしての機能が小さい雑誌はGoogle Newsのようなサービスとの競争を心配する必要がない。

3は何度か述べているが、ニュースという事実を保護するのは技術的に難しい。雑誌の内容は普通の著作物なので単純にコピーされる心配はないだろう。

追記:はてなブックマークで

Google Newsには新聞は勝てないが雑誌は著作権というアドバンテージで勝てるという話。いまひとつ腑に落ちない。

とあるが著作権の話がメインではない。最大のポイントはGoogle Newsと新聞は競争相手だが、雑誌は勝てる・勝てない以前に同じ土俵にはいないってこと。もちろんそれゆえに雑誌は成功するっていうわけでもない。ニッチを狙うビジネスとメインストリームを狙うビジネスとでは最適な戦略が全然違う。

現代版ハリソン・クロノメーター

ジョン・ハリソンは18世紀に英国議会の賞金に応じ、海洋での正確な経度測定を可能にするクロノメーターを発明した。この時に天文学者で構成される緯度委員会が賞金の支払いに二の足を踏んだことはDava Sobel(デーヴァ・ソーベル)のLongitude(経度への挑戦—一秒にかけた四百年)に詳しい。

簡単に説明しよう。緯度の測定は北極星を使って比較的簡単に可能だが、経度の計算は難しい。太陽の位置と正確な時計があれば時差から計算できることは分かっていたが、時計の精度や信頼性の問題があった。緯度委員会はこれを天文学的に解決する方法を求めて、誤差のない緯度測定方法に賞金をかけた。

しかしジョン・ハリソンは時計職人で、この問題を実際に精度が高く、悪辣な環境でも動作しつづける時計を作ることで解決した。これに対し、緯度委員会は賞金の全額支払いを拒んだ。彼らが望んだ解決方法ではなかったからだ。最終的には国王が介入し、ハリソンは現在の特許制度のように再現可能な設計図とサンプルを提供し全ての賞金を受け取った。

ハリソンと緯度委員会との問題は賞金を用いたイノベーション促進の欠点として取り上げられるが、現代においても同じ種類の問題は起こっている:

DARPA Pays MIT to Pay Someone Who Recruited Someone Who Recruited Someone Who Recruited Someone Who Found a Red Balloon

もちろん緯度委員会はもう存在しない。代わりを務めるのはのは通称DARPA、米国防高等研究計画局だ。先端技術の軍事転用のための組織であるDARPAは30億ドル以上の研究予算を持ち、インターネットの前身であるARPANETを開発したことで特に有名だ。

DARPA, the Defense Department’s research arm, recently sponsored a “Network Challenge” in which groups competed to find ten big red weather balloons that were positioned in public places around the U.S. The first team to discover where all the balloons were would win $40,000.

今回DARPAは10個の観測バルーンをアメリカ国内に設置しそれを最初に全て見つけたチームに$40,000ドルの賞金をかけた。

On DARPA’s side, this was inspired by the famous Grand Challenge and Urban Challenge, in which teams built autonomous cars that had to drive themselves safely through a desert landscape and then a city.

規模は違うが、自動走行型のロボット開発を促すための他のプロジェクトから発想を受けたのではないかと指摘されている。

MIT let anyone join their team, and they paid money to the members who found balloons, as well as the people who recruited the balloon-finders, and the people who recruited the balloon-finder-finders.

しかし、結局賞金を手にしたMITのチームは工学的な解決策をとらなかった。バルーンを見つけた人と、その人を紹介した人、その紹介した人を紹介した人、というように発見者と紹介者全てに賞金を分配すると宣言したのだ。これにより大量の人々がバルーン探しに加わって最初に全てのバルーンを発見するに至った。

賞金が少ないこと、そもそも宣伝目的ではないか、など色々な事情はあるが、賞金によってイノベーションを促進するのは実は難しい。近年非難されることの多い特許制度では、イノベーションの対価はそのイノベーションが市場で生み出す価値にリンクされているのでこのような問題は軽微だ。

オープンソースは裏切れない

バークレーのMBAの方のポストより:

A Golden Bearの足跡 : GoogleがDNS事業に参入!!! (後編) メール内容と素朴な疑問(ご意見募集)

Googleが何故DNSに参入するのかという話は各所で行われているのでここでは取り扱わない。ビジネススクールの環境が垣間見れるので興味のある方はリンク先をご覧頂きたい。ここではオープンソースに関する最後の一節だけ取り上げる:

そもそも無料って、良いことなのか:
Cases for Entrepreneurshipの授業で1つ心に残った学びに、「オープンソース(無料でソースコードを公開し、皆の力を借りて開発を進めること)は、 ローエンド品を開発するには、無限のリソース・パワーを与えるが、ハイエンド品を作るためのリソース・パワーは一切与えない」というものがありました。そ のココロは、無料で提供されたサービスはどこかで必ず裏切るため、企業向けなど信用が第一のところには、無料ではかえって参入できない。なぜ裏切るか、に ついての簡単な例としては、今年のMBA生の夏のインターンでも、「無料でいいから仕事させてくれ」、という人がいっぱいいましたが、フルタイムの仕事を 賃金ゼロで探す人はいないはずですので、インターン時期が終わるとそのリソースは必ず戻ってきません。Googleは、現在個人ユーザーには無料でサービ スを、開発者には無料でAPIを公開している「オープンソース」な企業。一方、昨年から企業向けに有料サービスを展開し始めて、オープンソースからの脱却 を試みているようにも見えますが、果たして既存のハイエンドユーザーがどれだけGoogleになびくかは、興味深いです。

オープンソースが外からどのように見られているかが見えて面白い。オープンソースとビジネスの関係は複雑で分かりにくいのでこれを素材に説明してみたい。まず冒頭からだ:

「オープンソース(無料でソースコードを公開し、皆の力を借りて開発を進めること)は、 ローエンド品を開発するには、無限のリソース・パワーを与えるが、ハイエンド品を作るためのリソース・パワーは一切与えない」

文脈によるが、半分正しく半分間違っている。オープンソースで多くの参加者を集めるためには多くの人に取って有益なプロジェクトでなければならず、それが「ローエンド」であることは多いだろう。しかし、参加者の多寡とリソースとは異なる概念だ。例えばスーパーコンピュータ開発は「ハイエンド」だがオープンソースのシステムを使うことも多い。これは簡単にカスタマイズできるからだ。

無料で提供されたサービスはどこかで必ず裏切るため、企業向けなど信用が第一のところには、無料ではかえって参入できない。

これは間違いだ。オープンソースのプログラムは「サービス」ではない一度提供されたプログラムを提供側が取り戻すことはできない。もちろん今後の開発やサポートの持続は保証されない。しかしそれが必要ならば通常の契約を用いて開発やサポートを依頼すればよい。

今年のMBA生の夏のインターンでも、「無料でいいから仕事させてくれ」、という人がいっぱいいましたが、フルタイムの仕事を 賃金ゼロで探す人はいないはずですので、インターン時期が終わるとそのリソースは必ず戻ってきません。

このアナロジーが適切でないのは、ソフトウェアが公共財であり、誰かが使っても他の人が利用する障害にはならないからだ。ソフトウェアはフルタイムどころか一度にあらゆる場所で同時に働くことができるだから全ての場所で賃金をもらう必要もない

Googleは、現在個人ユーザーには無料でサービ スを、開発者には無料でAPIを公開している「オープンソース」な企業。

無料のサービスやオープンなAPIはオープンソースとは違う。そして、その違いこそがオープンソースが企業に取って重要な理由だ。サービスやAPIはいつでも引っ込めることができるがオープンソースのソフトウェアを引っ込めることはできない。企業はソフトウェアをオープンソースで公開することにより、それが永遠に公開されつづけることにコミットできるのだ。

オープンソースにすることで無料でオープンなことにコミットしてどうするのか、どこで稼ぐのかという問題はある。これは通常、当該ソフトウェアと補完関係にある財・サービスの販売によって行われる。例えばRedhatであればシステムはオープンソースでサポート契約を販売する。Intelであればx86というプラットフォーム上で有益なソフトウェアをオープンソースで公開し、x86プロセッサを売る。

一方、「無料より怖いものはない」とはよく言ったものですが、我々個人ユーザーがGoogleにいつか裏切られる日があるとしたら、いつ、どのような形で 起こりうるのでしょうか。あるいは、Googleはいずれ個人ユーザーも「顧客」とみなして、サービスを続々と有料化することがありうるのでしょうか

最後にあるこの問題は正しい。しかし、それはオープンソースが裏切るからではなく、Googleの製品の多くがオープンソースではないからだ。Googleは無料であること・オープンであることが重要・必要な場合にはオープンソースを使い、コアなビジネスはプロプライエタリにすることで利益を上げているのだ。

Redhatであれば