どうしてウォールストリートに行くか

ハーバードの卒業生がウォールストリートに行くことについての非常に的確な記事だ。他のトップ校や、日本の有名大学についても同様のストーリーは当てはまるだろう。

Why Do Harvard Kids Head to Wall Street?

まずは、卒業生の一般的な性質を挙げている:

(a) is very good at school; (b) has been very successful by conventional standards for his entire life; (c) has little or no experience of the “real world” outside of school or school-like settings; (d) feels either the ambition or the duty to have a positive impact on the world (not well defined); and (e) is driven more by fear of not being a success than by a concrete desire to do anything in particular.

  1. 勉強ができる
  2. 一般的な基準に照らして常に成功してきた
  3. 学校やそれに近い世界以外での経験がほとんどない
  4. (なんとなく)社会のためになりたい・ならないといけないと思っている
  5. 具体的に何かをやりたいというよりも成功出来ないことを恐れている

ステレオタイプではあるが非常に的を得ているように思う。自分が大学出る前も何をやりたいという具体的な目標がなかった。自分な好きな学問をやるべきだと漠然と思って大学に入ったが、これがやりたいというものは見つからず、これはつまらない・もういいというリストばかりが増えるばかりだった。結局、公共政策というところに行った。今思えば、それはまさに公共=なんとなく社会のためになるからと、それなら誰にも後ろ指を指されないからだろう。

Their (our) decisions are motivated by two main decision rules: (1) close down as few options as possible; and (2) only do things that increase the possibility of future overachievement.

では学生はどのような判断基準を持っているのか。

  1. なるべくオプションを減らさない
  2. 将来成功するための可能性を上げる

日本でいえば終身雇用型の企業はオプションがなくなるから避けつつも、やりたいことがないので何となくいいとされている場所にいくことになるだろう。外資系金融・コンサルや公務員なんて分かりやすい例だ(実際に公務員に転職能力があるかは知らないが、就職する学生はみんなあると思っている)。

Money is far down the list; at this point in their lives, if you asked them, many of these people would probably say that they only need to be middle or upper-middle class, and assume that they will be.

これも完全に正しい。多くの学生は別に給与をそこまで重視していない。それなりにいい生活=アッパーミドル以上であればよく、そして自分はそうなると思っている。

ではなんで、金融やコンサルを目指すのか。

The recruiting processes of Wall Street firms (and consulting firms, and corporate law firms) exploit these (faulty) decision rules perfectly. The primary selling point of Goldman Sachs or McKinsey is that it leaves open the possibility of future greatness.

彼らは学生=過去の自分たちの(おかしな)思考プロセスを熟知していてそれを利用するわけだ。

The idea is that you will get some kind of generic business training that equips you to do anything, and that you will get the resume credentials and connections you need to go on and do whatever you want.

数年働くことでいいトレーニングになりレジュメに大きく書けるし、コネもできると言って誘いこむ。

And to some extent it’s true, because these names look good on your resume, and very few potential future employers will wonder why you decided to go there.

そしてこれらは別に間違っているわけではない。実際にいいトレーニングではあるだろうし、レジュメ的には素晴らしい。コネも増える。

The second selling point is that they make it easy. Yes, there is competition for jobs at these firms. But the process is easy.

もうひとつのやり口は、採用活動を分かりやすくすることだ。競争は激しいが、どうやってアプライすべきかは簡単に分かる。プロセスが非常にはっきりしている。

For people who don’t know how to get a job in the open economy, and who have ended each phase of their lives by taking the test to do the most prestigious thing possible in the next phase, all of this comes naturally.

これは現実の社会でどうやって仕事を見つけるのかを知らず、生まれてこのかたテストでいい点を取って次に進むという人生を送ってきた若者にとってとても自然だ。競争自体はそれほど問題ない。単に難関校を受験するようなものだ。日本であれば国家公務員も同様だろう(アメリカでは公的仕事のキャリアパスはそこまで単線ではない)。

The third selling point — not the top one, but it’s there — is the money. Or, more accurately, the lifestyle.

三つめはライフスタイルの提示だ。豪華なエリートとして生活を見せつけることで最後のひと押しが完了する。

では学生がこの手の業界にいくとしてどうしてそこに留まるのか。

Your expenses grow to match your income. As the decades pass and you realize that no, you’re not going to save the world, the money becomes a more and more important part of the justification.

それは支出が収入に応じて伸びていくからだ。何年働いてお金を貯めて事業を起こすないし引退するといっていた人が、同僚や同業者に合わせて高級車を購入し贅沢な暮しをするようになり、いつのまにかそこから抜け出せなくなる(もちろん、別にそれが悪いという話ではない)。

And when you have kids, you’re stuck;

子供ができればそこで終わり。もう生活スタイルを大きく変えるのはほぼ不可能になる。

More importantly, you internalize the rationalizations for the work you are doing.

もうひとつの原因は自分の中での合理化だ。自分の仕事は世界を救っているんだと思い込む。もちろんたいていの仕事は社会のためになっているわけだが、途中をすっ飛ばしてそれが自分にできる一番の社会貢献なんだという風になっていく。学者でも同じだろう。貧困を解決したくて開発について研究していたはずが、ジャーナルに論文を載せることが自分にできる最大の貢献だと思うようになる(実際そうである場合もあるだろうが)。

And individually, I have nothing against them, although I do think they should do their best to keep their expenses down so they will be able to switch careers later.

本題とは離れるが本文中この一節の内容はとても共感できる。好きなことをやるためには少ないお金でも暮らせる必要がある。収入が増えたときに支出をそのまま増やしているといざ何かがやりたいときにそれができなくなるからだ。

定年後の労働

定年に関する面白いグラフがあったのでご紹介。

OECD: Factblog: Keep on working …

上のグラフは国別の実際の平均引退年齢(青)と引退してからの平均年数(薄茶)表している。日本や韓国の労働年数の長さが目立つ。特に韓国の引退してからの年数は非常に短い。

下のグラフは引退してからの年数をより詳しく説明している。バーの長さが引退してからの年数、薄い部分はそのうち法的な定年より前の部分を表している。例えば最も引退年数が長いフランスはは法的な定年後がほとんど。これは定年が低いためだろう。逆にオーストラリアでは法的な定年より前に引退する人が多いようだ。日本はどうかというか引退してからの年数も短く、かつ定年より前に引退生活に入るというのは珍しいことが分かる。

元データはOECD Society at a Glanceでオンラインで入手できる。上のグラフはtableauに保存されたもので、サイト上では国別の数字などより詳細な情報も見ることができるようになっている。

「実名・勤務先明記」へ

日本IBMのソーシャル・コンピューティングのガイドラインに関する記事から。

ブログ利用「実名・勤務先明記」を奨励 日本IBM

特に注目されているのは以下の部分だ。

「IBMでの業務に関連してブログ活動をする際には、実名を使い、身元を明らかにし、あなたがIBMに勤務していることを明示するように奨励します」
「一人称で語りましょう。自分自身の意見で、その個性を前面に打ち出し、思っていることを語りましょう」

実名・勤務先の公表を控える人が多い日本では異例の試みと言える(参考:アメリカは実名志向か)。しかし、このガイドラインは時代の流れに適ったものだ。

実名の利用を奨励することの利点は二つある。一つは、質の高い人材を惹きつけることだ。ネットは個人が自分の名前で活動する=レピュテーションを築くのを容易にした。狭いサークルの中で活動しているのであれば従来型の人脈作りで十分だろうが、多くの職業は自分とは全く違う分野の人間と繋がっている(他人が出来ないことを提供することで利益を上げる場合には当然そうだ)。ネットを活用してネットワーキングをしている人にとって、それが出来なくなるのは非常に都合が悪い

個人としてブランドを持っている社員は転職が簡単という意味で企業にとって都合が悪い面もあるが、そういうクリエイティブな人材を持たないで競争するのは難しくなっている。むしろ個人が個人として活動することを認めて、優秀な人材を揃える方が有利だと考えるのは自然だろう。

二つ目の利点は、その質の高い人材が持つブランドを逆に企業が利用することだ。個人がブランドを持たない時代には、企業がブランドとして存在し社員がそれを使って仕事をした。多くの戦略コンサルティング会社はそれに当たるだろう。個人としての技能に期待してるのではなく、会社の名前を元に仕事が発注される。会社はそのブランドを守るために社員を厳選し、社員にとってはその会社にいったことが履歴書上のメリットになる。

しかし、個人がブランドを持つようになればその関係は変わってくる。会社名ではなく個人に仕事が入る。そうなると会社と社員の力関係は逆に傾く。社員に個人としての活動を奨励することで優秀な人材を確保する一方で、その人材が持つブランドを企業が利用できる

「一人称で語る」というのはこの二番目の利点をうまく活かすための工夫だ。構成員が個人として発言し、会社のブランドを高める一方で、会社の意見とは切り離す。

この方法がうまくいくような業界ばかりではないだろうが、他の企業もソーシャルメディアの時代に合わせて社員の対外的な活動に対する認識を改めて行くことが必要だろう。

好きな事について書く

参照先の主旨とは関係ないが、次の一節が印象に残った。

Productivity is about finding space | Penelope Trunk’s Brazen Careerist

(珍しく)全訳してみよう:

I remember when I taught creative writing to freshmen at Boston University. The first month almost every student wrote about sex. I went to my advisor and asked him why I am getting twenty stories about having sex.

ボストン大学で一年生に作文のクラスを教えた時のことを覚えている。最初の月はほとんど全員がセックスについて書いた。指導教官に、どうしてセックスについて20本も作文が提出されているのか聞いてみた。

He said, “Are all the stories terrible?”

教授は「その作文はひどい出来かい」と尋ねた。

I said, “Yes.”

「その通りです」と答えた。

He said, “That happens every semester. When you love something, you want to write about it. But you never know enough about it to write it in an interesting way until you know it closely enough to hate it as well.”

彼曰く、「これは毎学期の事だよ。何かをとても好きになるとそれについて書きたくなる。でも、それについて面白く書ける程にそのことをよく理解するようになったころには好きばっかりではいられなくなってるんだよ。」
非常に説得力がある。あることについて知れば知るほど、興奮は冷めて行くし、得られる追加的知識も減っていく。論評するためには長所短所も知らなければならない。あることを絶賛しているだけの人間の話なんて誰も聞きたくはないだろう。

これは「好きなことを仕事にするな」の話にも繋がる。お金を取れる程に何かに習熟したころには、それをやっているだけで幸せとはいかないことが多いのは自然なことだ。上の例に戻れば、セックスについて読ませる文章を書く人やセックスでお金を稼ぐ人がそれをどれだけ好きかということだ。

キャリアとコーリング

経済と何の関係があるのかは疑問だが、昨日ブローカーの飲み友達と似たような話題になったので:

Ben Casnocha: The Blog: Do You Want a Family or a Calling?`

仕事についてキャリア(Career)とコーリング(Calling)との区別をした上で、仕事と家庭とのバランスについて論じている。

First, let’s review Michael Lewis’s distinction between a “career” and a “calling”:

A job will never satisfy you all by itself, but it will afford you security and the chance to pursue an exciting and fulfilling life outside of your work. A calling is an activity you find so compelling that you wind up organizing your entire self around it — often to the detriment of your life outside of it.

普通、仕事というのはそれ自体で幸せになるとかいうものではなく、仕事の外での人生を追求する上での土台を与えてくれるものだ。それに対しコーリング(天職?)はどうしてもやらないといけないもので、自分の人生がそれを中心に回るようなものだという(日本ではそもそも仕事は全てコーリングであって生活は仕事を中心に回るべしというような信仰があるような気もするが…)。

If you have a job / career you have plenty of time and energy for your own family, but it’s maybe harder to change the world with your professional work. If you want a calling, you don’t have time for a family.

ワーク・ライフ・バランスで問題となるのはコーリングの方だ。単なるキャリアであれば家族のための時間もエネルギーもあるが、世界を変えるようなことはできない。コーリングとなると家族に割く時間はなくなる。

To me “family” means kids. If you are parenting children, it’s virtually impossible to have a professional calling as Lewis defines it. “Family” can also mean having a spouse who’s pursuing his or her professional calling — then, even without kids, it’s impossible for you to do the same. (Power couples rarely work out.)

ここでいう家族は子供のことで、子どもがいると仕事を自分の生活の中心にするのは難しい。配偶者が仕事中心の生活を送っている場合も同様だ。

I believe the unvarnished reality about work-life-balance is this: the only people who successfully follow an all-consuming, high-impact professional calling are: a) either single or married to a someone who has a “career” (or less) and not a “calling” and, b) do not have kids.

全力を仕事に傾けるためには、独身か単なるキャリアを持っている相手と結婚していて子どもがいないことが必要なのだろうと述べている。これは時間だけでなく、地理的な条件を考えても妥当に思える。仕事を中心にすれば住む場所は仕事で決まってしまうが、配偶者がそれに合わせて仕事を選べない限りうまくいかない。子供がいる場合はさらに難しい。

Many men, including some of Silicon Valley’s most famous, do their “calling” early in life and then “career” later in life with kids. Men have the luck of being able to organize their lives in a way that this can work. Women, not so much. Damn biological clock.

一つの方法は、最初に自分の仕事=コーリングに没頭し、後で子供を含めた家族を普通の仕事=キャリアで養うというものだ。ここで男女の違いが生じる。女性の場合、生物学的な理由で子供を先延ばしするには限界がある。先に子供を育てるとキャリア上のギャップが生じるし、ある程度手間がかからなくなっていたとしても子供がいれば完全に仕事を生活の中心にするのは難しい。そうすると時間との勝負になってしまう。