レイプのパターンを考える

ミニスカでレイプが起きることはほぼありえず、仮にあるとしても費用面でミニスカが悪いというのは非効率であることは述べた(ミニスカートが悪いのかミニスカとシグナリング)。では性衝動が原因でないなら何故レイプが起こるのかと少し考えてみた。

以下、被害者と会話したわけでも、犯罪に関する統計を見たわけでもなく、単なる思考実験であることを断っておく。

とりあえず思いついたものを列挙しよう:

  • 屋外で見知らぬ人間相手になされるケース
  • 親族など力関係が確立しているケース
  • 恋人・デート相手のケース
  • 取り締まりの不備を逆手にとったケース
  • 友人のケース

屋外で見知らぬ人間相手になされるケース

最もわかりやすいケースでレイプといったときに最初に想定されるものだろう。これは犯罪の種類としては強盗と同じで、その対策もまた変わらない。取り締まりにより逮捕確率を上げ、法律によるペナルティーを上げれば減る(但し極端なペナルティーにすると被害者を事後に殺害するインセンティブが生じるので望ましくない)。明白な証拠を残すレイプは捕まる可能性が高く、刑罰も重いのでこのパターンのレイプは少ないはずだ。ただレイプされたことが周囲に知られることを恐れたり、精神的ショックが強かったりして、適切な通報を行わないことがあり得るので如何にそれを解決するかが重要だ。

親族など力関係が確立しているケース

これはドメスティック・バイオレンスと同じだ(参考:計算された暴力)。対象は主に力のない未成年であり、最も対策が困難なパターンだ。それゆえに実際に発生している数ではこれが非常に多いはずだ。捕まるリスクが小さいほど犯罪は増える。被害者には完全に何のコントロール(注)もなく、教育機関など政府の関与が必要だろう。ただプライバシーと公権力との関係もあり、簡単な解決策はない(例えば、統計的に高リスクな世帯は特定できるが、その情報を用いて予防・発見を図るのは許されるかなど)。

(注)責任という言葉を避けるためにコントロールとした。これは責任という単語が事後的なペナルティーを含意するためだ。正確には、被害者は犯罪が生じる確率に影響を及ぼす行動を取れないということだ。そういった被害者に事後的なペナルティーを課すことには意味がないので通常何の責任もないとされるが、事後的なペナルティーと行動と結果との関連というのは区別すべき概念である。これは複数の主体の行動が問題(犯罪とは限らない)の発生確率に影響する場合に特に重要だ(参考:ミニスカートが悪いのか)。

恋人・デート相手のケース

これはミニスカとシグナリングの最後にふれた女性によるスクリーニングの問題だ:

ただ、男女の場合に複雑なのは女性がセクシャリティを出す場合、それをシグナルではなくスクリーニングの手段として使っていることが多いことだろう。つまり、男性が自分のシグナル、例えば興味をみせるモーション、にどう対応するかを観察することで男性の質を推定するということだ。

女性は男性の質に関する完全な情報を有していないので、男性の行動からその価値を推定する。これは企業が面接の時に答えのない質問をしてその反応を見るのと同じだ。社会的に支持されており、他の女性からも好まれている望ましい男性は誘うようなシグナルに対して積極的に行動する。これは普段から積極的行動をとっても問題ないほどに他の人間からも受け入れられているからであり、その男性が社会的に強い立場にあることを意味する。逆に社会的に弱い立場の男性は拒絶されることを恐れて行動をとれない。女性は男性のこの行動における差と社会的な立場との関係を利用するわけだ。

女性がスクリーニングを行うのは何ら不思議なことではない。人類は女性が出産のコストを負担する生物なので、女性が適切な相手を慎重に選ぶのは当然だ。これは進化論的に説明できるので、必ずしも意識的である必要はなく、現実にもみんなが計算して行動しているようには見えない。もちろんこれが女性の選択基準の全てだと言っているわけでも(当然)ない。

このスクリーニング行動は現実には非常に複雑なメカニズムを取る。そうでなければ、男性にとって無根拠な自信を抱いて常に積極行動することが支配戦略=常に望ましい行動になり、スクリーニングの意味をなさないからだ(まあ実際には無根拠でも自信を抱くのは平均的に有利な戦略のように見えるが)。

この行動がレイプと関係するのは、メカニズムが複雑なため、女性が男性の質を確認して許可を出すまえに男性が勇み足で手を出してしまうことがありえるからだ。女性が男性を家にいれたときに発生するレイプなんかがこれに当たる。男性が過去の経験から家に上げるという行為をスクリーニングの一種と解釈し、積極行動=性行為に臨むわけだ。しかし女性がそうだと考えている証拠はないし(単にペットに対する行動を観察したいだけかもしれない)、女性は自分がどんなスクリーニングをしているかを男性に気づかせない。知られていないほうが効率的だからだ(成績をスクリーニングに使っていると知られると、欲しくない学生も成績維持に労力を払うようになり成績のスクリーニング・デバイスとしての価値が減少するのと同じだ)。

このケースを一段と複雑にするのは女性が性行為に及ぶことを許可している場合でもそれを直接相手に知らせないことが多いことだ。これは男性側のスクリーニングの影響だ。男性は一般に誰とでも寝る女性を避ける。男性は生まれた子供が自分の子供であると確認する手段が(現代までは)なく、そういった感情がなければ進化論的に不利となるので当然だろう。男性はこれを性行為に及ぶ際の女性の行動、どれだけ簡単か、で女性の質を判定する

このこと自体は女性によく知られており、男性が行為に及ぶ際にとりあえず拒否する。問題は男性側からみてそれが本当に拒否しているのか、実際には拒否していないが尻の軽い女だと思われないためににポーズをとっているのかが分かりにくいことだ。どちらでも同じシグナル=拒否を送るためそのシグナルの情報量がなくなるわけだ。

もちろん、後者の場合男性は待つ「べき」なのだろうが、上記の女性側のスクリーニングという側面もある(ちょっとだめな素振りをしたら何もしないチキンな男と判断される可能性がある)ため、男性が女性の本心を確認せずに強引に行動してしまうことがありえる。そして判断が間違っていた場合にはレイプとなる。

このタイプのレイプもまた非常に防ぐの困難だ。そもそも当事者の間の情報の非対称が原因なので、第三者である警察・司法に男性の行動が不適切であったかを判定する能力がない。女性の証言だけでレイプがどうかを判定するのも不可能だ。そうすると、女性は男性を脅すことができるようになり、それを恐れる男性は女性に近づかなくなる。これは両者にとってマイナスであり社会的に望ましくない。

取り締まりの不備を逆手にとったケース

これは上のケースにおける取り締まりの困難さを逆手にとった非常に悪質なパターンだ。情報の齟齬が原因でおきるレイプの場合、警察・司法の判定能力に問題があるため、通常何らかの恣意的な基準で運用される。恋人関係の場合はレイプとはみなさないとか、夜に家にあげたんだからレイプとはみなさないとかいう基準だ(注)。

これ自体は仕方のないことだが、一度その基準が確立されてしまうとそれを逆手にとって行動する人間が現れる。女性が明らかに性行為に臨む意志を持っていない場合でも家に上がった途端にレイプする場合や、家で酒を飲んだときにレイプする場合だ。目撃者もいないので取り締まりは難しい。この場合加害者は顔見知りとなる。そうでなければ自然な形で家にあがったり酒を飲んだりすることはないからだ。

これは男性が自分の行動が女性の意志に反していることを認識している点、目的が単なる性行為である点で上のケースとは異なる。通常のデートのケースでは、男性の目的は性行為それ自体が目的ではなくメーティングだ。よって女性の意志に反して行為に及ぶのは男性にとっても望ましくなく、意図的にレイプ=女性の合意なしに性行為に及ぶことはない。

既に指摘したように、この問題は情報の非対称が原因なので犯罪の特定が困難だがこのような悪質なケースは取り締まっていく必要があるだろう。可能性としては、女性からレイプだと複数に渡り訴えられている場合には綿密に調査することが考えられる(別に複数でなければ捜査しないということではない)。通常のデートであればレイプを意図しているわけではないので繰り返し起きること考え辛いからだ。

(注)先のミニスカの話はこの基準がどこかという問題だろう。これがミニスカだと女性の行動が激しく制限されるが、判定は簡単だ。家に入れるだと、ミニスカよりはマシだがやはり女性の行動は制限される。男性を家に上げるという行為が難しくなるためだ。しかし、女性が口頭で許可しない場合とすると女性の行動の自由は非常に広がるが、前述したようにレイプの判定は非常に難しくなるし、女性が悪用する可能性がある。基準設定には微妙なさじ加減が必要だ(しかもその基準は曖昧さを残していなければ簡単に悪用される)。

友人のケース

友人がレイプの加害者になることもありうる(「友人」にあたる人間が上のように意図的に行為に及ぶケースは除く)。「恋人・デート相手のケース」と同様情報の齟齬が原因だが、これは女性側の意図が異なる。後者の場合、女性が好意を示すシグナルを送るのは相手が性行為をするに適当な男性かをスクリーニングするためだ。レイプが発生するのはそのやりとりに齟齬が生じた場合に過ぎない。それに対して前者の場合、女性がシグナルを送るのは男性を査定しているからではない相手は既に「友達」なのであって査定は終了しているからだ。これは女性が「友達」と考えている男性が「勘違い」して行為に臨むケースだ(注)。

では何故女性が査定の終わった男性にスクリーニング用のシグナルを送るのか。それは女性にとって有利な行動を男性にさせるためだ。女性はスクリーニングの過程で男性に資力があり、それを自分に使う気があるかをみる。その一番簡単な方法は実際に資源を割かせることだ。女性はこの構造を逆手にとって興味のない男性から有利な行動を引き出すことができる(物品である必要はない)。しかし、そのためには男性に自分がまだスクリーニングの過程であること=興味があることを匂わせる必要があり、真相に気づかない男性が勘違いしてレイプに及ぶわけだ。

ただこのケースはそこまで多くないと思われる。「友達」扱いされる人間は女性にとって望ましくないとされた男性であり、「恋人・デート相手のケース」で述べたように、そういう男性は積極行動を取れないことが多いからだ。

(注)女性が「友達」だと認定しているということは相手が一般に望ましくない男性だということだ。そういった男性は男女関係に疎いので「勘違い」が発生するのは想像に難くないし、女性からみると有利な行動を引き出すのが簡単だ。資源を要求するのは相手の資力を見るという意味もあるが、スクリーニングとしての側面もある。資源を提供するのは資力があることを意味すると同時に、「貢ぐ」という意味で価値の低さを表すからだ。望ましいとされない男性はそういった価値の低さを表す行動を取りがちだ。

まとめ

以上思いついたことを述べたが、どれも非常に複雑なプロセスによってレイプが発生しうるため対策が非常に困難なのは否めない。「取り締まりの不備を逆手にとったケース」が特に悪質だが同時に対処が難しい。しかし道徳や自己責任を持ち出しても問題が解決しないのは明らかで、より冷静な議論が望まれる。

P.S. どうも何となく書き始めると大作になる傾向が。膨らませれば簡単に学部のレポートぐらいにはなるなぁ。数えたら原稿用紙十二枚以上ある。。。

ミニスカとシグナリング

前回「ミニスカートが悪いのか」に引き続き、ミニスカの話:

ミニスカ論争 – キリンが逆立ちしたピアス

セクシュシャリティを研究されているそうだ。

曽根さんの文章は、主語があいまいで、何をいわんとしているのかがよくわからない。たぶん、フェミニズムをバッシングしたいのだろう。だが、もってまわった言い方をしているので意味がわからない。

とあるが、曽根さんの文章は言っていることがおかしいだけで、別に分かりにくくはない。

曽根さんは、女性がミニスカートをはくのは、男性をセックスに誘うためだと考えているのだろう。そして、そういう女性は性犯罪にあってもしかたがない、と訴えているのだろう。

と解釈されているが、その通りだろう。誰もがそう読んだと思う。

私自身は、意識や深層心理はともかくとして、少なくとも10代のうちにこうした論文アクセスすることができた。それは、「<私>を見ている男性」を見る、ための視座を獲得できたということだ。私は「見られる」という女性の位置にありながら、その視線に抵抗したり、利用したりしようとする、女性の置かれた位置を俯瞰しようとしてきた。要するに、見られながら、見る主体を確立してきたのである。

これは単なるシグナリングの話だろう(但し、私はレイプについてそれがシグナリングの問題だとは考えていない:ミニスカートが悪いのか)。自分が外からどう見られているかを考えること、それを利用することは何も女性に限った話ではない

「<私>を見ている企業の面接官」でもいい。もう勉強していい大学にいって面接官の目を欺いてもいいし、変わったの色のスーツを着ていって抵抗してもいい。

私たちは、なにもない真っ白な状態で、ものごとを「見る」ことはできいない。ミニスカートをはく人に対しても、すでに作られた枠組みを通して見ている。

人間は本当に知りたい情報が見えない場合に観察可能な情報に基づいて推論を行う。男性は相手の女性がどんな人間であるか分からないから、ミニスカートをはいているという情報から推論する。これは善悪の問題ではなく、合理的な行動にすぎない(参照:人種差別の現実)。そして人間は大抵の合理的行動を自然に行う。意図的にしか合理的行動を取れないのは進化論上不利だからだ。

そして、その相手が見ているだろう視線を内面化して、「見られる私」を自分自身で構築する。そして、「その構築された枠組みがある」ことを知ったとき、ものの見方はまた変わる。

そんな大げさなことではないだろう。自分が観察される対象であり、観察可能な自分に関する情報を他人がどう利用するかというのは世の中のほとんどの人が毎日行っていることだ。

そして「その構築された枠組み」というのは誰かが意図的に構築したものではないことにも注意が必要だ。例えば、新卒の学生について企業はほとんど何も知らない。もしある男子学生が大量のピアスをして面接に現れたらどう思うか。他の状況が同じなら採用を控えるだろう。これはピアスをしている男性がどのような人間である可能性が一番高いかを考えれば妥当な戦略だ。別にピアス自体には何も考えを持っていなくても同じだ。

女性がミニスカートをはくことをやめる必要はない。仮に、男性がミニスカートを はく女性に対して欲情すると感じるとしよう。さらには、欲情すると、レイプという行動にでることも仮定しよう。だとすれば、男性が見方を変えればいいので ある。前者は無理だとしても、後者は可能である。

コメント欄でも指摘されているがこれは論理の飛躍だ。「女性がミニスカートはく」ことを止めることも「男性が欲情した時にレイプという行動にでる」のを止めることも共に可能であるなら、後者が必要だというためにはそれなりの根拠が必要だ。妥当な理由は「ミニスカートが悪いのか」で述べたように、後者のほうが圧倒的にコストが低いということだろう。

就職の例で言えば、男子学生が面接にピアスをしていくのを止める必要はない、企業が見方をかえてピアスをしていても学生を採用すべきだと言うようなものだ。「男子学生が面接にピアスをしていく」のを止めることも「企業が見方をかえる」ことも共に可能だ。

一世代では無理かもしれない。でも、時間をかけてでも変えていきたい。そして、すでに少しずつ変わってい る、と私は信じたい。

これは信じるまでもないだろう。職場でのピアスも女性なら問題ない。ミニスカートをセックスに誘うために着用する女性が減っている以上(というかそもそも存在するのか?)、男性がミニスカートをそのためのシグナルとして利用することもなくなっていく。

付録

ただ、男女の場合に複雑なのは女性がセクシャリティを出す場合、それをシグナルではなくスクリーニングの手段として使っていることが多いことだろう。つまり、男性が自分のシグナル、例えば興味をみせるモーション、にどう対応するかを観察することで男性の質を推定するということだ。

この場合男性があるシグナルを観察したときにそれを無視するのは難しい。もしそれがスクリーニングのためのシグナルであった場合積極的に行動しないことは、自分の質が低いことを示してしまうからだ。「ちょっと誘ってみたけど何もしなかったのよ、あきれちゃったー」みたいなのがそれだ(参考:クリーピー)。

逆にこれはいかに「つい」レイプしてしまうかがありえないことかも示している。男性は社会的に拒絶されることを恐れており、つい積極的に行動してしまうことはない(でなければ誘ってみるなんて行動がスクリーニングに使えるわけがない)。ミニスカをみて欲情しレイプしてしまうかもしれないと悩んでいる男性はいないが、家に誘うタイミングを逃したと悩む男性はいくらでもいるだろう。

追記:家庭内暴力のケースについては計算された暴力をどうぞ。

ミニスカートが悪いのか

なんか各所で話題になっているけど、ちょっと前に読んだ他の記事と関連しているので取り上げてみる:

強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ – フランチェス子の日記

産経新聞の曽根綾子さんのおかしな記事に対するツッコミだ。こちらに本文がタイプされているので少し引用してみる:

太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、ほんとうの男女同権だ。

主張自体は別に真新しいものではない。女性が述べているのが珍しいだけで政治家なんかからはよく聞く話で、簡単に言えば「ミニスカートはいているのが悪い」ということだ。

この議論には致命的な問題がいくつもあるが二つだけ指摘する。まずは、レイプが起こるのは両者の不注意ではなく、一方の明確な意図が必要だということだ。これに同意できない人は男女を逆にして考えれば分かる。

男性がレイプされるシチュエーションを想像するのは難しいが、妻が浮気をしてもうけた子供を自分の子供だと騙されて育ててしまうというのがそれに近い。この話題はしばらく前にこちらで話題になった:

Biologically, cuckoldry is a bigger reproductive harm than rape, so we should expect a similar intensity of inherited emotions about it.

不貞の場合には被害者の男性は自分の遺伝子と関係ない子供に大量の資源を投入してしまい、実際に遺伝子を残すことが困難になる。レイプの場合では自分の遺伝子自体は残るが相手を選べず、妊娠した場合の出産・育児のコストは女性が負担するためその子供や自身の生存確率が大幅に下がる。

どちらも個体として適切に遺伝子を残す可能性を大きく下げる出来事であり、進化心理学的にいって人間はそれに対して同様の強烈な嫌悪感を持つはずだ(注)。実際、歴史上、妻の不貞に対して男性ないし社会は女性を強く責めてきた。また両者ともに、当事者間で合意がなく、一方の恣意的な行動がなければ成立しない点も同じだ。

しかし、夫が忙しくてかまってくれないので「つい」浮気をしてその相手の子供を「つい」生んでしまい「つい」夫の子供と称して育てるなんてことがあるだろうか。女性がミニスカートをはいているから「つい」レイプをしてしまうこともそれと同じだ。「つい」なんてあるわけないし、あったとしても悪いのは「つい」してしまった当事者であって忙しい夫やミニスカートの女性ではない

「ミニスカートはいているのが悪い」と思っている人は当然このケースでも悪いのは男性であって「つい」夫を騙した女性ではないと考えるべきだろう(そうであれば確かに男女対称だろうがそんな世界には住みたくない)。

二つめの問題は「自己責任」という言葉の無意味さだ。「自己責任」というルールが存在するのは、結果を左右する人間に責任を押し付けるのが最も効率的なことだからに過ぎない。しかし、これは結果と行為者とが1対1に対応しない場合には役に立たない。例えば車と自転車が衝突事故を起こしたとしてこれは誰の自己責任なのだろう。どちらも不注意があり、その結果として衝突が起こる。どちらがより多くの責任を追うべきかは「自己責任」というスローガンからは導けない。

仮に男性の意図がなくてもレイプが起こるとしても(!!!)、男性が自制することのコストの方が、女性が服装や生活を制約されることのコストよりも遥かに小さいはずであり、男性が自制することが効率的だ。よって法律や文化もそうなるようになっているほうが社会的に望ましいだろう。もし自制のコストが女性の制約のコストより高い男性がいるならそれは病気だろう。

(注)現代では事後避妊・流産・DNA鑑定などで進化論的な影響は避けられるだろうが、人間の心理はそういう技術がない時代の生物学的優位性に基づいて決定されていると考える。

Big Sister:風俗の多方向市場化

最近Freemiumなんていう言葉が話題になっている。わかりやすく(?)言うと、ネットワーク効果のある市場で、マージナルな価格をゼロにすることで利用者を増やし、収益は価格差別によりインフラマージナルな利用者から回収すればいいというビジネスモデルだ。これはネットワーク効果が大きく、支払意志額の小さな消費者が多く(=需要曲線が強く下に凸で)、価格差別が容易な場合には有効な戦略だ。

しかし、収益をあげるのが無料で財・サービスを手に入れるユーザーの一部でなければならない理由はない。三種類以上の参加者のいるマーケットであれば、財・サービスのやりとりをする以外の第三者から利益をあげることも当然可能だ

無料の新聞がそれはその一例だ。新聞はニュースなどを読者に提供する一方、広告主から収益をあげる。読者が増えれば増えるほど広告収入が増えるため一定の条件下では読者には何も課金しないことも正当化される(例:小額の支払のための費用が高い)。

Big Sister(NSFW)はこの収益体制を風俗に適用したものだ(「夜のオンナ」の経済白書という本で紹介されているそうだ via Feel Like A Fallinstar)。かなり有名なもののようでBloombergでも記事になっているしWikipediaにも説明がある。Big Sisterのビジネスモデルは次のようなものだ:

  • 無料で風俗サービスを提供する
  • 引きかえに行為を撮影する
  • 映像はネットで有料で公開する

これが、サービス提供者、サービス需要者、ネット会員という三種類のアクターを一つのプラットフォームで結びつけるビジネスであるのが分かる。

誰が誰にお金を払うかは、ネットワーク効果がどのように発生するかによって決まる。サービス提供者は多い方がよいので企業は賃金を支払う。閲覧者は少ない方がいいので料金を徴収する。需要者は特殊で、売春が法律で禁止されているため無料となる。需要者は撮影に必要だが簡単に見つかるので経済的にもそれほど間違った価格(=0)ではない。

このビジネスモデル自体は古典的な覗き部屋と同じだがインターネットがそのスケールを飛躍的に拡大させた。こういったニッチは市場は通常大都市でしか成り立たないが、インターネットがあれば多くの顧客を同時に相手にできる。また低コストな地域で営業して高所得な地域で収益をあげることも可能だ。これにより、映像からの利益が上がったことでサービス自体の価格をゼロにできれば、売春に関する規制も同時に回避できる(基本的にその場での金銭のやりとりさえなければ売春には該当しない以上取り締まりは不可能だろう)。

フェミニズムの不幸

フェミニズムによって女性は不幸になったのかもしれないという話:

Project Syndicate – The Achievement Myth by Naomi Wolf

In late September, the American press was filled with data on women’s happiness.

最近メディアを賑わせたのが、女性が昔より不幸になったというニュースだ。

If Western women have learned anything in the past 40 years, it is how to be unsatisfied with the status quo – an important insight for the rest of the world, as we seek to export Western-style feminism.

この四十年間で西洋の女性が学んだことといえば、如何に現状に満足しない・できないことではないかという。

The movement also raised the bar sexually: Shere Hite let women know in 1973 that if they could not reach orgasm through intercourse alone, they weren’t aberrant – they could ask for more and subtler sexual attention. Do you want to run your own business? Go, girl! Do you dream of equal parenting, or of being a Supreme Court Justice? Right on, sister! In every area of their lives, those who articulated Western feminism invited women to demand more.

様々な運動により女性が自分に満足するためのハードルは上がった。性生活から仕事まで何もかも可能であり、手に入れるべきものだという認識が広まることで実際に思った通りの場所にたどり着ける人の数が減った。

We are raising a generation of girls who are extremely hard on themselves – who set their own personal standards incredibly, even punishingly high – and who don’t give themselves a chance to rest and think, “that’s enough.”

こうした状況がもたらすのは常に先に進まないといけないという一種の脅迫観念だ。仕事でも恋愛でも家庭でも高すぎるハードルを課してしまい立ち行かなくなる。

昨今、結婚に関する話題が増えたり、一時前に比べて専業主婦を望む女性の割合が増えたのはその揺り戻しだろう。

最近立て続けにこの話題を取り上げている(好きなことを仕事にするなキャリアパス夢の仕事とクソ会社)が、ほとんどの人に達成できないような夢を子供に押し付けるというのは無責任なことであり誰にためにもならない。女性には限ることではないが、いわゆるスーパーウーマンみたいなものを持て囃すのは終わりにすべきだろう。