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アマゾンのソーシャル化

Appleが音楽SNSであるPingを発表した裏で、アマゾンが著者のためのページを提供するとのこと。

アマゾン、著者自らが最新情報を掲載できる「著者ページ」

著者ページから動画コメントなど近況の更新が可能なようだ。普段ソーシャルネットワークを使っていればこれが何かに似ているのは直ぐ分かるだろう。

Facebookのファンページだ。上のスクリーンショットはLady Gagaのページだが、このように有名人やブランドなどがまるで個人であるかのようにファンページから情報を発信している。個々のユーザーは上にある「いいね!」ボタンで支持を表明したり、掲示板に書き込んだりすることが可能だ。

おそらくAmazonが著者ページを作る理由は書籍の世界でこのようなネットワークを構築するためだろう。Amazonには既に熱心にリストを公開したり、レビューを投稿したりするユーザー大量に存在している。著者をこのシステムに加えることにより、Amazonのプラットフォーム(Amazonは読者と著者を結びつける場だ)としての価値を高めることができ、またAmazonで実際に購入しなくてもユーザーに関する情報を収集することも可能となる

将来的にはユーザーに自分のページで読んだ本を公開させたり、推薦させあったりするようなフルフレッジドなニッチ向けソーシャルネットワークになっていくだろう。本を熱心に読み、わざわざ感想を公開するような人はFacebookを常時利用する層とは異なるため効果的な作戦だ。もちろん書籍のソーシャルネットワークだけで足りる人はいないだろうから、Facebookを含め既存のプラットフォームと相互に連携する仕組みを立ち上げるだろう。

IDをめぐる争い

最近、Skype、Google Voice / Phoneといったインターネットを使った通話に関する話題が(十年ぶりぐらいに)盛り上がっている(Cisco、Skype買収に名乗りか)。この背景にあるのはユーザーのIDをめぐる熾烈な競争だ。

電話番号は死んでいる、気付いていないだけだ

電話番号は長年、個人のIDとして機能してきた。ある人にコンタクトできるということは直通の電話番号を知っていることである。携帯電話は、その属人性と統合されたコンタクトリストによって固定電話を主たるIDの地位から追い落とした

AT&T、Verizon、Apple、Googleらがこの夏一杯を費して、世界征服の計画を模索している一方で、われらが愛しいキャリアーたちに決定打を与える絶好の位置にいるのは、Facebookのようだ。始めにまずあの電話番号から。

ここではFacebookが電話番号の地位を脅かすという予想が行われている。確かに、Facebookは個人と個人とをつなぐシステムとして動作しており、ダイレクトメッセージ機能はほとんどメール代わりに使われている。チャット機能もあり、電話機能を実装する日も近いだろう。

しかし、Facebookが(携帯の電話番号にかわる)主たるIDとなるかについては大きな疑問がある。その理由は上の記事においてFacebookが推されている根拠を見れば分かる:

  1. 制御不能 誰でもその10桁をダイヤルできる。別れた彼女も、選挙運動員も、押し売りも。番号非掲載、ナンバーディスプレー、着信拒否リスト等々でこの問題を解決しようとしたが、いずれの方法も望まれない電話を防いでくれない。
  2. 電話番号は人ではなく電話機と繋がっている。誰もが複数の番号を持ち、家の電話は共用なので、かける側は接触する方法を推量するはめになる。
  3. ユーザー体験が非常に限定される。電話は、番号をダイヤルして、会話をするための道具として設計された。誕生以来未だにそうなっている。それ以外の体験には適していない。留守電や三者通話が面倒なのも、フライト状況を調べると歯の神経を抜くよりひどい目にあうのはこのためだ。

まず、制御機能の有無だが、電話が望まれない電話を完全に防がないのは技術的に不可能だからではなく、それが不都合だからだ。Facebook式にしたいのであれば最初の通話は取らずメッセージを聞いて知ってる人ならアドレス帳に追加、知らなければブロックすればよい。それでは不便すぎるだろう(コールドコールだって有益なことはある)。

電話番号が人ではなく電話機につながっているのは確かだ。固定電話はある番号がある人につながるわけではないので携帯電話に大きく劣った。しかし一つの人間が複数のIDを持つことには大きな不都合がないばかりか、必要なことでもある。仕事とプライベートを分離はもちろん、さまざまな用途でIDを使い分けたいということは多い。

最後のユーザー体験は何をいっているのか良く分からないが、携帯電話の機能・ソフトウェアの問題だろう。

逆に当分の間電話番号が主なIDとして使われ続けると信じる根拠も多くある。若年層においてはSMSの利用が相変わらず盛んなことはその一つだ。SMSでは電話番号がIDとなっている。またスマートフォンが普及しそこでFacebookを含め多くのサービスが利用できることがこのような議論の前提であるが、スマートフォンにはデフォルトで電話番号というIDがついている。携帯端末で誰もがFacebookにログインしてコミュニケーションをとる未来よりも、Facebookは一つのIDとして利用し(Facebookには一人一つしかIDがない!)重要な相手は電話番号をキープするという未来のほうが想像しやすい。

死刑の是非

最近死刑に関する議論を目にした。死刑、すなわち一定の犯罪に対して罪人の生命を奪う刑罰が存在するメリットはなんだろうか。以下の三つぐらいしか思いつかない。

  1. 一種の仕返しによる被害者の喜び(追記:直接の被害者死亡している場合が多いが、ここでは遺族など間接的な「被害者」を含める)
  2. 再犯の防止
  3. 死刑が適用される犯罪を行うことの利得低下に伴なう抑止効果

まず1だが、仕返しが刑罰の正当な根拠にならないだろう。

  • 加害者を殺害しても被害が回復するわけではない。
  • 加害者の殺害自体に喜びを感じる人がいるとしても誰もがそうではない。
  • 一般的に仕返しは道徳的に正当な行為とみなされてはいない。
  • 加害者の殺害が仕返しとして最も有効とは言えない(拷問でもしたほうが苦痛ではないか)。
  • 刑法の他の部分が仕返しを目的としてできているようには思われない。
  • 被害者の効用を高めることが目的なら金銭補償なども可能。

2は矯正の見込みのない犯罪者を社会から隔離する機能だ。これは(パロールなしの)無期懲役で代替可能だ。

3の抑止効果については(サンプルがないので)測定が難しいが、多くの研究ではほとんど存在しないと結論づけられているようだ。犯罪者にとって死刑と無期懲役の違いが何かを考えれば自然な結論だろう。死刑の有無よりも刑務所での生活の質が犯罪率により大きな影響を与えているという研究もある。抑止効果を考えるなら刑務所の待遇を下げればよいわけだ。

よって1を考えなければ死刑と無期懲役の2,3に関する効果にはあまり差がないことが分かる。無期懲役が死刑と異なるのは次の二点だろう。

  • 刑務所で受刑者を養う費用がかかる。
  • 冤罪の場合に補償の余地がある。

現実の死刑制度においては死刑の執行の方が費用がかかるなんて話もあるようだがとりあえず死刑だと費用が最小限で済むとする。するとトレードオフはお金と冤罪の危険性となる。普通の人が生きていくのに苦労するような国であれば税金で受刑者を一生養う費用はバカにならないだろう。しかし、日本のように豊かな国であれば冤罪で無罪の人を殺害してしまう(ないし殺されてしまう)危険性を重要視するのが自然に思えるがどうだろう(費用が掛かり過ぎるなら待遇を下げればよく、抑止効果も増す)。

司法修習給費制の根拠

大変立派な法曹関係者も数多いが、これでは給費制への支持は得られない。

「国民の権利の守り手危うくする」 司法修習給費制廃止で緊急シンポ

日本弁護士連合会会長で、同会司法修習費用給費制維持緊急対策本部本部長として活動する宇都宮健児弁護士が「給費制の維持を!~若い人の夢や志を奪うな!~」と題し講演しました。

「若い人の夢や志」を問題にするなら、その対象を平均的に資力にも能力にも恵まれた司法修習生に限る必要はない。ましてや、その全員に給付する根拠にはならない。

宇都宮氏は、多重債務者の債務額を上回る奨学金を返済している弁護士が多くいる現状を紹介

多重債務者の債務額を上回るローン(※)を抱えている事自体は問題ではない。一般的な体重債務者と司法修習生の返済能力は大きく異なる。

(※)貸与なので奨学金と呼ぶのは不適切だ。

「弁護士になってからも貸与金返済のために仕事を選ばざるを得なくなる」と貸与制の問題点を指摘し

確かにお金で仕事を選ばないといけないのは悲しいことだ。しかし、選ばないでいいという権利は誰にも保証されていない。弁護士になる人だけが仕事を選べるべきという根拠はどこにあるのだろう。今の仕事を辞めてNPOでフルタイムの仕事をしたいという人と比べてどうだろうか。

「弁護士は基本的人権の擁護と社会正義の実現を自らに課していますが、その基盤を崩す貸与制は、社会的、経済的弱者の権利も奪うということ。若者の夢を奪うだけでなく、市民、国民の権利の守り手が危うくなる問題として運動を広げていきたい」

人権擁護や社会正義の実現(?)を目的とした職業は弁護士だけではないし、他にも社会的に意味のある目的はある。社会的・経済的弱者を守るのであれば弁護士ではなく彼ら自身を支援すればいいのではないだろうか。

「弟は大学生、妹は高校生で、父は休職していた。修習にどれだけのお金がかかるのか、自分が不安な状態で人の気持ちを考えられるかという不安がある」(同志社大学法科大学院修了生)

もっと不安な状態の人はいくらでもいるし、もっと大変な環境で遥かに不安定な研究キャリアに進む人も多い。人の気持ちを考えたいから、自分が安心するためもっとお金をくれという主張にどれほど説得力があるだろうか。

、「弁護士を目指していた友人は大学を首席で卒業したのに、父親がリストラされたので進学を断念した。そういう人たちをこれから出してほしくない」(立命館大学法科大学院3年生)

これも、悲しい事例ではあるものの弁護士だけを特別視する根拠にはならない(弁護士はむしろ金銭的リターンが高い)。優秀な学生には(返済義務のない)奨学金を与えて支援するの方が望ましいだろう。

ある業界の人たちが自分の業界内での社会問題を解決しようとするのは当然だという意見もあるだろうが、基本的人権の擁護・社会正義の実現を謳うのであれば自分たちの特権意識にもっと敏感であるべきだ。

フリーミアムの落とし穴

よくフリーミアムがどんな場合にうまくいくのかと聞かれるのでタイムリーな記事のご紹介:

Why Free Plans Don’t Work

None of these changes had a significant impact. The only thing that seemed to be consistent about my growth was that my revenue was relatively flat while my user base kept growing.

BidsketchというSaaSアプリケーションの開発者が自身のフリーミアム体験を語っている。フリーバージョンの提供によって当初多くのユーザーが有料サービスを購入したものの、すぐに有料の割合は1%に落ち込み、アップグレード率も0.8%に留まったそうだ。

有料のユーザーが増えなくても、サービス提供の費用やサポートの費用はかさむため利益は圧迫される。結局、無料版の提供を取りやめることで有料ユーザーを増やしたそうだ。

フリーミアムに対する揺り戻しは広がっている。上は37signalsが提供するBasecampの価格表だ。フリーバージョンは存在するものの非常に目立たない場所に移っている。

このような流れはフリーミアムが何故機能するのかを考えれば不思議なことではない。フリーミアムの効用は

  1. ユーザー数が増えることで製品の魅力が上がり(外部性)、有料アカウントにより多くチャージできる
  2. 製品の価値が分かっていない製品を使ってもらう
  3. 無料であることで製品が口コミで広まる

といったところにある。しかし、これら全てがフリーミアムに特有なものではない。2はトライアルバージョンで十分に対応できる。使ってみた結果としてサービスの価値を(費用以上だと)認識していないユーザーを引き止める理由はないからだ。上の例でトライアルが全面に押し出されているのはこれが理由だろう。3についても無料である必要はない。本当に価値があれば有料のものでも人に勧めることはありうるし、口コミを狙うならアフィリエイト・リファラルを用いるほうが効率的だ。Dropboxなどでは紹介で自分のサービスを追加することできる。フリーミアムが一般化しているなかで無料であることそれ自体のニュース性は皆無だ。

では1の外部性がうまくいくための条件は(外部性が存在すること以外に)何があるだろうか。次のようなものが考えられる。

  1. 追加的なサービス提供費用(限界費用)が小さい:ユーザーが増えることで費用が増えてしまっては外部効果が相殺されてしまう。
  2. 使い方が(想定ユーザーにとって)簡単である:1と重なるが、使い方が難しいソフトはサポートの費用がかかるのでフリーミアムに向かない。また習得が困難ということは製品自体が無料であってもユーザーにとっては労力という費用が発生する。使い方を覚えるのに百時間かかるソフトを使うかどうかを製品が無料かどうかで決める人は少ない(そういう人はどちらにしろ有料版を利用しない)。
  3. 機能がモジュラー形式になっている:無料版はそれ自体として有用でなければならない一方、有料版専用の機能を提供する必要がある。これは追加機能という形でなくても従量課金という形でもよい。

フリーミアムもプライシングの一種であり、需要のあり方=ユーザーの行動をよく読んだ上で設定する必要がある。なんとなくフリー版も提供してみたではうまくいかないのはしょうがないことだろう。