下らないニュースだけどあまりにも酷いのでここでも突っ込み。
「学校教育のデジタル化 子どもの人格形成を阻害」
電子教科書を含む教育現場でのIT活用が人格形成を阻害するなどと言っている人がいるそうだ。もちろん意味不明だ。教科書をデジタルにすると人格が変わるなら、教科書をあまり使わないで説明する先生は生徒の人格を崩壊させているというところか。
「ついに学校でまで、かけがえのない人間形成期の子どもたちが多くの時間を電子機器とばかり向き合う時代になった時、ゲーム感覚そのままに、自己中心で勝ち抜くことばかりを考える人間を生み出すことにならないか、今こそ教育現場で議論すべきだ」
ちなみに現在は、子供たちは多くの時間をインクのついた紙とばかり向き合っているわけだがそっちは問題ないのだろうか。それ以前に、そんなに教科書を読む子供はいるのだろうか、若者の本離れはどうしたのだろう。また、電子機器=ゲーム感覚=自己中心という発想はなかなか面白い。ろくに触ったことがないことがありありと窺える。
電子端末が配布されることを「教育の公共事業化とさえいえる」などと指摘した上で
ともあるが、教育はもとからほぼ公共事業みたいなものだろう。完全に税金が入っていないところはほとんどないし、紙の教科書の流通が競争的だという話は聞いたことがない。
「教育とはコミュニケーション能力や想像力を高めることです。電子教科書は検索で答えを引き出す事が出来、自己完結型になってしまいます。今の教育のまま電子教科書を導入すると教育の欠陥が助長される事になってしまいます」
ジャーナリストの田原総一朗氏は上のように主張されているそうだが、これはよくあるあやしい論法だ。まず教育といった曖昧な概念について何となく合ってそうな定義を与える。そして、対象がその定義に照らしてマイナスの効果があるので問題だと論じる。多くの人は最初の概念の定義を深く考えないので、成程、となるわけだ。しかし、代わりに「教育とは一人で生きていく能力を高めることだ」と定義すれば、一人で答えを引き出せる素晴らしいツールだということになる。曖昧な概念について自説を通すには有用なテクニックだ。