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大学院に関する変な記事

微妙な記事にコメントするのは非生産的なので避けたいが、これはあまりにあまりなので:

「大学院卒」は「東大卒」をも凌駕する学歴だ | ビジネスマンのための 大学・大学院の歩き方 | ダイヤモンド・オンライン

すなわち「いかなる大学院も、全ての大学の上位にあること」、いいかえれば最終学歴として書かれるべき学校は大学院、という時代が来はじめている、ということだ。

学歴主義というのが学歴というシグナルに基づく差別的扱いであることがまるで理解されていない。雇用が流動化すれば対外的にスキルを示すことのできる大学院は一般化していく。それに伴い、いい大学を出ているが大学院を出ていない学生の市場価値が低下することは当然ある。しかし、それもまたシグナリングに過ぎない。そしてシングナリングはネガティブなこともありえる。この程度の大学(院)にしかいかなかったということは、他の事情がなければ平均的にいって、能力が低いと判断されうるということだ。

これはアメリカのMBAでは既に現実化しており、例えばVCにいくならトップスクールでMBAを取ったのでなければ、持っていないほうが就職できる可能性は高いだろう。

本当は、その上に博士課程があり、おそらくは、現在の学歴社会の最終ゴールはそこだ。

博士課程が最終ゴールなんて発想がどこから出てくるのかさっぱり分からない。シグナリングという意味ではよほど勉強が得意でなければ非効率だし、そもそも社会人学生なんて相手にしていない。

すでに「MBAホルダー」である人間も、その上(DMAもしくはPh.D)を目指すのにはどういう戦略が有効かを考えるのである。

MBAがPh.D.を取りにいってどうするのか分からないし、そもそも入学できる可能性自体低い。著者はPh.D.が何か全く知らないようだ。

P.S. というかDMAって一体何だろう。Doctor of Musical Artsしか該当しないのだが。。。

Big Sister:風俗の多方向市場化

最近Freemiumなんていう言葉が話題になっている。わかりやすく(?)言うと、ネットワーク効果のある市場で、マージナルな価格をゼロにすることで利用者を増やし、収益は価格差別によりインフラマージナルな利用者から回収すればいいというビジネスモデルだ。これはネットワーク効果が大きく、支払意志額の小さな消費者が多く(=需要曲線が強く下に凸で)、価格差別が容易な場合には有効な戦略だ。

しかし、収益をあげるのが無料で財・サービスを手に入れるユーザーの一部でなければならない理由はない。三種類以上の参加者のいるマーケットであれば、財・サービスのやりとりをする以外の第三者から利益をあげることも当然可能だ

無料の新聞がそれはその一例だ。新聞はニュースなどを読者に提供する一方、広告主から収益をあげる。読者が増えれば増えるほど広告収入が増えるため一定の条件下では読者には何も課金しないことも正当化される(例:小額の支払のための費用が高い)。

Big Sister(NSFW)はこの収益体制を風俗に適用したものだ(「夜のオンナ」の経済白書という本で紹介されているそうだ via Feel Like A Fallinstar)。かなり有名なもののようでBloombergでも記事になっているしWikipediaにも説明がある。Big Sisterのビジネスモデルは次のようなものだ:

  • 無料で風俗サービスを提供する
  • 引きかえに行為を撮影する
  • 映像はネットで有料で公開する

これが、サービス提供者、サービス需要者、ネット会員という三種類のアクターを一つのプラットフォームで結びつけるビジネスであるのが分かる。

誰が誰にお金を払うかは、ネットワーク効果がどのように発生するかによって決まる。サービス提供者は多い方がよいので企業は賃金を支払う。閲覧者は少ない方がいいので料金を徴収する。需要者は特殊で、売春が法律で禁止されているため無料となる。需要者は撮影に必要だが簡単に見つかるので経済的にもそれほど間違った価格(=0)ではない。

このビジネスモデル自体は古典的な覗き部屋と同じだがインターネットがそのスケールを飛躍的に拡大させた。こういったニッチは市場は通常大都市でしか成り立たないが、インターネットがあれば多くの顧客を同時に相手にできる。また低コストな地域で営業して高所得な地域で収益をあげることも可能だ。これにより、映像からの利益が上がったことでサービス自体の価格をゼロにできれば、売春に関する規制も同時に回避できる(基本的にその場での金銭のやりとりさえなければ売春には該当しない以上取り締まりは不可能だろう)。

フェミニズムの不幸

フェミニズムによって女性は不幸になったのかもしれないという話:

Project Syndicate – The Achievement Myth by Naomi Wolf

In late September, the American press was filled with data on women’s happiness.

最近メディアを賑わせたのが、女性が昔より不幸になったというニュースだ。

If Western women have learned anything in the past 40 years, it is how to be unsatisfied with the status quo – an important insight for the rest of the world, as we seek to export Western-style feminism.

この四十年間で西洋の女性が学んだことといえば、如何に現状に満足しない・できないことではないかという。

The movement also raised the bar sexually: Shere Hite let women know in 1973 that if they could not reach orgasm through intercourse alone, they weren’t aberrant – they could ask for more and subtler sexual attention. Do you want to run your own business? Go, girl! Do you dream of equal parenting, or of being a Supreme Court Justice? Right on, sister! In every area of their lives, those who articulated Western feminism invited women to demand more.

様々な運動により女性が自分に満足するためのハードルは上がった。性生活から仕事まで何もかも可能であり、手に入れるべきものだという認識が広まることで実際に思った通りの場所にたどり着ける人の数が減った。

We are raising a generation of girls who are extremely hard on themselves – who set their own personal standards incredibly, even punishingly high – and who don’t give themselves a chance to rest and think, “that’s enough.”

こうした状況がもたらすのは常に先に進まないといけないという一種の脅迫観念だ。仕事でも恋愛でも家庭でも高すぎるハードルを課してしまい立ち行かなくなる。

昨今、結婚に関する話題が増えたり、一時前に比べて専業主婦を望む女性の割合が増えたのはその揺り戻しだろう。

最近立て続けにこの話題を取り上げている(好きなことを仕事にするなキャリアパス夢の仕事とクソ会社)が、ほとんどの人に達成できないような夢を子供に押し付けるというのは無責任なことであり誰にためにもならない。女性には限ることではないが、いわゆるスーパーウーマンみたいなものを持て囃すのは終わりにすべきだろう。

電子出版は誰に必要か

「電子出版の未来を考える会議」レポート « マガジン航[kɔː] via Geekなページ

電子化のメリットを多く受けるのは都市部ではなく、配本が行われない地方になるのかもしれません。

これはあまり強調されないがその通りだ。電子化というのは出版の限界費用を下げることであり、その最大の潜在的利益享受者は書籍を手に入れることができていない市場の消費者だ。企業は限界費用を下回る価格では財の販売をしないので当然だ。

同様の利益享受者としては私を含めた海外在住日本人があげられる。私は紙の本が好きなので週1,2冊はAmazon.comで注文しているが、アメリカで日本語の本を買ったことはない。わざわざジャパンタウンにいくのも大変だし、欲しい本がそこにあるとは限らない(というか多分ない)。日本のオンライン書店を使ったり、店舗で取り寄せしたりすることは可能だろうがかなりの費用がかかる。もし日本の本がKindleで簡単に手に入るなら紙の本が好きな私もKindleを即注文する。

こういう潜在顧客層は非常に貴重だ。電子出版化で限界費用が下がったからといって、市場価格を下げれば利益が落ちる。限界費用がゼロになったからといって価格をゼロにすれば固定費用が回収できないからだ。しかし、現在定価よりも1000円高く払っている層に定価で書籍を提供するなら既存の市場と共食いになり利潤が損なわれることはない。特に海外での販売であればおそらく海外の顧客と国内の顧客とを識別することが可能なので(第三種)価格差別でより効果的に利益をあげることができる。

もちろんDRMは不完全なので電子出版を一度行えばある程度の不正コピーは避けられない。しかし、電子出版をすべて避けて通ることはできない。特に入手が難しいような専門書の類など、もとから大した利益が上がっているとは思えない。そういった本の執筆の最大の目的は執筆者の名声・評判をあげることであり、書籍と補完的なサービスの提供で利益をあげればいいのではないだろうか。これは音楽業界で既にかなり進行していることだ。

追記:肉団子さんのRetweetにあるように、マニア向けの書籍を電子化するのも理にかなっている。マニアは既に他の人が欲しがらなくなった絶版本などを買いたがっているので彼らにそれを提供しても既存の売上には影響がない。紙であれば絶版した本を再び販売するコストが高すぎて不可能だろうが、電子化されていれば利益をだせる。すべての消費者に対して電子書籍を提供せずに、部分的な導入だけを考えても電子書籍を販売することはプラスだろう。

夢の仕事とクソ会社

昨日書いた「好きなことを仕事にするな」では、好きなことを仕事にするべきだという風潮の弊害について論じた。その流れで「キャリアパス」の絵については、

一番上を目指すも、端っこで避けるも、他の木に飛び移るもいいけれど、やっぱり前回の「好きなことを仕事にするな」よろしく、頑張って大きな組織を支える役割の重要性を社会が認めることが必要でしょう。

と書いた。これは、好きなことばかり追い求めても夢の仕事は手に入らないのだから、好きなことではない=お金をもらわなければやらない仕事はやはり重要だという趣旨だ。これを書いた時はこの説明に特に疑問は覚えなかった。少なくともアメリカの状況はこれに近い。若者は好きなことを仕事をしようとして悩んでいて社会にとって必要だけど大変な仕事を率先してやろうという人すくない。そういった苦労事は移民によってなんとか賄われている

しかし、Willyさんの「キャリアパス」への次のコメントを読んでこの構図は日本にはあまり当てはまらないことに気づいた(いつも的確なコメントに感謝)。

特定の木に乗ろうとしている人が多すぎるのが一番問題のような気もします。

確かに日本を振り返ると長時間のサービス労働が常態化しているという現実がある。好きなことを追い求めて悩んでいる人は少数派なのかもしれない。これは「好きなことを仕事にするな」でのコメントで指摘されていることだろう:

日本人をみる限り、(1)好きなことはあるけど、(2)それを仕事にするかどうかは別、というところまで辿り着いている人は数少ない気がします。(1)に すら辿り着いていない人に「好きなことをやれ」というのは正しい面もあるでしょう。主体的に目的を持って動くということは能力開発面でも精神面でも良い影 響があると思います。もちろん、「社会に役立つことのなかで好きなことをやれ」という程度の意味ですが。

アメリカでは「頑張って大きな組織を支える役割の重要性」を見直すべきときに来ているが、日本ではむしろそういう部分が強調されすぎているのかもしれない。例えば、ニートの海外就職日記の最新のポスト「クソ会社に「愛」を語る資格などないw。 」はそのいい例だろう。愛社精神という名のもとにひどい労働環境が押し付けられている。これは「キャリアパス」の絵で言えば組織の下でクソまみれになることを強制する文化と言える。ニートの海外就職日記の副題が「仕事なんてクソだろう」となっているのとまさに対応している。

しかしだからといって「好きなことを仕事にすべき」という風潮がないわけではない。少なくとも子供はそう思っているだろう。では一体この二つのまったく異なる考え方が同時に存在しているのは何故だろうそれは学校教育と世間との隔離だと思われる。

日本社会は子供に対しては「自分がやりたいことをやらなきゃ」というような教育をしている。アメリカと変わらない。だから、中学生や高校生は自分に何ができるかではなく、何が自分のやりたいことなのかを考えている。若者が自分探しの旅なんかに出かけるのはその象徴だろう。

しかし、実際社会に出ると大分様相が異なる。日本では打って変わって社会・会社の歯車として動けという凄まじいプレッシャーが支配的になる。これはアメリカの状況よりも悲惨かもれしない。好きなことをすべきだと教えられてきた人々が突然歯車としての役割を押し付けられ、板ばさみになるわけだ。

その結果が、「ニート」の「海外就職」日記だろう。「自分が好きなことを仕事にする」と育てられてきた人間が会社の言うことは何でも聞けみたいな環境に放り出されたら働く気がなくなるのは当たり前だ。そして、そこから飛び立つ先が海外になるのも自然だ。だからニートの海外就職日記は非常に説得力があ。

この状況を改善するためには、二方向からの対策が必要だ。一つは、「自分が好きなことを仕事にする」と子供に唱えるのを控えることだ。好きなことを見つけるのはいい。でもそれを必ずしも仕事にしなくてもいいと教えるべきだ。もう一つは、過剰な滅私奉公的価値観を是正することだ。自分が好きなことを仕事にしなくてもいいと同時に仕事を自分の好きなことにする必要もないはずだ。もちろん二つが重なるならそれはそれでいい。でも必ずしもそうでなくてもいいという余裕があってもいいんじゃないだろうか。