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なぜ資格試験や教育が必要なのか

大学生は多すぎるのか」というポストに対するコメント欄で、司法試験制度について議論があったので資格制度一般について論じてみる。医師国家試験についてはちょうどこちらで提案がなされている。

何故試験や教育が必要かを考えずにどのような試験や教育が望ましいかを決めることはできない。通常のサービス業において試験や教育に関する制約は存在しない。単に市場での競争に任せておけばいいからだ。では司法サービスや医療サービスを市場へ任せられない理由が何だろうか。

経済学的にはこれらの専門家によるサービスは信用財(credence good)として捉えられる。信用財とはある財の価値が購入してもなお分からないようなケースである。よく挙げられるのは車の修理である。消費者にとって分かるのは車が動くか動かないかだけだ。実際に修理に何が必要でどれだけの費用がかかるかは分からない。そのため修理工は必要のないサービスを勧めたり、過大な請求を行う強いインセンティブをもっている(書いていてWillyさんのアメリカでの自動車修理に関するポストを思い出した)。消費者はこれに対して、社会的に非効率な方法で対応する。修理すれば低費用で直るものを直さなかったり、修理で直るものの全交換を要求したりする。

弁護士や医師のサービスはこの修理工のケースによく似ている。消費者が分かるのは裁判の結果と治療の結果だけで、そのための費用や本当に専門家が努力したのか、そもそも能力のある専門家だったのかについては非常に曖昧な情報しか持っていない。もし消費者が修理工と同じように弁護士や医師のサービスを捉えるなら、サービスの結果だけで報酬を決めるだろう。そしてそのことは社会的に非効率だ。例えばそもそも治りにくい病気に効果のある治療は利益が出ないため、誰も相手にしなくなる。また専門家が努力したとしても運悪く結果が出なかった場合にもそもそも努力しない場合と同じ報酬なので努力するインセンティブ自体が減少する。

では、どのような対策が可能だろうか。その一つの方法が資格を設けることだ。専門家の能力を保証することで、もしサービスが一定の結果をもたらさなかった場合には専門家の努力が足りなかったと推定できる(能力の保証がなければ運が悪くて失敗したのと区別がつかない)。またある程度の能力を持っている人間だけを選別することで、サービスを提供するための費用を抑えられる。能力のない人間にとって能力のある人間と同じだけの結果を出すのは大変だからだ。これは契約締結後に専門家が努力するための(限界)費用を減らすので非効率を抑えられる。また資格取得に投入した費用はあとで取り戻すことができない(サンクする)ため、資格を取得した専門家はその資格を失うような行動を取らないように努力することも効率性上昇に寄与する。修理工や医師のようにサービスの質に関する情報の非対称が時間の経過により判明するものではサービス提供後の保証の提供も役立つ。修理や手術後のアフターケア保証がそれだ。

但し、この議論は必ずしも制度としての資格が必要であることを説明しないことには注意が必要だ。その理由は三つほどある。

  • サービスの購入が頻繁であれば評判によって質は保たれる
  • 資格が必要だったとして政府がそれを提供する必要がない(民間資格)
  • カルテルの危険性
  • 垂直統合

まずこれまでの議論は基本的に静的であったことに注意が必要だ。もしこの状況が繰り返し起きるならこのような問題は起きない。消費者は専門家に関する情報を蓄積するため、評価の悪い専門家には依頼しなくなる。これを知っている専門家は最初から必要な努力を払うようになるし、それだけの結果をそもそももたらせない、ないしもたらすためにコストがかかりすぎる能力のない・低い人は市場から撤退せざるをえない。例えば、大企業であれば弁護士事務所に仕事を依頼することは日常茶飯事だろうから信用財の問題は軽微だろう。この議論は一般消費者には適用できないことには注意が必要だ。普通の人は弁護士サービスを多くて数年に一度しか利用しない。但しこの点はインターネットなど情報の共有を可能にする技術により緩和されつつある。

民間にまかせれば十分なことも考えられる。例えば自動車修理であれば自動車メーカーが修理工の能力を保証することがありえる。修理工がそういった保証を受けるインセンティブがあるだけでなく、メーカーにとっても自社製品の修理市場が効率的になることはメリットだ。効率的な修理が可能な車種は消費者にとって価値が高く、メーカーはその分価格を引き上げることができる。このように業界全体の利益を代表するような組織があれば、こういった資格制度は勝手に提供される

次の問題は前段落の業界組織にも当てはまる。資格制度を提供するインセンティブを持つのは業界を代表する組織だが、彼らは同時に価格を釣り上げる強いインセンティブを持っている。これは二種類の経路で行われる。一つは、資格制度のための組織を通じて直接価格を調整することだ。業界団体が価格や数量に関する情報を集めるのがこれにあたる。こういった情報の共有は共謀による価格つり上げを容易にする。二つ目は資格制度を使った新規参入を制限することだ。供給が減ることで独占利潤が生まれるだけでなく、共謀の結成も容易になる。業界団体の関与を減らせば問題は緩和するが、専門家を評価する能力が専門家以外にはあまりないため実際には困難だ。資格が政府によって制度化されていてもいなくてもこの問題は生じるが前者の場合には複数の資格認定機関による競争がないためより深刻だ(政府が関わってない場合には例えば認定機関が一つでも潜在的な競争がある)。

政府の関与がなくとも垂直統合で解決されるという考えもある。一つの方法はサービス提供側の統合で、自動車メーカー自らが整備サービスを提供するのがそれに当たる。もう一つの方法はサービス購入側の統合で、企業による法務部の立ち上げ、顧問弁護士の雇用などがこれに当たる。インセンティブが合わない問題を統合によって一気に解決するわけだ。但し、垂直統合だと競争・専門化の欠如という問題が生じる。

資格・教育に関する問題を議論する際にはこれらの長所・短所を勘案したうえで資格・教育制度の維持費用と見比べて判断する必要がある。

アメリカで頭のよい都市はどこか

半分以上ネタだけどアメリカの都市をsmart(ないしbrainy)な順に並べたランキング:

America’s Smartest Cities—From First to Worst – The Daily Beast

First, some rules of the game. We only ranked metropolitan areas (the cities and their suburbs) of 1 million people or more, using Census data, with the definition of each greater metropolitan area defined by Nielsen. That gave us 55 in all.

センサスで人工が上位55位までのメトロポリタンエリアが比較対象だ。スコアの内訳は以下:

  • The education half encompassed how many residents had bachelor’s degrees (35 percent weighting) and graduate degrees (15 percent).
  • we looked at nonfiction book sales (25 percent)
  • We also measured the ratio of institutions of higher education (15 percent)
  • many studies link intelligence and political engagement, so we weighed this, too, as measured by the percentage of eligible voters who cast ballots in the last presidential election (10 percent)

学位を持つ住人の割合(35%)、修士号以上を持つ住人の割合(15%)、ノンフィクションの売上割合(25%)、高等教育機関の割合(15%)、投票率(10%)となっている。使っている要素や配分はどうなのかという話はあるがまあギャグなので気にしない(大学が多い比較的小さな地域が有利だろう)。

以下トップ3:

  • Raleigh-Durham: 三つの大学(Duke, UNC, NCSU)とテクノロジー系の企業がある。さらに首都があるため政治のスコアが高い。
  • Sanfrancisco-Oakland-San Jose: 要するにベイエリア。大学(UCSF, Berkeley, Stanfordなど)が大量にあり、学位に関するスコアがトップ。ハイテク関連が強い。政治のスコアが低め(人口が多すぎるためだろう)。
  • Boston: 同じく大学(Harvard, MIT, BU, BCなど)が多く関連するハイテク企業が集積。ノンフィクションの売上が多いそうだ。

これに、Minneapolis-St.Paul、Denver、Hartford-New Haven, Seattle-Tacoma, Washington DC, Portland, Baltimoreと続く。

逆にワースト3は上からSan Antonio、Las Vegas、Fresnoとなっている。最下位となったFresnoは、

The race to the bottom wasn’t even close. The largest city in California’s San Joaquin breadbasket, Fresno, had deficiencies across the board. College education (less than 20 percent of the local population have four-year degrees), graduate studies, academic institutions (not much besides Fresno State), book purchases, voter engagement—it ranked in the worst 5 percent in almost all of our categories. Problems with gangs and crystal meth tend to deter the best and brightest.

ほとんど全ての指標で下位5%に入ったそうで、ひどい書かれようだ。

大学生は多すぎるのか

大学に進学する学生は多すぎるんじゃないかということについて様々な専門家が意見を出している:

Are Too Many Students Going to College? – The Chronicle Review – The Chronicle of Higher Education

中でも面白いと思ったのは次の二つだ。

Charles Murray: It has been empirically demonstrated that doing well (B average or better) in a traditional college major in the arts and sciences requires levels of linguistic and logical/mathematical ability that only 10 to 15 percent of the nation’s youth possess. That doesn’t mean that only 10 to 15 percent should get more than a high-school education. It does mean that the four-year residential program leading to a B.A. is the wrong model for a large majority of young people.

実証研究によれば、普通の専攻でそれなりの成績(平均B以上)を取れるだけの言語・論理・数理能力を持っている人間は10-15%に過ぎないという。もしこれが正しければ過半数の若者が大学に進学するのは非常に非効率ということになる。

Bryan Caplan: There are two ways to read this question. One is: “Who gets a good financial and/or personal return from college?” My answer: people in the top 25 percent of academic ability who also have the work ethic to actually finish college. The other way to read this is: “For whom is college attendance socially beneficial?” My answer: no more than 5 percent of high-school graduates, because college is mostly what economists call a “signaling game.” Most college courses teach few useful job skills; their main function is to signal to employers that students are smart, hard-working, and conformist. The upshot: Going to college is a lot like standing up at a concert to see better. Selfishly speaking, it works, but from a social point of view, we shouldn’t encourage it.

こちらは経済学者だ。個人レベルでは大学へ進学することがプラスになるのは25%だという。しかし、大学進学の個人へのリターンの多くがシグナリングに過ぎないことを計算にいれれば社会的な望ましい水準は5%だという。何故なら大学の授業は現実社会で役に立たないからだ。また進学者が少ないほうがシグナリングの効果は高いだろう。

彼は大学進学をコンサートで立ち上がることに例えている。これはとてもわかりやすい例えだ。四分の三の人が立ち上がっていたらもうどうせ前は見えないので立ち上がるのを辞めるだろう(現実進学率<75%)。しかし立ち上がっている人が四分の一なら立ち上がることは個人的にメリットがある(現実進学率>25%)。しかし、社会的に望ましいのは特別に背が低いなどを除き全員座っている状態だ(最適進学率=5%)。

これは日本にも当てはまる。どちらにしろ大学進学率が50%を越えるような水準で大学への資金援助・進学費用の補助などを行うことは正当化しにくいだろう(注)。

(注)教育が民主主義のために必要だと考えることはできるが、大学が学習を強制しない以上あまり有効な批判とは言い難いだろう。

アメリカでの資格

この前、資格についてコメントさせて頂きましたが、その続編を書かれているので再コメントコメントさせていただきます。前回のポストについてはこちらのご紹介も頂きました。

統計学+ε: 米国留学・研究生活  アメリカでは資格を取れ

このうち、
アメリカでは「シグナリング」が果たす役割が
日本と比べて非常に大きい
という印象を私は持っている。

アメリカで「シグナリング」が大きな役割を持っているというのはその通りだ(逆に独占業務の方については思想的背景から限定的で、しかも外国人には法的に・実質的につけないものも多い)。

その理由は二つだ:

  • 労働者の質のばらつきが激しい(サポートが広い)
  • 教育課程でのシグナリングは不十分

前者に関しては、アメリカで生活したことがあればすぐに分かる。何の情報もなしに労働者を取ってきて何かを期待するというのは非常に分が悪い。別の言い方をすれば言葉は悪いが下に限りがない識字率すら問題になる)。何らかの方法で自分がある程度の能力があると示すことは極めて重要だ。

後者はアメリカの学校制度による。アメリカでは出身大学によるシグナリングがあまり効果的ではない。入学に筆記試験がないし(SATはあるが簡単なので尺度にならない)、授業料が高いためトップ校に優秀な学生が集中することもない。これはほぼ筆記試験のみで選抜し、学費の安い日本の国立大学とは全く異なる。例えばハーバードの学部の入学率(matriculation rate)は八割に届かない。博士課程の進学者を見てもトップ私立大学の学生はそれほど多くない。学費の安い出身地の州立大学の中でもっともレベルの高いキャンパス(フラッグシップ校)に進学し、大学院で所謂トップ大学に進むというというパターンがよく見られる(こちらは授業料を払うことは基本的にない)。

この影響は大学生の学力を見れば分かる。バークレーの学部生は州立の大学としてはトップのはずだが(もちろん大学院もだが)、その内実はかなりお粗末だ(現役生・卒業生の方々怒らないように)。近年、東大生のレベルの低下が嘆く向きがある。昔と比べてどうかはよく分からないが、正直胸を張れたものではない。しかし、アメリカの大学生の学力、特にばらつきは、日本の大学と比べると想像を絶している

出来のいい学生は確かにとてもよくできる。卒業後トップレベルの大学院へと進学する人がいるわけだから当然ではある。しかし、平均的な学生の出来がいいとはとても言えない。成績が重要なためよく勉強はするがそういう学生に限って意味不明な質問をすることも多い。さらに平均以下の層は驚くほど基礎ができていない。関数電卓がないとちょっとした式変形もできないし、ちょっとしたグラフも描けない(例えば[latex]x+\frac{1}{x}[/latex])。もちろん私が相手にしているのが経済学部の学生というバイアスはあるだろうが、日本ではそんな学生はいなかった。大学院で経済を専攻する学生が最低でも学部のうちに実解析程度は履修していることを考えれば、授業を成立させるのが困難なほど学生のばらつき具合だ

ではアメリカの学生はどうやって自分を他の学生から差別化しているのか。基本的には二種類だ。

  • ネットワーキング(インターンシップ)
  • 大学院や資格など

前者はコネクションを作ることだ。主にインターンシップやフラタニティを通じて行われるようだ。後者が資格である。ただアメリカでは職になる資格(弁護士・医師など)は大学院への進学が必要である。よってそれを目指す学生は成績維持・ボランティア・課外活動などに精を出す。

日本人ならどうか。前者はかなり難しい。言葉の問題がなかったとしてもコネクションが少ないし、永住権・市民権がなければ企業にとっては余計な負担になる。また労働ビザ(H1)の発給数には限りがあるので単にアメリカで大学を卒業しただけでは苦しい。

よってアメリカに済むなら後者を選択することになるだろう。労働ビザの発行数は院卒だと別枠になる(研究職ならそもそも上限はない)。ロースクールは語学から、メディカルスクールは国籍から困難であるため所謂理系の大学院に進むのが一般的には理にかなっているだろう。ビジネススクールもよいが語学の壁があるのは否めない。言うまでもないが、ここでの語学の壁というのは会話ができるできないのレベルではない。

二種類の方向性がある。一つはテクニカルな学位を取得し仕事を得ることだ。語学の壁はほとんど問題にならない(=普段流暢に会話し、こちらの話を聞く気が最初からある相手にプレゼンできる「程度」でよい)。比較優位があるばかりでなく、そのような仕事への報酬はアメリカの方が格段によいだろう。

もう一つは逆に日本語を生かす方法だ。日本の経済規模・人口は世界有数であり、また英語がロクに話せないことにかけても先進国トップではなかろうか。そのため日本人が稀有な業界であれば日本語を役に立てることもできるだろう。程度の差はあるが、会計・証券販売・司法などがこれにあたる。但し一つ目の道に比べると語学の壁は高い。日本語・日本とのコネクションを強みにするにしてもアメリカ人との競争を避けることはできない(メディアもこれに当たるだろうがアメリカ人との競争は余りにも厳しいだろう)。

もちろん二つにさっぱり分かれるわけでもない。非常にテクニカルな面で優れた会計士もあり得るし、日本の企業や特許制度をよく理解したエンジニアもあり得るだろう。どちらにより大きな強みがあるかを認識した上でそれを足がかりに両者を共に利用したいところだ

頭脳流出はあるのか

国際的な頭脳流出についてForeign Policyから:

Think Again: Brain Drain | Foreign Policy

頭脳流出(brain drain)とは、技能・知識を持った個人が国外に流出する現象を言い、キャピタルフライトに大してヒューマンキャピタルフライトとも呼ばれる。この記事ではその「頭脳流出」が問題だという意見に反論を行っている。まず「頭脳流出」が開発途上国からの不当な奪取(stealing)ではないという三つの主張からみてみよう。

First, it requires us to assume that developing countries possess a finite stock of skilled workers, a stock depleted by one for every departure.

熟練労働者が海外に移住しても、新しい熟練労働者が供給されることが挙げられている。例として挙げられているフィリピンでは看護師の海外移住が有名だが、フィリピン国内の看護師数が少なくなったわけではないそうだ。逆に海外への移住が可能な職業になろうとする人が増えるらしい。

これが頭脳流出が不当な奪取でないことを意味するか。何が不当かによるが、新しい労働者が供給されることは問題がないことを意味しない。もしその供給のために社会の資源が利用されているかもしれないし、他の産業から優秀な人材が特定の職業に集中してしまうかもしれない。

また頭脳流出の頭脳(brain)と熟練労働者(skilled worker)との違いも無視できない。問題が誰でも習得可能なスキルなのか、生まれつきの能力なのかは大きな違いだ。

Second, believing that skilled emigration amounts to theft from the poor requires us to assume that skilled workers themselves are not poor.

熟練労働者の移住が窃盗(theft)であるためには、移住する労働者が貧しくない必要があると主張されている。これはかなり意味不明だ。貧しいが非常に能力の高い人を先進国に強制移住させる場合は窃盗には当たらないのだろうか。

Third, believing that a person’s choice to emigrate constitutes “stealing” requires problematic assumptions about that person’s rights.

最後の根拠は、そもそも政府が国民の移動を制限する人権上の問題だ。これはその通りだろう。人々が移動する権利を持っているなら、そのことを不当な奪取と考えるのは難しい。

頭脳流出(brain drain)と不当な奪取(stealing)がきちんと定義されていないため、以上の前者が後者に当たらないという議論は成功しているとは言い難い。そもそもそのような中途半端な倫理的な議論は省いて本題に入るべきだ。それは、熟練労働者の海外移住が移住元の国にとっても移住先の国にとっても有益だという主張だ。関連する二つの社会にとってプラスであり、労働者自身にとってもプラス(でなければ自発的に移動しない)であるなら、そのような移住が道徳的な問題を持つとは考えられない。別の言い方をすれば、海外移住を認めることはパレート改善である。社会のなかで損をする人はいるだろうが、それは再分配の問題だ。

いくつかの誤った認識が指摘されている:

  • 移住してしまう労働者の教育費用が無駄になる
  • 移住した人は戻ってこない
  • 医者が移住することでアフリカの人が死んでいる
  • 熟練労働者が貿易・投資のつながりを作る

何故それらが誤っているとされるかについては本文を参照してほしい。

個人的には「頭脳流出」という現象は実際に存在すると考えている。特に、スキルを持った労働者というよりは極めて優秀な人材の流出は深刻だ。絶対数が少なく、統計だけを見ているとは分かりにくいだろうが社会に対する影響は広範に渡る。新しい技術を開発したり、企業を起こしたりする人々である。

これはアメリカの教育制度をみるとよく分かる。アメリカの教育は控えめに言ってもかなりお粗末だ。周辺の地価が高くよいとされる学校であっても教科書は人数分ないのが当たり前だ。大学生の平均的基礎学力も低い。中学高校での教育内容が薄いためだ。またちょっと出来のよい学生が給与水準の高い金融・コンサルティングなどに集中する。

その中で研究などを引き受けているの外国人だ。高校まではお粗末な学校制度も、大学レベルで一気にレベルがあがる。この傾向は大学院になるとさらに顕著で、世界のトップとされる大学のほとんどはアメリカにある。学生の多くは外国人であり、アメリカ人のも親が移住してきたなどということが多い。

もし、能力の高い人間が社会にとって重要である(になった)のであればこの影響は甚大だ。海外からの移住がないとすればどうなるか考えてみよう。国内で教育を行って優秀な人材を生産する必要がある。教育に携わったことがあればすぐにわかるだろうが、これは非常に困難だ。勉強で言えば、できる学生はできるのであって、どう教え方が大きな影響を及ぼすことは例外的だ。トップ1%の人間を作り出すよりも、他の国から持って来てしまったほうが遥かに効率がよい。私はアメリカが技術進歩・経済発展を続けている最大の理由はここにあると考えている。

では「頭脳流出」が存在するとしてどう対処すべきか。特に有効な対策はない。優秀な人材を引き寄せようとする国が多ければ、よほどの人権侵害を行わない限りその動きを止めることはできない。例えば、イギリス・カナダなどではビザ・永住権の申請は点数方式だ。年齢・語学能力・学歴・収入・資産などに応じて点数がつき一定レベルを越えれば受給要件を満たす(一般的認識と異なり、アメリカの移民政策は緩くない)。例えばイギリスの労働者ビザは75点を要求しているが、Ph.D.を保有しているだけで50点になる。これに給与26,000ポンド(日本円で400万円以下だ)あれば25点追加でクリアだ。年齢が低かったり、低所得国の出身であればさらに簡単にポイントが集まる。

これは日本にとっては非常に頭の痛い問題だろう。日本社会で普通に生活するためには日本語の習得が必要だが、これは外国人にとっては難しい。実際どんだけ予算をばらまいても優秀な外国人が日本の大学を占拠しているなどという状況は想像もできない。優秀な人材が海外に移住してしまう可能性を認めた上で、それを以下に日本の利益にするかを考えるほうが効率的だろう。具体的な方法については日を改めて考えたい。