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資本家の反資本主義

ダボス会議に関連してDon BoudreauxがThe Washington Postに送ったレターがCafe Hayekに掲載されている。

Don’t Throw Me Into that Briar Patch!

題材となったのはこちらの記事の以下の部分だ:

When Sarkozy had finished his anti-capitalist rant, he got a standing ovation from an audience made up mostly of wealthy capitalists.

サルコジ仏大統領が反資本主義的な演説をし、まさに裕福な資本主義者であるはずの参加者がスタンディングオベーションをしたという。サルコジ氏の演説内容は以下のように記述されている。

The leading rabble-rouser was French President Nicolas Sarkozy, who opened the conference with a speech urging global citizens to reform the system. “From the moment we accepted the idea that the market was always right,” he said, “globalization skidded out of control.” An overemphasis on free trade had “weakened democracy,” he argued. Human values had been undermined by soulless speculators for whom “the present was all that mattered.”

市場原理主義(!)を受け入れたときからグローバリゼーションは手が付けられなくなったとか、自由貿易は民主主義を弱体化を招いたとか、さらには今現在しか見ない魂のない投機家が人間の価値を蝕んでいるとか、なかなか香ばしい内容だ。どうしてこのような内容に名だたる経営者が賛成するのか。リンク先ではそれを明快に説明している。

Nothing is surprising about this fact. To the extent that trade – both national and international – is restricted, incumbent capitalists are shielded from what Joseph Schumpeter called the “gale of creative destruction.”

既存の企業にとって交易が制限されることはシュンペーター的な創造的破壊を免れることになる。これは既に成功している企業にとっては現状を維持する素晴らしい手段だ。

Such “anti-capitalist” protection harms not only upstart entrepreneurs; most importantly, it hurts the countless unseen and unrepresented consumers who are denied the gains they would have enjoyed from the innovation and competition that are squelched by the “anti-capitalist” restrictive policies that seem so in vogue today at Davos.

しかも、そういった「反資本主義」的な保護政策はこれから企業を作る起業家への逆風となるだけでなく、新しい企業がもたらすはずだったイノベーションや競争の利益がなくなることで消費者を害する

政治では事実よりもストーリー

最近興味のある話題にぴったりの記事がBBCから:

BBC News – Why do people often vote against their own interests?

マサチューセッツで民主党が議席を失ったことは大きな反響をよんでいる。これによりオバマ政権が医療・健康制度改革を成し遂げることはより難しくなっている。そして、医療制度改革に反対している人々の多くは、まさに新しい制度により助けられる人々だ。どうしてこのような事態が生じるのか。

If people vote against their own interests, it is not because they do not understand what is in their interest or have not yet had it properly explained to them.

人々が自分の利益に沿わない投票を行うのは、自身の利害を理解していないからでも適切な説明がなされていないからでもないという。

They do it because they resent having their interests decided for them by politicians who think they know best.

There is nothing voters hate more than having things explained to them as though they were idiots.

有権者は政治家が知った顔で選択を押しつけることに憤っているし、何よりも子供相手のようにいちいち説明されるのが嫌いなのだ。

As the saying goes, in politics, when you are explaining, you are losing.

説明をしている時点でもう負けているという。気が滅入るような話ではある。

Gore: “Under the governor’s plan, if you kept the same fee for service that you have now under Medicare, your premiums would go up by between 18% and 47%, and that is the study of the Congressional plan that he’s modeled his proposal on by the Medicare actuaries.”

Bush: “Look, this is a man who has great numbers. He talks about numbers. I’m beginning to think not only did he invent the internet, but he invented the calculator. It’s fuzzy math. It’s trying to scare people in the voting booth.”

Mr Gore was talking sense and Mr Bush nonsense – but Mr Bush won the debate.

しかし例として挙げられているブッシュとゴアのやりとりを見れば頷かざるをえない。ゴアはメディケアのプレミアムについて数字を出して論じ、ブッシュはそれを皮肉っている。ブッシュの発言部分なんて読んでいて吹き出してしまうレベルだが、ディベートに勝ったのがブッシュだが笑ってもいられない。

[…] stories always trump statistics, which means the politician with the best stories is going to win […]

統計よりもストーリーが大事であり、勝つのは最もいいストーリーを持っている政治家なのだ。間違ったことをいってはいけないが、本当に人を動かそうとするならうまい話を考えることの重要性も忘れていはいけない。政治はこの微妙なバランスで成り立っている。そしてそれゆえに、支持の得られない正論・道を踏み外したポピュリズムがどこの国にでもあふれているのだろう。

農業補助金をやめるべき六つの理由

農業補助金が話題になったので、Wikipediaの記事を参考に補助金を縮小・廃止すべき理由を六つほど並べてみた。もちろん補助金を続けるべきだという意見もあるとは思うが、やめるべきだという理由を明らかにすることは結論はどうであれ重要なことだろう。常識に属するような話だが、繰り返しいろんな場所で論じられることには意味がある。

農業補助金は保護主義

そして保護主義は(社会全体でみるとマイナスという意味で)社会厚生上望ましくない。自由貿易をすることによって国際的な分業がなされ世界的な生産の効率が上がる。より多くの商品が安価に生産できて困ることはないだろう。

食糧自給率の維持は非現実的

有事の際の食糧自給を持ち出す向きもあるが、この議論は基本的にナンセンスだ。エネルギーを全く自給できない国が海外からの補給なしに戦争を継続することはできない。極端な話、食糧が生産できても消費地まで輸送すらできないわけだ。むしろ食糧の供給元を分散化したり貯蔵量を増やしたりするほうが効果的な対策だろう。

途上国に対する害悪

アメリカやヨーロッパにおける過剰な補助金によって、国際市場における農作物の価格が下落している。これは補助金を出す国の国民にとってマイナスなだけでなく、農業を主産業とする途上国の交易条件を悪化させる(彼らの輸出品の価格が下がるので必要な輸入のためにより多くの本来自分たちの消費に使える資源・労働を犠牲にする必要がある)。これは開発援助をまるっきり打ち消してしまう程の規模だ。

補助金は国内市場も歪める

これはどんな補助金についても言えるが、外部性を内部化するための補助金・税金でなければ価格を人為的に変えることで生産・消費を歪めてしまう。ある農作物が特別に安ければ、その作物は過剰に生産・消費される。アメリカのソフトドリンクの多くが砂糖ではなくハイフルクトースコーンシロップ(HFCS)を使っているのはコーンに対する補助金のためだ。このことの健康への影響も取り沙汰されている。

安定性は保険や先物でカバーすべき

農業への補助金が、不安定な農業経営を助け安定した供給を目指すためにあるという意見もある。しかし、収益が不安定な業界は他にもあるし、それを政府を補助することはない。通常は保険や先物によってリスクはヘッジされる。

レントシーキング

これだけ農業補助金に反対すべき理由があるにも関わらず先進国ではどこでも補助金があるのはレントシーキングのためだ。少数の利益享受者がロビー活動により補助金を求める。個々の消費者にとっては立ち上がって反対するほどの悪影響もないので政治的には比較的簡単に通ってしまう。補助金自体が社会厚生を悪化させるだけでなく、レントシーキングために費やされる資源は社会に何ももたらさない。

反知性主義の広がり

面白いと思ったけど紹介していなかった記事:

Op-Ed Columnist – The Tea Party Teens – NYTimes.com

The public is not only shifting from left to right. Every single idea associated with the educated class has grown more unpopular over the past year.

アメリカでは将来見通しが暗くなり、現政権そして政府一般への信頼が揺らいでいるが、さらには教育水準の高い層に関連付けられる考えが一様に支持を失っているようだ。

The educated class believes in global warming, so public skepticism about global warming is on the rise. The educated class supports abortion rights, so public opinion is shifting against them. The educated class supports gun control, so opposition to gun control is mounting.

例として温暖化、中絶権、銃規制などが挙げられている。どれも教育水準の高い層では支持されているが、一般からの支持は落ちる一方だ外交に関しても同様で孤立主義が台頭してきていることが指摘されている。

The tea party movement is a large, fractious confederation of Americans who are defined by what they are against. They are against the concentrated power of the educated class. They believe big government, big business, big media and the affluent professionals are merging to form self-serving oligarchy — with bloated government, unsustainable deficits, high taxes and intrusive regulation.

これを象徴するのはTea Partyだ。ボストンのそれにちなんだティーパーティー運動に関して日本でどれほど報道されているか分からないが、大きな政府、大企業、巨大メディア・裕福な専門家が国を支配することへの反対運動だ。金融安定化法に端を発するティーパーティー運動への国民の支持は高く、二大政党をも上回る勢いのようだ。

The Obama administration is premised on the conviction that pragmatic federal leaders with professional expertise should have the power to implement programs to solve the country’s problems. Many Americans do not have faith in that sort of centralized expertise or in the political class generally.

オバマ政権は政府の抱える問題を現実感覚のある専門家の手に委ねるべきだとしているが、アメリカ人がそういった中央集権的な専門家へ寄せる信頼は揺らいでいるという。

これは一般にAnti-Intellectualismと呼ばれる現象で、反知性主義と訳される。その反対が「国家」におけるプラトンの哲人政治だろう。

… either philosophers become kings in our states or those whom we now call our kings and rulers take to the pursuit of philosophy seriously and adequately, and there is a conjunction of these two things, political power and philosophic intelligence, while the motley horde of the natures who at present pursue either apart from the other are compulsorily excluded, there can be no cessation of troubles, dear Glaucon, for our states, nor, I fancy, for the human race either.   (Republic, 473c-d)

哲人政治では、哲人という全てを修めたような人間が為政者になることで社会がよくなる。ただこれは共産主義と同じで、その哲人のインセンティブと能力の問題を無視している。プラトンなら哲人はイデアを見ているので能力には問題なく、私有財産の禁止と幼少期からの教育によってインセンティブの問題は解決できると言うのだろうが、現実にはそうはいかないのは共産主義の失敗からも明らかだ。だからこそ民主主義という政治形態がその多くの欠陥にも関わらず、世界中で支配的になった(言うまでもなく民主主義が生き残ったのはそれが「正しい」からではない)。

政治家や政策に関わる専門家はこのことを常に頭の隅に置いておく必要がある。どれだけ正しいことを言っていても市民の支持が得られなければ通らないし、そのシステムにはそれなりの合理性がある。反知性主義が起こるのは、市民の不信が限度を超えたときだ。どれだけバカバカしくとも、そのシグナルに耳を傾けなければ、単なるポピュリストが権力を握る危険がある。

http://fukui.livedoor.biz/archives/2130436.htmleither philosophers become kings

平沼発言の問題

よくあるが見過ごせない失言なので軽く取り上げておく。

<平沼赳夫氏>蓮舫議員の仕分け批判「元々日本人じゃない」(毎日新聞) – Yahoo!ニュース

平沼氏はあいさつの中で、次世代スーパーコンピューター開発費の仕分けで蓮舫議員が「世界一になる理由があるのか。2位では駄目なのか」と質問したことは「政治家として不謹慎だ」とし、「言いたくないが、言った本人は元々日本人じゃない」と発言。「キャンペーンガールだった女性が帰化して日本の国会議員になって、事業仕分けでそんなことを言っている。そんな政治でいいのか」と続けた。

まず、次世代スーパーコンピュータ開発で世界一になる必要があるかは実質的内容で決めるべきことだ。不謹慎だというのは議論でも何でもない。全ての分野で一位を目指すのは非効率な以上、どこに注力するかをきちんと議論するのが政治家の仕事だ

後半は救いようがない。「言いたくないが」と断れば差別発言が許されるわけではない。むしろ「言いたくないが」などと述べる人はみなその次のセリフをいいたくてしょうがないように見えるのは何故だろう

キャンペーンガールだった帰化女性を選んだのは国民であり、それを可能にしているのは日本の法律だ。それをどうこう言うのは頂けない。私はむしろキャンペーンガールだった女性が帰化して国会議員になったことは、蓮舫議員の行動に対する評価は別にして、それ自体として凄いことだと思う。

平沼氏はパーティー終了後の取材に対し、「差別と取ってもらうと困る。日本の科学技術立国に対し、テレビ受けするセンセーショナルな政治は駄目だということ。彼女は日本国籍を取っており人種差別ではない」と説明した。

元々日本人でないというのは変えようがないこれを論うのが差別でなくて何なのか。口が滑ったのなら訂正なり謝罪なりすればいいだけの話であって、「テレビ受けするセンセーショナルな政治」の問題にすり替える必要はない。

どこかで同じようなことがあったと思えば、以前西和彦氏が同趣旨の発言をしていた。その時のエントリーはこちらだ:「スーパーコンピューターが必要か」。西氏は次のように述べている。

1967年生まれの蓮舫議員は1995年に台湾からの帰化日本人である。1997年に双子の子供を生んだときには、日本の国籍になったにも拘わらず、中国 風の名前をお付けになっている。家庭的には感覚は中国のひとなのであろう。私はそうは思わないけど、日本のスーパーコンピューターをつぶすために、蓮舫議 員のバックは誰で、その生まれた国の意向があるのかなあと思う人もいる。もし、そうだったらビックリだけど・・・。

こちらもまた「私はそうは思わないけど」と断った上で言いたい放題だ。その時に書いたことを引き写しておく。

「私はそうは思わないけど」などという留保つければ、(どんな背景があるかはともかく)正式に日本国籍を取得して、民主選挙で選ばれた国会議員を憶測で非難することが正当化されるわけではない

帰化日本人が議員になることを許容しているのはこれもまた民主主義により正当化されている日本の法律だ。アメリカの外国系の帰化人との比較も行われているが、アメリカで帰化人が子供に自国風の名前をつけることを批判したら人種差別問題だ

このことは蓮舫議員の言動・政治を支持するかとは関係ないし、スーパーコンピュータ開発の是非とも関係ない。問題は、発言内容ではなく、発言した人間の出自・立場で発言を判断し・貶めようとすることだ。西氏の文章について書いたことがまるっきり当てはまる。

議論において、発言内容それ自体(「スパコンで世界一になる意味はあるのか?」)に反論するのではなく、発言者(蓮舫参議院議員)の物言い・出自を批判するというのは極めて不健全なことだ