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SuperFreakonomicsまとめ

最近、悪い意味で話題になっているSuperFreakonomicsに関する著名人の反応がよくまとまっているページがあった:

Language Log » Freakonomics: the intellectual’s Glenn Beck? via Cheap Talk

正直評判が悪いので読むまいかとも思ったが一応注文した(同じく悪い話題を提供したリチャード・ポスナーとゲイリー・ベッカーの本も頼んでおいた)。とりあえず前評判をまとめると:

  • 前作はレヴィット個人の研究に基づいていたが今回は様々な話題を取り扱っている。
  • そのため、記事の質に疑問がある。
  • その代わり、取り上げられている話題は社会的にも重要なものが多い(相撲よりは温暖化のほうが重要だろう)。
  • しかし、面白さを優先するあまり奇抜さを狙い過ぎている。

最後の点はContrarian(逆張りをする人のこと)と形容されている。

[Email from Andrew Gelman: “Things get interesting when a scholar steps over the line and moves into pundit territory.  All of a sudden the scholarly caution disappears.  Search my blog for John Yoo or Greg Mankiw, for example…”

何故学者が専門内においては(世間から見ると)異常なまでに慎重になるのに、専門外だと突如何の注意も払わなくなるのは何故かという疑問も呈されており面白い。

さらに職業柄か何故奇抜な行動を取る人が多いかについても説明されている。

We might call this the Pundit’s Dilemma — a game, like the Prisoner’s Dilemma, in which the player’s best move always seems to be to take the low road, and in which the aggregate welfare of the community always seems fated to fall. And this isn’t just a game for pundits. Scientists face similar choices every day, in deciding whether to over-sell their results, or for that matter to manufacture results for optimal appeal.

In the end, scientists usually over-interpret only a little, and rarely cheat, because the penalties for being caught are extreme.  As a result, in an iterated version of the game, it’s generally better to play it fairly straight.  Pundits (and regular journalists) also play an iterated version of this game — but empirical observation suggests that the penalties for many forms of bad behavior are too small and uncertain to have much effect. Certainly, the reputational effects of mere sensationalism and exaggeration seem to be negligible.

物事を誇張したり、奇抜さを売ったりすることをゲームとして説明している。一種の囚人のジレンマで、全ての人が正確性を重視するのが最適だが、他の人が正確性を重視している場合には奇抜さを狙うことが利益になる。よってゲームが一回しかプレイされないなら誰もが奇抜な方をとり、パレート非効率な結末になる。

では何故科学者は正確に成果を発表するのかについては、ゲームが繰り返しだからということになる。アカデミックな世界では間違ったことを書いた場合のペナルティが大きいのでみんな気をつけるということになる。じゃあジャーナリズムなどでも同じ議論が成立するのでは、ということになるが現実にはそうではないようだ。繰り返しゲームお決まりの何でも説明できるけど、どれになるかは全然予測できないという問題にぶちあたる。

おまけ:内輪ネタだけど、このポストへのリンクがあったCheap Talkのポストの次の段落には爆笑した:

Aside on the game name game:  when I was a first-year PhD student at Berkeley, Matthew Rabin taught us game theory. As if to remove all illusion that what we were studying was connected to reality, every game we analyzed in class was given a name according to his system of “stochastic lexicography.”  Stochastic lexicography means randomly picking two words out of the dictionary and using them as the name of the game under study.  So, for example, instead of studying “job market signaling” we studied something like “rusty succotash.” I wonder if any of our readers remember some of the game names from that class.

ファイナンスの教授の投資戦略

ファイナンスを教えている教授がどんな投資戦略を取っているかについて:

ScienceDirect – Journal of Financial Markets : Confidence, opinions of marketefficiency, and investment behavior of finance professors via Overcoming Bias

First, most professors believe the market is weak to semi-strong efficient. Second, twice as many professors passively invest than actively invest. Third, our respondents’ perceptions regarding market efficiency are almost entirely unrelated to their trading behavior. Fourth, the investment objectives of professors are, instead, largely driven by the same behavioral factor as for amateur investors–one’s confidence in his own abilities to beat the market, independent of his opinion of market efficiency.

アブストラクトからの引用だ。発見は四つ:

  1. ほとんどの教授は弱度ないし準強度市場効率仮説を支持している。
  2. 能動的な投資を行っている人はそうでないひとの半分。
  3. 投資行動と市場効率仮説への態度は相関がない。
  4. 投資目的は大抵素人と同じ要因で説明できる。

まあ妥当なところか。市場が基本的に効率的でも誰かが裁定取引をする。能動的に投資するかは自分の時間をどう扱っているかによる。投資が好きな人はファイナンスの教授にはならない(!)のでこちらも妥当だ。

アメリカの機会の平等

昨日、相対貧困率の問題について触れたが、アメリカにおける所得階層間の移動について:

National Journal Magazine – Is The American Dream A Myth? via Economist’s View

アメリカでは機会の平等さえあれば結果の平等は気にしなくてよい、ないし無視すべきだという主張が支配的だ。しかし、実際に所得階層を移動する人は少ないことが指摘されてきた。

A study of attitudes in 27 countries found that Americans, more than people elsewhere, tend to believe that intelligence, skill, and effort will be rewarded with success.

アメリカ人が、能力・技術・努力で成功をつかめると思っていることにはかわりないようだが、

Though we venerate the American Dream, studies show that children born to low-income parents in the United States are more likely to remain trapped near the bottom than their counterparts in Europe, the authors report.

実際に親の所得階層と異なる階層に移動する人の数は限定的で、貧しい家庭に生まれた子供が貧困層に止まる可能性はヨーロッパよりも高い。

These are deeply unhealthy, even destabilizing, patterns. If advanced education is the key to economic success, it’s dangerous to reserve it primarily for those who start out on top.

ここでは教育費用が問題となっている。大学卒業の賃金プレミアムは非常に高い水準になっており、これは当然といえる。

Although affordability remains a challenge, they say that enough financial aid is available for needy students that money is not the principal obstacle.

著者は大学による価格差別によりこの問題はそれなりに対処されていると考えている。

個人的にはこの問題は情報化社会の進展よりむしろ深刻になっていくように思う。大学教育を必要とする職業の数は減少しており、ネットワーキングの場としての側面が重要になりつつあるためだ。ネットワーキングは生まれ育った環境は両親のネットワークによる部分が非常に大きく、貧困層で育った子供が大学に入って突然社交的になることはほとんどない。むしろ在学中もアルバイトに励み周りに馴染めない傾向が強いだろう。

グリーンマーケティング

新著SuperFreakonomicsの温暖化に関する章が論争を巻き起こしているSteven Levittの環境保護と価格付けに関する記事:

Going “Green” to Increase Profits – Freakonomics Blog – NYTimes.com

環境にやさしいことをうたう商品はたくさんある。そんな商品がある理由の一つは環境にやさしいことが消費者の支払い意志額を上げることだ。しかしこれは価格差別にも使える。消費者の「環境にやさしい」ことに対する選好は人によって異なり、それが商品への総合的な支払い意志額と相関しているためだ。

ここでは(数日前にニュースで見かけた)ベルリンの(合法な)売春宿における割引が例として上げられている。

Customers who come by bus or bicycle are likely to have lower incomes and be more price sensitive than those who arrive by car. If that is the case, the brothel would like to charge such customers lower prices than the richer ones. The difficulty is that, without a justifiable rationale, the rich customers would be angry if the brothel tried to charge them more.

不景気のなか、バスや自転車で来た客には5ユーロの割引を提供しているという。もしそのような客の所得が他の客よりも少ないのであればこれは典型的な価格差別となる。単に車できた客に割増料金を請求するのは困難でもこれなら問題ないというわけだ。但し、まわりの同業者も同じ価格戦略を取らない限り車で来る乗客が他に逃げてしまう可能性があるのであまり大きな価格差はつけられないだろう。

同様の価格差別は観光地でも使えるだろう。観光協会などが公共交通機関で来た客には割引をするように取り決めればいい。うまく運営すれば、カルテルの隠れ蓑にも使える。公共交通機関の需要増にもなるので鉄道各社と連携することもできる。

似たような価格差別のためのデバイスとしてはベジタリアン料理が挙げられる。通常ベジタリアンの料理は原価に比して高めに設定してある。これはベジタリアンに高学歴で比較的高所得な層が多いためだ。ベジタリアン以外はほぼ確実に肉の入ったものを食べるので影響はない。

格付け機関の失敗

今回の金融危機において、格付け機関がいかに間違ったシグナルを送ったかについて:

How Moody’s sold its ratings – and sold out investors | McClatchy

A McClatchy investigation has found that Moody’s punished executives who questioned why the company was risking its reputation by putting its profits ahead of providing trustworthy ratings for investment offerings.

Moody’sの例が挙げられている。格付けの信頼性と機関の評判を重視した社員が如何に追いやられていったかについて多くのインタビューを交え詳細に記されている。

原因の一つには格付け機関の収益構造がある。

To promote competition, in the 1970s ratings agencies were allowed to switch from having investors pay for ratings to having the issuers of debt pay for them.

格付け機関は投資家ではなく債権の発行者から収益を得るようになった。そのため格付け機関は利益を得るために格付けを発行者の意向に沿う形に歪めるインセンティブを持った。

Moody’s was spun off from Dun & Bradstreet in 2000, and the first company shares began trading on Oct. 31 that year at $12.57. Executives set out to erase a conservative corporate culture.

When Moody’s went public in 2000, mid-level executives were given stock options. That gave them an incentive to consider not just the accuracy of their ratings, but the effect they’d have on Moody’s — and their own — bottom lines.

さらにMoody’sは2000年に株式市場へ上場し、広範な社員にストックオプションの支給を始めた。これは社員に格付けの正確性ではなく、会社の利益をまず考えるインセンティブを与えた。

格付け機関が正しい格付けを行うインセンティブは基本的に評判を維持するためだ。しかし金融市場において格付けが正しかったかが判明するのは数年に一度、不景気になったときだけだ。景気のよいときにはほとんどの株は上昇するし、債権もデフォルトを起こすことはほぼない。レストランのように商品の質がすぐに判明する業種とは評判がプレーヤーに与える影響は大きく異なる。さらに格付け自体は単なる意見に過ぎないため法的責任は生じない。仮に生じたとしてもそれを確認する方法がない(注)。

しかし格付け機関のような組織がここの投資家の代わりに情報を集め処理することは社会的にプラスだろう。格付け機関を機能させるには、投資家が現在の格付け機関が問題のあるインセンティブ構造を持っていることを認識する必要がある。そうすれば、問題のある所有形態の機関は信用されず市場から排除されるだろう。

(注)リスキーな債権を特定のCDOに混ぜることで発行会社が利益をあげられること、それにより安全なトランシェでもデフォルトする可能性があること、投資家がそのようなCBOを発見できないこと、そしてデフォルトした場合でも債権の分布がランダムでないことを証明できないことを示した最近の論文についてこちら