いまさら題名にするようなことでもないけどOECD加盟国では下から六番目の税収GDP比だそうで:
Tax Burdens, Around the World – Economix Blog – NYTimes.com
日本は26.9%。アメリカの26.9%に比べれば高いがヨーロッパの国よりはだいぶ少ない。よく似ていると指摘されるどいつでも36.5%もあり、ヨーロッパの先進国では40%越えが普通のようだ。
いまさら題名にするようなことでもないけどOECD加盟国では下から六番目の税収GDP比だそうで:
Tax Burdens, Around the World – Economix Blog – NYTimes.com
日本は26.9%。アメリカの26.9%に比べれば高いがヨーロッパの国よりはだいぶ少ない。よく似ていると指摘されるどいつでも36.5%もあり、ヨーロッパの先進国では40%越えが普通のようだ。
価格差別のいい説明があったのでご紹介:
Price Discrimination Explains Everything, Arnold Kling | EconLog | Library of Economics and Liberty
Suppose that a new video game console comes out. BZ likes video games, but he is only willing to pay about $200 for the console. JS lives for video games, and he would pay $400 for the console. The manufacturer would like to charge $400 to JS and $200 to BZ. However, to do so blatantly would be illegal. It might also be impractical–what is to stop BZ from buying two consoles for $200 and selling one of them to JS for much less than $400?
これが典型的な状況。同じ財に多くのお金を払う人と、そうでない人がいたときに同じ金額しか請求できないというのは売り手にとってはうれしくない。でも誰が多くのお金を払えるのかは分からないし、場合によっては違う金額を請求するのは違法になる(区別する基準が人種や性別だったり、相手が小売店の場合∵ロビンソン・パットマン法)。ではどうするか:
The console maker looks for ways to price discriminate. There might be a “standard” version of the console that sells for $200 and a “deluxe” version that sells for $400. If the features in the deluxe version appeal to JS but not to BZ, this will work. Or the maker might release the console initially at a price of $400, wait three months, and cut the price to $200. If BZ is willing to wait but JS is not, then this will work.
二種類の客の微妙な違いを利用すればよい。例えば、お金持ちはデラックスバージョンを欲しがるけど、他の人は欲しがらないなら、デラックスバージョンだけ高くすることで資産に応じて違う値段をつけられる。
ブラックフライデーのようなセールも同じだ:
If you need something now, you have to buy it whether or not it is “on sale.” But if the purchase is discretionary, you may only buy it “on sale.” The store keeps its prices high ordinarily, in order to pick up profits from the price-insensitive shoppers. The store puts items “on sale” on rare occasions, hoping to pick up profits from price-sensitive shoppers.
値段にうるさいひとはセールを探してくるけど、そうじゃない人はいつでも必要な時に買う。だから普段は高くしといてそういう人からお金をとり、時々のセールで値段にうるさいひとにも売りつける。
Unfortunately, they lose profits from price-insensitive shoppers who happen to come in the day of the sale.
ただ、値段にうるさくない人でもセールの日に買いにくることはある。
The beauty of holding sales on “Black Friday” is that stores know that many price-insensitive shoppers will stay away in order to “avoid the crowds.”
でもブラックフライデーのようなもの凄いセールなら話は別だ。お店は異常に混むし、それを誰もが知っているので普通の人はこない。並んでまで安いものを探す客は限られているからだ。
ちなみにArnold Klingは冒頭で、
I think that price discrimination really deserves a lot more attention than it gets in the economics curriculum.
価格差別はもっと経済学のカリキュラムで取り上げるべきだと述べているが、これには大賛成だ。うまく価格差別を行うことは大きな利益につながる。例えばセールスで売る側が先に値段を言わないのもその一つだ。値切りをするかどうかは、客がいくら払えるかと強く相関しているのでそれを狙うわけだ。
こういった手法はデジタル化された社会では一段と重要になる。デジタルな財は限界費用がほぼゼロなので単純な価格競争を行うと利益がなくなる。また音楽・映画・ニュース・ソフトウェアなどはどれも人によって非常に評価が異なる財だ。そういった財の需要曲線は強く下に凸なので独占価格をつけても総余剰のごく一部しか回収できない。逆にデジタル技術は多くの情報を集めることで価格差別を容易にする。
また最近話題になる経済格差も価格差別の必要性を大きなものにする。例えばアメリカでは一枚数十¢の割引になるクーポンがたくさんある。チラシから切り抜いたり、ネットから印刷したりして使用するわけだが、これもそういった手間を惜しまない人にだけ値引きをする価格差別の一種だ。メールインリベートも同様だ。バーコードを切ってはって、郵便を出して、数ヶ月待つ気のある人をターゲットにしている。さらに、電話で抗議しない限り返信しないことでさらに効果的な価格差別になる。
あまり不景気とか地価の話は取り上げるつもりはないが、面白かったもの:
Econbrowser: Factors in local house price declines
こちらの研究から。グラフは見ての通り2000年からの上げ幅とピーク時からの下げ幅をプロットしたもの。
But by far the most important variable was the magnitude of the previous price run-up, which all by itself can account for more than half of the observed variance in the size of the price decline across different communities.
The more prices were artificially bid up, the more spectacularly they declined.
これで分散の半分以上を説明できるそうで。
「日本でFacebookは生まれない」への反応で説明したほうがいいかと思ったもの:
Hexenkessel – 日本の企業がFacebookを作れただろうか。どれだけ人材がいて資本があってもFacebookができる…
Facebook は作れないけど mixi や gree は作れるじゃん。それで何が悪いの? 日本で Facebook が作れないのは「企業」の問題というより「日本」の事情という気がするけど。
これはその通りでまさに前に書いた記事の主張だ。記事から引用すると:
ハードウェアのソフトウェア化、産業のサービス化は進む一方であり、日本でもベンチャー企業が消費者心理を理解した製品を提供していくことはさらに重要になる。
日本人が欲しいのはFacebookじゃなくてmixiやgreeなわけだ。だからmixiやgreeのようなサービスが世に出て来やすいような環境の整備は必要だ。日本人はFacebookが欲しいわけじゃないのだから、別にmixiやgreeが日本市場をとってもそれ自体何ら問題ない。
単に、そこから生まれた製品が世界を制することはないというだけだ。
でも、逆にmixiやgreeはFacebookではないので海外の市場はとれない。だから元の佐々木さんの記事の題名にある「国際競争力」という面においては全然期待できない。それはmixiやgreeがまさに日本の消費者心理を反映したサービスだからだ。そうやってできたサービスが海外で受けないのは彼ら「企業」のせいではなくて「日本」の事情だが、外貨を他の産業で稼がないといけないことは確かだ。日本発のFacebookやTwitterが海外ではやって外貨を持ってきてくれるということはおきないだろう。
さらに言えばこれは誰にせいでもなく、技術発展の結果だ。以前は日本向けでもアメリカ向けでも大体同じようなものを頑張って作れば売れていた。しかし今日では製品のあり方が多様化したせいでそれでは売れなくなったということだ。
#Twitterとはてなブックマークは簡単に補足できるんだけどTumblrはどうすればいいのやら。
バークレーを含めカリフォルニア大学の各キャンパスで授業料値上げに対するデモ行進などが起こっている。一つの主張は、授業料が上がると誰もが大学教育受けるという機会が失われるというものだ。しかし、なぜ大学の学費を政府が援助する必要があるのだろうか:
大学教育への政府支出に対する最も有名な批判はフリードマン(Milton Friedman)のそれだろう:
Milton Friedman used to remark that the California government, with its state funding of higher education, taxed the residents of Watts to pay for the residents of Beverly Hills.
カリフォルニア政府は大学に財政支出を行うことで貧しい人々から豊かな人々へ再配分をしているというものだ。日本なら総合大学で最も親の平均所得が高いのは東大だろう(外れ値にもよるので実際どうだかは知らない)。仮に教育費の問題がなくとも、遺伝で説明できる(東大生の親は東大生という奴だ)。東大の学費を政府が補助することはみんなから集めたお金をお金を持っている家の子供に還元することになる。
Even though the California’s tax system relies heavily on sales taxes, which probably makes the state tax system on net somewhat regressive, it’s still the case that a given Beverly Hills family pays much more in taxes than a given family in Watts.
もちろん裕福な家庭の方が多くの税金を払っていることを考えれば一概に逆進的な所得の再配分が行われているとは言えないが、そういう傾向があるのは確かだろう。
アルキアン(Armen Alchian)はさらに家庭の所得ではなく個人の潜在的な所得獲得能力に注目した:
All college calibre students are rich in both a monetary and non-monetary sense. Their inherited superior mental talent–human capital–is great wealth.
大学の学費を援助することの逆進的な再配分を説明するのに家庭を持ち出す必要はない。大学へ進学する人間というのは、将来多くの所得を稼ぐことのできる、潜在的には裕福な人間だからだ。
また東大の例を出せば東大の卒業生が平均的に高所得なのは明らかだ。例え家が貧しかったとしても結論は変わらない。学生の本当の豊かさというのは潜在的な所得獲得能力で決まる。現在の稼ぎ、親の稼ぎ、将来実際に稼ぐかとも関係ない。
College calibre students with low current earnings are not poor. Subsidized higher education, whether by zero tuition, scholarships, or zero interest loans, grants the college student a second windfall–a subsidy to exploit his initial windfall inheritance of talent. This is equivalent to subsidizing drilling costs for owners of oil-bearing lands in Texas.
ここでは油田の開発と比べられている。学生というのは油田地域の保有者のようなものだ。教育というのはその採掘だ。学費の支援は油田採掘へ補助金を出すことだ。
Nothing in the provision of full educational opportunity implies that students who are financed during college should not later repay out of their enhanced earnings those who financed that education.
教育機会の平等というのは、誰もが自分の油田を開発できる環境を提供することだ。そのために必要なのは採掘費用を貸し出すことであって、費用をみんなが負担することではない。
では大学への政府支出が必要ないのかというとそんなことはない。油田の開発を考えれば分かる。油田の存在が国家にとって必要なら税金を使って開発するのは理にかなっている。また例えば大油田が日本のある場所に眠っているとして、その土地の持ち主が政府に採掘費援助を要求しても不思議はないだろう。土地であれば国が接収したり、開発を強制したりもできるが、人間の能力ではそれは無理だ。
また人間は油田とは異なり国際的に移動できる。もしある国が教育費を補助しなければ優秀な人間がさっさと国外に移動することは十分に考えられる。大学レベルでも同じだ。大学が授業料を免除したり、奨学金をだしたりするのは機会の平等のためではなく優秀な学生を捕まえるためだ。だから大学経営が商業的なアメリカのほうが授業料免除や奨学金は遥に多い。
政府は、大学教育への補助を機会の平等のためだと主張するのを止めるべきだ。機会の平等には学費の貸与で対応し、社会のために必要な補助に関してはそうと明らかにした上で適切に行っていく必要がある。
追加:FreakonomicsにもBlogにも関連記事がでている。ポイントは授業料が高いことではない。お金がない学生に対する奨学金が足りないことだ。大学の高い授業料と奨学金は価格差別の一種だ:
Financial aid is, at its core, a price-discrimination scheme. Consumers pay different prices (net of financial aid) for the same service. Higher education is the very rare market where the seller says “Tell me in detail about your ability to pay, and I’ll tell you what your (net) price will be.”
そして価格差別によって、それなくしてはその財を購入できない消費者の手に財が提供されるなら、価格差別は社会的に望ましい。