親子上場禁止をひも解く

昨日は公開会社法が世間を騒がしたが(参考:株主至上主義って?)、親子上場の禁止についても議論があった:

藤末さんのブログ記事の件でもちきりでしたが、こっちも実現なら、インパクト大。でも、こっちは、ベクトル自体は正論だと思うけど > 市場激震必至!民主議員がブチ上げた「親子上場禁止」の波紋 (via tabbata@twitter

この件についてny47thさんと相変わらずの素晴らしいやりとりができたので、内容を簡単にまとめておきたい。

市場激震必至!民主議員がブチ上げた「親子上場禁止」の波紋 – livedoor ニュース

民主党議員が、親会社とその連結子会社がともに上場する「親子上場」の禁止をブチ上げ、波紋を広げている。

「親子上場」というのは親会社・子会社が独立して上場することだ。それが今民主党により禁止の方向へと向かっている。しかし、その根拠は何だろう。

親子上場では、子会社が親会社の意向を受けて不利なことを押し付けられ、子会社の他の株主がないがしろにされる可能性があることが問題視されてきた。

子会社の株主の利害が問題視されている。これは親会社が(定義上)上場子会社の議決権を抑えているため、その他の少数株主が意思決定に影響を及ぼせないためだ。しかし、これを問題と捉えるのは二つの観点から難しい。

まず、少数株主が意思決定に強い影響を持たないこと自体は「少数」なのだから当たり前のことだ。関連会社や他社との持ち合いで、意思決定を一部の株主(の集団)が抑えてしまうことは親子上場でなくてもある。

次に、子会社が不利なことを押し付けられることと株主が蔑ろにされることは全く違うことだ。子会社の少数株主は事前に不利な立場に置かれることを知った上で、それを織り込んだ価格で子会社の株を購入している。小学生がじゃんけんで荷物持ちを決めているようなものだ。じゃんけんをした後では(事後的に)一人の子供がいじめられているように見えるがそれは実態を表してはいない。そこに大人が入っていっても迷惑がられるだけだろう(明日からの友達関係を気にしなければ負けた子供だけは喜ぶが)。

一般に、自発的な取引で片方が「搾取」されることはない。「搾取」されることが分かっていれば取引には参加しないからだ。消費者が騙される可能性はあるがそれを株式市場に持ち込むのは望ましくない。参加者はルールを理解しているべきだし(参考:フランチャイズの問題点)、後で取引をひっくり返される恐れがあっては資本市場が有効に機能しない(注1)。

逆に親子会社の上場が自発的に行われているという事実は、それが親会社にとっても、子会社に新たに出資する投資家にとってもプラスであるということを意味する。親会社であれば子会社の収益ストリームを区別することで効率的に資本を集められるということはあるだろうし、子会社の少数株主とっては(リスクを含め)新しい投資機会となる。他にもメリット・デメリットあるだろうが、ポイントはある自発的な取引が市場で長いこと行われたきたのだから、それなりの理由がある=メリットがデメリットを上回っているはずということだ(注2)。

親会社が子会社の意思決定をコントロールしてしまうことによるガバナンスの問題はあるだろう。しかし、これはまさにガバナンスの問題として対処すべきで、子会社上場を禁止する理由としては非常に弱い。同じ問題は支配的な株主(の集団)が存在する場合には常に存在するし、ガバナンスがうまくいかないとしてその費用を負担するのは結局のところ親子会社と株主でしかない。その費用が上場のメリットを上回っているからこそ子会社上場が行われたはずで禁止する理由にはならない。

では親子会社上場を禁止する真っ当な根拠は何があるだろう。一つ考えられるのは国際的調和だ。要するに他の国では子会社上場が行われていないからそれに合わせようという話だ。通常単に海外に合わせようというのは制度を変更する強い理由にはならないが、海外の投資家が日本に投資しやすくするという点では意味がある株主至上主義って?で批判した外資を悪者にする主張とは整合しないが)。

親子上場を解消する方法はおもに2つ。TOBを実施して他の株主から株を買い取るか、子会社の株を親会社の株と交換する株式交換方式などで完全子会社化 し、子会社を上場廃止にする手法が1つ。もう1つは、保有株を市場などで売却して持ち株比率を3分の1以下に減らすやり方(子会社の上場は維持)だ。

しかし、制度を変更することのコストも忘れてはならない。禁止それ自体によるコスト(上場が持つはずのメリットの喪失)はもとより、親子上場企業が多く存在する現状を急激に変えることは余分なコストを発生させる。これが本当に不況真っ只中の日本に必要なことなのだろうか。

減量に例えればこうだ。理想体重よりも5kg重い人を考えよう。5kg余分でも本人は何も不都合がないが、一ヶ月でそれだけ減量しようとすればそれこそ健康を害する。ましてや体調が悪いときにやることが必要だろうか。しかも、5kg重いのは単に筋肉が多いせいかもしれないのだ。

(注1)これは個人投資家を持ち上げるような動きが何かピントの外れたものであることを示唆している(これは「インフォームド・コンセントと日本」の話とも似ている)。

(注2)取引に参加しない第三者が損害を受けている場合には問題だが、このケースでは思い当たらないし、根拠として報道されてもいない。上場のための費用も基本的に取引参加者(親子会社・株主)の負担だ。

株主至上主義って?

Lilacさんのページからお越し頂いた方:返答ポストがあるのでご覧ください。

今日は民主党の藤末健三議員の発言がTwitterで大きな話題になった。元となったのは次のブログへの投稿だ:

民主党参議院議員 ふじすえ健三: 公開会社法 本格議論進む

2.最近のあまりにも株主を重視しすぎた風潮に喝を入れたいです。今回の公開会社法にて、被雇用者をガバナンスに反映させることにより、労働分配率を上げる効果も期待できます。

被雇用者をガバナンスに反映させるというのは、従業員の代表を監査役に入れることだ。このこと自体の是非やそもそも監査役会の有効性など論点はあるが(参考:民主党政権の試金石「公開会社法」を斬る)、「あまりにも株主を重視しすぎた風潮」とは何のことだろうか。そして日本にそんな風潮があるのだろうか。

そこで、「株主至上主義」で検索してみたところ、藤末議員が以前に書いた記事がトップに出てきた:

日経トップリーダーonline: 「株主至上主義ではない」からグーグルは強い

株主が会社の持ち主であるという株主至上主義の資本主義

これが「株主至上主義」という単語の定義であり、「あまりにも株主を重視しすぎた風潮」というのはこれのことを指しているのだろう。しかし、この定義には大きな問題が二つある。

  1. 株主が会社の持ち主であるというのは株式会社の定義である
  2. 株式会社を組織形態として強制しているわけではない

企業は株式会社という形態をとる必要はないが、それが資金調達に有利なので株主を会社の持ち主にしているのだ。それを抑制するということは、資金調達が困難になり企業の拡大が阻害されることであって、現状のまま従業員への利益配分が増える(=労働分配率が上がる)という意味ではない。

こうした日本企業の株主重視の姿勢は米国企業の追従といえます。

これがアメリカの追従だというが、企業が本当にそんな理由で財務戦略を変更するだろうか。株主を重視することが資本市場から資金を調達する上で重要だからそうしているだけだろう。そうできない企業は高い調達費用を払うことになり市場で不利な立場に置かれる。

グーグルは特殊な株式を導入しています。それはなんと「株式公開前の株主が1株10議決権を持つ」というものです。グーグルには2種類の株式と2階級の議 決権があります。クラスAの株主は1株あたり1票の議決権しか持ちません。一方、クラスBの株主は1株あたり10票分の議決権を行使できるのです。

グーグルが、創設者に議決権を集中させていることを指摘しているが、これは「株主至上主義」と矛盾するわけではない。まず、これは創設者という特別な株主に権利を集中しているだけであり、株主が会社の持ち主という枠組みから外れているわけではない。また、ここでいうクラスBの株主は議決権が少ないことを承知で株式を購入しているため、既に存在する企業とその株主に対して、新しいルールを導入することとは全く異なる(注)。

グーグルは株主への配当がないようです。実際に最新の会計報告(2007年)を見ると配当は見当たりません。このようなグーグルの株主至上主義をある意味否定するようなスタイルですが、急激な成長を実現していますので、許されているようです。どこまでこのスタイルを貫き通せるかが注目されます。ある意味、「株価は上げるから…」という経営のやり方ですね。

配当がないことも挙げられているが、これは成長産業では当たり前の戦略だ。市場で資金を調達するより内部留保を再投資する方が調達費用は少ないし、既存株主の持分割合も減らない企業にとっても株主にとって都合がいいのであり、「許されている」わけではない。例えば、マイクロソフトは創業(1986年)以来長年無配当を続けていたが2003年に配当を始めた(参考:ついに配当決めたマイクロソフト)。これは大量の資金を効率的に再投資する対象がなくなったというだけで、「株主至上主義」を辞めたわけではない。マイクロソフトが相変わらず莫大な利益を出していることは言うまでもない。

要するに創業者に議決権を集中しつつ配当もしないでいるからグーグルが強いのではなく、グーグルが創業者の元で成長しているから議決権を確保したまま無配当を続けても誰も困らないのだ

わが国の株式市場の三分の一が外資に占められ、流通している株式の7割近くを外資系がコントロールする状況です。株価は外資に決められ、そして外資の要求 に経営陣が応えていくことが求められています。この状況を打破し、雇用を作り、社会に貢献する企業に資金が集まるような仕組みを作れたときこそ、わが国の 産業の競争力がいっそう強化されるのではないでしょうか。

これが結論部だ。しかし、株式市場が外資に占められていること自体は悪いことではない。それだけ資金が集まるおかげで企業は安く資本を調達できる。また、株主が外資でなくとも、投資家としてリターンを要求するのは当たり前のことだ。でなければ誰もリスクをおって投資などしない。

「雇用を作り、社会に貢献する企業に資金が集まる仕組み」を作るのは素晴らしいことで、それこそが資本市場の存在意義だが株主重視や外資の存在でそれが妨げられているのではない。外資を含めより多くの資金が入ってくる魅力的な市場を作り、安価な資本が成長する企業(=これから社会に貢献する企業)へと配分されていくようにすることが必要だ

むしろ心配すべきは、資本市場が魅力をなくし、外資が逃げだし、企業が拡大のための資本を集められなくなることだろう。この最悪のシナリオの現実性は増すばかりだ。

(注)この辺はTwitterでのmoraimonさん、katozumiさんとのやりとりから書きました。

P.S. 藤末議員は立派な経歴をお持ちかつ、ブログ・Twitterで情報を発信されている貴重な政治家なので、こういったネット上での議論を役立てていい方向に持っていってほしい。

追記

  • 上場時点でGoogleは強かったので「株主至上主義のアメリカだから強いGoogle”も”誕生した」というのは言い過ぎだろう。もちろん彼らが上場して大量の資金を手に入れ更なる発展を遂げているのは「株主至上主義」のおかげでもある。
  • 「企業の利益の分け前が欲しければ株を買って株主になればよい」というのはその通り。企業と労働者を二つに分けるのは間違っている。リスクや統治上の是非はともかく持株会などを通じて自社株を保有する従業員は多いはず。

日米のサービス・レベル

元ネタが2chですが在米日本人には馴染みの話題なのでご紹介:

佐川急便客なめすぎwwwwwwwwwwwww:ハムスター速報

佐川急便が荷物をガスメーターに置いていくとメモを残したという話だ。佐川のサービスは問題だという反応が大半だが、アメリカでは荷物を勝手に放置して消えていくのはごく普通だ。例えばUPSのページを見てみよう。

Learn About the UPS InfoNotice

これはInfoNoticeと呼ばれる要するにメモだ。適当に記入された状態でドアの前に張り付けていく。家に帰ってこれを見つけるだけで気分が悪くなることが請け合いの代物だ。しばしば風に飛ばされて地面に落ちてる。

最初の項目は送り主と何度目のトライかだ。1st・2ndのあとはファイナルだ。要するに三回とり損ねるともう配達してくれない。集積所まで取りにいくしかないが、車がないとどうにもならないことも多い。また、送り主によっては三回トライしてダメなら自動的に商品を戻してしまう(最初に発見した時点で二回め何てこともある)。

お次は曜日と時間帯だ。これは配達人が残すものなので、ここで曜日と時間を指定すると来てくれるというものではない。というかそもそもネットで買い物をして時間帯を指定するというのを見たことがない。一方的にチェックされた曜日(翌営業日)・時間(四つしか区分がない)に次来るよということだ。曜日は平日しかなく、大抵は真っ昼間に来る。火曜日に家に帰ったら水曜日の10時半から2時に次配達するからよろしく、とか言われるわけだ。

一応ネットで変更できるとあるが:

Note: Delivery Change Requests made after 7:00 p.m. will be processed the following business day up to the day of the final delivery attempt. Will Call (hold for pick up) requests may be made up until 11:59 p.m. to be processed the next business day.

7時以降の要求は翌営業日処理なのでもう遅い。この時点で二回取り逃し決定なので残りは一回で家にいても配達人に気づかなければ終了となる。

最後は置いていく場所だ。サインが必要でない荷物の場合はここでチェックされた場所に勝手に放置される。ドアがついていなくても屋根がなくても気にせず置いていく。本ぐらいは当然家の前に放置される。配達人が家を間違えることもあり、注文したコンピュータ部品が隣の家の玄関の前にあった台に放置されているのを発見したこともある。放置してその場所をとおりすがりの人が見えるような場所に書いていくので当然なくなることもあるが、集積所や送り主戻りになるぐらいなら置いてってくれと思うことのほうが多い。

ちなみに電話番号とか便利なものはないので配達途中で来てもらうことはできない。そもそも、仮に電話しても対応してくれることは想像できない。アメリカは電話で呼んだタクシーがいつまでたってもこないので再度電話したら「やっぱ無理!」とかいうサービス五流国だ。

では何故こんなサービスで成り立つかについてだが、いつもコメントを頂いているWillyさんの最新の記事及びそこで紹介されている海外ニートさんの記事に答えが書いてある:

「自分が奴隷のように働かなくていい反面、受けるサービスのレベルも低い」

お客様wとして過度なサービスを求めるから、働く側になった時に過度に働かなくてはならないという罠w。

働く側も客が神様となんて欠片も思っていないし、客も自分が神様扱いされるとなんて思っていないという話だ(そもそも一神教が大多数なので神様は神様であって何か別のものが神様なんて発想自体ない)。サービスの質というのは複数均衡になっている。サービスが高いのが当たり前だとみんなが思っているとサービスの低い店ははやらない。だから企業はサービスのできない人間を雇わない。そしてその労働者は自分が消費者のときに高いサービスを要求する(全ての場所で同じレベルを要求しなければこうはならないのだけど…)。

配達の例はちょっとどうにかしてくれよと思うが大抵のことは慣れればなんでもない。レジ係が不機嫌そうでも給料の低さを考えれば何とも思わなくなるし、郵便局でNext!!!!とか呼びつけられてもそういうもんだと思えばどうってことはない。サービスレベルの高い社会というのは住みやすくていいものだとは思うが、何事も極端なのは効率が悪いだろう。日本がいい仕事さえあれば最高に住みやすい場所だってのは何も偶然ではないわけだ(注)。

(注)こういう記事を書くとじゃあ日本に帰らなければいいという的外れな批判がなされるが、海外との比較を通じて日本社会をよりよくしようという考えが重要だ。個人的にはこういう問題を考慮した上でも最終的には日本に住みたいかなと思う(どうなるかは分からないが)。

コメント関連の追記

  • 「車がないとどうにもならない」車を持っていたらフードスタンプを貰えないとか言う制限はあるのだろうか:これはないはずですが、車の必要性が薄い地域だと問題になります(まあアメリカにはほとんどありませんが)。
  • 単に米の労働者は組合等に守られているためにサービス向上が成されないだけのような:アメリカの労働組合組織率はかなり低いです(参考)。政府部門が比較的小さい影響で数字が小さくなる傾向もあると思いますが。

次は何の自給率だ

お願い:剽窃行為にあい、現在相手側に適切な対応を求めています。よろしければ「剽窃の検証」で詳細をご覧ください(本文と関係のないこの文章は後日削除します)。

民主党政権の経済政策はどれもおかしなものばかりだが、またすごいのが出てきた:

NIKKEI NET(日経ネット):経済ニュース −マクロ経済の動向から金融政策、業界の動きまでカバー

官民の研究開発投資を国内総生産(GDP)比4%、食料自給率と木材自給率を50%にする目標も明記する。来年春に具体策をまとめる。

少し前に「木材の自給率は、食糧自給率よりも深刻かも。」というエントリーが話題にのぼった。

食糧よりも、深刻な問題になってきているのが、木材のほうじゃないでしょうか。木材の日本国内で消費される総需要に占める国産材の比率は、平成20年で24%ですから、ほぼ四分の三は輸入材に頼っています。

林業が抱える問題については次のように指摘している:

日本の林業の問題は、第一は価格競争力がないこと、第二は、日本の木材は水分を多く含んでおり、長期に乾燥させないと反ってしまうなど品質が安定しないこ と、さらにもっとも重要だと思うのは産業化が遅れており、技術開発や長期的な視点で林業経営を行うプレイヤーがいないということのように思います。

しかし先進国である日本に第一次産業である林業の比較優位がないのはごく自然なことだ。お金をばらまいても無駄になる。逆に世界的に木材が足りなくなれば国内林業の相対的な競争力は勝手に上がり、生産は増える。原油価格が上がれば採掘コストの高い地域でも商売になるのと同じだ。このメカニズムには政府の助けは必要ない。上の指摘のように産業化進めるのが適切だろう。

食料自給率同様に有事の際の供給問題は存在するが、食料程の説得力はない(注)。木材は貯蔵可能だし、戦略資源でもなく、いざとなれば切り出せばよい(貯蔵不可能という指摘があるが、植えとくのは貯蔵の一種だろう)。

一方、木材の自給率をあげようという政策には多くの問題がある。まず、市場で決定される国内供給量を変えるのだから生産者か消費者(ほぼ確実に前者)へ補助金を出す必要がある。これは市場を歪め死加重損失を出すし、税金が必要なので課税によるそれに伴う死加重損失も生じる。しかも、一部の生産者が莫大な利益を上げ、ほとんどの消費者には大きな影響がでないのでロビー活動の恰好の目標でもある。利益の一部を政治家に供与することで見返りとして補助金を導入させるのだ。

今回の木材自給率を上げようという方針の根拠は報道されないが慎重に吟味する必要がある。適当な理由をつけて自給率を上げようというやり方が認められるなら、好きなように生産者に補助金をばらまくことが認められるも同然だ

(注)食料でもほとんどないだろう。一番問題なのはエネルギーだろうがそちらはまともな解決策がない。

追記

新しい情報があった:木材自給率10年で50%へ 政府の再生プラン

日本の林業は零細な森林所有者が多く、作業道の整備も不十分で、木材の大量、安定供給が課題となっている。このため人工林の3分の2程度を対象に、1ヘクタール当たり100メートルの密度で作業道を整備。林業先進国のドイツ並みとし、低コスト化を図る。伐採作業を集約化するため、森林所有者や流通関係者と連携して収益の出る作業計画をつくれる専門家を、11年度までに2100人育成する。

問題は「日本の林業は零細な森林所有者が多く」という部分だろう。よって森林の売買を簡単にし企業が参入できるようにするというのが標準的な解答なはずだ。規模があれば作業道の整備も内部化され、勝手に低コスト化を図るはずだ。国が出てくる必要はない。

参考

この話がTwitterに出た時のny47thさんの次の発言は以上の内容を一行で表している。

自給率という言葉は比較優位性のない分野への補助金誘導や保護貿易政策を正当化するための方便ではないかと昔から思っていたりする。

全くその通りとしか言いようがない。補助金誘導・保護貿易正当化に使える以上、こういった政策をとる場合には通常よりも重い説明責任があってしかるべきだ。

コメント

  • 「競争すれば生産が増える←これ笑ってもいい?」:切り出してくる量は増えるのでは。常に整備が必要という意見はありそうですが、価格の高騰が予測されるならそれを見越して需要が低い間も整備を行うかと。どうぞ盛大にお笑いください。

日本の強みは東京にある

日本の強みは集積経済

日本国内のグローバル化において、グローバル化が日本に及ぼす影響を日本国内での地方の衰退と比較し、「東京が地方の政令指定都市のような存在になる」と主張した。この変化はWillyさんが指摘されたように、

もっともマクロ的な指標から考えると日本が他の先進国対比で衰退するスピードはそれほど急速ではないと思います。例えば日米の一人当たり経済成長率を比べ ると米の方が高いと思いますが、その差は大きめに見積もって1%程度です。Medianで比べたらもっと小さいか、逆転の可能性もあるでしょう。

一部の論者が騒ぎ立てるほど急速には進まないが、徐々に進行していく。そのとき、日本の強みは何だろうか。

私は、将来日本の最大の強みは東京という巨大集積経済になると考える。都市の集積経済(urban agglomeration)の経済効果は莫大だ。規模の小さな経済地域では成立しないようなビジネスも可能だし、集中した都市機能は企業活動を効率化する。また環境税を含めた資源価格の高騰は地理的な集中を有利にする。地価が高すぎると言う向きもあるが、地価の高さは逆に集積経済のメリットがどれだけ大きいかを示している。

再び国内との対比に戻れば都市の優位性は明らかだろう。都心部への労働人口の集中は総体としての地方の衰退をもたらしたが、その程度は地方の中でも辺境の地域において深刻であり、地方でもっともうまくやっているのはもともと規模のある都市部である。それが世界規模で進行するのなら、日本の頼みの綱は東京ということになる。

東京の規模

東京が大都市であることは誰でも知っているが、その経済規模が本当にずば抜けたものであることはあまり知られていない。行政区域としての東京、すなわち東京二十三区、の人口は約880万人で世界11位に過ぎない(首位はインドのムンバイで約1,300万人だ)。しかし、行政区域がどこでしきられているかは経済的には重要ではない。例え、街の名前が違っていても街が完全に連続していれば途中で区切ることに経済的な意味はないし、ほとんどの人が東京に勤めているようなベッドタウンは実質的には東京の一部だ。

このような実質的な指標においては東京という都市は世界でも群を抜いて大規模だ。例えば、人口密度を元にしている国連による都市圏のトップ10は以下の通りだ(Wikipedia; World Urbanization Prospects: The 2007 Revision Population Database):

  1. 東京(日本):35,676,000人
  2. ニューヨーク(アメリカ):19,040,000人
  3. メキシコシティ(メキシコ):19,028,000人
  4. ムンバイ(インド):18,978,000人
  5. サンパウロ(ブラジル):18,845,000人
  6. デリー(インド):15,926,000人
  7. 上海(中国):14,987,000人
  8. カルカッタ(インド):14,787,000人
  9. ダッカ(バングラディシュ):13,485,000人
  10. ブエノスアイレス(アルゼンチン):12,795,000人

東京がいかに巨大かがよく分かる。人口が急激に伸びているインドの都市が目立つが、それでも東京の半分程度の規模だ。私が今住んでいるサンフランシスコとイーストベイを含む都市圏は人口・面積ともに東京都市圏の十分の一だ(道理で田舎っぽい気がするわけだ)。

もしグローバル化によって都市への集積が進行し、都市経済の重要性が増すのであれば日本という国にとって東京の重要性はさらに増していくはずだ。

東京に集中するビジネス

近年の資源価格の高騰・去年からの世界的な不況・円高の急速な進行もあり、日本企業の収益は悪化しているが、東京への主要ビジネスの集積は変わっていない。これをFortune Global 500を使って見てみよう。2009年度のGlobal 500のトップ10は石油会社が台頭しており(参考:原油買うので手一杯)、日本の企業としては唯一トヨタ自動車が10位に入っているだけだ(石油関連以外ではあとWalmartとING Groupが入っている)。しかもトヨタは今年赤字決算であった。

しかし、Fortune 500に入る企業がどこに所在しているかを見ると面白いことが分かる(Wikipedia)。

  1. アメリカ:140社
  2. 日本:68社
  3. フランス:40社
  4. ドイツ:39社
  5. 中国:37社

中国経済の拡大もあり、徐々に数は減らしているものの日本には多くの大企業が残っている。これをさらに都市別にすると、その東京への一極集中具合が分かる。

  1. 東京:51社
  2. パリ:27社
  3. 北京:26社
  4. ニューヨーク:18社
  5. ロンドン:15社

ここでも東京の規模は圧倒的だ。二位・三位のフランス・中国もまた中央集権的な国家だ。

まとめ

グローバル化が国内での都心への人口集中同様の効果をもたらすのであれば、日本の中心としての東京の重要性は増していく。東京は現時点で世界最大の集積経済であり、グローバル化で日本の国としての相対的優位がなくなっても、その地位を維持していく。地方へのばらまきをやめ、東京都市圏への適切な投資を行っていくことが重要になるだろう

コメントに関する追記

  • ソウルが都市圏トップ10に入っていないのは都市圏の定義の仕方とデータ不足によるものです。雇用をベースにした都市圏の定義では2位につけるものもありますね。しかし東京都市圏が群を抜いているというのはかなり頑強な事実ないように思います。
  • 東京一極集中のリスクについて複数のコメントを頂きました。最もな懸念であり、都市国家である香港やシンガポールはいずれも国防の面で脆弱なのは否めません。ただ、リスクを理由に第二新都心設置や首都移転をしてもよい結果になるとは思いませんし、何より現在の地方への移転の根拠は東京の都市としてのリスク分散ではないでしょう。また、ここでの主張は東京へ資源を集中させるというよりも、現状の地方への莫大な移転を控えて適切な投資を行うという穏当なものです。この問題についてはコメント欄の毒之助さんやWillyさんの発言をご覧ください。
  • 都市部と地方での公平性の問題についてはasatsumaさんから、相続税をキーにコメントを頂いたのでご覧ください。
  • 日本で二番目の規模を誇る大阪大都市圏は世界で見ると大体十位ぐらいです。ちなみに都市の規模についてはジップの法則が成立することが知られています。
  • 東京に消費地以外の意味があるのかについては、世界規模の企業の本社が集中しているということで十分説明できています。工場だけが東京になくても付加価値を生み出しているのは東京でしょう。
  • 「金融もITもサービス産業も生産性が低い」:輸出入は比較優位で決まるのですべての生産性が低い国はありません。分散したら一段と生産性が落ちるでしょう。
  • 「東京には大半の人は住めない。子供を生んで育てるサイクルがない。」:先進国なら概ねどこでも同じです。親が地方にいる過渡期なのが原因かもしれません。
  • 「地方都市集積はダメ?」できればいいですが、補助金を回しても寂れる一方なので現実的な財政出動では不可能でしょう。
  • 「東京の込み具合は頭おかしいとしか思えない。」あれはあれで非常に効率的ですし、きちんと投資すればかなり緩和できるのでは。密度の低い街は人と会うのも大変ですよね。
  • 「東京に投資するいうても、道路と高層建築(基本その地代)につっこんでるだけやん。」:高層建築と交通機関への投資は重要では。同じことを地方でやる現状よりははるかに効率的でしょう。
  • 「「東京都市圏は世界的にも凄い→東京への投資が重要」って物凄い論理の飛躍だな。」:東京の資源が地方へ吸い上げられていても東京都市圏がすごいというのは東京への投資が効率的である可能性の高さを示すと考えます。
  • 「東京だけの一極集中は賛成できない。」:他のコメントにも共通しますが、一極集中を推し進めようという積極主張ではありません。大都市へ集中していくという経済の流れに税金で対抗するのはやめよう程度です。
  • 「多くの物の遠隔地からの供給コストが抜けてる。」:地方も自給自足ではありません。また供給コストはすでに価格に織り込まれています。
  • 小泉政権で既に行われた的コメントがいくつかありましたが、それは正しいかどうかとは関係ありません。
  • 他所で既に同様のことが論じられているというのも当然そうだと思います。リンクされている場所以外は見ていないので何か新しい見方を提示できていれば幸いです。
  • トヨタは愛知ですがトヨタが発展したのは地方への所得移転ではないでしょう。またこれから国際的な規模の企業が生まれるとしたらそれは大都市、特に東京になるように思います。
  • 都道府県のデータを表にされている方がいらっしゃいました。
  • 「データが都市人口と会社数だけで、この主張を信用していいものか正直疑う。」:どんな主張も疑うべきだと思います。これはブログなのでとりあえず二点程意外に知られていない事実を紹介しました。定性的にはこういう考え方もできるということなので、定量的な話は実証しないと分かりません。
東京だけの一極集中は賛成できない。