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交通機関への補助金

民主党による高速道路無料化にフェリー業界が反対しているニュース(税金に駆逐される! 民主政権に怒りのフェリー業界 (1/2ページ) – MSN産経ニュース)に関連して:

2009-11-08 – A.R.N [日記]

交通機関への補助金を減らして競争させるという大筋には大賛成だが気になる点があるのでコメントしてみる。

経済学的には補助金投入しなきゃ生き残れないような産業は潰れるしかない。

これは事実として正しくない。交通機関は通常の産業とは多くの点で異なる。交通機関の種類によって正・負の外部性、自然独占、莫大な固定費用など多くの問題がある。

互いに重複する部分もあるがいくつか挙げると:

  • 正の外部性
  • ネットワーク効果
  • 公共財の供給問題
  • 固定費の回収

正の外部性を持つ産業・企業には補助金を出すか、国が直接供給を行うことが正当化される。例えば、より環境にやさしい交通手段に補助金を出すことは環境負荷を減らす上で望ましい。

ネットワーク効果はタクシーなどに当てはまる。タクシーというのはある程度数がいないと利便性が損なわれる。そのため、あるタクシーが存在することは他のタクシーにとってもプラスだ。しかしその利益を本人は回収できないため、過小供給となる。これも一種の外部性である。

また交通機関は公共財の一種であることが多い。そのため、税金を助けを借りずに適切な投資を行うことは難しい。投資を行ったあとの交渉においても問題がある。例えば、二点を結ぶ鉄道路線があり、多くの人がそれを望んでいた(総支払意志額が費用を上回っている)とする。鉄道会社はこの路線を引けば、十分な運賃を徴収できるはずだ。しかしもし運賃の設定において市町村との交渉があれば、既に投資は終了しているため買い叩かれることになる。事前にこれを予測した鉄道会社はそもそも投資を行わない(ホールドアップ)。

高速道路や鉄道のように莫大な固定費用が発生する交通手段ではその回収も問題となる。鉄道同士の競争では過剰競争によって固定費用を回収できない破滅的な競争になることがある。高速道路では社会的に最適な混雑料金の設定が望まれるが、最適混雑料金で固定費をまかなうことができるかは技術(規模の経済)によるのであって、一般には混雑料金からの収益と固定費用は一致しない。前段落の例はこの一形態としても捉えられる。

これらの問題から交通機関に関しては多くの規制がかけられる。鉄道やタクシーでは料金の変更に規制があるし、高速道路ではほぼ政府が価格を設定する。フェリーの例でも補助金が支出されているし、新幹線・高速道路・空港建設においては政府の関与は不可欠だ。また通常の道路に関しては政府が負担する以外の方法はないだろう。実質的に広義の補助金をなくした競争を実現するのは不可能といえる。

ではどの交通機関が本当に国民に望まれているかをどうやって測るのか。

フェリーは、寝てる間に移動できる乗っているだけで楽しめることもあり、個人的には好きな乗り物だが、時間がかかりすぎてとてもではないが長期休暇がとれない日本の労働者には実用的とは言いがたい。

この一節にあるような計算(費用便益分析)を政府が行うことになる。十分な競争環境を整えられるのであれば、市場で価格決定を行うのが望ましいがそれができないのであれば市場に任せても望ましい供給・投資水準は達成されない

交通機関であれば、まず交通需要のモデルを作り、特定の交通機関の有無による交通量の変化を計算する。その上で移動時間短縮により生じる経済価値を用いて社会余剰を計算する。移動時間短縮の価値は統計的に推定する。具体的な方法については国土交通省のマニュアルなどがある。

もちろん、この推定の過程で政治の影響が加わることはあるため、それを抑える意味で単独での採算性を意思決定に組み込むのは妥当だろう

P.S. まあどう計算しても高速道路無料化なんていう結論が出てくるはずはないので民主党の言っていることは明らかにおかしいが。

追記:ちょうどアメリカにおける高速鉄道導入の是非についてよくまとめられた記事があった。

便乗値上げの規制

アメリカでは多くの州に存在する便乗値上げ(price gouging)の規制について:

Not helping out due to anti-price gouging laws « Knowledge Problem

便乗値上げの規制が何故必要なのか、以前に大抵のエコノミストはそもそも「便乗」値上げが何かと言われると返答に困るだろう。災害時(アメリカではハリケーン、日本なら地震だろうか)に必需品の価格が上がるのは単なる需給の問題だ。

Gasoline consumers in the state would obviously be better off with more supply brought into the state rather than less, and with these stations offering gasoline at a high price rather than not offering gasoline at all.  The law impedes activities by gasoline retailers that would help gasoline consumers.

便乗値上げの禁止という一種の価格規制を導入することは、災害時の供給を減らすことにつながる。短期では、サプライチェーンを全て規制しない限り小売店は在庫を売りきったら終わりだ。長期では、社会的に最適な投資(余分な在庫)が行われない。

この構造は電力市場のメカニズムと似ている。電力は貯蔵不可能でかつ需給がミリセカンド単位で一致する必要がある。しかも個人宅ではリアルタイムで価格を確認することができないので短期価格弾力性はほぼゼロだ。ピーク時と非ピーク時の需要量も劇的に異なり、一部の発電施設は僅かなピーク時にしか起動されず限界費用が極めて高くなる。

電力の供給曲線=限界費用曲線は容量いっぱいのところでほぼ垂直に立ち上がるので、価格規制がなければ需給量が容量限界に達すると一気に価格が跳ね上がる。短期ではこれにより電力会社の費用が上がるわけではないので一種の便乗値上げとも言えるが固定費用が莫大な産業なのでここでレントが発生しなければ容量への投資が行えない。

電力市場ではこのピーク発電能力の確保とピーク時の市場支配力の増大とのバランスを保つためにプライシングの工夫・予備電源の義務付け・連絡線強化・長期契約推進・資産売却命令(divesture)など様々な努力がなされている。便乗値上げについても、単純な値上げ規制より踏み込んだ対策が必要だろう。

P.S. 災害時の便乗値上げを監視するガイドラインをもつ地方自治体は見つかるが、肝心の根拠法が見当たらない。地方レベルの政策なのだろうか?

ブログにおける広告の規制

連邦取引委員会(FTC)がブログにおける宣伝行動について発表した指針が波紋を読んでいる。

More transparency coming to blog reviews under new FTC rules – Ars Technica

指針の内容は以下の通りだ:

“Consumer-generated media” outlets (e.g., bloggers) will now have to disclose if they are being compensated by a manufacturer, advertiser, or service provider when they review an item.

ブロガーを一つとした消費者発信メディアにおいても、補償をうけて製品レビューについてはその情報を公開すべしというものだ。これには多くの問題が指摘されている。

  1. そもそも補償をうける(being compensated)が何を意味するのか不明確である(レビュー用サンプルを受け取ることは該当するのか。
  2. ルールが作られる過程に消費者メディア側の意見が取り入れられていない。
  3. オンラインとオフラインとの区別が恣意的である。
  4. そもそも言論の自由を侵害するのではないか。

2番目の問題が他の問題に深く関連している。消費者メディアにはわかりやすい代表団体がいない。参加者の数が膨大かつ利害が一致しないためだ。記事中では、Interactive Advertising Bureauという、ネット上での広告企業の団体がFTCを批判している。

さらにもう二点ほど重要な論点があるだろう。一つは規制をかけるとして誰に義務をおわせるのが適切かということだ。ブロガーが情報を適切に公開する義務を負うのと、製造者・広告主が義務を負うのとではどちらが効率的なのか。実際にエンフォースするための費用を考えるとブログの場合後者が適切なように思える。

二点目はそもそも情報開示を強制する必要はどこにあるのかということだ。お金をもらって製品レビューをすることがそれほど読者にとって望ましくないのであれば、それをしていない人がそれを明示するようだろう。これは財務諸表などの会計情報開示や会計監査がそもそも必要なのかどうかという問題と同じだ。実際オフラインでのこのような規制がない一因はこれだろう。例えばコンピュータ雑誌をみてそこのレビューを本気で信用するひとはいないだろう。雑誌には広告主がいるわけで信用する理由がない。逆にレビュー対象から一切広告を含めた収入を得ないことを売りにしている雑誌もある。別に言論の自由に触れるまでもなくこれで十分ではないかということだ。

NYCのカロリー表示法律

NYCで外食チェーンでのカロリー表示を義務付ける法律が施行された。

Calorie Postings Don’t Change Habits, Study Finds – NYTimes.com

しかし、予定通りとはいかないようだ。

About 28 percent of those who noticed them said the information had influenced their ordering, and 9 out of 10 of those said they had made healthier choices as a result.

28%の消費者はカロリー情報が注文に影響を与えたと答え、10人に9人はより健康的なメニューを頼んだと言っている。

But when the researchers checked receipts afterward, they found that people had, in fact, ordered slightly more calories than the typical customer had before the labeling law went into effect, in July 2008.

[…]

For customers in New York City, orders had a mean of 846 calories after the labeling law took effect. Before the law took effect, it was 825 calories. In Newark, customers ordered about 825 calories before and after.

しかし実際にレシートを集めてみるとなんと摂取カロリーが増えているということだ。もちろんカロリーが増えたこと自体は法案の効果がないことを意味しない。マクドナルドでの買い物内容には差がでなかったとしてもそこでの摂取カロリーを認識することで他の食事の内容が健康になる可能性はある。また長期的な影響はプラスかもしれない。

When asked if he had checked the calories, he said: “It’s just cheap, so I buy it. I’m looking for the cheapest meal I can.”

だが本当の問題は貧困にあるようだ。ファーストフードチェーンを訪れる客の多くは単に価格で食事を選んでいる。アメリカでは低所得者層やマイノリティの肥満率が有意に高い。栄養情報を有意義に使う知識があるのかも疑わしい。

何故嘘は犯罪ではないか

嘘をつくことが何故法律で規制されないのかについて:

Overcoming Bias : Allowed Lies

We now empower the legal system to punish folks for “fraud” in misrepresenting themselves in contracts, and for certain other sorts of lies known as “slander” and “libel.”  Which makes sense because we think such lies hurt us overall. But beyond these cases the legal system isn’t much empowered to punish lies.  Why?

詐欺や名誉毀損などは規制されているが一般的な嘘は規制されていない。理由はいくつか挙げられている:

there are many areas in which it is not very clear what exactly is a lie

there are also many other areas, such as in flattery, where we are well aware that most folks lie most of the time

一つには嘘を定義するのが難しいケースがあること、もう一つは真実とは異なることを述べるが当たり前のケースがあることだ。

we could voluntarily choose to bond ourselves to a private agency that would keep some deposited cash if we were ever caught in a lie.

さらに規制されていないだけではなく民間企業が嘘をつかないことを保証する仕組みを提供していないと指摘している。

一番大きな問題は嘘が定義しやすいかどうかというより嘘をついたことを確定する手段がないことだろう。著者のRobin Hansonは、既婚者が独身を装って女性に声を掛けるケースを挙げている:

For example, consider the case where a married man lies about whether he is married when trying to attract a single woman into a relationship.  Single women typically insist they do not want such lies, and it would be easy to determine if the man is in fact married.  So why do we not use the legal system to discourage such lies?

もちろんこの場合嘘をつく本人は意図的に嘘をついているので民間企業が信頼を担保することはありえない。彼は、

the costs to reliably determine if a lie happened could be low

嘘をついていたかを判定するコストは低いといっているがそんなことはないだろう。言ったか言ってないかという話は常に確認は困難だ。結婚しているかいないかを話のネタにすることも考えられる。

また、この例でいえば行動の帰結が規制されているため行動それ自体を規制する必要はあまりないし、本当に未婚か否かを知りたいのであれば比較的小さな費用で調べることが可能だ。

言論の自由との兼ね合いがあるので「嘘」を規制するのはそれが正確に定義でき、有無が正確に決定でき、帰結を規制するのでは足りず、情報を提供するのでも間に合わない場合に限るべきだ。そしてその数少ない例外が詐欺・名誉毀損の類だろう。

ちなみに著者はジョージ・メイソン大学の経済学者であるが、このエントリーには経済学者らしからぬ部分がある。

Single women typically insist they do not want such lies

それは嘘をつかれたいかどうかと聞かれれば嫌だと言うだろう。いい人とそうじゃない人どっちが好みかと聞かれたらいい人だと答えるようなものだ。一般に言って、あるものが欲しいと発言することとそれが本当に欲しいこととは別のことだ。

“Everything is worth what its purchaser will pay for it.” – Publius Syrius

単に質問してもしょうがない。相手の行動とその行動を取るための費用を観察することが必要だ。