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拷問の方がマシ

追記:数字の解釈についてデータ・経験に基づくコメントをいただきました。ご覧ください。

エコノミストの考え方が象徴的なポストがあったのでご紹介。ついでにアメリカの少年拘置所(Youth detention center)の実態も垣間見える。

Overcoming Bias : Torture Kids Instead

一行でリンク先の提案を纏めるなら、非行少年を今の拘置所に入れるぐらいなら拷問したほうがいい、ということだ。エコノミストはこういう一見過激な結論を述べることが多いが、批判する前に待ってほしい。大抵の場合、本人も本当にそれが何らかの絶対的基準に照らして望ましいと信じているわけではないのだ。むしろ、冷静に考えてみたらこういう結論になるのでそれを仕方なく受け入れているというのが正しい。ではこの場合の理屈はどうなっているのか。

The US state is a horrible parent; 12% of its “detained” kids are sexually abused each year, versus 4% of adult prisoners.

アメリカの少年院の実状が明らかにされている。毎年、収容された少年の12%(大人は4%)が性的虐待を受けてそうだ(BJSのソース)。多くの収容所ではその割合が1/3にものぼる。これが現状だ。

But, honestly, torture and execution look pretty good to me when compared with our actual prisons; … Branding or stockades seems less cruel than rape in pretty much any book.

ここに筆者の価値判断として、かなりの確率でレイプされるぐらいなら、焼き印や拘束台(注)に繋がれる方がマシではないかとされている。この価値判断はそれなりに妥当だろう。上の事実とこの判断を認めるなら、今の拘置所よりも拷問のほうがマシだろう、という結論を受け入れざるをえなくなる。それは拷問を肯定することではない。

Compared to prison, punishments like torture, exile, and execution are not only much cheaper, but they can also be monitored more easily, letting citizens better see just how much punishment is actually being imposed.

さらに、拷問は収容に比べて費用がかからず、適切な執行がなされているかをモニターするのも容易である。後者は、収容所・刑務所の問題が管理する人間をうまく管理する方法がないというところにあることを考えれば重要な論点だ。

この結論を受け入れたとして拷問を導入する必要はない。現状の刑務所を改善し、拷問の方がマシだという状況を変えればよい。してはならないのは、結論を批判し、現状に目を背けることだ。例えこの事例が日本に当てはまらずとも、どんな問題についてもまず現状を理解するのが必要なことは変わらない。

(注)Stockade。定訳不明。晒し台(Pillory)の晒さないバージョンのこと。

追記

どうしても理解できない方がいらっしゃるのでまとめると、[latex]A=[/latex]現状の刑務所、[latex]B=[/latex]体罰の方がまし、として[latex]A\Rightarrow B[/latex]だと述べています。これは[latex]B[/latex]を意味しません。なぜなら[latex]A[/latex]が真でなければ[latex]A\Rightarrow B[/latex]でも[latex]B[/latex]は真になりません。

大学院に行く間違った理由

株主云々の話が続いて飽き飽きという人も多いと思うので教育ネタを。

アメリカの大学教授が書いた、人文系(Humanities)の大学院にいくべきではないというエッセイのご紹介。大抵の分野は人文系よりマシだが、キャリアをよく考えて決断すべきというのは変わらない。博士号取得者の就職難が話題になった日本にも当てはまる。

Graduate School in the Humanities: Just Don’t Go – Advice – The Chronicle of Higher Education

I have found that most prospective graduate students have given little thought to what will happen to them after they complete their doctorates. They assume that everyone finds a decent position somewhere, even if it’s “only” at a community college (expressed with a shudder).

大学院の進学者が学位を取得した後にどうするかあまり考えてもいないのはアメリカでも変わらない。どこかににそれなりのポジションを得られるとぼんやりと思っているだけだという。

よくある進学理由が挙げられているが、これはほとんどの大学院生に当てはまる(残りの三つは本文参照):

They are excited by some subject and believe they have a deep, sustainable interest in it.

一つの興味があるからといってその興味が持続すると信じている。これは経験の少なさによるものだろう。自分があることに(だけ)興味があると信じるがゆえに他の事柄に目を向けず、いつまで立ってもその可能性にすら気付かない。

They received high grades and a lot of praise from their professors, and they are not finding similar encouragement outside of an academic environment. They want to return to a context in which they feel validated.

学校でいい点数をとり教授に褒められるが、他の場所ではうまくいかないから進学する。人間、自分が認められる場所が心地よいというのはその通りだけど、それでは成長しないという面もある。

適材適所と言えば聞こえはいいが、頑張れば伸びる部分もそれを言い訳にするようになる。ちょっと人と喋るのに気後れする人が、いつのまにかそれを誇らしげに語る。

They are emerging from 16 years of institutional living: a clear, step-by-step process of advancement toward a goal, with measured outcomes, constant reinforcement and support, and clearly defined hierarchies. The world outside school seems so unstructured, ambiguous, difficult to navigate, and frightening.

勉強がそれなりに得意な人にとって学校ほど評価のはっきりしたシステムはない。人生の大半を学校制度の中で過ごすと、評価基準が複雑な現実世界に怖気づく。本当は大学にいても成績では決まらない要素はいくらでもあるのにそれに目を瞑っているのだ。

人文系の大学院に進学してもいい理由は次の四つだという:

  • 既にお金を持っていて、生活費を稼がなくてもよい
  • コネがあり仕事を見つけられる
  • パートナーが必要な収入を稼げる
  • 現在の職にプラスで、職場が経費を負担してくれる

ではこれらの条件を満たしていない場合はどうか。

Those are the only people who can safely undertake doctoral education in the humanities. Everyone else who does so is taking an enormous personal risk, the full consequences of which they cannot assess because they do not understand how the academic-labor system works and will not listen to people who try to tell them.

非常に大きなリスクを取っているというのが答えだ。もちろんリスクを取ること自体は悪いことではない。Willyさんの一連のポストが示すように、リスクを理解した上で決断する必要があるというだけだ。大学院に行った人がで何割の人がどこに就職しいくら稼ぐのか、そして大学にいかなかった人がどのくらい稼ぐのかある程度具体的な数字を挙げられないのであればアウトだ

それは人文系だけだというのもまた理由にならない。こういった情報を調べることのコストは、その結末に比べて極めて小さいので、それを調べないのは現実に目を背けているだけだ

News: No Entry – Inside Higher Ed

Unlike history, economics is a field where substantial numbers of non-academic jobs are regularly taken by new Ph.D.’s — and that career path is not considered an oddity. Still, however, about two-thirds of job notices in the fields are from academic institutions.

例えば経済学は民間からの需要もあり、就職に強い分野だとされている。しかし、それでも民間の需要は三分の一に過ぎない。

Among four-year colleges, the decline in positions was more pronounced at institutions without doctoral programs (down 31 percent) than those with doctoral institutions (down 8 percent).

残りの三分の二を占めるアカデミックなポジションの数は大幅減となった昨年からさらに大きく落ち込んでいる。不況でわざと就職を遅らせた学生も多く、厳しい就職事情になるのは間違いない。

個人的な大学院留学に関する目安は先に挙げられた四つの条件がないとすれば

  • アカデミックでない就職先が確立している専攻である**
  • 基本的に金銭的な持ち出しがない*
  • それなりに有名な大学に入れる**
  • (見切りを含め)適切にリスクを管理できる***

あたりだと思う(*は重要性の目安)。逆に言えばこれらの条件が揃っているのであれば、やってみるのは悪くない。

日米のサービス・レベル

元ネタが2chですが在米日本人には馴染みの話題なのでご紹介:

佐川急便客なめすぎwwwwwwwwwwwww:ハムスター速報

佐川急便が荷物をガスメーターに置いていくとメモを残したという話だ。佐川のサービスは問題だという反応が大半だが、アメリカでは荷物を勝手に放置して消えていくのはごく普通だ。例えばUPSのページを見てみよう。

Learn About the UPS InfoNotice

これはInfoNoticeと呼ばれる要するにメモだ。適当に記入された状態でドアの前に張り付けていく。家に帰ってこれを見つけるだけで気分が悪くなることが請け合いの代物だ。しばしば風に飛ばされて地面に落ちてる。

最初の項目は送り主と何度目のトライかだ。1st・2ndのあとはファイナルだ。要するに三回とり損ねるともう配達してくれない。集積所まで取りにいくしかないが、車がないとどうにもならないことも多い。また、送り主によっては三回トライしてダメなら自動的に商品を戻してしまう(最初に発見した時点で二回め何てこともある)。

お次は曜日と時間帯だ。これは配達人が残すものなので、ここで曜日と時間を指定すると来てくれるというものではない。というかそもそもネットで買い物をして時間帯を指定するというのを見たことがない。一方的にチェックされた曜日(翌営業日)・時間(四つしか区分がない)に次来るよということだ。曜日は平日しかなく、大抵は真っ昼間に来る。火曜日に家に帰ったら水曜日の10時半から2時に次配達するからよろしく、とか言われるわけだ。

一応ネットで変更できるとあるが:

Note: Delivery Change Requests made after 7:00 p.m. will be processed the following business day up to the day of the final delivery attempt. Will Call (hold for pick up) requests may be made up until 11:59 p.m. to be processed the next business day.

7時以降の要求は翌営業日処理なのでもう遅い。この時点で二回取り逃し決定なので残りは一回で家にいても配達人に気づかなければ終了となる。

最後は置いていく場所だ。サインが必要でない荷物の場合はここでチェックされた場所に勝手に放置される。ドアがついていなくても屋根がなくても気にせず置いていく。本ぐらいは当然家の前に放置される。配達人が家を間違えることもあり、注文したコンピュータ部品が隣の家の玄関の前にあった台に放置されているのを発見したこともある。放置してその場所をとおりすがりの人が見えるような場所に書いていくので当然なくなることもあるが、集積所や送り主戻りになるぐらいなら置いてってくれと思うことのほうが多い。

ちなみに電話番号とか便利なものはないので配達途中で来てもらうことはできない。そもそも、仮に電話しても対応してくれることは想像できない。アメリカは電話で呼んだタクシーがいつまでたってもこないので再度電話したら「やっぱ無理!」とかいうサービス五流国だ。

では何故こんなサービスで成り立つかについてだが、いつもコメントを頂いているWillyさんの最新の記事及びそこで紹介されている海外ニートさんの記事に答えが書いてある:

「自分が奴隷のように働かなくていい反面、受けるサービスのレベルも低い」

お客様wとして過度なサービスを求めるから、働く側になった時に過度に働かなくてはならないという罠w。

働く側も客が神様となんて欠片も思っていないし、客も自分が神様扱いされるとなんて思っていないという話だ(そもそも一神教が大多数なので神様は神様であって何か別のものが神様なんて発想自体ない)。サービスの質というのは複数均衡になっている。サービスが高いのが当たり前だとみんなが思っているとサービスの低い店ははやらない。だから企業はサービスのできない人間を雇わない。そしてその労働者は自分が消費者のときに高いサービスを要求する(全ての場所で同じレベルを要求しなければこうはならないのだけど…)。

配達の例はちょっとどうにかしてくれよと思うが大抵のことは慣れればなんでもない。レジ係が不機嫌そうでも給料の低さを考えれば何とも思わなくなるし、郵便局でNext!!!!とか呼びつけられてもそういうもんだと思えばどうってことはない。サービスレベルの高い社会というのは住みやすくていいものだとは思うが、何事も極端なのは効率が悪いだろう。日本がいい仕事さえあれば最高に住みやすい場所だってのは何も偶然ではないわけだ(注)。

(注)こういう記事を書くとじゃあ日本に帰らなければいいという的外れな批判がなされるが、海外との比較を通じて日本社会をよりよくしようという考えが重要だ。個人的にはこういう問題を考慮した上でも最終的には日本に住みたいかなと思う(どうなるかは分からないが)。

コメント関連の追記

  • 「車がないとどうにもならない」車を持っていたらフードスタンプを貰えないとか言う制限はあるのだろうか:これはないはずですが、車の必要性が薄い地域だと問題になります(まあアメリカにはほとんどありませんが)。
  • 単に米の労働者は組合等に守られているためにサービス向上が成されないだけのような:アメリカの労働組合組織率はかなり低いです(参考)。政府部門が比較的小さい影響で数字が小さくなる傾向もあると思いますが。

コピペからペーパーミルへ

アメリカではかなり普及しているコピペ発見ソフト(Anti-Plagiarism Software)が日本でも登場した模様:

コピペ見破るソフト実用化 「学生らの悪癖なくす」 – 47NEWS(よんななニュース)

ソフト名は「コピペをするな」をもじって「コピペルナー」。論文の中にネット上に同じ文章がないか検索。完全に一致する部分は赤く表示され、単語を置き換えたり、語尾を変えた文章も度合いによって、該当部分がオレンジ色や黄色に表示される。コピペした部分が占める割合や転用した元の文献も割り出せるという。

大学での成績が重視されるアメリカでは、この問題は遥かに深刻だ。単なるコピペでは、同じ場所からコピーする人が多いので有料でレポートを販売するサイトも多い。日本でもハッピーキャンパスのようなサイトがある(よく検索で引っかかる)。

アメリカではさらに進化して、カスタムでレポートを作成してくれるペーパーミルが多い。例えば、Perfect Term Papersでは納期別に価格が設定されている:

5 Days & above

$7.95 per page

3-4 Days

$14.95 per page

2 Days

$19.95 per page

24 Hours

$26.95 per page

Next Morning

$34.95 per page

もはや一つの産業と化している。意図的に完成度を下げるサービスも存在し、こうなると発見は非常に困難だ。これは英語の場合ゴーストライターの確保が簡単であることが一因だろう。大学での成績を重視しない日本でこの手の商売はどの程度はやるだろうか。

本屋のない町

アメリカで最も大きな本屋のない町はTexasのLaredoだそうな:

Laredo could be largest US city without bookstore – Yahoo! News

With a population of nearly a quarter-million people, this city could soon be the largest in the nation without a single bookseller.

ちなみにLaredoの人口は23万人を越えている。

After that, the nearest store will be 150 miles away in San Antonio.

もちろん日本とは違い都市同士はかなり離れている。次に近い本屋はSan Antonioで150マイル、つまり240km先だそうだ。

これを単に書籍の店舗販売一般の問題と片付けるのは難しい:

Nearly half of the population of Webb County, which includes Laredo, lacks basic literacy skills, according to the National Center for Education Statistics.

この地区の人口の半分は基礎的な読み書きの能力に欠けている。ここで使われている読み書き能力の判定基準については以前、ヤクザと識字率というポストで触れた。

Fewer than 1 in 5 city residents has a college degree. And about 30 percent of the city lives below the poverty level, according to the 2000 census.

五人に一人しか大学を出ておらず、30パーセントの住人貧困ライン以下だそうだ。需要のないところに無理やり本屋を営業してもしょうがないが、アメリカの初等教育がどれだけうまくいっていないかを示す例ではある。

追記

Twitter経由でtetteresearchさんから以下のようなコメントを頂きました:

Laredoは米メキシコ間陸上輸送の最大拠点で、90年代以降NAFTAによる貿易拡大による輸送業特需で人口が倍増以上。移民の割合が高い(総人口の95%はヒスパニック系)と思われるのでLaredoの本屋の現状から米国初等教育に関する教訓を得られるか疑問です。

最もな指摘だと思います。そうすると問題は、移民の子弟への英語教育ということになりそうです(まあ移民の子弟は既にテクニカルにはアメリカ人ですが)。ちなみにLaredoの位置は以下の通りです。


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