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何で経済学は難しいのか

アメリカの大学の経済学部からアメリカ人が減っていることに関連して、何故経済学が難しい学問であるのかについて:

Environmental and Urban Economics: The Future of Research Economics

まず実際に経済学部におけるアメリカ人の数は少ない

When I was a graduate student 20 years ago, my entering class was 50% American. Now I believe that at Chicago it is 15%.

ここではシカゴ大学の例が挙げられており、20年前50%ほどだったアメリカ人の割合は現在では15%だという。州立であるバークレーではアメリカ人の割合は比較的多いが、それでも30%程度だ。しかもそのアメリカ人の多くは両方の親が外国生まれであるなど、日本人が持つアメリカ人のイメージとは合致しない。

applied micro has suffered over the last 15 years as top Americans have gone to Wall Street rather than the professor route.

その理由の一つとしてしばしば指摘されるのが、民間におけるエコノミストの給与水準だ。金融機関におけるファイナンス理論の導入、政府部門におけるエコノミストの採用、経済コンサルティングの発達などにより民間からのエコノミストの需要は以前とは比べ物にならない。民間の給与水準は初任給で(アカデミックでは最も高給な)トップランクのビジネススクールを上回ることが多く、しかも経験を積むに連れその差は開くばかりだ。

もちろん民間にいくのはアメリカ人とは限らない。しかし、アメリカのトップスクールを優秀な成績で卒業した学部生にとって大学院にいく相対的なメリットが減少しているだろう。彼らは、優秀な外国人とは異なり、大学院にいかずとも容易に働くことができるからだ。

Unfortunately, I am slightly worried that economics has hit diminishing returns. There is a huge intellectual payoff from starting to know basic economics and statistics but are there increasing returns here?

しかし著者のMatthew Kahnはさらに経済学の学問としての発展に言及している。彼によると、経済学は収穫逓減段階に入っているという。基本的な経済学の研究は大きな価値をもたらすが、既に多くのことは理解されており新しい研究が生み出す価値が減ってきているということだ。

Economics is harder. The agents we are studying form expectations of the future, are highly heterogeneous, their choices are often strategic and some claim that they even make mistakes.

自然科学では収穫逓減が続いているようには思われない。DNAの発見のように大きなブレイクスルーがもたらされることがある。では何故経済学の生産性は減っていくのか。経済学が難しい学問であることが指摘されている。

何故経済学は難しいのか。経済学の対象は人間だ。人間は未来を予測して行動するし、それぞれが異なっているしかも戦略的な行動=他の人が何をやるかを考慮した行動をとるし、時には間違った行動を取る

On top of this, the economies we study are not stationary as they are bombarded with shocks

観察対象が複雑であるだけではない。エコノミストはその観察対象をきちんと観測することができない。現実の経済は多くの外生ショックの影響で動きつづけてている。

ここで指摘されている経済学の難しさはどれもその通りだろう。経済学はよく物理学などと比べて科学的でないとか、予測能力が足りないなどと批判されることがあるが、それは的外れな批判だろう。経済学が扱う対象は人間であり、実験を行うことも困難だ。しかも、経済理論は倫理的判断を避けるためもあり、人間の行動や社会的な価値基準に対してできる限り仮定を行うことを避ける

教養学部でお世話になった先生から彼が経済学を勉強しなかった理由を聞いたことがある。それは、経済学の仮定が余りにもおかしかったというものだ。人間は自分の利益のために行動するといった(注)考えがバカらしいと感じたという。

しかし、経済学のおもしろさはここにあるように思う。そのバカらしく単純な仮定でどれだけ多くの人間行動が説明できてしまうかということだ。人間は多種多様な価値観を持ち人によって異なる方法で外界の情報を取り入れ処理するなどいった考えからスタートしたら、人間の行動に対する理解は進まなかっただろう

(注)個人の選好には他人の効用を含めることもできるので、経済主体が自己の利益のみを追求するという言い方が正しいかどうかは哲学的問題になる。しかし実際の経済モデルが自己利益の追求を想定しているのは事実だ。

教員の養成と市場

日本では教員養成課程の六年化が取り沙汰されているようだが、アメリカでも教員の質が取り沙汰されている:

Duncan to ed schools: End ‘mediocre’ training – Class Struggle – Jay Mathews on Education

Education Secretary Arne Duncan, in prepared remarks circulating in advance of a speech Thursday, accuses many of the nation’s schools of education of doing “a mediocre job of preparing teachers for the realities of the 21st-century classroom.”

Duncan’s speech points out two major deficiencies in education school teaching with which most critics would agree: They do a bad job teaching students how to manage disruptive classrooms, particularly in low-income neighborhoods, and they don’t offer much in the way of training new teachers how to use data to improve their classroom results.

教育長官のスピーチ原稿で、大学における教員養成教育の問題が指摘されているそうだ。特に教室の秩序を守る方法やデータを使う方法を教えていない点が批判されている。

ちなみにArne Duncanの経歴をチェックしたところシカゴ大学付属のUniversity of Chicago Laboratory Schools(ちなみに高校に当たるGrades9-12で学費だけで$23,671だ)からハーバード大学を社会学で卒業している。自分が教師であったことはないそうだ。まあむしろロースクール出てないことのほうが驚きかもしれないが。

大学が教員養成に力を入れていないのは事実だが、それを指摘するだけでは問題は解決しないだろう。根本的な原因は教員養成課程を卒業した後の労働市場にある。ロースクールやビジネススクールであれば大学のランキングやネットワークがものを言うので、大学は魅力あるカリキュラムを立てる。しかし教員を採用する側は大学で何を学んだかを余りみないので市場が働かない。アメリカではそもそも教員の給与水準が低いという問題もある。

日本の教員養成の問題も同様だ。教育機関の競争が余りなく、採用プロセスが不明瞭だ。何を学んだら将来、特に就職に役立つか分からない(ないし関係ないということが分かっている)のだからカリキュラムが改善される理由がない。

もちろんカリキュラムの内容を政府が指定してしまえば大学がどうやってカリキュラムを組むかという問題は解決する。これが教員免許更新制度とそのための講習義務付けが目指していた方向性だろう。もちろん政府が何故ましなカリキュラムを提供できるのかという疑問は残るが筋は通っている(教員養成が市場よりも一種の計画経済的政策と相性がいいというのは疑わしい)。

教員養成六年化計画はそれに比べると理念が見えない。最後の二年を政府が提供するというなら分かるが単に長くしたところで問題は悪化するばかりだろう。免許更新・義務講習を避けたい教員の政治的意図ばかりが透けて見える。

アメリカの機会の平等

昨日、相対貧困率の問題について触れたが、アメリカにおける所得階層間の移動について:

National Journal Magazine – Is The American Dream A Myth? via Economist’s View

アメリカでは機会の平等さえあれば結果の平等は気にしなくてよい、ないし無視すべきだという主張が支配的だ。しかし、実際に所得階層を移動する人は少ないことが指摘されてきた。

A study of attitudes in 27 countries found that Americans, more than people elsewhere, tend to believe that intelligence, skill, and effort will be rewarded with success.

アメリカ人が、能力・技術・努力で成功をつかめると思っていることにはかわりないようだが、

Though we venerate the American Dream, studies show that children born to low-income parents in the United States are more likely to remain trapped near the bottom than their counterparts in Europe, the authors report.

実際に親の所得階層と異なる階層に移動する人の数は限定的で、貧しい家庭に生まれた子供が貧困層に止まる可能性はヨーロッパよりも高い。

These are deeply unhealthy, even destabilizing, patterns. If advanced education is the key to economic success, it’s dangerous to reserve it primarily for those who start out on top.

ここでは教育費用が問題となっている。大学卒業の賃金プレミアムは非常に高い水準になっており、これは当然といえる。

Although affordability remains a challenge, they say that enough financial aid is available for needy students that money is not the principal obstacle.

著者は大学による価格差別によりこの問題はそれなりに対処されていると考えている。

個人的にはこの問題は情報化社会の進展よりむしろ深刻になっていくように思う。大学教育を必要とする職業の数は減少しており、ネットワーキングの場としての側面が重要になりつつあるためだ。ネットワーキングは生まれ育った環境は両親のネットワークによる部分が非常に大きく、貧困層で育った子供が大学に入って突然社交的になることはほとんどない。むしろ在学中もアルバイトに励み周りに馴染めない傾向が強いだろう。

グリーンマーケティング

新著SuperFreakonomicsの温暖化に関する章が論争を巻き起こしているSteven Levittの環境保護と価格付けに関する記事:

Going “Green” to Increase Profits – Freakonomics Blog – NYTimes.com

環境にやさしいことをうたう商品はたくさんある。そんな商品がある理由の一つは環境にやさしいことが消費者の支払い意志額を上げることだ。しかしこれは価格差別にも使える。消費者の「環境にやさしい」ことに対する選好は人によって異なり、それが商品への総合的な支払い意志額と相関しているためだ。

ここでは(数日前にニュースで見かけた)ベルリンの(合法な)売春宿における割引が例として上げられている。

Customers who come by bus or bicycle are likely to have lower incomes and be more price sensitive than those who arrive by car. If that is the case, the brothel would like to charge such customers lower prices than the richer ones. The difficulty is that, without a justifiable rationale, the rich customers would be angry if the brothel tried to charge them more.

不景気のなか、バスや自転車で来た客には5ユーロの割引を提供しているという。もしそのような客の所得が他の客よりも少ないのであればこれは典型的な価格差別となる。単に車できた客に割増料金を請求するのは困難でもこれなら問題ないというわけだ。但し、まわりの同業者も同じ価格戦略を取らない限り車で来る乗客が他に逃げてしまう可能性があるのであまり大きな価格差はつけられないだろう。

同様の価格差別は観光地でも使えるだろう。観光協会などが公共交通機関で来た客には割引をするように取り決めればいい。うまく運営すれば、カルテルの隠れ蓑にも使える。公共交通機関の需要増にもなるので鉄道各社と連携することもできる。

似たような価格差別のためのデバイスとしてはベジタリアン料理が挙げられる。通常ベジタリアンの料理は原価に比して高めに設定してある。これはベジタリアンに高学歴で比較的高所得な層が多いためだ。ベジタリアン以外はほぼ確実に肉の入ったものを食べるので影響はない。

人種差別の現実

巡回させて頂いているブログアメリカにおける人種差別の話について書かれていたので、前に読んでとても感心した黒人と白人の関係に関するエントリーを紹介(是非全文読んでいただきたい):

My Race Essay: What Whites Say Behind Blacks’ Backs « Colin Blog

著者は黒人が支配的なセントルイス出身で自らの経験から何故黒人に対する「差別」がなくならないのかについて論じている。まず現状については次のように述べている。

One such uncle of mine noted […] America is generally an “equal opportunity country.” I wouldn’t go that far, but this is how most white people feel and I think the truth is somewhere in the middle.

基本的に機会は平等に近づいている。これは私の感覚にも一致する。アファーマティブアクションが議論になるよう、教育などにおいて明らかな差別はない。

In my school, there was no systematic exclusion of the black students from excelling in academics. Most of the black students excluded themselves.

学校教育において、黒人が差別を受けているという事実はなく、むしろ彼らが勝手に勉強から離れていくとかかれている。その例として、黒人がほとんどの高校で微積分を取る黒人がいなかったこと、高校を卒業しているのに字が読めない歌手が挙げられている(アメリカの識字率の現実については前に書いた)。実際大学において黒人の比率は非常に低い(うちの大学は特に低いため時折批判に会う)。また白人と黒人は社会的にも早いうちに分離する:

But somewhere along the line, 5th or 6th grade, the white and black students started to segregate themselves.

これは大学になっても続いている。多くの大学生は自分の人種のグループから出ようとしない。小学校あたりで既に分かれているのならその傾向も不思議はない。

では何故「差別」はなくならないのか。これについて著者は自らがレストランでサーバーとして働いた時の経験から説明している。少し長いがまとめて引用しよう:

I have a theory to explain why blacks often suffer discriminatory treatment in society. From my experience in the restaurant service industry, servers and bartenders will tell you that black people don’t tip. This is bullshit. I used to argue that the average gratuity percentage of all black customers, while certainly lower, is not much lower than the average percentage from all white customers. The difference is negligible given low gratuities from rural white people and elderly white people.

But those ghetto white people aren’t such a pain in the ass. They’re in and out. Servers don’t remember them. Nor do servers remember the nice black family that was easy to take care of and left 20%. They remember the ghetto black table that sent back their food for trivial reasons, asked for free samples, complained to a manager, or were a major pain in the ass in some other way while not leaving a tip. The treatment I have gotten from ghetto black tables is simply unconscionable. You don’t get that from any other kind of people. Only black ghetto. Even black servers don’t want to wait on black tables. I was the guy that used to argue that waiting on blacks is not as bad as people make it out to be. And even I would get a feeling in my stomach when I saw a black table sit down in my section. Just the chance that this black table could be a black ghetto table could completely ruin my night.

掻い摘んで説明しよう。黒人客のチップが他の(同じような社会経済的ステータスの)グループに比べすくないわけではない。しかし、チップを払わない客のほとんどは単に食事してさっさと帰るだけなのに対し、一部の黒人客は大した理由もなく食事を突き返し、無料サンプルを要求し、マネージャーに文句を言うなど非常に面倒なことをした挙句チップを置かずに帰る。この体験が余りにも酷いのでサーバーは黒人の客が来ただけでもしかしたらその客がそういう客なのではないかと思ってしまう。

That feeling is uncontrollable. You can’t teach someone not to feel what has been conditioned into their system through experience, like a dog getting its face rubbed in shit after pooping in the house.

そしてこれが繰り替えされると、人間は自分の感情をコントロールできなくなってしまう。

My theory is that discriminatory treatment stems from people trying to thwart or discourage the triflin’ behavior of the ghetto segment. Imagine how police officers, whose exposure to black ghetto must be much higher, could come to treat all black people. Unfortunately, non-ghetto black people are often subject to the backlash against ghetto black people when they are not to blame. They are being treated unfairly. In my view, one third of the black population is fucking it up for everybody.

黒人の一部が余りにも酷いため、多くの人はそれに対策を講じる。ある路地に黒人が集まっていればそれなりの確率でそれが犯罪に結びつくかもしれないので避ける。これは極めて合理的な行動だ。観察できない情報(危険かどうか)が分からないのでそれと相関している他の観察可能な情報(黒人である)を利用しているに過ぎない。そしておそらく人間は単に相関している出来事にも恐怖感といった感情を持つようにできているのだろう(いちいち考えているよりも生存に有利だ)。だがこれは他の心理的問題とは異なる。なぜなら頭で考えたとしてもこの行動は(本人の利得を最大化するという意味で)正しいからだ。

しかも是非はともかく正そうとしても難しい。学歴「差別」を表面上禁止するのは簡単だ。単に求職者に学歴を聞くのを禁止すればよい。学歴はシグナルなので禁止するのは非効率的だろうし、実際に執行するのは困難だろうが理論上は可能だ。しかし黒人に対する「差別」を禁止するのは非常に難しい。肌の色は見れば分かるのでその情報を利用しないように強制することはできない。実際、黒人に多い名前を書いた履歴書を企業に送るとごく標準的な名前で同じ履歴書を送った場合よりも企業から反応がある可能性が有意に低いことが知られている。企業は少しでも観察不可能な情報と相関している情報を意思決定に利用する。

I can’t think of how normal, mainstream black people can disassociate themselves with the ghetto segment in order to receive normal treatment. The black ghetto segment is so triflin’ that the mere presence of a black person can cause worry in worrisome types.

ではまともな黒人はどうやってこの構造が抜け出すのかという疑問が掲げられている。これはそういう黒人を観察していれば分かる。多くの、ここでいうghettoでtriflin’な、黒人は大きなTシャツにダブダブのジーパンを腰ばきし、キャップやフッディー、指輪・ネックレスなどを着ている。それに対してまともな黒人はそれと限りなく反対の着こなしをする。Tシャツはほとんど着ないし、着てもサイズをきちんと合わせる。大抵はYシャツ。ジーパンもぴっちりとしたものを履くし、チノパンであることも多い。シャツはタックインしてしばしば上にはジャケットだ。スーツを着ている人も多い(これはカリフォルニアでは非常に珍しい姿だ)。しゃべり方もまったく異なる。アメリカの多くの黒人は特徴的なしゃべり方をすることが多くなかなか聞き取れないのに対し、彼らは他の人種よりもわかりやすいしゃべり方をする。オバマの演説なんかがいい例だ。

ではこの問題はどうやったら解決するのだろうか。「差別」が黒人であるという情報に基づいて異なる行動をとることを意味するなら上述のように極めて困難だ。「差別」的な行動により不利な扱いを受ける黒人に対する補償が目的であればアファーマティブアクションが該当するだろう。しかしこれは「差別」自体をなくすのには役に立たない。また、他にも観測不可能な情報と相関する特性を持っているがゆえに不利な扱いを受けているグループは存在する。

根本的な解決には、「差別」自体に対処するのではなく、通常の福祉政策・教育政策・再配分政策によって問題となっている層を何とかするのが唯一の対策だろう。人種によって明らかな優劣は存在しない以上、これらの政策によりいつかは人種との相関は消えていくはずだ(逆に言えば本質的な違いが存在しているタイプの「差別」に関してはこの方策は効果がない)。