水資源ビジネス

最近twitterで水資源についての話題があったので、前に読んだ記事をご紹介:

Pricing Water For The Poor – Forbes.com

日本では最近水資源ビジネスを支援しようという動きがある

経済産業省は18日、水質浄化や上下水道の運営を手掛ける「水資源ビジネス」を本格的に支援する方針を固めた。欧州の巨大企業は発展途上国などの上下水道を運営し「水メジャー」と呼ばれている。同省は水資源ビジネスを成長分野と位置付け、海外の水道事業への参入や水処理プラントの建設などを後押しする。

しかし、和製石油メジャーを作ろうという政策がどれだけの便益をもたらしたかは定かではないし、水不足は石油不足とは異なる性質がある。それは、適切な価格付けがなされていないという需要の問題だ。要するに、水が安すぎるため過剰に・不適切に使用されているということだ。こちらを放置したたまま、単なる利権・無駄遣いにつながるおそれのある、資源確保にばかり積極的に出るのは頂けない。

では本題の最初のリンクに戻ろう。これはもともと「ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう」で紹介しようと思った記事だ。

Biswas, 70, runs his own think tank, the Third World Center for Water Management, in Mexico City. The center gets its revenue from contracts to advise governments on water management as well as contributions from foundations and aid agencies.

紹介されているAsit Biswasさんは水資源管理のシンクタンクを運営している。彼のビジネスは水を効率よく利用するためのアドバイスをすることだ。水不足が叫ばれ始めて久しいが、彼によれば水資源は問題ではない:

“There is enough water until 2060,” he says. “Water isn’t like oil in that once you use it it breaks up and can’t be reused.” Water can be reused umpteen times. […] The main problem, he says, is that water management in most countries is abysmally poor.

総量の決まっている原油とは異なり、水の再利用や淡水化に関する技術は発展している。水不足最大の問題は、水資源の管理が極めて杜撰なことだという。

Governments, however, are not in the habit of attributing shortages to their own ineptitude. They are more likely to describe the problem in apocalyptic terms.

しかし政府は自分たちの管理が問題だとは認めず、水資源の枯渇を叫ぶ。その方が彼らには都合がよい。

“There’s a lobby that says water is a human right [and hence it should be free], and that’s baloney,” says Biswas. “Food has been declared a human right, and people still pay for it. So why shouldn’t they pay for water?”

反対側からは水の利用は人権でありゆえに無料であるべきだという意見もあるが、それについても食料との比較で切り捨てる。食料は人権だが無料ではない。これは医療を人権だと称するのと同じ間違いだ(参考:医療は人権か)。人権かどうかと無料であるかは違うことだし、タダである量を供与することとタダで好きなだけ使わせることは違うことだ

Ideally, water, or any scarce good, should be priced at its marginal cost. If the last gallon supplied costs a penny to acquire and deliver, then every gallon should be priced at a penny, even if some of the supply can be had for free.

そしてその価格は教科書通り、限界費用であるのが望ましい。消費者は社会的な費用を負担することで、社会的に望ましい利用を行う。なぜならそうすることが消費者自身にとって望ましいからだ。

“The universal access to clean water will never be realized if water supply is free or heavily subsidized,” he says.

水の価格がゼロだったり大量の補助を受けていたりする限り、清潔な水へのアクセスは実現されないのだ。

サーチ中立性はいらない

サーチエンジンの中立性を求めるThe New York Timesの記事が話題になっている。本当にサーチエンジンを規制する必要性はあるのだろうか。

Op-Ed Contributor – Search, but You May Not Find – NYTimes.com

まずこの議論を追うにはネットワーク中立性についての理解が必要だ。ネットワーク中立性については以前「ネット中立性への反対」や「ネットワーク中立性vs価格差別」などでも触れた(Wharton MBA留学中の珈琲男さんの一連の記事はも参考になる)。

ネットワーク中立性とは、インターネット接続業者(ISP)が通信の内容・プロトコルによって接続費用を変えたり、一定の通信をブロックすること(=価格を無限大にすること)を禁止しようという提案だ。

The F.C.C. needs to look beyond network neutrality and include “search neutrality”: the principle that search engines should have no editorial policies other than that their results be comprehensive, impartial and based solely on relevance.

検索エンジンはISP同様にネット利用の入り口となっているため、その中立性に燗する規制が必要だと提唱している。

The need for search neutrality is particularly pressing because so much market power lies in the hands of one company: Google. With 71 percent of the United States search market (and 90 percent in Britain), Google’s dominance of both search and search advertising gives it overwhelming control.

確かにGoogleのシェアは圧倒的で、彼らが広告オークションにてその市場支配力を行使しているのは疑いない(注)。しかし、シェアが高いことは独占を意味しないし、独占それ自体は反トラスト法の対象ではない

One way that Google exploits this control is by imposing covert “penalties” that can strike legitimate and useful Web sites, removing them entirely from its search results or placing them so far down the rankings that they will in all likelihood never be found.

Googleが検索結果の順序を変えることができると主張しているが、これが可能であることとGoolgeがそれを行うかとは違うことだ。Googleに潜在的な競争相手がいる限り結果を恣意的に変えることは得策ではない。

For three years, my company’s vertical search and price-comparison site, Foundem, was effectively “disappeared” from the Internet in this way.

自分の会社の検索サイトがGoogleから消えていたというが、これは逆恨みだろう。検索サイトが新しい同業者を冷遇したとして、消費者にとしてはどうでもいいことだ。検索結果で上位にでるのは(理想的には)既に有名なサイトであって、有名になろうというサイトではない

また、ソーシャルネットワークが生まれるにつれ、検索によって新しいサイトを発見することは少なくなっている。例えばこのブログを訪れる人のうち検索エンジンを経由する人は1%以下だ。皆様他のブログ・アグリゲーター・ソーシャルブックマーク・Twitterを通じてお越し頂いている。

Another way that Google exploits its control is through preferential placement. With the introduction in 2007 of what it calls “universal search,” Google began promoting its own services at or near the top of its search results, bypassing the algorithms it uses to rank the services of others.

Googleが自社サービスをプローモーションする場合をあげているがこれも同じだ。Googleはその自社サービスが質の高いものでなければ自分の首を締めるだけだ。私は支払いにGoogle Checkoutを利用しないし、レストラン情報はYelpを直接検索する。書評だってAmazonに行くか、書評サイトを見る。本の名前をGoogleで検索しても有用な検索結果が得られないからだ。

The preferential placement of Google Maps helped it unseat MapQuest from its position as America’s leading online mapping service virtually overnight.

MapQuestがGoogle Mapsに敗北したことをGoogleの独占的地位の濫用の弊害として挙げているが、MapQuestの方がGoogle Mapsより優れていると言う話は聞かない。私がGoogle Mapsを使うのはそれが明らかにMapQuestやYahoo Mapsよりも使えるからだ。

Will it embrace search neutrality as the logical extension to net neutrality that truly protects equal access to the Internet?

サーチ中立性はネット中立性の論理的な拡張ではない。サーチエンジンの市場は相変わらず潜在的に競争的だし、シェアが集中していてもそのシェアは競争によって築かれたものであり、ISPとは異なる(日本でいえばブロードバンドシェアトップのNTT自動車販売シェアトップのトヨタを同列に批判するようなものだ)。

(注)オークションなので市場支配力が関係ないということはない。スポットの数や最低価格を通じて収益を変えられる。

読む量は増えている

YouTube・ビデオゲーム・iPod・携帯など読書離れが危惧されているが、我々が読む文章は増えている:

Study: Rumors of Written-Word Death Greatly Exaggerated | Epicenter | Wired.com

“Reading, which was in decline due to the growth of television, tripled from 1980 to 2008, because it is the overwhelmingly preferred way to receive words on the Internet,”

文章を読むことによる情報収集はテレビの影響で減退していたが、この三十年近くの間に三倍にもなったという。これは文章がインターネットで最も利用されている情報伝達手段であるためだ。

これは少し考えれば何も不思議ではない。インターネットは情報伝達、特に文字情報の伝達、のコストを劇的に下げた。コストが下がれば消費が増えるのは当たり前だ(Kindleのベストセラーの多くは無料だ)。音声や映像の配信費用も下がったが、それは文字情報の衰退を意味しない。文字と音声・映像は限られた情報伝達をシェアしているわけではないからだ。どちらも安くなり、どちらもより多く消費されるようになったということだろう。だからこそ我々はネットをやりすぎて仕事が進まないなんていう状況に陥るのだ。

ネットが情報伝達を担うことに抵抗する既存メディアは、三桁ジーンズを批判するデザイナーのようなものだ(注)。新しいプレーヤーは市場全体を拡大させていく。既存のプレーヤーがやるべきことはそれをパイの奪い合いと捉えることではなく、広がる市場での自分のプレゼンスを築き、さらには市場の拡大をさらに進めることだ

技術進歩に異を唱えても先は見えている。たとえその意見が「正しく」とも、市場の大きな流れを変えることはできない。その「正しさ」さえも変えられていくのだ。

追記

(注)新しいポストを書くほどでもないのでここで件の記事へのコメントを一つ。「川久保さんは、安さを求めた結果、若い人たちの創造性が失われていくのも心配だというのだ」とあるが、安い衣服は組み合わせたり加工したりして創造を促す側面がある。これは音楽のリミックスにも通じる。ただし、音楽の場合と異なり政治・法律を利用して利得を拡大しようとしているのではないのでそういう考えで仕事をすることには何の異論もないし、それで成功されていることは素晴らしいことだ。

情報提供者への謝礼

取材先に謝礼を払うかどうかというのは報道機関にとっては大きな論点のようだが、先日のテロ事件(参考:テロリストへの間違ったシグナル)に関連してその問題が浮かび上がっている:

The Shady Mainstream Media Payday of Flight 253 Hero Jasper Schuringa – journalismism – Gawker

Jasper Schuringa probably didn’t think twice before dismantling Northwest Airlines Flight 253‘s would-be bomber. But before telling his story, he wanted money, and he got it. From major news outlets who pay up and lie about it.

問題の便で犯人の確保に協力した人物に大手メディアが多額の謝礼を払い、かつその事実を隠しているとGawkerは報じている(インタビュー動画)。どういう仕組みかについては、MEDIAiteの記事から次のように引用している:

The practice of paying a “licensing fee” rather than a direct exchange is a way networks who claim to never pay for interviews can get around the issue. By paying for images and video, they are free to say no money was exchanged hands for the actual interview – which is still viewed as unseemly for news outlets not named the National Enquirer or TMZ. But paying for something to secure an interview happens quite a bit.

メディアネットワークは取材に謝礼を支払っていないと主張しているが、実際には写真や映像へのライセンス料という名目でインタビューの対価を支払っているというわけだ。

Schurnga sold the “TV Rights” of the first of his two photos to CNN for $10K.

The “print rights” went to the Post for $5K.

Later, Schuringa was paid upwards of $3K by ABC News for a second photo, which Schuringa tried to sell to other local news outlets for $5K, unsuccessfully.

具体的な金額あがっている。様々な権利に対して大手メディアがかなりの額を支払っていることが分かる。では、彼らは何故このような対価を支払うのか。

Because the only way to get interviews with this guy was to pay him, so CNN and The New York Post ponied up

それは、対価を支払わなければインタビューに応じないためだ。インタビューという貴重な財を持っているプレーヤーがもっともそれを欲しがっている人間に売るというごく普通の取引だ

では日本ではどうなのか。日本のテレビ局・新聞社が報道において多額の謝礼を払っているという話はあまり聞かない。しかしそれは、別に日本のメディアが道徳的に優れているからではく、メディアが寡占的なため多額の謝礼は支払わないというルールを作ってそれを守っているだけだろう。これもまた、買い手が少なければ売り手は買い叩かれるという市場のルールに過ぎない

Checkbook journalism is back, and here to stay. Media critics who lambast some news organizations for paying for sources are going to have to deal with the cold, hard fact that getting a scoop has gotten a lot more competitive these days.

お金でニュースを買い集めるという風習(checkbook journalism)が戻ってきていてそれがこれからも続くと指摘されている。そしてその理由は単純にスクープを行うのが難しくなったからだという。

極めて正確な分析だ。報道を配信するための費用が劇的に下がったということは、報道という市場が競争的になったということだ。これは市場参加者であるメディアの力の低下を意味し、その一つの帰結がスクープを買い手独占を背景に買い叩けなくなるということだ。日本でこれだけの経済学的センスをもった大手メディア関係者はどれほどいるのだろう。

追記

検索して出てきたこの動画では海外のメディアでは内規で謝礼が禁止されていると述べられているが、これが有名無実なのはこの記事から明らかだろう。メディアが取材への謝礼を嫌がる本当の理由は謝礼を払いたくないというものだ

謝礼を払うとおかしな証言が出るというのは言い訳だ。それが事実だとして、大手メディアの倫理観に期待しても問題は解決しない。まさにネットのメディアであるGawkerがこの記事で大手メディアの問題を指摘しているように、競争こそがより透明性の高い報道をもたらすのではないだろうか。

日米のサービス・レベル

元ネタが2chですが在米日本人には馴染みの話題なのでご紹介:

佐川急便客なめすぎwwwwwwwwwwwww:ハムスター速報

佐川急便が荷物をガスメーターに置いていくとメモを残したという話だ。佐川のサービスは問題だという反応が大半だが、アメリカでは荷物を勝手に放置して消えていくのはごく普通だ。例えばUPSのページを見てみよう。

Learn About the UPS InfoNotice

これはInfoNoticeと呼ばれる要するにメモだ。適当に記入された状態でドアの前に張り付けていく。家に帰ってこれを見つけるだけで気分が悪くなることが請け合いの代物だ。しばしば風に飛ばされて地面に落ちてる。

最初の項目は送り主と何度目のトライかだ。1st・2ndのあとはファイナルだ。要するに三回とり損ねるともう配達してくれない。集積所まで取りにいくしかないが、車がないとどうにもならないことも多い。また、送り主によっては三回トライしてダメなら自動的に商品を戻してしまう(最初に発見した時点で二回め何てこともある)。

お次は曜日と時間帯だ。これは配達人が残すものなので、ここで曜日と時間を指定すると来てくれるというものではない。というかそもそもネットで買い物をして時間帯を指定するというのを見たことがない。一方的にチェックされた曜日(翌営業日)・時間(四つしか区分がない)に次来るよということだ。曜日は平日しかなく、大抵は真っ昼間に来る。火曜日に家に帰ったら水曜日の10時半から2時に次配達するからよろしく、とか言われるわけだ。

一応ネットで変更できるとあるが:

Note: Delivery Change Requests made after 7:00 p.m. will be processed the following business day up to the day of the final delivery attempt. Will Call (hold for pick up) requests may be made up until 11:59 p.m. to be processed the next business day.

7時以降の要求は翌営業日処理なのでもう遅い。この時点で二回取り逃し決定なので残りは一回で家にいても配達人に気づかなければ終了となる。

最後は置いていく場所だ。サインが必要でない荷物の場合はここでチェックされた場所に勝手に放置される。ドアがついていなくても屋根がなくても気にせず置いていく。本ぐらいは当然家の前に放置される。配達人が家を間違えることもあり、注文したコンピュータ部品が隣の家の玄関の前にあった台に放置されているのを発見したこともある。放置してその場所をとおりすがりの人が見えるような場所に書いていくので当然なくなることもあるが、集積所や送り主戻りになるぐらいなら置いてってくれと思うことのほうが多い。

ちなみに電話番号とか便利なものはないので配達途中で来てもらうことはできない。そもそも、仮に電話しても対応してくれることは想像できない。アメリカは電話で呼んだタクシーがいつまでたってもこないので再度電話したら「やっぱ無理!」とかいうサービス五流国だ。

では何故こんなサービスで成り立つかについてだが、いつもコメントを頂いているWillyさんの最新の記事及びそこで紹介されている海外ニートさんの記事に答えが書いてある:

「自分が奴隷のように働かなくていい反面、受けるサービスのレベルも低い」

お客様wとして過度なサービスを求めるから、働く側になった時に過度に働かなくてはならないという罠w。

働く側も客が神様となんて欠片も思っていないし、客も自分が神様扱いされるとなんて思っていないという話だ(そもそも一神教が大多数なので神様は神様であって何か別のものが神様なんて発想自体ない)。サービスの質というのは複数均衡になっている。サービスが高いのが当たり前だとみんなが思っているとサービスの低い店ははやらない。だから企業はサービスのできない人間を雇わない。そしてその労働者は自分が消費者のときに高いサービスを要求する(全ての場所で同じレベルを要求しなければこうはならないのだけど…)。

配達の例はちょっとどうにかしてくれよと思うが大抵のことは慣れればなんでもない。レジ係が不機嫌そうでも給料の低さを考えれば何とも思わなくなるし、郵便局でNext!!!!とか呼びつけられてもそういうもんだと思えばどうってことはない。サービスレベルの高い社会というのは住みやすくていいものだとは思うが、何事も極端なのは効率が悪いだろう。日本がいい仕事さえあれば最高に住みやすい場所だってのは何も偶然ではないわけだ(注)。

(注)こういう記事を書くとじゃあ日本に帰らなければいいという的外れな批判がなされるが、海外との比較を通じて日本社会をよりよくしようという考えが重要だ。個人的にはこういう問題を考慮した上でも最終的には日本に住みたいかなと思う(どうなるかは分からないが)。

コメント関連の追記

  • 「車がないとどうにもならない」車を持っていたらフードスタンプを貰えないとか言う制限はあるのだろうか:これはないはずですが、車の必要性が薄い地域だと問題になります(まあアメリカにはほとんどありませんが)。
  • 単に米の労働者は組合等に守られているためにサービス向上が成されないだけのような:アメリカの労働組合組織率はかなり低いです(参考)。政府部門が比較的小さい影響で数字が小さくなる傾向もあると思いますが。