ブロードバンドのユニバーサル化

ブロードバンドをユニバーサルサービス化しようかというニュース。

「光の道」10年間の経済効果73兆円

ブロードバンドの全国普及による平成23年度から32年度までの10年間の経済効果を73兆円と試算し、ブロードバンドにも電話と同じユニバーサル(全国一律)サービスを適用すべきとしている。

経済効果」という単語には意味がないことについては既に書いた。投資案件について論じるのだからせめて費用がいくらかぐらい書くべきだろう。

試算の結果、経済効果(「光の道」の直接効果(①+②+③)+他産業への経済波及効果(④))の10年分の総計は、73兆円(うち直接効果33.2兆円、波及効果39.8兆円)となった。[p.15]

もしかしたら報告書本体(pdf)には書いてあるのかと思ったがそんなことはない。

2015年度時点で、全ての世帯で超高速ブロードバンドサービス(CATV含む)に加入。

ついでに前提条件として全世帯の加入が挙げられている。整備率ではなく加入率で100%を仮定するのは無理があるようにも思える。

2015年度時点での超高速ブロードバンド加入率が70%にとどまった場合には、経済効果は、②及びその波及効果について、19兆円減少するとの試算結果も得られた

注記事項なんかを見ると、今回ニュースで取り上げられている数字は最高にうまく行った場合のように思える。

ブロードバンドをユニバーサルサービスにするか否かは他のユニバーサルサービスを代替できるかにも大きく掛かっている。例えばブロードバンドが普及すれば郵便や電話のユニバーサルサービスが必要無くなるのであれば、ブロードバンドの便益は相当大きくなる。ブロードバンドをユニバーサルサービスにする経済効果を測ると同時に、郵便や電話をユニバーサルサービスにする便益(?)についても計算すると面白いのではないだろうか。

アル・ゴアの顕示選好

顕示選好(revealed preference)というのは消費者の行動からその消費者の好み=選好を捉えるという考え方だ。エコバッグをもって車でスーパーに行く人がエコとは言えないのと同じだ。

Sub Specie Æternitatis via The Big Questions

温暖化対策でノーベル賞を受賞したアル・ゴアに関する小さなニュースがある:

Former Vice President Al Gore and his wife, Tipper, have added a Montecito-area property to their real estate holdings, reports the Montecito Journal.

via Los Angeles Times

ゴア夫妻がカリフォルニアのモンテシートに900万ドル近い豪邸を購入したと言うこと。まあ有名人が高級住宅街に家を買うというつまらないローカルニュースだ。

So its minimum elevation above sea level is 0 feet, while its overall elevation is variously reported at 50ft and 180ft.

しかし、このモンテシートはかなり標高の低い地域で大体50フィートから180フィートしかないということだ。これはアル・ゴアと彼の主張にとって都合が悪い。

The elevation of San Francisco is variously reported at 52ft up to high of 925ft.

「不都合な真実」などで温暖化によって水没する危険があるとされたサンフランシスコは52フィートから925フィートで、モンテシートよりもかなり高い。もしサンフランシスコに水没の危険があるなら彼の新邸宅は確実に沈むはずだ。

もしこれが本当なら、温暖化による海水面が上昇すると彼が本当に信じていると考えるのは難しくなる。誰も藻屑と消える運命にある家に900万ドルを投じるはずが無い。

Please note that this is far stronger evidence of Mr. Gore’s lack of sincerity than his willingness to engage in a very carbon-intensive life-style of multiple mansions, private jets, and the like.

複数の家を所有したり、プライベートジェットに乗ったりすることへの批判よりも遥かに強力な批判となる。何故なら、個人で努力しても意味がないと論じることやプライベートジェットは効率的な啓蒙活動に必要だと論じることもできるのに対して、個人資産の購入は彼にとって損にしかならないからだ。

唯一考えられるまともな(?)正当化は、自分が温暖化対策に奔走するというコミットメントとしてというものだが、それなら大々的に発表するだろう。

このことと実際に温暖化は存在するかとは関係ないし、対策の必要性がなくなるわけでもないが、彼は(善悪は別として)話をかなり誇張と考えるのが妥当なように思える。

言ってみる人と空気を読む人

世の中には、とりあえず聞いてみる人(Asker)と空気を読む人(Guesser)がいるという話。日本人には馴染み深い話題だ。

This column will change your life: Are you an Asker or a Guesser?

The advice of etiquette experts on dealing with unwanted invitations, or overly demanding requests for favours, has always been the same: just say no. […] “I’m afraid that won’t be possible” – remains the gold standard

エチケットの専門家(?)は誰でも、いやな要求にはノーを勧めるとのこと。どうやってノーというかみたいな本が多いのは御存知の通り。”I’m afraid that won’t be possible”というのは便利なフレーズだ。

In Ask culture, people grow up believing they can ask for anything – a favour, a pay rise– fully realising the answer may be no. In Guess culture, by contrast, you avoid “putting a request into words unless you’re pretty sure the answer will be yes…

このような問題が生じるのは二つの文化が存在するからとのこと。言ってみる文化では答えはノーでもとりあえず聞いてみることが普通とされ、空気を読む文化では答えがイエスだとほぼ確信できる場合にしか頼まない。

Neither’s “wrong”, but when an Asker meets a Guesser, unpleasantness results.

もちろんどちらかが悪いという話ではない。単にコミュニケーションの取り方が違うだけだ。問題が起きるのは二種類の人が出会った時だ。

An Asker won’t think it’s rude to request two weeks in your spare room, but a Guess culture person will hear it as presumptuous and resent the agony involved in saying no.

例えばとりあえず言ってみる文化の人は二週間泊めてくれと平気で頼んでくる。聞いている本人は別に断られても何とも思わないのだが、空気を読むのが普通の人はこれを遠慮が無いと感じつつ、断ることに苦痛を感じる。

This is a spectrum, not a dichotomy, and it explains cross-cultural awkwardnesses, too: Brits and Americans get discombobulated doing business in Japan, because it’s a Guess culture, yet experience Russians as rude, because they’re diehard Askers.

どちらかにくっきり別れるわけではなく、日本に比べると英米はとりあえず聞いてみる風潮が強いが、ロシア人に比べればまだまだということ。何か東欧系の知り合いの顔がぱっと浮かんだのも気のせいではあるまい。

Self-help seeks to make us all Askers, training us to both ask and refuse with relish; the mediation expert William Ury recommends memorising “anchor phrases” such as “that doesn’t work for me”.

この問題に対しては冒頭にあったように、自分がとりあえず言ってみる人間になるように勧められることが多い。ダメもとで頼みごとをし、さくっと断る技術を身につけるということだ。ここでは”that doesn’t work for me”という決まり文句を使うという方法が紹介されている。

But Guessers can take solace in logic: in many social situations (though perhaps not at work) the very fact that you’re receiving an anxiety-inducing request is proof the person asking is an Asker.

もちろん別に自分が違う文化に染まる必要もない。仕事のように命令系統があるのが前提でなければ、断りたくなるような頼みごとをされること自体が、相手がとりあえず聞いてみる文化の人だといういい証拠になる。そう考えれば断っても何も気にする必要はないと頭で理解できる。

確定申告は必要?

日本ではサラリーマンの源泉徴収は納税意識を希薄にするというような論調もあるが、オーストラリアの場合は逆に進んでいるようだ。

Generating a social surplus

This Budget includes a measure that is long over-due: taxpayers will no longer have to file tax returns.

ついに確定申告の義務がなくなったというニュースだ。

A 2000 estimate by researchers at the University of NSW put the time cost of tax filing at any average of $346 per person (roughly 8.5 hours times the average hourly pay; adjusted to closer to the present day). That comes to a total cost of $3.7 billion per annum to the economy […]

もちろんこの変更には根拠がある。確定申告を行うために平均8.5時間が費やされており、時給から計算すると一人当たり平均346ドル、国全体で37億ドル(おそらくAUD)の費用がかかっている計算になる。

Of course, there is a catch – if you choose this option you will have to accept a standardised deduction ($500 rising to $1000 in a few years). So this is likely to attract lower income households; so the pure financial saving will be less.

義務がなくなっても、収入の高い人ほど確定申告をするため実際の効果は上の額よりは少なくなるが、それでもこれは莫大な改善と言える。

Already, there are claims that this will harm smaller tax agents. If they were existing because of an inefficient government regulation, they are part of the problem.

小規模の税理士が困るという批判もあるが、彼らが非効率な政策ゆえに存在するのであればそれは理由に非効率の解消に反対するのは無理がある。

確定申告を行うことで自分の払っている税金への意識が高まるというのはその通りではある。しかし、同時に確定申告を義務化するのにどれだけの社会的費用がかかるかを考え、「意識が高まる」という曖昧な目的にそれだけの費用をかける価値があるのかを吟味する必要があるだろう。

ミルクにもインフォグラフィック

牛乳パックにもインフォグラフィックスを入れたらどうなるか。

Nutritional facts redesigned

デザインを行っているのはモントリオールのデザイン事務所だ。牛乳パックのデザインとしてはなかなかカッコいい。ちなみにアメリカによくある牛乳のデザインは次のようなものだ:

ちなみにこれはAmazon.comで売られているミルクだ。一体生乳をアマゾンがどう売るのかはよく分からないが、どうも製造元関係者にしか見えない絶賛コメントに溢れている。サイズは1ガロンなので訳3.8リットルとなっている(よって本当は下のボトルの方が上のパックより4倍近く大きい)。まあこの二つがスーパーに並んでいたら上を買いたくなる。

しかし、デザインとはいえ気をつけることもある。キレイな栄養情報の表示が必ずしも分かりやすい、誤解のない表示方法とはいえないからだ。具体的なラベルは読めないが以下のような問題がある:

  • 視覚化が標準化されていないため比較が困難(逆に標準化されるとデザインとしては意味がない)
  • 同時に誤解を招く表示になっていないかの規制も難しい

もちろんメリットとしては栄養情報が分かりやすくなるというものもあるが、これなら情報を規格化して例えばQRコードのような形で貼っておくだけでもよい。消費者は自分の端末や視覚化ソフトウェアで好みの表示方法を選べる。毎回同じソフトウェアを使えば比較は可能だし、製品の数よりソフトウェアの数の方が少ないので規制やレビューも容易だろう。