ネットのルールなんてない

ネガティブ記事は好きではないが、これはどうかと思ったので突っ込んでおく:

マードック氏にグーグルが譲歩 「ネットのルール」はどう変わる インターネット-最新ニュース:IT-PLUS

ここしばらく話題になっているマードックとグーグルとの対立についての記事だ。

デジタル技術や伝送技術などの進歩がネットという新たなコンテンツの流通経路を生み出した。しかし、技術進歩やネットがコンテンツを無料にしたわけではな い。ビジネスモデル(無料モデル)や権利侵害(違法コピーや違法ダウンロード)がコンテンツを無料にしたのである。即ち、技術ではなく人がそうしたに過ぎ ない。ウェブ2.0以来ネット上に定着した「コンテンツは無料」という風潮は不可逆なものではないのである。

「技術ではなく人がそうしたに過ぎない」というのはどういう意味だろう。最終的に行動するのは人間なのだから「人がそうした」と言うならなんだってそうだ。技術が変化し、それに対応して人の行動が変化したのだ。「風潮」というものは市場参加者の最適行動の結果に過ぎない。確かに「コンテンツは無料」という風潮は不可逆ではないが、そもそもの原因である技術進歩の流れが変わっていない以上、人の行動も変わらない。

もちろん、「無料」の変革は大変である。一部の新聞社が有料化してもユーザーは無料のところに流れるだけだろう。また、違法コピー・違法ダウンロードを制 圧しない限り、無料の変革はニュース記事を超えてコンテンツ全般には広がらず、「闇の無料の世界」が拡大するだけである。闇金業者が繁盛するような世界と 同じにしてはならない。

技術的に違法コピー・違法ダウンロードを制限することはとても難しい。よって「コンテンツは無料」というのが支配的な価格付け戦略になっている。一体これをどう解決するというのだろう。ネットは自由みたいな原理主義に加担する気は全くないが、技術進歩に逆らうのはコスト的に難しい

コンテンツを利用して無料モデルで儲けているグーグルなどのネット企業の収益を、コンテンツ側に還元しなくていいのかという問題である。米国ではフェアユース規定が還元しなくていいことの根拠となっているが、結果として「フェア・シェア」が実現されていないのでは、洒落にもならない。

いい悪いの基準が全く分からない。「フェア」という言葉を定義せずに使っても意味がないだろう。コンテンツ企業がコンテンツを提供し、検索エンジンがそれを表示しているのは両者にとって、そうすることがそうしないことより得だからだ。これはある意味「フェア」ではないか。結果として実現される配分は法制度に影響されるが、それを論じるには「フェア」の定義についての合意が必要だ

つまり、マードック氏が第一歩を踏み出し、グーグルはとりあえず最低限の対応をしたが、その結果としてネットの常識がどう変わるかはこれからの勝負なのである。

「ネットの常識」でビジネスが動いているのではないビジネスが動いた結果としてのパターンが「ネットの常識」なのだ。マードック氏がグーグルから譲歩を引き出したのは彼がコンテンツ生産において市場支配力を持っているからだし、譲歩しか引き出せなかったのはグーグルが検索市場のリーダーだからだ。

日本のマスメディアはネット関連の問題では常に受け身であったが、今回ばかりは、行動するなら早く動くべきである。ネット上でのビジネスの「ルールづくり」が常に米国で行われるというのは、もう止めにすべきではないだろうか。

アメリカで「ルール」ができて日本に波及するなんてことはない。アメリカで生じた変化が日本でも生じることで結果としてのパターンが一致するだけだ。技術は国境をまたいで波及するのでそれは自然なことだし、ネット関連の技術変化はアメリカから生じるので、「ルール」がアメリカから日本にやってきたように見えるがそれは表面的な問題に過ぎない

追記:複数均衡を選択するという意味での「ルール」ならあるかもしれないが元記事の話とは関係ないだろう。もし無料均衡から有料均衡へ飛ぶという話ならそれはカルテルだ。

Big Sister:風俗の多方向市場化

最近Freemiumなんていう言葉が話題になっている。わかりやすく(?)言うと、ネットワーク効果のある市場で、マージナルな価格をゼロにすることで利用者を増やし、収益は価格差別によりインフラマージナルな利用者から回収すればいいというビジネスモデルだ。これはネットワーク効果が大きく、支払意志額の小さな消費者が多く(=需要曲線が強く下に凸で)、価格差別が容易な場合には有効な戦略だ。

しかし、収益をあげるのが無料で財・サービスを手に入れるユーザーの一部でなければならない理由はない。三種類以上の参加者のいるマーケットであれば、財・サービスのやりとりをする以外の第三者から利益をあげることも当然可能だ

無料の新聞がそれはその一例だ。新聞はニュースなどを読者に提供する一方、広告主から収益をあげる。読者が増えれば増えるほど広告収入が増えるため一定の条件下では読者には何も課金しないことも正当化される(例:小額の支払のための費用が高い)。

Big Sister(NSFW)はこの収益体制を風俗に適用したものだ(「夜のオンナ」の経済白書という本で紹介されているそうだ via Feel Like A Fallinstar)。かなり有名なもののようでBloombergでも記事になっているしWikipediaにも説明がある。Big Sisterのビジネスモデルは次のようなものだ:

  • 無料で風俗サービスを提供する
  • 引きかえに行為を撮影する
  • 映像はネットで有料で公開する

これが、サービス提供者、サービス需要者、ネット会員という三種類のアクターを一つのプラットフォームで結びつけるビジネスであるのが分かる。

誰が誰にお金を払うかは、ネットワーク効果がどのように発生するかによって決まる。サービス提供者は多い方がよいので企業は賃金を支払う。閲覧者は少ない方がいいので料金を徴収する。需要者は特殊で、売春が法律で禁止されているため無料となる。需要者は撮影に必要だが簡単に見つかるので経済的にもそれほど間違った価格(=0)ではない。

このビジネスモデル自体は古典的な覗き部屋と同じだがインターネットがそのスケールを飛躍的に拡大させた。こういったニッチは市場は通常大都市でしか成り立たないが、インターネットがあれば多くの顧客を同時に相手にできる。また低コストな地域で営業して高所得な地域で収益をあげることも可能だ。これにより、映像からの利益が上がったことでサービス自体の価格をゼロにできれば、売春に関する規制も同時に回避できる(基本的にその場での金銭のやりとりさえなければ売春には該当しない以上取り締まりは不可能だろう)。

再コメント:NTT組織改編問題

以前、ソフトバンクモバイルの副社長である松本徹三さんが書かれた「やっぱりNTTの組織改編は必要だ」に「NTT組織改編議論」という題でコメントをさせていただいた。今日、その内容についてありがたいことに松本さんからアゴラ上で直接反論「アゴラ : NTT組織改編問題—再論」を頂いたので再コメントしたい。先日は非常に情熱的な記事と評させて頂いたが、それだけではなく細かい議論をされる方だと分かった。

Aboutにも書いたが、投稿自体は「である」調にしていることを最初に断っておきたい。

アゴラ : NTT組織改編問題—再論

構成:

  • 但し書き
  • 競争とイノベーションとの関係
  • スパコン開発
  • 共謀
  • プラットフォーム企業の垂直統合
  • マイクロソフト
  • まとめ

但し書き

まず本題と関係ない、松本さんの立ち位置に関する部分について:

しかし、私が過去1年半以上にわたってブログ上でNTT問題について論じたのは、延30回を超えていると思いますし、日頃からアゴラを読んで頂いている方は、私の経歴を熟知されていると思いますので、毎回その事を断るわけにもいきません。

私がアゴラを読み始めたのはつい最近で、自分で調べるまでは気づかなかった(松本さんのプロフィールはこちらにある)。もちろん読者との間で同意が取れている場合には構わないだろう。プロフィールなどについてはアゴラがプラットフォームとして提供するのが適当だろう。

競争とイノベーションとの関係

技術開発の「モチベーション」と「その為の最適組織」は様々であり、「競争」が全てに必要とは私も思ってはおりません。

非常に妥当な見解だ。

私が繰り返して申し上げているのは、11月11日付のブログ記事でも述べているように、「大きな組織を維持しなければ、まともな技術開発は出来ない」という従来のNTTの主張は誤りであるという事です。

その通りだ。競争=イノベーションではないし、大組織=イノベーションでもない。松本さんの前回の記事では前者が強く押し出されているようなので指摘しただけで、後者があっているわけでもない。

個人的には、どちらが望ましいかは想定するイノベーションの発生過程(参考:知的財産権はうまくいかない?Twitterとイノベーション)や必要な情報の分布(参考:日本でFacebookは生まれない)で決まると考えている。

現在のIT関連のイノベーションはアイデア指向でユーザーに近いのでNTTないしAT&Tベル研のような大きな組織よりも小さなベンチャーのほうが向いているだろう。結論としては松本さんのそれと変わらない。

スパコン開発

今、別なところで、たまたま「スパコン開発談義」が盛り上がっていますが、もし、普通の企業ではとても間尺にあわないような「基礎研究」が国として必要な のなら、それは国民のコンセンサスを得た上で、国立の研究所でやればよい事です。(或いは、国の委託研究として富士通などの会社でやればよい事です。)こ れは、「通信事業への競争原理の導入」といった議論とは全く別の次元での議論です。

ごもっとも(別なところとは「スーパーコンピューターを復活してほしい」のことで、それに対する私のコメントは「スーパーコンピューターが必要か」にある)。

共謀

寡占体制にならざるを得ない通信事業のような設備産業においては、同業者同士の「共謀」は各事業者にとっては誘惑に満ちた選択です。しかし、誰もが納得できるような理由がなければ、そんな「共謀」は利用者の目にミエミエになってしまいます。

これは、松本さんの元記事における

この問題は、NTTではなく、NTTの競争相手に聞くのが一番の早道であることに、疑問の余地はないのではないでしょうか?(NTT自身は、本当は競争なんかしたくない筈なのですから。)

に対する私のコメント

NTTの競争相手にとって最も望ましいのはNTTと共謀することであり、その際の自分の分け前を増やすことだ。

を指している。

誰もが納得できるような理由がなければ、そんな「共謀」は利用者の目にミエミエになってしまいます。

はそれほど明らかではない。生産者・監督官庁・政治家が結託して国民・利用者にとって好ましくない行動をとるのはよくあることだ。消費者・有権者が細かな問題を見過ごす点を政治が利用する。

但し、私はソフトバンク・NTTに関してそれが実際におきる・おきている可能性は非常に低いと思う。過去の経緯を考えてもソフトバンクほど競争的な会社は稀だし、NTT組織改編は目につく話題だ。またこのような議論はそれを明らかにするので共謀はさらに困難になる。ここでもまた、結論としては私の主張と松本さんの主張は変わらない。単に

この問題は、NTTではなく、NTTの競争相手に聞くのが一番の早道であることに、疑問の余地はないのではないでしょうか?

は正しくないことを指摘しただけだ。完全な回答をするなら、「疑問の余地はあるがこのケースに関して言えばNTTの競争相手であるソフトバンクに聞くのはいい方法だ」となるだろう。

「独占・寡占の弊害を防ぎ、利用者の利益を守る」為に、監督官庁としての総務省が存在しているのであるし、そうでなくても、競争環境下にある事業者にとっ ては、利用者の支持と共感を得る事がビジネスに勝ち抜くための必須条件ですから、どの事業者もそんな事を迂闊に行う事はしないでしょう。

については、監督官庁たる総務省も事業者もそこまで信用していない。特に日本の多くの官庁はいまだに産業振興といったアジェンダを持っていることもあり、独占・寡占を防ぐという競争政策の適用には消極的な印象が強い。

プラットフォーム企業の垂直統合

「光通信網」で独占的な立場にあるNTTは、全階層において圧倒的に有利な立場を占める事が出来ると言えます。青木さんご自身もおっしゃっておられるよう に、NTTは、「どうすればトータルで自社に有利になるか」を考えた上で、如何様にも利用条件を定め、全体のビジネスをどんな方向にも誘導出来るからで す。

これはシカゴ学派の単一独占利潤定理(One Monopoly Rent Theorem; OMRT)や補完的外部経済内部化(Internalizing Complementary Externalities; ICE)と呼ばれる議論だ(注)。その主な主張は「独占事業者が自社のために最善=最も利益が高いと考える垂直統合は社会的にも最善=社会余剰が高い」というものだ。よってNTTが光通信網で独占的であることは、他の階層における彼らの意思決定に規制が必要ないことを意味するということになる。

もちろん、この議論は実は穴だらけだ。例えば、独占的プラットフォーム提供者が価格規制を受けている場合や価格差別を行う強いインセンティブを持っている場合にはうまくいかない。また垂直統合を行わないというコミットメントが行えない場合にはしかたなく社会的に非効率な垂直統合を行うこともある。例えば、Intelは自分たちがアプリケーション市場(主にコンピュータ開発)に不必要に進出しないことを明らかにしている。その方法のひとつがアプリケーション層での研究開発をオープンソースにすることだ。

シカゴ学派の議論がNTT問題にそれほど関係するとは思わない。ただそういった考え方は(アメリカの)競争政策において非常に根強く、そういう考え方もあるという点を紹介した。

マイクロソフト

欧州委員会は米国司法省よりは厳しい立場を取っており、その「反競争的な行動」に対して相当のペナルティーを課しています。

その通りだ。これは欧州委員会と米司法省とのイノベーションに対する考え方の違いを示している。競争政策についてはアメリカが常に先行しているのでヨーロッパも徐々に長期的なイノベーションに対するインセンティブを重視するようになると思われるが分からない。

日本はヨーロッパよりもさらに遅く、競争政策に関する経済理論の適用自体進んでいないようだ。これは松本さんの次の一節に現れている:

独禁法に詳しい或る弁護士先生と話したところでは、「光通信サービスにおけるNTTの現状は、独禁法に抵触するものとして、今すぐにでも十分立件できる」との見解でした。

エコノミストは原理の問題として、それは競争法の適用が不適切なのだからそれはそれで競争政策を改善すべきと言うだろうが、当事者としてはそんなことよりも早く何とかしてほしいというのは当然の要求だろう。アメリカでも反トラスト関連の裁判が数年に渡るのは珍しくない。

まとめ

私のコメント(NTT組織改編議論)はどれも松本さんの議論を結論として批判しているものではない。議論の根拠の中で不明瞭なものを補足したというのが正確だろう。ブログにおけるやりとりで、NTTを含めた通信市場の競争・イノベーションに関する議論がより精緻になると同時により多くの人の目に触れることはとてもよいことだ。

(注)定訳が見当たらないので即興で訳した。

補足:日本でFacebookは生まれない

日本でFacebookは生まれない」への反応で説明したほうがいいかと思ったもの:

Hexenkessel – 日本の企業がFacebookを作れただろうか。どれだけ人材がいて資本があってもFacebookができる…

Facebook は作れないけど mixi や gree は作れるじゃん。それで何が悪いの? 日本で Facebook が作れないのは「企業」の問題というより「日本」の事情という気がするけど。

これはその通りでまさに前に書いた記事の主張だ。記事から引用すると:

ハードウェアのソフトウェア化、産業のサービス化は進む一方であり、日本でもベンチャー企業が消費者心理を理解した製品を提供していくことはさらに重要になる。

日本人が欲しいのはFacebookじゃなくてmixiやgreeなわけだ。だからmixiやgreeのようなサービスが世に出て来やすいような環境の整備は必要だ。日本人はFacebookが欲しいわけじゃないのだから、別にmixiやgreeが日本市場をとってもそれ自体何ら問題ない。

単に、そこから生まれた製品が世界を制することはないというだけだ。

でも、逆にmixiやgreeはFacebookではないので海外の市場はとれない。だから元の佐々木さんの記事の題名にある「国際競争力」という面においては全然期待できない。それはmixiやgreeがまさに日本の消費者心理を反映したサービスだからだ。そうやってできたサービスが海外で受けないのは彼ら「企業」のせいではなくて「日本」の事情だが、外貨を他の産業で稼がないといけないことは確かだ。日本発のFacebookやTwitterが海外ではやって外貨を持ってきてくれるということはおきないだろう。

さらに言えばこれは誰にせいでもなく、技術発展の結果だ。以前は日本向けでもアメリカ向けでも大体同じようなものを頑張って作れば売れていた。しかし今日では製品のあり方が多様化したせいでそれでは売れなくなったということだ。

#Twitterとはてなブックマークは簡単に補足できるんだけどTumblrはどうすればいいのやら。

日本でFacebookは生まれない

日本企業の弱点はプラットフォーム化ではなく消費者需要の把握だ

追記:ちょっと冗長になっちゃったと気にしていたポストにトラフィックが向き始めたので簡単に要約しておきます。

  1. 日本企業はプラットフォーム戦略が苦手なわけではない(例:ゲームコンソール)
  2. 苦手なのは需要の把握だ
  3. ソフトウェア化により需要へ複雑な対応が可能になりその適切な把握が決定的に重要になった
  4. これは大企業には難しいのでベンチャーが重要←日本苦手
  5. また細かな需要=選好は国により違う←日本企業がアメリカ相手とか無理(例:Facebook)
  6. やっぱそういう問題のない中間財とかで勝負すればよくね?(例:携帯部品)
  7. とはいっても日本国内での需要把握は重要だからベンチャーまわりはやっぱりなんとかしよう

という感じです。

アゴラ : 日本ITの国際競争力

「裏の技術力」と「表の技術力」という言葉を取り上げている。前者は基本的には製造技術のことだ。以下に安く質の高いものを作るかという技術であり、日本の製造業が得意にしてきた分野だ。

では「表の技術」とは何か。それはすなわち、ネットワークであると山田氏は説明した。

それに対して「表の技術力」とはネットワークを作ることだという。例としてiPodとウォークマンとの競争が挙げられている。

しかしiPodにはウォークマンにはない魅力があった。それがネットワークだ。音楽配信サービスのiTunes Storeと楽曲管理アプリケーションのiTunes、それに機器のiPodがシームレスにネットワーク化されることによって、どこでも自由に音楽が聴け るという環境を作り上げていたということだ。

iPodの魅力はiTunesによるネットワーク化だと指摘されている(但し「ネットワーク」の定義は見当たらない)。記事中ではさらにWindows, Google, Amazon, Facebook, Twitterなどの例から、なぜアメリカがこれらの事業で成功したかについての根拠が挙げられている。

しかし、プラットフォームを制する企業が競争に勝つというのはその通りだが本当に日本企業はプラットフォームが重要な市場に弱いのだろうか

しかし、80年代までものづくりや企業向けのビジネスで成功を勝ち取ることができていた日本企業はどこもネットワーク化の流れに乗り遅れ(任天堂など一 部の例外を別として)、ネットワーク化の流れが特に激しく進行している消費者向けビジネス分野では決定的に後手に回ってしまった。

本文中で挙げられている任天堂はゲーム機というプラットフォームビジネスで大成功を収めている。またゲーム機市場においてはSonyもいる。Sonyは前世代から比べるとシェアを落としているが、世界に三社しかいないゲーム機市場において日本の企業が二つ活躍しているというのは見落とせない。ゲーム機市場はコンテンツ企業と消費者という二種類の参加者が存在し、参加者間に外部性が顕著な典型的なプラットフォーム市場だ

また日本とアメリカだけを考えれば日本が負けているようにみえるが、世界中を見渡せばコンピュータソフトウェアやウェブ上のサービスでアメリカ以外の国の存在感はほとんどない。別に日本企業が特別にまずい行動をとっているわけではない。

では、日本企業が抱える問題は何かそれは消費者需要の把握だ。ゲーム機市場の場合これはそれほど大きな問題にならない。ゲーム機に求められる要素はそれなりに決まっているし、何よりも企業は複数のゲーム機を消費者に提供するわけではない。互換性が重要でアップデートのきかないゲーム機は基本的に一世代に一つで、異なるのはサードパーティーが開発するコンテンツだ。プラットフォーム企業は、ゲーム機の性能と生産コストを決定し、あとは基本的に価格と生産量で競争する。

それに比べるとiPodの設計は非常に難しい。物理的な設計が困難なのではない。音楽プレーヤーはプレーヤーというハードウェアの上で動くソフトウェアと接続先のコンピュータで動くソフトウェアを合わせてはじめて機能する。そして、このソフトウェアにはハードウェアにはない大きな特徴がある:

  • さまざまな機能・インタフェースがありうる
  • 簡単にアップデートできる

根本にあるのはソフトウェアの柔軟性だ。製品が複雑なインターフェースで消費者によりきめ細かい対応をできるようになったため、生産者は消費者が欲しがっているものを的確に、そう値段と性能だけではなく、把握して提供する必要が生まれた。ネットワークは音楽プレーヤーに求められていたことの一つだ。

日本企業はプラットフォーム市場で競争できなかったわけではなく、プラットフォームが必要とされているということに気づかなかったというのが正確だろう

ではなぜ日本企業がプラットフォームの重要性に気づかなかったのだろうか。それは日本企業が消費者から非常に離れて活動しているためだ。i-modeの使えないドコモの役員のように、企業が消費者の需要を把握できていない。その原因の一つは、お馴染みの労働市場の硬直性だ。アメリカでも大企業が消費者の細かい需要を理解しているわけではない。把握した社員が独立したり、若い人が会社を立ち上げることで需要を的確に捉えた製品が市場に供給される。これが日本の労働市場では難しい。

しかし、これだけが日本企業が「国際」競争力を持たない理由ではない。もう一つは、日本市場が世界市場とは異なることだ。日本企業は日本市場の動向なら適切に読めるかもしれないが、例えばアメリカの大学生が何を欲しているかを知るのは難しい。アメリカ支社を作ることも、アメリカ人を雇うこもとできるがアメリカ人が自分たちで必要だと思ったから立ち上げたような会社に勝てる理由がない。

Facebookが分かりやすい例だ。日本の企業がFacebookを作れただろうかどれだけ人材がいて資本があってもFacebookができることだけはない。参加者が本名を名乗り、自分の顔写真をのせ、在籍・出身大学から勤め先まで公表するソーシャル・ネットワークサイトが日本で生まれることはないのだ。それは、ベンチャーキャピタル不足のせいでも技術者不足のせいでもなく、日本とアメリカは違うという話だ(注)。そして、ネットワーク効果の高い分野で世界最大の市場を取れないことは決定的な弱点となる。ある意味どうしようもない。

ソフトウェアにより消費者需要を把握することが重要になった時代に、日本企業が世界市場で競争するのは非常に難しいことが分かるだろう。ではどうするか。二種類の方向性がある。

  1. 一つは、(労働市場・資本市場の問題は解決したうえで)企業が真に国際化することで世界で求められる製品を提供すること、
  2. もう一つは、需要の把握が決定的な市場を避け、輸入に必要な外貨は他の産業で稼ぐことだ。

一つ目の道は現実には厳しいだろう。アメリカでも大企業は消費者需要の把握を苦手としている。また、前述したように日本以外の国、例えばヨーロッパの国々、でもアメリカの需要を把握できていない。そして、日本は世界で最も国際化していない国の一つだ。

残るのは二つめの道だ。これは現在であれば自動車など日本が極めて強い産業に注力していくことを意味する。例えば、携帯電話本体ではガラパゴス状態の日本だが携帯に使われている半導体においては圧倒的なシェアを誇っている。何も最終消費財だけが市場ではない。

もちろんそうした産業で外貨を稼ぐことは、労働市場や資本市場を改革しない理由にはならない。ハードウェアのソフトウェア化、産業のサービス化は進む一方であり、日本でもベンチャー企業が消費者心理を理解した製品を提供していくことはさらに重要になる。単に、そこから生まれた製品が世界を制することはないというだけだ。

(注)匿名性に対する態度は労働市場の硬直性に依存しているので、本当に労働市場が流動化すればFacebookが生まれることはありうる。しかし、ベンチャーに行く若者が増える程度の変化では関係ないだろう。