Live Nationのプラットフォーム化

Live NationはメディアコングロマリットのClear Channel Communicationsの子会社でレコードレーベルとプロモーターの中間のような企業だ。通常のレコードレーベル同様にアーティストと契約を結ぶが、音楽自体に対する権利はアーティストに残したまま、コンサートの運営を行うなどプロモーターとしての性格が強い。

このような事業形態は非常に理にかなっている。デジタル著作権管理が(DRM)がうまくいかない以上、アーティストを利益を付随するサービスで上げる必要がある。その最も大きな部分がパフォーマンスであり、レコードレーベルもそこからの利益をシェアする形であれば、正しいインセンティブのもとで運営される。

Live Nation Opens Web Platform To Artists & Fans – hypebot via Techdirt

Concert promoters Live Nation have made changes to their web site that places more of the site’s content int the hands fans and artists. LiveNation.com is a top 50 ecommerce site and a top 5 online music network.

Live Nationは自社サイトをプラットフォームとして作り替えている。ファンとアーティストが(この区分けに意味があるとも思わないが)ともにサイト上で活動する。FacebookやTwitterとも接続し、自社のイベントだけでなくユーザーがイベントを追加することもできる。

Live Nation is the largest producer of live concerts in the world, annually producing over 22,000 shows for 1,600 artists in 33 countries.  During 2008, the company sold over 50 million concert tickets and drove over 70 million unique visitors to LiveNation.com.

Live nationはコンサートプロデューサーとしては世界最大であり、5000万のチケット売上に加え、自社さ糸への7000万人にユニークビジターがいるそうだ。

ファンとアーティストが共に存在するプラットフォームとしてはMySpaceが未だに強いが、Live Nationの業界におけるプレゼンスを考えるとプラットフォーム運営の如何によっては一番の座を掴める可能性は十分にある。特にMySpaceはテクニカルな面で遅れており、新技術をうまく取り入れた上で、ユーザーによるイノベーションを促すことが重要だろう。

倫理に関するエコノミストの態度

日本語でブログを書き始めたので、最近経済についての日本語のブログを探している。今回はその中で経済学がどういうものかについて書かれたエントリーについて:

そうか、経済学って世の中のための学問なんだ – WATERMANの外部記憶

「対話でわかる痛快明解 経済学史」という本を読んで感じた経済学についてのイメージについて書かれていてとても興味深い。どの分野でも暫く浸かっていると、世間から自分のやっていることがどう思われているのか分からなくなる。これは先日書いた「何で経済学は難しいのか」というエントリーで頂いたコメントでも痛感した。

このブロガーの方は経済学が世の中のための学問だと感じて頂けたそうだ。それほどサンプルが多いわけではないので確証はないが、個人的な印象ではエコノミストはこの点に関していくつかのタイプに分けられるイメージがある:

  1. 人間の行動を説明することが主目的で規範的な判断を避ける(数理系や実験系など)
  2. 特定の目的の達成のために経済学が最も役に立つと考えている(開発系やファイナンス系など)
  3. 研究対象に倫理的判断が必要ないので深く考えない(マクロ・成長論など)
  4. 経済学が最も妥当な規範を提供していると本気で考えている(応用ミクロ系)

タイプ1はそもそも経済学が倫理的な判断をすると考えていない。自分のやっていることが社会のためにどうかについては考えないし、むしろそれが善悪の判断に使われることを嫌う。理論系であることがほとんどだ。

タイプ2は二種類に分かれる。一つは途上国開発、教育政策、移民支援、ジェンダーなどの問題を解決したい人たちだ。彼女ら(実際に女性の割合が多い)は道徳判断を経済学に準じて行っているというよりは、既に持っている目的を達成する手段として(計量・実験)経済学を使っている印象がある。集団の行動をコントロールするという点において経済学は心理学・社会学より優れているためである。二つ目はファイナンス系の人だ。彼らは一般的道徳と関係のない目標を持っている点で一つ目のパターンと異なるが、経済学を人間の行動を説明する便利な理論としてだけ使っているところはかわらない。

タイプ3は、倫理的判断がそもそも必要ないパターンだ。もともと景気変動や経済成長など文字通りの経済現象に興味がある人が多いように思う。経済を勉強している理由は経済に興味があるからで倫理的なそれとはあまり関係ない。また、景気変動は少ないほうがいいし、成長は早いほうがいいので倫理的判断をする必要があまりない。一応自分のしてることは社会のためだと考えているが、実質的にはタイプ1と大差ない。

タイプ4は、一見倫理的な人間には見えず、しばしば冷たい印象を与える。もともと強い道徳観を持っておらず、それ故に論理的に考えた上で経済学を最も妥当な判断基準として採用しているタイプだ。道徳の外に立っているため個人レベルでは無道徳(amoralであってimmoralなわけではない)だが、社会レベルの判断については最も強い信念を持っている。費用便益分析を持ち出す人はほぼ確実にこのタイプだ。

私はというと、倫理学から経済学にたどり着いた典型的なタイプ4だ。いわゆる経済現象には何も興味がなかったが、社会的にすべきことは何かについて考えていたらそれが経済学の提示する倫理観と一致していた。今では人並みに経済現象にも興味を持っているが、いまだにマクロ金融政策には何も興味がわかない。

ペイウォールはうまくいかない

ペイウォール(paywall)とはウェブサイトが一部のコンテンツを有料にして、フィーを支払わない顧客からのアクセスをブロックすることである。

これについてSlashdotで的を得た意見が紹介されている:

Slashdot News Story | Paywalls To Drive Journalists Away In Addition To Consumers?

‘My column has been popular around the country, but now it was really going to be impossible for people outside Long Island to read it,’ he says. Friedman, who is 80, said he would continue to write about older people for the site ‘Time Goes By.’

ペイウォールを導入するのに伴い、長年勤めてきた記者が新聞社を退職し、ブログで執筆するという話が紹介されている。

‘One of the reasons why the NY Times eventually did away with its old “paywall” was that its big name columnists started complaining that fewer and fewer people were reading them,’ writes Mike Masnick at Techdirt

TechdirtのMike Masnicはニューヨークタイムスがペイウォールを撤廃した理由として、コラムニストが読者の減少を懸念したからだと述べている。

この二つの事例は新聞業界がインターネットによってうまくいかなくなった一つの大きな原因を明らかにしている。

もともと新聞というのはプラットフォームである片方には読者、反対側には執筆者がいる。前者は良質なコラムを望み、後者はより多くの読者を望む。プラットフォーム運営者としての新聞社はこの二つの絡み合う市場をバランスさせていく必要がある

購読料を上げすぎると読者はへり、コラムニストにとっての魅力はなくなる。またコラムニストへの報酬を減らすと読者にとっての新聞の価値は減ってしまう。

しかし旧来の新聞業界におけるバランスはインターネットの浸透によって完全に崩れた。その一つが最初の引用におけるブログの役割だ。新聞社が利益を挙げるためには読者の量を制限する必要がある(注)。だがこれはコラムニストにとってはマイナスだ。昔であればこんなことに文句を言う人間はいなかっただろうが、今は違う。コラムニストにとって読者を探す手段はいくらでもある。ブログがその一つだ。新聞が読者を見つける効率的手段でないなら自分で発表すればよい。もちろんブログで直接金銭収入を得るのは難しいだろうが、知名度があれば他で稼ぐことができる。

この場合であれば、記者は既に大きな注目を浴びており、彼の動きは成功だったと言えるだろう。

(注)これは効率的な価格差別ができないことを前提としている。価格差別が可能であれば、価格を限界費用に抑えたままでも利益をあげることは可能だ。メディア企業を非営利企業として再生しようという動きはこの点をついている。ちなみに、寄付収入の多い劇場などはこのビジネスモデルの典型だ(言うまでもなく、非営利であってもビジネスはビジネスだ)。

ブラックメールというビジネス

ブラックメールというのは脅迫状のことだ。脅迫状の法的な扱いについて非常に興味深い記事がある:

The Art of Blackmail – NYTimes.com via Market Design

Blackmail is a “wonderfully curious offense,” to use the phrase of Paul H. Robinson, a professor at the University of Pennsylvania Law School and his coauthors in a recent paper. A threat to tell the truth is no crime, and neither is asking someone for money. But if you demand money to prevent the truth from being told, Professor Robinson said, you’ve crossed the line. At its core, he explained, the offense is “a form of wrongful coercion.”

ブラックメールの定義は、真実の情報であり(substantially true)名誉毀損に当たらない情報を公開すると脅して金銭を巻き上げることだ。これは犯罪とされている。しかし法的にこれが違法であるのは非常に微妙だ:

  • 真実の情報を公開することは犯罪ではなく
  • 金銭を要求することも犯罪ではない
  • だが真実の情報を公開しないことを条件に金銭を要求することは犯罪である

ところがブラックメールとほぼ実質的に同じことをしても犯罪にならない方法がある。

Those confrontations, however, did not cross the line into the criminal realm, he said, because they had been sanitized by lawyering. Attorneys, he noted, can create a legal filing that promises to bring out unpleasant facts in depositions or during trial; a settlement is not, technically, a payoff. He called it “wrapping an extortion threat in a legal cloak.”

それは弁護士を雇うことだという。弁護士が示談に応じない限り裁判を起こしてその過程で相手が秘密にしたい情報を公開すると伝えることは犯罪ではない。示談は技術的に金銭的利得に当たらないからだ。

そもそも脅迫を犯罪にする根拠は何なのだろうか。私に公表されたくない情報があるとして、それを共有する人間と秘密を公開しないという契約を結ぶことの何が問題なのだろう。契約が成立するならば当事者ともに利得を得る。問題は情報が社会にでないことが社会的にマイナスかどうかだ。

これは以前に触れたインサイダー取引の場合に似ている。社会的に秘密にすべき情報は契約によって公表を規制する一方、公開すべき情報は資本市場における圧力によって自発的に公開される。

例えば脅迫の内容がある企業のビジネスモデルの欠陥だとする。その場合この情報は社会に公開されるべきで、脅迫が成功することは社会的に望ましくない。しかし、脅迫を犯罪にしたところで情報を公開するインセンティブがあるわけではない(公開会社であれば空売りした上で情報公開することは考えられる)。単に相対的交渉力の変化で脅迫で巻き上げられる金額が減るだけだろう。

また脅迫が刑事罰である点も気になる。情報を共有する前に結んだ情報保持契約を破ることは民事なはずだ。

この辺りの法的根拠はどうなっているのだろう。また日本でも同様の議論は成り立つのだろうか。

ダラー・オークション

しばらく前からSweepoでお馴染みのダラー・オークションが実際にどう儲かるのかをよく示したビデオがある:

Aguanomics: The Political Economy of Lobbying

ダラー・オークションでは主催者が$1をオークションする。最も高い入札を行った参加者が$1を獲得するが、入札者はそれぞれ自分が最終的に提示した額を主催者に支払う。最適な行動はそもそもオークションに参加しないことだが実際には上記のビデオのように主催者がオークションにかけた物品以上の収益を挙げることが多い。参加者同士が手を組めば逆に参加者が大きな利益を得られるが参加が自由なら儲かると思って入ってくる人が出てしまう。

Swoopoというオークションはこのダラー・オークションに入札フィーを加えたビジネスモデルを展開している。繰り返し参加すればこのオークションに参加することが利益にならないことは分かるだろうが、新しい客が入ってくる限り(そして違法化されない限り)は続くのだろうか。