School of Hard Knocks

アメリカのCEOがどんな大学を出ているか(@gshibayamaさんのtweetより):

Top 10 CEO Undergraduate Alma Maters

  1. University of California
  2. School of Hard Knocks
  3. Harvard College
  4. University of Missouri
  5. University of Texas
  6. University of Wisconsin
  7. Dartmouth College
  8. Princeton
  9. Indiana University
  10. Purdue University

殆どが州立大学のシステムだ。これには四つほど理由が思い当たる。

  1. アイビーなどにくらべ大学の規模が遥かに大きい
  2. アメリカの普通に優秀な人は州立のフラッグシップに行くことが多い(私立は学費が桁違いだし、卒業生の子弟を優遇するレガシー制度がある)
  3. キャリアを積んでからビジネススクールなどでトップ校に行く人も多い
  4. 私立トップ校にいくとそのままウォールストリートなどに就職する可能性も高い

それなりに優秀な学生が近くのいい大学に安く行き、ファイナンスやコンサル業界はネットワークがなく難しいこともあり、事業経営の世界に突き進むというシナリオはありそうだ。

ちなみに、第二位に上がっているSchool of Hard Knocksは知る人ぞ知る隠れた名門校…ではなく、

The School of Hard Knocks or the School of Hard Knocks and Tough Surprises is an idiomatic phrase meaning the (sometimes painful) education one gets from life’s usually negative experiences, often contrasted with formal education. (wikipedia)

大学を出ずに大企業のCEOにまで上り詰めた(というか自分で大企業を作り上げた)ということだ。

1000ページの温暖化対策法案

温暖化対策の法案であるAmerican Power ActKerry-Lieberman climate change bill)が987ページもあるのは何故か。

Making the Simple Complicated

経済学入門レベルでの温暖化対策は実に単純だ。温暖化が起きてしまうのは、大気汚染同様に、温暖化ガスを排出している主体=生産者が排出の本当のコストを負担していないからだ。二酸化炭素を出しても温暖化の分だけ罰金がかかるわけではないので出しすぎてしまう。

これを是正するのは簡単だ。生産者が排出の本当のコストを全て負担するように税金をかければいい。このような税金をピグー税という。税方式は、直接排出を規制するのに比べて多くの利点がある。以下はその例だ:

  • 経済主体が各自最適化するので情報面での政府の負担が少ない
  • 投資に関するインセンティブを歪めることなく税収が得られる

では、この法案はどうして1000ページ近くなってしまったのか。

First, it tries to do far more than just charge for carbon emissions.

一つ目の理由は二酸化炭素排出抑制以上のことに手を伸ばしすぎていることだ。

Standard economics suggests that many of these interventions would be unnecessary if we had the right tax on carbon emissions; if companies pay the full social costs of their actions, they have the right incentives to invest in greener technologies without any further help from Uncle Sam.

上に述べたように、適切な税(ないし排出権取引市場)を整備すればこうした政府によるマイクロマネジメントは本来必要ない。省エネ技術を直接補助しなくても、エネルギーが高くなれば投資・開発・利用は進むということだ。

The second reason that the bill is so big is that it uses a complicated cap-and-trade system rather than a simple Pigouvian tax.

二つ目の理由は、この法案が税方式ではなく排出権取引を利用していることだ。税方式であれば排出量さえ分かればあとは単に課税するだけだが、排出権取引の場合には権利の割り当てから取引市場の整備など制度的な負担は大きくなる。

In theory, a permit system can be identical to a tax.

排出権が税金に理論上劣っているということではない。どちらにしろ最適な水準を計算して、それだけの排出権を割り当てるかそれを実現するのに適切な税率を設定することになる。

Fixing the number of permits may actually be the right thing to do. As my colleague Martin Weitzman wrote almost 40 years ago, quantity controls are better than prices if we are more certain about the right quantity than we are about the right tax.

排出権という形で量を先に固定することは、税率よりも排出量に関する不確実性が大きい場合には(社会厚生的)に有利な政策となる。温暖化の場合でいえば、どれだけ温暖化ガス排出を抑えるべきかの方が単位当たりの費用を考える方がらくであれば排出権のほうが望ましいということになる。

Giving away permits rather than selling them is often defended as a means of ensuring that global warming doesn’t become an excuse for higher taxes.

排出権を無償で割り当てることは、温暖化対策を新たな税源とするのを防ぐという効果がある。これは税金に対する反感が根強いアメリカでは政治的に重要だろう。しかし、ピグー税による課税のメリットを享受できなくなる。

制度が複雑になる社会的な費用も考えればどちらが望ましいかは微妙なところだろう。

International trade is a third reason that this bill is so complicated, because we are trying to use domestic legislation to handle a global externality.

三つ目の理由は国際貿易だ。温暖化対策は国際的な枠組みで行わなければ効果がないが、現状では各国の国内法と条約を組み合わせていくしかなく、これによって制度が複雑になるのは避けられない。

If such treaties fail to materialize, the United States may start charging imports for the carbon used in their production.

ちなみに法案によれば貿易相手国が条約を遵守しない場合には、炭素量に応じて関税をかけるとのことだ。

While I understand the economic and political logic behind this approach, it is a distinctly dangerous path. Our trading partners will argue that these charges are tariffs in disguise.

これは、水掛け論から貿易戦争に突入する危険を孕んでいる。

アカデミアの労働市場

アカデミアは非常に左寄りなところにも関わらず、大学の労働市場は非常に厳しい状態にあり、悪化するばかりだ。

Why Does Academia Treat Its Workforce So Badly?

Together these employees now make up an amazing 73 percent of the nearly 1.6 million-employee instructional workforce in higher education and teach over half of all undergraduate classes at public institutions of higher education.

アメリカの大学では非常勤講師の数が増え続けており、今や教員の73%にも達しているとのこと。公立大学のクラスの半分以上はテニュア=終身雇用を持たない講師によって支えられている。

Academia has bifurcated into two classes:  tenured professors who are decently paid, have lifetime job security, and get to work on whatever strikes their fancy; and adjuncts who are paid at the poverty level and may labor for years in the desperate and often futile hope of landing a tenure track position.

労働市場は二極化している。テニュアを持つ教授はまともな給料に終身雇用があり好きなことが出来る一方で、非常勤は貧困ラインの給与でテニュアを取れる見込みも殆どない。

And, of course, graduate students, the number of whom may paradoxically increase as the number of tenure track jobs decreases–because someone has to teach all those intro classes.

テニュア付きポストが減る一方で大学院の定員は増えている。教授の数が減れば入門レベルのクラスを教える人間の需要は増えるため院生を増やすインセンティブがある。

those lucky enough to get a tenure-track job have to move to a random location, often one not particularly suited to their spouses’ work ambitions or their own personal preferences . . . a location which, barring another job offer, they will have to spend the rest of their life in.

テニュアをとっても場所は選べないことが普通だ。配偶者の仕事と都合が合わないかもしれないし、住み心地が良いとも限らない。そして、基本的にはその場所に一生住むことになる。

I have long theorized that at least some of the leftward drift in academia can be explained by the fact that it has one of the most abusive labor markets in the world.

一見矛盾のように見えるアカデミアのリベラル傾向とこの悲惨な労働市場も、後者が前者の原因だと考えれば説明できる。あまりにも酷い労働市場で一生過ごしているうちに、左寄りな労働市場観を持つに至るということだ。

as a class, low wage workers do not face the kind of monolithic employer power that a surprising number of academics seem to believe is common.

大学教授は民間の労働市場を搾取と捉えがちだが、低賃金労働の市場においても大学ほどに一方的な交渉力を持った雇用主はいない。

The Persistence of Exploitative Academic Labor Markets

上の記事に関連して、どうしてこのような労働市場が維持されるかについて三つの理由が示されている。

[…] once one has bought into the academic status framework, it’s hard to escape it. Graduate school is basically an extended period of socialization into the conviction that academia is more exalted than just about anything else.

まず、一度アカデミアに入ると抜け出るのは難しい。しばしば指摘されることだが、大学院というのは価値・規範を植えつけるという意味で一種の社会化プロセスになっている。アカデミアが最高の場所だという観念を刷り込まれるということだ。

[…] many people who have been so socialized have a preference for working in academia so strong that they are willing to forgo lots in salary, benefits, and security in order to secure employment, however tenuous, in academia.

そして労働市場に出る頃にはアカデミアで働くためなら何を犠牲にしてもいいような労働者が完成する。

[…] increasing the supply of adjunct jobs relative to tenured jobs creates a rising status premium for the tenured and reduces their responsibility for the least desirable elementary courses.

また、テニュアが減ることでそれを獲得する確率は減る一方、テニュアの価値は上昇している。希少度が上がるし、学部生向けの(教える側に)人気のない授業を担当する必要がなくなるからだ。これに自分は大丈夫という自信が加わればどうなるかはご覧の通りというわけだ。

食糧危機?

よく人口増加で世界的な食糧危機がなんて話を耳にするが、単なる煽りに過ぎないでしょというよく知られたお話:

What the Starvation Lobby Ignores

With presently available technology, humanity can feed an ever-growing population, with ever-better nutrition, for centuries.

人類は十億人単位で増えていく人口を食べさせていけるのか。答えはイエスだ。現在の技術水準で増加する人口によりよい栄養を数世紀に渡って提供できる。

Happily, such terrible scenarios have not materialized. Instead, people around the world have been increasingly better fed, and are living longer and healthier lives. Recent decades have seen an unmistakable increase in world food production per person […]

世界的な食糧不足という危機を訴える人もいるが、現実にはだんだんと食べる量は増え、健康で長生きするようになっている。

The greatest starvation disasters-the deaths of seven million Ukrainians and other Soviet citizens in the early 1930s and of 30 million Chinese between 1958 and 1961-were caused by deliberate government policies: Stalin purposely murdered his people, and the Chinese communist leaders practiced tragically wrong-headed economics.

前世紀最大の飢餓はソ連と中国で起きたが、その原因は意図的な虐殺と共産主義に基づく間違った経済政策だった。

The market price of wheat adjusted for inflation has fallen over the past two centuries despite a growing world population and rising incomes.

ある財が足りないのか余っているのかを知りたければ市場価格を見るのが早い。インフレ調整された小麦の価格は二十年間下がり続けている。人口が増え、所得が上がっているにも関わらずだ。

Even more startling, the piece of wheat relative to wages in the U.S. has fallen to perhaps 1/20th of its level two centuries ago.

所得に対する小麦価格を見ると、アメリカではこの二世紀の間に1/20になっている。

摂取カロリー、肉類の消費量はともに上がってし、平均身長は上がり初潮年齢は下がっている。生産性の上昇に伴ない農業に従事する人の割り合いも激減している。どんな数字をとってみても食糧供給が悪化しているというデータは見当たらないわけだ。

Productivity per worker and per acre have improved thanks to power machinery and biological innovations induced by increased demand, the improved ability of farmers to get their produce to market on better transportation systems, and, most importantly, expanding economic freedom.

生産性が上がっているのは耕作機械の導入や農学の発展、輸送手段の進歩、そして市場経済の拡大によるものだ。これは現在食糧不足という現象が存在しないことを意味しないが、状況は世紀単位で徐々に改善していっている。

中小企業は社会の主役?

同じような話で連投になるが、先のポストと合わせると実に皮肉な話だと思う。

中小企業は「社会の主役」 経産省が憲章案

経済産業省は12日、中小企業政策の指針となる「中小企業憲章」の同省案を公表した。中小企業を「経済や暮らしを支え、けん引する力であり、社会の主役」と位置付け、「国の総力を挙げて、どんな問題も中小企業の立場で考えていく」とした。

別に経済産業省を取り立てて批判したいわけではないし、中小企業の重要性を否定するつもりは全くない。しかし、中小企業という一定の条件を満たす企業を特別に保護する必要はあるのだろうか。すでに多くの優遇措置もある。

同省案は、政府が取り組む中小企業政策の基本原則として(1)資金や人材など経営資源の確保支援(2)起業の促進(3)新市場の開拓(4)公正な市場環境の整備(5)セーフティーネット(安全網)の整備―の5項目を列挙した。

1,4,5は中小企業とは直接関係ないし経産省が受け持つべき仕事かも分からない。2のスタートアップについては確かに中小企業の一つには該当するが、一般的な中小企業とは性格が全く異なる。3に至っては何をやりたいのか分からない。

本当に中小企業を応援したいなら、必要なことは官主導での市場開拓などではなく出来るだけ下手な介入をしないことだろう。「官主導の就活サイト」を業界最大手と組んで推進し、他の(中小)企業を駆逐している場合ではない。