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NYT有料化を擁護する

ライブドアが始めた新しいメディアというTech Waveでニューヨーク・タイムズの一部有料化が取り上げられている。

Tech Wave : ニューヨーク・タイムズ、いよいよ有料化へ。絶対失敗するだろうけど

「絶対失敗するだろう」という過激なタイトルになっているが何を持って失敗とするのだろう(ht @Lingualina)。それを定義しなければこの予想には意味がない。例えば、現在収益が上がっていなければ赤字が減るだけでも成功だろう。

また、一部有料化というなら、The Wall Street JournalもFinancial Timesも既に導入している。WSJもFTも一部有料化を続けており、これは一部有料モデルが少なくとも彼らにとっては全部無料モデルよりも利益になるということだろう。多くの新聞社が経営難で廃刊になる中でこれは成功といえる。同じことがNYTには当てはまらないとする根拠はなんだろうか

で、なぜ僕が新聞の有料化が失敗すると思うのかというと、時代の流れをまったく無視しているから。ほかのネット上のサービスはテクノロジーを使ってものす ごいスピードでその価値を高めているのに、新聞は何の改良も加えずにただ読みづらくしようとしている。読むのに手間をかけようとしている。そんなの受け入 れられるはずがない。

挙げられている理由はどれもNYTにだけ当てはまるものではない。ほかのネット上のサービスがテクノロジーの利用で価値を高めているのはそうかもしれないが、NYTの記事のクオリティは日本の新聞社の記事や世にあふれるブログとは比べるまでもなく高い。全てを有料化するならともかく、FT式の一定以上のアクセスに対する課金がうまくいかないとするには時代の流れよりは強い根拠が必要だ。

ちなみにライブドアの田端氏はTechWave開始に際して「良質」のコンテンツを次のように説明している(ht @fukui_dayo)。

極めて斬新な「問題提起」型の記事のほうが、退屈で無難な「模範解答」型の記事よりも、遥かに「良質」だと言えるのが分かるだろう。

もし既存のメディアがこの意味での「良質」な記事に駆逐されるのであればジャーナリズムの将来には懸念を覚える。テクノロジーを利用して利便性という意味での価値を高めようとするのもいいが、まず記事の内容を高めるという発想が必要だ。本当に質の高い記事を社会に提供している人たちがいかにそのコストを回収するかを必死になって考えているのだ。それが難しいことだとしても、ただ「絶対失敗するだろうけど」と評することには賛同できない。費用を下げて収益を求めるのも悪くないが、質を保つためになんとか収益率を高めようとする試みは応援したい

P.S. 若干攻撃的な書き方になってしまったが、これもまた「良質」なのだから許されるだろう。

平沼発言の問題

よくあるが見過ごせない失言なので軽く取り上げておく。

<平沼赳夫氏>蓮舫議員の仕分け批判「元々日本人じゃない」(毎日新聞) – Yahoo!ニュース

平沼氏はあいさつの中で、次世代スーパーコンピューター開発費の仕分けで蓮舫議員が「世界一になる理由があるのか。2位では駄目なのか」と質問したことは「政治家として不謹慎だ」とし、「言いたくないが、言った本人は元々日本人じゃない」と発言。「キャンペーンガールだった女性が帰化して日本の国会議員になって、事業仕分けでそんなことを言っている。そんな政治でいいのか」と続けた。

まず、次世代スーパーコンピュータ開発で世界一になる必要があるかは実質的内容で決めるべきことだ。不謹慎だというのは議論でも何でもない。全ての分野で一位を目指すのは非効率な以上、どこに注力するかをきちんと議論するのが政治家の仕事だ

後半は救いようがない。「言いたくないが」と断れば差別発言が許されるわけではない。むしろ「言いたくないが」などと述べる人はみなその次のセリフをいいたくてしょうがないように見えるのは何故だろう

キャンペーンガールだった帰化女性を選んだのは国民であり、それを可能にしているのは日本の法律だ。それをどうこう言うのは頂けない。私はむしろキャンペーンガールだった女性が帰化して国会議員になったことは、蓮舫議員の行動に対する評価は別にして、それ自体として凄いことだと思う。

平沼氏はパーティー終了後の取材に対し、「差別と取ってもらうと困る。日本の科学技術立国に対し、テレビ受けするセンセーショナルな政治は駄目だということ。彼女は日本国籍を取っており人種差別ではない」と説明した。

元々日本人でないというのは変えようがないこれを論うのが差別でなくて何なのか。口が滑ったのなら訂正なり謝罪なりすればいいだけの話であって、「テレビ受けするセンセーショナルな政治」の問題にすり替える必要はない。

どこかで同じようなことがあったと思えば、以前西和彦氏が同趣旨の発言をしていた。その時のエントリーはこちらだ:「スーパーコンピューターが必要か」。西氏は次のように述べている。

1967年生まれの蓮舫議員は1995年に台湾からの帰化日本人である。1997年に双子の子供を生んだときには、日本の国籍になったにも拘わらず、中国 風の名前をお付けになっている。家庭的には感覚は中国のひとなのであろう。私はそうは思わないけど、日本のスーパーコンピューターをつぶすために、蓮舫議 員のバックは誰で、その生まれた国の意向があるのかなあと思う人もいる。もし、そうだったらビックリだけど・・・。

こちらもまた「私はそうは思わないけど」と断った上で言いたい放題だ。その時に書いたことを引き写しておく。

「私はそうは思わないけど」などという留保つければ、(どんな背景があるかはともかく)正式に日本国籍を取得して、民主選挙で選ばれた国会議員を憶測で非難することが正当化されるわけではない

帰化日本人が議員になることを許容しているのはこれもまた民主主義により正当化されている日本の法律だ。アメリカの外国系の帰化人との比較も行われているが、アメリカで帰化人が子供に自国風の名前をつけることを批判したら人種差別問題だ

このことは蓮舫議員の言動・政治を支持するかとは関係ないし、スーパーコンピュータ開発の是非とも関係ない。問題は、発言内容ではなく、発言した人間の出自・立場で発言を判断し・貶めようとすることだ。西氏の文章について書いたことがまるっきり当てはまる。

議論において、発言内容それ自体(「スパコンで世界一になる意味はあるのか?」)に反論するのではなく、発言者(蓮舫参議院議員)の物言い・出自を批判するというのは極めて不健全なことだ

失敗を責めない社会

起業家はリスク愛好的な、ちょっとおかしな人々がやるようなことだという認識はないだろうか。しかし、起業をするのにリスク愛好的である必要はないし、ビジネスをする上で慎重に計画を練って行動することは必要だろう。

失敗する可能性はあるが社会的に有益な事業を増やすためには、起業に伴うリスクを下げることが必要であり、その一番重要なステップは失敗を責めるのをやめることだ。

Entrepreneurs and Risk « The Baseline Scenario

I’m inclined against the conventional wisdom because I co-founded a company, it’s done pretty well, and I’m about the most risk-averse person I know. (Want proof? I even worked at McKinsey, the world’s epicenter of risk aversion; two of the other founders were also former management consultants.)

まず筆者は自らを引き合いに出して、起業家がリスク愛好的であることを否定する。これはちょっと考えれば正しいように思う。世の中にはリスクをとる方法でも幾らでもあり、自分でビジネスを始めることがその中で取り分けリスキーというわけではない。ただ単にリスクがほしいならギャンブルをすればよく、起業なんて面倒なことはしないはずだ。

[…] to start a successful company you need to have a solid plan, a realistic assessment of your chances, the willingness to take on a modest amount of financial risk […], and the belief that the non-monetary satisfaction you get along the way will more than compensate for the financial disadvantages.

では起業に必要な要素は何か。四つほど挙げられている。

  1. まともな計画
  2. 成功に対する現実的な評価
  3. それなりの金銭面でのリスク
  4. 金銭以外の満足感が費用を上回るという信念

リスクをとることがはその一つに過ぎない。そしてそれはむしろ必要悪として捉えられている。

The best encouragements to productive risk-taking are measures that limit the cost of failure for people who are actually creating something new, and this is one reason why Silicon Valley has been so successful.

では、リスクがあるが有益な行動を後押しするのに一番必要なことは何か。それは新しいことに取り組む人間にとっての失敗のコストを下げることであり、シリコンバレーがここまで成功してきたのはその文化にあるという。

The financial risks of starting a company aren’t that big, for most people. High-tech companies are typically started by people who could pull in low-six-figure salaries working for other companies, so they’re giving up a couple of hundred thousand dollars in opportunity cost; the rest is typically angel investor or venture capital money.

起業の直接的な費用は、その間ほかの会社で働くことができないという機会費用ぐらいだ。これは(少なくともアメリカでは)それほど大きくない。労働市場が流動的であれば仕事を変えることのデメリットは少ない。

More importantly, there is (historically, at least), little stigma attached to failure, so there’s little reputational downside to a failed startup.

そして、社会が失敗に対してスティグマを与えないことが重要だ。起業に失敗することに悪い評判がつかないのであれば、再び起業することも可能だ(既に一度起業した人間にとっては労働市場の硬直性に関するコストは既にサンクしており関係ない)。起業を重ねて行うことは経験を活用とするという面で有益なだけではなく、起業のリスクを軽減する。株式にちょっと手をだすのは危ないかもしれないが、たくさんの株を買えばリスクは減るのと同じだ。

In a world full of risk-averse people, that’s very important.

最後の一文は特に印象的だ。起業をリスク愛好的な人だけのものとするのではなく、リスク回避的な人間がほとんどであるということを受け入れた上で、彼らが失敗の可能性が高いが社会にとって必要な事業に取り組むことをできるだけ容易にする。こういう考えは労働市場が未だに硬直的で、移民の受け入れの目処も立たない今の日本にとって非常に重要だろう(参考:移民が必要な本当の理由)。

過剰な郊外大型店規制

追記:車利用を前提とする社会に対する反発があるようですが、私自身は車持ってません。大型店舗を規制するか否かはどちらが社会的に望ましいか計算して決めるべきことでしょう。そしてモータライゼーション自体を問題にするのは地方都市の状況を考えれば現実的とは言い難いのではないでしょうか。

東浩紀さんの言っていることは意味不明ですが本文の記述も正確ではない。

自滅する地方 崖っぷちのポモ – シートン俗物記

まぁ、地方都市問題やショッピングモールの問題は、ここでも何回か述べてきているのだけれど、単純な消費行動に絞った話じゃないし、そもそも“批判されがち”って認識がそもそも逆だろ?この20年あまりアメリカの後追いするようにショッピングモールのような郊外開発型大規模店舗が展開されてきたわけで、批判どころか多くの人たちは歓迎していたわけじゃん。

郊外大規模店舗に批判がないというのは誤りだ。中心部の商店街からは手強い(ないし敵わない)強豪相手である大型店は常に批判されてきた。

むしろ、そのような効用は本当なのか?という視点を持ち出す人は少数で、今だって「(一般)道路を造るな、延ばすな、拡げるな」とか、「ショッピングモールは地域経済を衰退させ、長期的に見れば地域民の消費行動にもマイナス」なんて意見は行政にも一般人にも受け入れられた試しが無いんだけどね。

もちろん、ショッピングモールの利用は増えており、その効用は本物だ。自動車の普及が進めば住宅が郊外に広がって、大型店の優位性は増す。ショッピングモールには価値があるからこそ、客が入るのだ。

また「ショッピングモールは地域経済を衰退させ、長期的に見れば地域民の消費行動にもマイナス」というような意見が受け入れられていないというのは間違えだ。広く薄く恩恵を受けるショッピングモールの利用者に対し、競争相手である商店街の店主は大きな影響を受ける。このような状況で少数派が結束し政治力を行使するというのはよく見られる光景だ。その結果がいわゆるまちづくり3法だ。

  • 都市計画法
  • 大店立地法
  • 中心市街地活性化法

の三つをさす。いずれも大型店舗の新規出店を抑え、中心地を活性化させるための法律である。郊外大型店の進出に伴うデメリットもある。一番の問題は自動車を保有しない交通弱者の存在と郊外への道路整備だ。但し、これについてはそもそも公共交通機関で生活できるような規模の都市は数える程しかないという問題がある。現実的に考えて、車のいらない社会を人口密度の低い場所に作るのは難しい。住宅地の拡散も規制できれば可能だろうが、広い住宅が欲しいという希望を無理やり押さえつける社会的コストは莫大だ

逆に、大型店舗の規制を行うことの弊害もある。一つは当然、大型店舗が提供する財・サービスが受けられなくなることだ。これは極めて非効率で時代遅れな中心部の商業を生きながらせてしまうことにもつながる。競争相手がいなければ中心部が効率化することもない。また中心地における交通渋滞の懸念もある。

メリット・デメリットどちらが大きいかは個別に費用便益分析をやらないと分からないが、現状でもまちづくり3法のような大型店舗を規制し中心市街地を活性化させる法律や補助金があるにも関わらず大型店舗の出店が続き、商店街が廃れていく現状を見れば、デメリットの方が大きいと考えるのが自然だろう。政治的な要因を考えても既存の小規模店舗保護に傾きがちであることは容易に想像できる。

まちづくり3法については「まちづくり3法 見直しを問う 地域の現状踏まえ選択を」に詳しい。

出版社・芸能事務所・フリー編集者

電子書籍化が国内出版社同士の協力を促しているというニュース。気になったのは電子書籍の出版権についての記述だ。

asahi.com(朝日新聞社):電子書籍化へ出版社が大同団結 国内市場の主導権狙い – 文化

著作権法ではデジタル化の許諾権は著作者にある。大手出版社幹部は「アマゾンが著作者に直接交渉して電子書籍市場の出版権を得れば、その作品を最初に本として刊行した出版社は何もできない」と語る。

現状では出版社は電子書籍の出版権を持っていない。よってアマゾンのような第三者がその権利を著作権者から直接取得してしまう可能性がある。

日米の「綱引き」で作家の取り分(印税)が紙の本より上がる可能性は高い。出版社から見れば、作品を獲得するためにアマゾンとの競争を迫られることになる。

作家の取り分が紙の本より上がることは社会的にみれば望ましい。ある書籍のがもつ潜在的な市場規模のうち、著作権による独占で得られる著者の取り分はかなり少ない。よって本来社会的には価値のある著作も、著者の個人的見返りに見合わないために執筆されない。作家の取り分が増えればより多くの著作が世に出回る

講談社の野間省伸(よしのぶ)副社長は「経済産業省などと話し合い、デジタル化で出版社が作品の二次利用ができる権利を、著作者とともに法的に持てるよ うにしたい」との考えだ。新潮社の佐藤隆信社長は「出版社の考えが反映できる場を持つことで国内市場をきちんと運営できる」と語る。

そうすると、電子書籍の権利の話は出版社が自分の取り分を維持したいだけのようにも聞こえるがそうでもない。何故なら電子書籍の売上と紙媒体での売上には外部性があるからだ。出版社にとっては営業努力をして紙媒体で売った作品を電子書籍でばらまかれては努力が無駄になってしまう。逆に、新規の著作では電子書籍が紙媒体のプロモーションのために使われるだろう。

このような問題を解決する簡単な方法は二つの販売経路を一つの主体が管理することだ(内部化)。そうすれば、紙媒体の売上への影響も計算にいれた上で電子書籍のプロモーションを行うことが出来る。

出版社も新しい出版契約についてはデジタル化の権利まで含むものにするだろうが、過去の契約については作家と再交渉が必要、つまり作家への見返りが必要であり、これを政策的になんとかしてほしいというのが上の発言だろう。

ただ、この流れが電子書籍の権利までに止まるかは疑わしい。音楽市場においてデジタル化は音楽の販売によって利益を上げるというビジネスモデル難しくした。アーティストはライブパフォーマンスで稼ぐようになっており、既に有名アーティストがコンサートプロモーターであるLiveNationのような企業と契約している。これは上の理屈と全く同じで、ライブと音楽販売との間の外部性を内部化するビジネスモデルだ。前者の重要性が増せば、ライブを本業とする企業がレコードレーベルに優位に立つのも頷ける。

書籍でも執筆者にとって著作の売上自体の重要性は減っていっている。収益化の難しいデジタル化はその流れを加速させるものだ。本を出版することで知名度・ネットワークを築き、別の経路でその金銭的リターンを享受しようとする人が増えれば、出版は個人のプロモーションの一部でしかなくなる

そうなったときに出版社が競争優位を持っているとは限らない。個人レベルのプロモーションでは例えば芸能事務所に分がある。今ならソーシャルメディアのコンサルタントがプローモーターとなることもありうるだろう。プロモーションを一手に引き受けるものが出版も手がける。

また利益の回収方法が多様化すればそれを適切にカバーするビジネスがなくなるかもしれない。そうなれば、将来稼ぐことを見越して出版社が作家を囲い込むことはできなくなる。有名になったとして出版で稼いでくれないなら投資を回収できないからだ。結果、著者自身がリスクを負った上で必要に応じて外部と契約することが多くなるだろう。これはフリーの編集者という職業を生む。

現在の出版社が生き残ろうと思うなら、音楽業界がたどった道を分析し、それに抗うのではなくうまく乗っていくべきだ。

追記:

紙の本の出版権とデジタル化権の抱き合わせには反対」に実際の業界の慣習を交えた興味深いエントリーがある。これについても後ほど考察したい。