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クリアに考えること

深いことを言ってるような雰囲気で、実際によく読んでみると何を言ってるのか分からない文章は多い。一々突っ込んでいても埒があかないし、そんな時間もないので、次のニコラ・テスラの言葉を送りたい(磁束密度の単位に使われているテスラだ)。

The scientists of today think deeply instead of clearly. One must be sane to think clearly, but one can think deeply and be quite insane. (Nikola Tesla, Modern Mechanics and Inventions. July, 1934)

どんな文脈で出てきたのか知らないがいい言葉だと思う。科学者に宛てられているが、これは数学を用いない学問にこそ当てはまる。数学は複雑な対象を明晰に考えるための補助輪のようなものだ。そのレールに乗っている限り仮定から論理的に導けないことは主張できない(注)。逆に言えば、数学が使えないような分野でこそ論理的な思考の重要性は増す(だから論理的思考云々というビジネス書が売れるのだろう)。数理モデルがないような主張をする時には気を引き締めたい。その意味で、数学ができないから文系なんていうのは実におかしなことだろう

(注)これが義務教育で数学を教える本当の理由だろう。数学ではどれだけ明らかに見えることも証明できなければ意味がない。当たり前だと泣き叫ぼうがいくら具体例を挙げようが、数学のプロトコルに沿って順序立てて説明する必要がある。これは子供に社会にはルールがあることを教え、幼児的全能感から抜け出させる一つのステップになる(だから数学が抜きん出てできる人は子供っぽいことが多い)。

効率的な寄付のしかた

タイトルが過激なために結構批判が多い記事だが、内容はまともな次の記事:

Don’t give money to Haiti | Analysis & Opinion | Reuters

For one thing, right now there’s very little that can be done with the money. There are myriad bottlenecks and obstacles involved in getting help to the Haitians who need it, but lack of funds is not one of them.

目下、援助のボトルネックは資金ではないという。これはハイチの政府機能がほぼ停止状態であることを考えれば頷ける(参考:Haiti: Rescue, Recovery, and Effective Development Aid)。資金があってもそれが救済相手までのチャンネルがなければ届かない。

What’s more, charities raising money for Haiti right now are going to have to earmark that money to be spent in Haiti and in Haiti only.

もちろん援助資金が増えて困ることはないのだが、その寄付の使用目的が限定されている(earmark)というのは問題だ。しかし、寄付の目的が固定されているのは偶然ではない。寄付というのは、お金を支払う人とその対価を受け取る人が異なる取引だこういう取引においては対価が正当であることを信頼出来る形で示せなければ取引が成立しない

災害援助の場合には両者には面識もないため寄付する側が自分でそれを確認できる方法がないので、援助団体への信頼が極めて重要になる。それを助けるのが、目的の限定であり、非営利団体の設立だ(参考:非営利と営利との違い)。目的が限定されていればどれだけ非効率だったとしても一応狙った相手には届くし、非営利であれば無駄が多くとも経営者にそのまま巻き上げられることはなくなる

But as The Smoking Gun shows, Yele is not the soundest of charitable institutions […]

信頼が揺らいでいる支援団体もあり、最近The Smoking Gunでも話題になったYeleが上げられている。この団体はハイチ専門の支援団体だが不明瞭な会計が疑われている。

It will therefore earmark that money for Haiti, and try to spend it there over the coming years, even as other missions, elsewhere in the world, are still in desperate need of resources.

極めて信頼性の高い団体とされる国境なき医師団(MSF)の例が挙げられている。MSFもまたここ数日の寄付をハイチへ向けられたものとして用途を限定しているそうだ。これは彼らが自ら信頼性を高めるための試みであるが、他の地域で資金が必要な場合でも転用できないことを意味する

Do give money to MSF, then, but if you do, make sure that your donation is unrestricted. The charity will do its very best in Haiti either way, but by allowing your money to be spent anywhere, you will help people in dire need all over the world, not just in Haiti. Here’s the message on MSF’s website:

できるだけ効果的な援助を行うためには、寄付を使用目的を限定しない形で行うのがよい。もちろん、そのためには寄付先が非常に信頼できる必要がある。非営利団体は出来る限り寄付者への信頼を高める努力をする必要があるし、その信頼を担保できるような第三者機関や政府の取り組みが必要だろう

リーダーシップと英語の授業

Twitterで見つけた次の記事を読んだら昔受けた英語の授業を思い出したので紹介したい。

リーダーを育てる|傲慢SE日記 ~30歳からの挑戦~

リーダーの仕事は一言で説明する事が難しい。あえて言うなら、目的を達成するためにチームの潤滑油になるというべきだろうか。[…]目的を達成するために何かをすると言う事は様々な事に気を使わなければならない。そのため、状況に応じて様々な仕事の進め方を選択(創造)する必要がある。それこそ想像力 がものを言うと僕は思う。さて、このリーダーをどうやって育てれば良いのだろうか?僕が推測するに、僕がそうだったように、、、自発的に成長して貰うように促すしかないと僕は思う。

この話を読んで思い出したのが大学一年の時に受けた英語のクラスだ。残念ながら教官の名前は忘れてしまった。英語の授業としては微妙だったが、リーダーシップ・チームワークについて非常に勉強になる仕組みだったので強く印象に残っている。簡単なメカニズムは次の通りだ。

  • 英文の記事が一つ用意される
  • ランダムに5,6人のチームが組まれる
  • チームごとに記事の内容を問う設問を5,6個作る
  • 設問の適切さや作成にかかった時間に応じて点数が決まる
  • チームの点数が個々人のその日の点数になる
  • 毎回、以上のスキームを繰り返す
  • 成績は個人ごとに集計された合計点数で決まる

最初の2,3回の間、自然発生的に始まった民主的な意思決定方法に従った。みんなが記事を全部読み、案を出し合い、どれがいいか合議で決めるというような流れだ。はっきり行って全然うまく行かなかった。案を出すのにも問題を選ぶのにも時間がかかりすぎた。最初は遠慮もあり何も口出ししなかったが自分の点数もかかっていたので声をあげることにした。

まず提案したのは文章をある程度分割した方が効率的なことだ。これにより無駄な仕事の重複が減り、民主的な意思決定のコストをなくすことができた。またある設問の質が低い場合に誰の責任かが明確になるため、質が安定した。これで作成時間が劇的に減少し、スコアはすぐに上がった。

それでもまだどの問題を誰に割り振るかを決めるのには時間がかかった。そこで議論するのをやめて、個々人に自分の英語力を自己申告させ、低いメンバーから前の方を強制的に割り振るようにしたら一段と点数は上昇した。強権発動が若干の反感をよんだが無視した。

クラスも折り返し地点に差し掛かるころには、そもそも全ての人間に仕事を割り振ること自体非効率だと気付いた。チームが決まったらまず英語が得意だと申告しなかった人間は作業に参加させないことにし、その中で一番ましな字を書く人間を設問の書き取り専門にすることにした。

残りの人間にはとりあえず前から読み始めてもらい、その間に作成時間によるボーナスの最大点が適用される時間制約までに自分で作れる問題数をさっと把握し、残りの問題をカバーすべき部分とセットにして一人一人に割り当てた。これにより、問題作成者はみな文章全体を眺めてから作成するようになり、かつ英語の苦手な人間が問題を作らなくなったので問題の質も向上した。

この時点ではすでに、クラスの人間の英語力の大体の分布を把握していたので割り当てもかなり適切に行えたし、毎回自分の入ったチームで満点近いスコアを上げていたため、方針を一方的に決めてもメンバーは全く不満なく従ってくれるようになっていた。

もちろんこの設定にはいくつかの前提条件がある:

  1. チームへの参加は強制
  2. リーダーとしての地位は確定されていない
  3. 仕事の評価はチームメンバーで共通
  4. チーム自体は毎回ランダム
  5. クラスは繰り返し行われる
  6. チームの人数が少ない
  7. みんなが高得点をとることを目標にしている(ht @notweb

これらの前提が違う場面では異なるリーダーシップの要素が要求されるだろうが(例えば大規模な組織や任意参加のクラブなど)、このクラスは複数の人間を動かして目標を達成することについて学べたように思う。上の条件をいろいろ変えてやれば、さらに学べることがありそうだ。

Twitterでは「つぶやく」な

注意:Twitterの仕組みに関する記事なので利用したことのない人には分かりにくいかもしれません。とても良くできた仕組みなので、ぜひ利用されることをお勧めします。よろしければフォローください

最近、「Twitterを「つぶやき」と翻訳した罪」なんて記事を読んだ。記事中には次のように「つぶやき」という訳の問題が指摘されている:

「140文字限定」、「つぶやき」、「フォロワーにのみ伝える」。こうしたキーワードだけで判断すると、いかにも閉じた空間の自己満足的なツールにしか見えない。

これは確かに残念なことだ。何故ならTwitterがFacebookやMixiのようなSNSと異なる点がまさにその開放性にあるからだ。Twitterも元々はFacebookにおけるステータス更新をSMSで行う仕組みだった(参考:Wikipedia)。Twitterのオフィシャルサイトでの質問が”What are You Doing?”だったことがそれを象徴している。

ではTwitterがFacebookのステータス更新やMixiの日記と違うのは何か。それはTwitterの仕組みの根底にある一方向性だ。従来のSNSでは友達になるためには相手の承認が必要だ。昔の友達を発見したり、最近会った人を見つけたりするのには役立つが、あくまで既存の人間関係を補完するものに過ぎない。見ず知らずの人間が友達リストにたくさんいる人は少ないだろう。それはまさに「友達」リストなのだ。

逆にTwitterにおける「フォロワー」は一方向的な概念だ。相互にフォローすれば「友達」と変わらない状況になるが、最初は常に一方通行で始まる。例え現実に友達同士だったとしてもどちらかがフォローを始めるのには変わりない。この一方的にフォローし始めるのがデフォルトという仕組みがTwitterの革新的なところだ

まず私が誰かをフォローし始める場合を考えよう。これはFacebookやMixiではまずうまくいかないがTwitterではごく自然なことだ(だからTwitterがSNSと何が違うかを知りたければまず一方的にいろんな人をフォローしてみよう)。この状態ではフォローした相手のTweetが自分のタイムライン(TL)に表示されるだけでブログをブックマークしたりRSSで購読しているのと大差ない。しかし、ここから相手に@でメッセージを送ったり、Retweetで相手のTweetにコメントすることが可能だ。意味のあるコメントをすれば相手がフォローし返すこともあり、何の関係もなかった人間と「友達」になることができる。相手は決まっているのでこれは「つぶやき」でも「フォロワーにのみ伝える」でもない。しかしこの特性を生かすためには、できるだけ有益なコメントをする必要がある

逆に自分が誰かほかの人にフォローされるのはどんな場合か。それは自分のTweetに価値がある場合だ。現実の友達であれば朝何を食べたかにだって興味があるかもしれない。しかし、既に有名人でもなければ見ず知らずの人間があなたのごく普通の日常に興味を持っていることはない。他人にフォローしてもらうためには、なるべく有益な情報や興味深い議論を提供する必要がある。しかも、Twitterは多くのネット上のシステム同様にストリーム型のコンテンツであり、紙媒体とは異なりぱっとみて取捨選択するには一工夫(リスト・フィルター・ボットなど)が必要だ。ストリームの価値を上げるにはノイズ比を下げる必要があり、それは大した意味のない「つぶやき」をしないことを意味する

これらの特徴はブログにもそのまま当てはまり、Twitterがミニブログ(microblogging)に区分されるのも頷ける。旧来のブログと異なるのは、情報の送り手・受け手という関係が固定的でないこととリアルタイムであることだ。ブログでもコメント欄などを通じて読者と交流することは可能だが、相手もブログを持っていない限りやりとりは限定的だし、常に非同期な形でしかない。Twitterはその交流を自然な形で拡げることができるという点で、ブログを書いている人にとってコメント欄を代替する必要不可欠なチャンネルになりつつある(TopsyのようなTwitterのアグリゲーターが役に立つ)。

先ほど、MixiやFacebookについて「既存の人間関係を補完するもの」と述べた。これは別の見方をすれば非常に不自然なシステムだ。現実の人間関係は常に新しい可能性へと開かれている。その意味でTwitterは「既存の人間関係の在り方をネット上で再現するもの」と言えるかもしれない

ちなみに、相互にフォローしあっている、つまり「友達」状態の場合には@でやりとりすることで、両者をフォローしている人以外のTLにはTweetが表示されなくなる。これにより、そのやりとりに関係ない人に対しての自分のストリームの価値を下げないで済むし、既存の友達との間のインスタント・メッセンジャーとしての役割も果たせる。

日本版フェアユース

アメリカでは著作権侵害の申し立てに対し、フェアユースが抗弁として用いられる。フェアユースが認められるかどうかは以下の四点(17 U.S.C. § 107)にしたがって総合的に判断される(balancing test):

(1) the purpose and character of the use, including whether such use is of a commercial nature or is for nonprofit educational purposes;
(2) the nature of the copyrighted work;
(3) the amount and substantiality of the portion used in relation to the copyrighted work as a whole; and
(4) the effect of the use upon the potential market for or value of the copyrighted work.

(1)使用目的(2)著作物の性質(3)利用の程度(4)市場への影響である。日本でもフェアユースを導入しようという議論が進んでいるが、Copy & Copyright Diaryさんでその内容が紹介されている。

日本版フェアユースの範囲 – Copy & Copyright Diary

日経の記事では、フェアユースとして認められるものとして

1. 広告で利用する写真にたまたま美術品などが写り込んでいるケース
2. 合法的な利用に必要なケース(CDをインターネット配信する場合のサーバーでの楽曲複製など)
3. 本来の利用でない複製(言語分析のために小説を複写するなど)

があげられている。

これらは技術的理由・取引費用の観点で正当化できる。配信のための複製は著作権者にとっても必要だし、一部に入り込んでしまう程度の二次利用は取引費用がなければ簡単に合意できるはずだが、現実には交渉費用・裁判費用・支払いに伴う費用などにより難しい。よって、当該著作物の市場価値への影響がなければ(=取引費用がなかったとしても極めて少額の使用料になる)、最初から利用可能としておくことが望ましい

朝日の記事では、フェアユースとして認められないものとして

* 社内会議で配るために書籍の一部をコピーすること
* 他人の著作物を利用して新たな創作をするパロディー

の2つが例としてあげられている。

逆にフェアユースにならない例として社内利用やパロディーが挙げられている。おそらく商用利用は基本的にアウトということだろうが、いずれも程度によるだろう。小規模の企業内利用で元の作品の収益が悪化するとは考えられない。逆に商用目的のパロディであれば交渉費用は複製の規模に対して比較的小さいのでフェアユースにならないのも妥当に思える。

ただし、アメリカにおけるフェアユースは一般規定であり認めらるもの・認められないものを列挙するというのは趣旨が異なることには注意する必要がある。あくまで個別ケースについて四つの観点からチェックするという構造だ。日本版フェアユースという言葉遣いは(同様の構成をとらないのなら)誤解を招くように思う。

本題とは関係ないがちょっと気になった部分がある:

法制問題小委員会では日本版フェアユースの導入について検討を行っているが、秋より具体的な検討は権利制限の一般規定ワーキングチームで行われていた。ワーキングチームは非公開で行われていたので、そこでの議論は全く分からなかった。

フェアユースに関する議論は非公開のようだ。朝日新聞と日経新聞がその内容を報じているが、それもインターネット上には存在しない。著作権に関する議論がこれほど閉鎖的でいいのだろうか。

フェアユースについてはこれからも注目していきたい。