競業避止特約の効果

競業避止特約(covenant not to compete; CNC)が企業および従業員の人的投資に与える影響について:

The Harvard Law School Forum on Corporate Governance and Financial Regulation » Noncompetition Agreements

For most firms, the human capital of their employees is a core asset, but it is one over which they cannot exercise full ownership.

企業にとって従業員の人的資本は極めて重要な資産だが、(奴隷制がない以上)完全にはコントロールできない。

このことは、企業が従業員に対して人的な投資を行うインセンティブを低下させる。何故なら、投資を受けた従業員の市場価値が上昇して他の会社に移るかもしれないからだ。

競業避止特約は従業員の移転を防ぐことで、企業の投資インセンティブを回復する。しかし同時に、他の会社へ移ることができない従業員の自己への投資を減らす。

リンク先で紹介されている研究では、時代・州によって異なる競業避止特約の執行レベルの違いを利用して、競業避止特約が従業員への人的投資に与える影響を分析している。

We show that increased enforceability leads to fewer executive within-industry transfers, lower and more salary-based compensation, reduced post-transfer compensation, lower R&D spending and reduced capital expenditures per employee.

結果は概ね上のストーリーと整合する。競業避止特約は従業員の移動を困難にし、企業による人的投資を促すという当初の目的を達成する。その一方で、従業員本人による人的投資を妨げてしまう。

We find no evidence that the enforceability regime affects either firm market to book ratios or profitability.

企業の価値への影響はない。この理由としては、従業員による投資の減少が企業による投資の上昇を打ち消してしまうこと、企業間の人的移動の減少により知識の移転が妨げられるマイナスの影響を挙げている。

後者の影響はAnnalee SaxenianがRegional Advantageで提起したものだろう。カリフォルニアは競業避止特約の極めて弱い州で、それがシリコンバレーの繁栄につながったという可能性はある。

人的資本がより重要になっていくことは確実だ。しかし、そのこと自体は企業による投資を優先すべきか、労働者自身の投資とスピルオーバーを優先すべきかといういう問題の答えにはならない。どちらが重要かというのは、必要な人的投資についての情報を持っているのは誰かということで決まるように思われる(これはvon Hippelの議論につながるだろう)。

低所得者層の限界税率

限界税率といえば普通、高所得者について議論されるものだ。累進税率によって所得が上がるほど限界税率は上昇するためだ。しかし、低所得者層においても限界税率の労働意欲に対する影響はおおきい:

The Dead Zone: The Implicit Marginal Tax Rate – Clifford F. Thies – Mises Institute

income

このグラフは給料の額と実質的な可処分所得との関係を表したものだ。高所得者層では税金があるため可処分所得のほうが小さいが、低所得者層ではフードスタンプのような生活保護政策によって給料の方が少ない。

問題は四万ドル以下の平らな部分だ。平らというのは給料が増えても実質的に使える金額が変わらないためだ。給料が上がることで税金がかかり、補助の額が減るため、給料の上昇が打ち消されている。

mtb

こちらは最初のグラフから逆算した限界税率だ。2万ドルから4万ドルの間の限界税率が著しく高いことが分かる。

Everywhere, the government’s desire (meaning the left-liberal do-gooders’ desire) to be generous to the poor is destroying the positive incentives to work and to save that are so necessary for a well-functioning economy.

これにより、低所得者層が所得を上昇させるインセンティブは極めて小さくなる。対策としてはまず生活保護のような給付金を所得に対してよりなめらかに設定させること、絶対的な水準をしぼること、対象基準を所得以外の要因にすることが考えられるだろう。

日本のケースについても同じようなグラフはないだろうか。

人種・年齢・学歴別失業率

タイトル通り、デモグラフィー別で失業率の時系列をフラッシュで比べられる:

The Jobless Rate for People Like You – Interactive Graphic – NYTimes.com

いくつかの観察:

  • 全体では8.6%
  • 男性全体では9.5%、女性全体では7.6%で全体的に男性の方が失業率が高い(これは仕事がなくても求職を続けるためだろう)
  • 高校中退(以下)では17.5%、高卒では9.1%、大卒以上で4.5%
  • 人種では白人7.2%、黒人13.9%、ヒスパニック11.3%、その他8.2%
  • 15-24歳で16.7%、25-44歳で8.2%、45歳以上で6.3%
  • 一番低いのは25-44歳の大卒白人男性で3.9%
  • 一番高いのは15-24歳の高校中退黒人男性で48.5%

人種の区分けがAll races, White, Black, Hispanic, All other racesしかないのでアジア系の情報ここではわからない。細かい数字は労働省の統計局にある。

しかし、日本の新聞社のウェブサイトとの格差があまりにも酷い。日本ももうちょっとどうにかしてほしいものだ。

アメリカでの資格

この前、資格についてコメントさせて頂きましたが、その続編を書かれているので再コメントコメントさせていただきます。前回のポストについてはこちらのご紹介も頂きました。

統計学+ε: 米国留学・研究生活  アメリカでは資格を取れ

このうち、
アメリカでは「シグナリング」が果たす役割が
日本と比べて非常に大きい
という印象を私は持っている。

アメリカで「シグナリング」が大きな役割を持っているというのはその通りだ(逆に独占業務の方については思想的背景から限定的で、しかも外国人には法的に・実質的につけないものも多い)。

その理由は二つだ:

  • 労働者の質のばらつきが激しい(サポートが広い)
  • 教育課程でのシグナリングは不十分

前者に関しては、アメリカで生活したことがあればすぐに分かる。何の情報もなしに労働者を取ってきて何かを期待するというのは非常に分が悪い。別の言い方をすれば言葉は悪いが下に限りがない識字率すら問題になる)。何らかの方法で自分がある程度の能力があると示すことは極めて重要だ。

後者はアメリカの学校制度による。アメリカでは出身大学によるシグナリングがあまり効果的ではない。入学に筆記試験がないし(SATはあるが簡単なので尺度にならない)、授業料が高いためトップ校に優秀な学生が集中することもない。これはほぼ筆記試験のみで選抜し、学費の安い日本の国立大学とは全く異なる。例えばハーバードの学部の入学率(matriculation rate)は八割に届かない。博士課程の進学者を見てもトップ私立大学の学生はそれほど多くない。学費の安い出身地の州立大学の中でもっともレベルの高いキャンパス(フラッグシップ校)に進学し、大学院で所謂トップ大学に進むというというパターンがよく見られる(こちらは授業料を払うことは基本的にない)。

この影響は大学生の学力を見れば分かる。バークレーの学部生は州立の大学としてはトップのはずだが(もちろん大学院もだが)、その内実はかなりお粗末だ(現役生・卒業生の方々怒らないように)。近年、東大生のレベルの低下が嘆く向きがある。昔と比べてどうかはよく分からないが、正直胸を張れたものではない。しかし、アメリカの大学生の学力、特にばらつきは、日本の大学と比べると想像を絶している

出来のいい学生は確かにとてもよくできる。卒業後トップレベルの大学院へと進学する人がいるわけだから当然ではある。しかし、平均的な学生の出来がいいとはとても言えない。成績が重要なためよく勉強はするがそういう学生に限って意味不明な質問をすることも多い。さらに平均以下の層は驚くほど基礎ができていない。関数電卓がないとちょっとした式変形もできないし、ちょっとしたグラフも描けない(例えば[latex]x+\frac{1}{x}[/latex])。もちろん私が相手にしているのが経済学部の学生というバイアスはあるだろうが、日本ではそんな学生はいなかった。大学院で経済を専攻する学生が最低でも学部のうちに実解析程度は履修していることを考えれば、授業を成立させるのが困難なほど学生のばらつき具合だ

ではアメリカの学生はどうやって自分を他の学生から差別化しているのか。基本的には二種類だ。

  • ネットワーキング(インターンシップ)
  • 大学院や資格など

前者はコネクションを作ることだ。主にインターンシップやフラタニティを通じて行われるようだ。後者が資格である。ただアメリカでは職になる資格(弁護士・医師など)は大学院への進学が必要である。よってそれを目指す学生は成績維持・ボランティア・課外活動などに精を出す。

日本人ならどうか。前者はかなり難しい。言葉の問題がなかったとしてもコネクションが少ないし、永住権・市民権がなければ企業にとっては余計な負担になる。また労働ビザ(H1)の発給数には限りがあるので単にアメリカで大学を卒業しただけでは苦しい。

よってアメリカに済むなら後者を選択することになるだろう。労働ビザの発行数は院卒だと別枠になる(研究職ならそもそも上限はない)。ロースクールは語学から、メディカルスクールは国籍から困難であるため所謂理系の大学院に進むのが一般的には理にかなっているだろう。ビジネススクールもよいが語学の壁があるのは否めない。言うまでもないが、ここでの語学の壁というのは会話ができるできないのレベルではない。

二種類の方向性がある。一つはテクニカルな学位を取得し仕事を得ることだ。語学の壁はほとんど問題にならない(=普段流暢に会話し、こちらの話を聞く気が最初からある相手にプレゼンできる「程度」でよい)。比較優位があるばかりでなく、そのような仕事への報酬はアメリカの方が格段によいだろう。

もう一つは逆に日本語を生かす方法だ。日本の経済規模・人口は世界有数であり、また英語がロクに話せないことにかけても先進国トップではなかろうか。そのため日本人が稀有な業界であれば日本語を役に立てることもできるだろう。程度の差はあるが、会計・証券販売・司法などがこれにあたる。但し一つ目の道に比べると語学の壁は高い。日本語・日本とのコネクションを強みにするにしてもアメリカ人との競争を避けることはできない(メディアもこれに当たるだろうがアメリカ人との競争は余りにも厳しいだろう)。

もちろん二つにさっぱり分かれるわけでもない。非常にテクニカルな面で優れた会計士もあり得るし、日本の企業や特許制度をよく理解したエンジニアもあり得るだろう。どちらにより大きな強みがあるかを認識した上でそれを足がかりに両者を共に利用したいところだ

男女の労働比

アメリカでは男女の労働比がほぼ1:1になっているがそれを示すちょうどいいグラフがEconomixに:

Women Still Not Quite Half of Work Force – Economix Blog – NYTimes.com

genderbreakdown

とはいえここのところの急激な格差縮小は景気後退によるものだ。男性の方が景気に影響されやすい製造業や建設行についている割合が高いため、不景気になると失業率が大きく増えるからだ。

ちなみに2009年度8月の統計局の資料によれば日本における15歳以上の労働者数は男性3853万人、女性2803万人となっている。女性の割合は42.1%ほどだ。測定方法の違いがあるので一概に比較できないが、大きな差があるのが分かる。

男女労働比をどう解釈するかは読み手次第だ。性差が存在する以上、男女労働比が1:1に収束する理由はない(性差の存在自体をなくそうというのであれば別だが)。そもそも自由に働けるかと働かなくては生活が維持できないかとは違うことだ。以前であれば夫が高所得であった場合妻の労働率は低かったが、同等の社会経済水準内での結婚が増えその傾向はなくなってきている。これは高所得カップルが(仕事をやめる機会費用が高すぎるので)共働きし、低所得カップルが(生活のために)共働きするという現象を生む

男女比自体に注目するよりもという個別の指標ではなくより大きな政策目標(社会余剰・格差改善など)からそれらの数字を分析する必要がある。