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Tweetie買収

TwitterがクライアントソフトウェアTweetieの開発元であるAtebitsを買収したというニュース

Twitter Acquires Atebits, Maker of Tweetie – Bits Blog – NYTimes.com

This marks a new strategy, as Twitter makes its first foray into providing a mobile and desktop client itself. On Friday, Twitter also announced that it helped Research in Motion build an “official” Twitter app for BlackBerrys.

TwitterはBlackBerry用のオフィシャルクライアントをBlackBerryと共に提供すると発表している。

In the past, Twitter has focused on its Web site, twitter.com, and left the development of Twitter mobile clients up to start-ups like Tweetie, Twitterrific and UberTwitter.

これはオフィシャルサイト上の開発に集中し、モバイルクライアントの開発はサードパーティーに任せる方針から転換と捉えられている。

developers have been getting nervous that Twitter plans to build or buy more apps for itself, which could put them out of business.

しかし、これはTwitterというプラットフォーム上でアプリケーションを開発している企業にとっては脅威と映る。オフィシャルなクライアントはサードパーティーのクライアントに対して有形無形のアドバンテージがあるので当然ではある。これはAppleがMac用の基本的なアプリケーションを自社で提供し始めたときのサードパーティーの反応と同じだ。買収された企業はいいが、それ以外の企業にとっては突如競合相手の一つがプラットフォーム本体に変身したようなものだ。

Fred Wilson […] stoked those fears in a blog post in which he wrote that many third-party Twitter services, including mobile clients like Tweetie’s, are features that Twitter should offer itself. Instead, he recommended that developers focus on other kinds of services, like business tools, analytics or gaming.

このような問題はどんなプラットフォームにおいても微妙なバランスを要するもので、関係者はTweetieのようなソフトウェアは本来Twitter自身が提供すべきもであって、サードパーティーはビジネスツール・解析ソフト・ゲームなどに専念すべきだといっている。これはTwitterが自社で提供するソフトウェアを自ら制限することで、サードパーティーの開発に悪影響を与えないようにしようとする発言だ。

Twitter, which raised $100 million in September, has the cash to go on a shopping spree. It cannot hire engineers quickly enough to support the explosive growth of the company, so buying other features is a way to grow quickly.

では何故、自社開発でなく買収を行うのか。これはTwitterの成長に追いつくほどエンジニアを採用するのが難しいためで、新しい機能を買い開発者も抱え込むのは理にかなっている。既に検索サービスや位置情報サービス企業も買収済みだ。

Twitter will offer it for free and rename it Twitter for iPhone.

TweetieはこれからTwitter for iPhoneとして無償提供される予定だ。

手書き履歴書

昨日の記事からもリンクしたが、「履歴書なんかを手書きするという文化はまだ存在するんだろうか」という発言に多くの情報や意見が寄せられた。

Togetter(トゥギャッター) – まとめ「手書き履歴書の実態」

事実関係としては以下の通りだ。

  • 手書きを要求する企業は存在する
  • 手書きが好ましいという採用者もいる
  • 採用側にはタイプの方がいいという意見も多い
  • 学生はまわりに合わせて手書きが普通
  • 業界にもより、大手・外資といったあたりではネットで提出も多い

タイプを好む採用側の人が多く、逆に手書きが普通だと思っている学生が驚くという構造が見て取れる。これにはTwitterというメディアによって、参加者にセレクションがかかっているという面もあるだろう。

では手書きが好ましいとする理由はなんだろうか。

  • 性格が分かる
  • 志望度合いを測れる

以上の二つが挙げられている。手書きを要求する企業が存在するのでこれらの要素はある程度正しいのだろう。しかし、手書きの履歴書でなければこの役割が果たせないということはないはずだ

まず手書きの文字から性格が分かるとして、それは他の手段より効率的なのだろうか。人となりは面接ですぐに分かることだろうし、カバーレターのような文章を書かせれば文字よりも正確に分かるように思う。履歴書ならぱっと見てすぐ判定できるという利点はあるが、どちらにしろ不正確なシグナルなので本当は望ましい応募者を落としてしまう危険性がある。

志望度合いの高い人だけを選ぶという効果については、より多くの文章を書かせることで対応できる。応募者を減らしたいならエッセイを書かせても良いし、応募に(成績など)条件をつけても良い(それがダメなら一定の基準ではねればいい)。

個人的には、加登住 眞さんが使っている次の方法はなかなかいいと思う。

ご名答。その場で交通費精算書を書いてもらってます。RT @rionaoki: @kazemachiroman その場で字を書いてもらうとかは双方にとってコストが小さいので面白いかもしれません。

手書きの字で性格なんかを見たいなら、その場で書いてもらうのがいい書き手のコストも読み手のコストも小さくなるし、本人の字であることも分かる。ここでは交通費精算書があがっているが、他の書類を記入してもらってもいいだろう。

私は字を書くのが好きで、意味もなく文章を紙に写しているなんてこともあるが、応募者も書くのが大変で採用者も読むのが大変という状況は解消されるべきだろう。とりあえず、手書きでなくていいという企業はその旨明示するのはどうだろう。

P.S.

この話はTwitterでの発言から始まりました。賛否はありますが、使ったことのない方は少し使ってみるといいと思います。私のアカウントは@rionaokiです。

「ツイッター7つの仮説」について

Twitterの話題で■グロービス堀義人ブログ: ■ツイッター7つの仮説とそれに対する堀さんがtwitterに関する面白い記事を書いてたので突っ込みなど|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」が面白かったのでここでも同じフォーマットでやってみよう。

仮説1:ITの進化に伴い、議論の質が下がる。

ニフティの時代から議論の質が下がったという話。私はニフティにあまりアクセスしたことがないので直接の比較はできないことを先に断っておく。質をどう定義するかにもよるが、平均的な「質」は下がるだろう。では堀さんが問題にされているであろうトップレベルでの質はどうか。

これは何についての議論かによるだろう。話題が明確に決まっている場合、その内容によって分けられている空間のほうが優位だ。極端な話、特定の狭い分野で質の高い議論が必要なら、その分野の研究者を集めて会議室にでも閉じ込めておけば良い。Twitterなどという誰が聞いてるかもわからない代物を使う必要はない。逆に話題が設定されていない場合、看板で仕切られた空間は大変都合が悪い。そのようなケースではTwitterが議論の質を上げる(例えばNPOの経営話はNPOの人だけが集まって議論するよりもいろいろな人が目にするTwitterでやったほうが効果的だろう)。

Twitterのハッシュタグはある意味いいとこ取りを狙った仕組みとも言えるが、管理者の不在は多人数での議論を困難にする。ニフティであればシスオペがフォーラムを適切に管理する(金銭を含めた)インセンティブを持っているが、ハッシュタグの場合は何のコントロールもない。通常のTwitter上のやり取りであれば、あくまで人間(アカウント)ベースなのでそこを押さえていれば生産的な議論が可能だが、ハッシュタグの場合はトピックベースなので難しいだろう。

結論としては、技術によってどのような議論が効率的に行えるかは異なるのであって、単純に上がる下がるという話ではないと考えられる。

仮説2:一方では、訴求力・リアルタイム性が抜群に上がる。ツイッター(SNS)、ブログ、動画などの組み合わせにより、よりパワフルな発信力を個人が持つようになる。

発言力は聞いてくれる人がいないと意味がない。大きな発言力を持ちうるようになれば、それを活用するために受け手を増やすインセンティブが増す(どんな頑張ったって10人しか聞いてくれないなら大した努力はしないが、1,000人なら努力するかもしれない)。受け手を増やす一番まっとうな方法は価値を提供することで、これは議論の質の向上につながる。Twitterは日本において実名の利用が広がっているという意味でIDにより個人が特定可能なパソコン通信と似ている。

仮説3:知のインプットの時間が減るので、人々は扇動されやすくなる。

これは間違っていると思う。まず、多くの人は時間を最大限に活用して知のインプットをしているわけではない。Twitterで30分使うとして、その代わりに削られるものが知のインプットとは限らない(そもそも一日30分知のインプットをしていない人なんて山ほどいるだろう)。

次に、Twitterを通じて普段目にしない分野の知識を得ることは多い。私はTwitterを始めるまでBI・BOP・社会起業とかいう言葉とは無縁だった(というと驚かれる)。そもそも聞いたことのない事柄に関してインプットするのは難しい。Twitterを含めたソーシャルメディアは検索エンジンやRSSを代替こそしないが、それに並ぶ新しい情報のアグリゲーターとなっている。これは知のインプットそのものだ。

最後に、知識をインプットだけで身につけるのは非効率的ということが挙げられる。アウトプットとインプットを繰り返すことでより効率的な学習が可能だろう。

普段から周りに多彩な興味を持った人がいて議論することができるのであれば(もしくは幅広い知識が不要なら)Twitterのメリットは少ないかもしれない。しかし、大抵の場合そんなことはないので、やはりTwitterは知のインプットにむしろ貢献するように思われる。

仮説4:パーソナルな情報がマスメディアを凌駕する。

凌駕するというよりも、マスメディアという概念が分解すると言った方がいいだろうか。

今後は、「日経新聞によると」よりも、「○○さんによると」の方が信憑性を持つ時代が来るであろう。

既にオンラインで記事を読むときには、どのサイトで読んでいるかよりも誰が書いているかを調べるようになっている。ちょっと検索すれば良いだけなので簡単だ。流通段階を押さえていない限り、旧来のビジネスモデルは維持出きない。

仮説5:コミュニケーション依存症(ジャンキー)が増え、物理的交流の機会が減る。

これは間違っている(タイガー・ウッズがセックス依存症というのと同じぐらい間違っている)。「Twitterでは「つぶやく」な」で述べたようにTwitterの特徴は新しいコネクションを作ることだ。物理的交流をすることの価値は、交流する相手が増えることで上がる(多くのネットや携帯を通じたコミュニケーションはそもそも物理的交流を増やすために存在している)。もちろん物理的交流なしに同等のコミュニケーションができるなら必要ないかもしれないが、現状ではそうではない。ましてや140文字のTwitterでは無理だ。私はTwitterでやり取りする人と会ってみたいと思う。Twitterがなければ会いようがないのでこれは物理的交流の増加だ。

仮説6:ツイッターのフォロワーは、共感、情報、知恵などの全人格的な面白み(エンターテインメント性)を求める。

YesでありNoだ。Twitterでどのような面白みを提供するかは本人の選択だ。特定のニュースを提供してくれる人は貴重だし、極端な話ボットだって面白いものは面白い。しかし、他のチャンネルに比べて全人格的な面白みを発信するのに向いている面はあり、そのような利用をする・期待する人が多いのも事実だろう。

仮説7:最終的には、ツイッターも駆逐される。

Twitterが本当に生き残るためには、完全にプラットフォーム化する必要があるだろうが、それでも永遠に続くことはない。問題はどのくらい存続するかと最終的に社会や後続の技術にどんな影響を残すかだ。

Twitterでは「つぶやく」な

注意:Twitterの仕組みに関する記事なので利用したことのない人には分かりにくいかもしれません。とても良くできた仕組みなので、ぜひ利用されることをお勧めします。よろしければフォローください

最近、「Twitterを「つぶやき」と翻訳した罪」なんて記事を読んだ。記事中には次のように「つぶやき」という訳の問題が指摘されている:

「140文字限定」、「つぶやき」、「フォロワーにのみ伝える」。こうしたキーワードだけで判断すると、いかにも閉じた空間の自己満足的なツールにしか見えない。

これは確かに残念なことだ。何故ならTwitterがFacebookやMixiのようなSNSと異なる点がまさにその開放性にあるからだ。Twitterも元々はFacebookにおけるステータス更新をSMSで行う仕組みだった(参考:Wikipedia)。Twitterのオフィシャルサイトでの質問が”What are You Doing?”だったことがそれを象徴している。

ではTwitterがFacebookのステータス更新やMixiの日記と違うのは何か。それはTwitterの仕組みの根底にある一方向性だ。従来のSNSでは友達になるためには相手の承認が必要だ。昔の友達を発見したり、最近会った人を見つけたりするのには役立つが、あくまで既存の人間関係を補完するものに過ぎない。見ず知らずの人間が友達リストにたくさんいる人は少ないだろう。それはまさに「友達」リストなのだ。

逆にTwitterにおける「フォロワー」は一方向的な概念だ。相互にフォローすれば「友達」と変わらない状況になるが、最初は常に一方通行で始まる。例え現実に友達同士だったとしてもどちらかがフォローを始めるのには変わりない。この一方的にフォローし始めるのがデフォルトという仕組みがTwitterの革新的なところだ

まず私が誰かをフォローし始める場合を考えよう。これはFacebookやMixiではまずうまくいかないがTwitterではごく自然なことだ(だからTwitterがSNSと何が違うかを知りたければまず一方的にいろんな人をフォローしてみよう)。この状態ではフォローした相手のTweetが自分のタイムライン(TL)に表示されるだけでブログをブックマークしたりRSSで購読しているのと大差ない。しかし、ここから相手に@でメッセージを送ったり、Retweetで相手のTweetにコメントすることが可能だ。意味のあるコメントをすれば相手がフォローし返すこともあり、何の関係もなかった人間と「友達」になることができる。相手は決まっているのでこれは「つぶやき」でも「フォロワーにのみ伝える」でもない。しかしこの特性を生かすためには、できるだけ有益なコメントをする必要がある

逆に自分が誰かほかの人にフォローされるのはどんな場合か。それは自分のTweetに価値がある場合だ。現実の友達であれば朝何を食べたかにだって興味があるかもしれない。しかし、既に有名人でもなければ見ず知らずの人間があなたのごく普通の日常に興味を持っていることはない。他人にフォローしてもらうためには、なるべく有益な情報や興味深い議論を提供する必要がある。しかも、Twitterは多くのネット上のシステム同様にストリーム型のコンテンツであり、紙媒体とは異なりぱっとみて取捨選択するには一工夫(リスト・フィルター・ボットなど)が必要だ。ストリームの価値を上げるにはノイズ比を下げる必要があり、それは大した意味のない「つぶやき」をしないことを意味する

これらの特徴はブログにもそのまま当てはまり、Twitterがミニブログ(microblogging)に区分されるのも頷ける。旧来のブログと異なるのは、情報の送り手・受け手という関係が固定的でないこととリアルタイムであることだ。ブログでもコメント欄などを通じて読者と交流することは可能だが、相手もブログを持っていない限りやりとりは限定的だし、常に非同期な形でしかない。Twitterはその交流を自然な形で拡げることができるという点で、ブログを書いている人にとってコメント欄を代替する必要不可欠なチャンネルになりつつある(TopsyのようなTwitterのアグリゲーターが役に立つ)。

先ほど、MixiやFacebookについて「既存の人間関係を補完するもの」と述べた。これは別の見方をすれば非常に不自然なシステムだ。現実の人間関係は常に新しい可能性へと開かれている。その意味でTwitterは「既存の人間関係の在り方をネット上で再現するもの」と言えるかもしれない

ちなみに、相互にフォローしあっている、つまり「友達」状態の場合には@でやりとりすることで、両者をフォローしている人以外のTLにはTweetが表示されなくなる。これにより、そのやりとりに関係ない人に対しての自分のストリームの価値を下げないで済むし、既存の友達との間のインスタント・メッセンジャーとしての役割も果たせる。

どうやって毎日ブログを更新するか

最近、TwitterやTumblrを使っていてブログの更新が止まったという人が多い(参考:Twitterとイノベーション)。どうやって毎日ブログを更新すればいいのか、という話もよく聞く。

この問いへの答えは実はとても簡単だ。ブログの更新を違う作業に置き換えてみればすぐに分かる。例えばこうだ:

どうやって毎朝仕事に行けばいいか

そんなことは世の中のほとんど人が毎日ちゃんと達成している。目覚ましを掛ければいいだけだ。毎日20km走るというなら物理制約もあり簡単ではないが、ブログを書くというのはそんなに難しいことではない。

毎日ブログを書こうと思っているのにそれができないのは、目的意識が薄いという問題の一つの帰結に過ぎない。それを解決せずして、頑張って更新頻度を挙げてもろくなことにはならないだろう。全然仕事にやる気がない人が毎日二日酔いで家族に無理やり起こしてもらって仕事へ出かけても誰のためにならないのと同じだ。だから「毎日更新したいんだけど…」とか「書くことがなくて…」とか言っているブログはどれもつまらないのだ。

思ったとおりに運営できていないブログはどれも目的意識がないから内容が薄い。もちろん、目的がはっきりしていればいいのだから毎日でなくても思い通りのペースで更新されているならそれでいい。しかしはっきりとした目標があれば毎日のように更新されていたとしても不思議はない。

逆に面白いポストを見つけると、そのブログは毎日のように更新されていることが多い。どうやってそんなポストを毎日書くのかと思ってしまいがちだが、それは偶然ではない。面白いブログはきちんとした目的を持っているブログで、それゆえに毎日更新されるだけだ目的意識があるがゆえにその内容にも統一性がある。互いに関係のないポストが並んでいるブログは更新が途絶えがちのブログ同様に内容に乏しいことがほとんどだ(注)。

もちろんブログは仕事じゃないという人もいるだろう。

どうやって毎回ヨガのクラスにいけばいいか

この場合、本当の問題は毎回出席できるかどうかではなくて、そもそもそんなクラスに毎回行く必要があるのかということだ。目的がないのなら毎日更新できるか悩む必要はないし、目的があるのならそんなことで悩むこと自体ないはずだどっちつかずだからいけないのだ

(注)芸能人などのブログは一見乱雑でも、目的が本人の生活をコアなファンにみせることなのであり、その点で一貫している。