GoogleとAmazonの競争

GoogleとAmazonと言うとebookやクラウドストレージでの競争が注目されがちだが、本当の対立はそこではない。

While Google fights on the edges, Amazon is attacking their core

Google is fighting battles on almost every front:  social networking, mobile operating systems, web browsers, office apps, and so on.  Much of this makes sense, inasmuch as it is strategic for them to dominate or commoditize each layer that stands between human beings and online ads.

Googleの最近の戦略は検索広告以外のマーケットに出ていってそれをコモディティ化することだ。ユーザーの情報を集めることで広告の精度を上げ、中抜きによって広告市場での収益性が上がる。それらの市場で単独の利益を上げる必要もないし、別にその市場を取れなくても競争が激しくなるだけで構わない。

In fact, Google and Amazon’s are already direct competitors in their core businesses. Like Amazon, Google makes the vast majority of its revenue from users who are looking to make an online purchase.

しかも検索広告ですらその大半はGoogleにとって収益性が低い。Googleのコアビジネスは広告、特に何かを購入しようと考えて検索エンジンを使うユーザーだ

The key risk for Google is that they are heavily dependent on online purchasing being a two-stage process:  the user does a search on Google, and then clicks on an ad to buy something on another site.

Googleがこの製品検索へ広告を提供することで利益をあげるためには、ユーザーが何かを買おうとするときにGoogleの検索エンジンを使ってもらう必要がある。そしてそのためには、買い物する場所が散らばっていなければならない

Amazonがオンラインでの製品販売で拡大していくことはこのビジネスモデルに大変都合が悪い。何か欲しいときにGoogleで闇雲に検索するよりも、Amazonで検索してレビューを読んだ方が早いことは多い。Amazonは一般的な検索でGoogleと争う必要はないし、全ての製品を自社で提供する必要もない

本当に収益の上がる部分は製品を探す客と製品を提供する客とのマッチングだ。Googleの高収益性は検索アルゴリズムが他のマッチング手段、オークションやショッピングモール、よりも効率的であることに依存している。検索エンジンとしてトップを保つだけでは足りないのだ。

労働者に優しくする企業

ローレベルな労働者に優しい方針を採用する企業の業績がいいというストーリー。この手は話は個別事例の列挙に過ぎないので一般化は難しいが、アイデアとして読むのは意味がある。

Finding Profit From Investing in Workers

記事の元となっているのはProfit at the Bottom of the Ladder(サマリー)というリサーチだ。企業のヒエラルキーの下にいる労働者に投資したり、耳を傾けたりすることで業績が改善した事例を扱っている。

Investing in workers’ health led to reductions in absenteeism and turnover rates, and to greater productivity.

一つ目は労働者の健康を改善する投資だ。自動車部品工場ではAutoliv Australiaでは休暇や病欠を取りやすくすることで離職率が15-20%から3%になったという。American Apparelでは健康保険の補助、エクササイズクラスの提供、社食での健康なメニューな提示によって従業員の怪我や病気が減ったとのこと。

さらに南アメリカのSA Metalでは従業員へのHIV/AIDS治療を提供することでトラックが健康上の理由で止まってしまうのを防いでいるそうだ。

offering training and career tracks to line workers led to lower turnover and easier recruitment, and served to make employees more efficient while they were with the company.

二つ目には、企業によるトレーニングと昇進機会の提供が離職率低下や採用の容易化、生産性の向上に役立つという。向上で英語の授業(ESL)を提供することで従業員間のコミュニケーションが円滑になった例や、ウェアハウスマネージャーの68%が時給払いのパート出身であるCostcoの低い離職率が取り上げられている。

After implementing a teamwork system in which sewers were paid based on the number of garments produced by their team, productivity at American Apparel increased dramatically […]
三つ目はチームに対するインセンティブの支給だ。American Apparelでは人員は12%増えただけなのにアウトプットが三倍になったという。
In the United States, average wages at Costco were approximately 42 percent
higher than those at their closest competitor, Sam’s Club, the wholesale branch of Wal‐Mart.
Costcoでも労働コストは競争相手より42%高いにも関わらず離職率や生産性で優位に立っている。
While the high productivity wasn’t solely due to employee incentives in either case, financial rewards clearly fueled employee productivity in both cases.
労働者を助けるというと収入の安定が挙げられがちだが、適切な金銭的インセンティブ支給が企業にとっても労働者にとっても望ましいことは多い(両者のインセンティブを合わせるのだから当然ではある)。
Companies in our study established ways to learn from their lowest‐level employees, who had the most expertise on the ways in which much of the work at the company was done and could be improved.
四つ目は末端の労働者からいかに情報を集めてくるかということだ。日本経済の調子が良かった時には、日本企業の成功の秘訣なんて具合によく取り上げられた要素だろう。
As a result of its reputation for providing good jobs and investing in the community, Costco faced less community opposition than its competitors, such as Wal‐Mart, when looking for new sites for its warehouses.
最後はコミュニティに対する配慮や評判だ。Costcoは最低賃金をかなり上回る賃金を提供することで知られており、お店を出す場合でも大型店特有の地元住民の反対が少なくて住んでいる。
最終ページでこれにからめてウォールストリートを批判しようとしているのが残念だが10p程度の短いレポートなので気晴らしにどうぞ。

Facebookの使い方

追記:このポストをキッカケにFacebookのガイドブックを執筆しました。よろしくお願いします。

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最近、Facebookの使い方が分からないという声を(主にTwitterで)耳にするので使い方を簡単にまとめてみる。私自身別にヘビーユーザーではないので、正しい(?)使い方かどうかは知らないがとりあえずはこんな感じでどうぞという程度にとって頂きたい。

寮の部屋

日本人が最初にFacebookを見たときによく分からないのがWallというものだ。壁って何だよという感じだ。単にメッセージ送るのと何が違うのか。

これは寮の部屋の扉だと思えばいい。寮の扉にホワイトボードをぶら下げたり、紙を貼ったりするのは一般的だ。

イメージとしては上の写真(CC)のホワイトボードのような感じだ。メモを扉の下から入れるのと比べると通りすがりの人に見えるという違いがある。実際、書き込んだ人と書き込まれた人が両方友達ならニュースフィードに表示される。書き込まれた人しか知らなくてもその人のプロフィールまで行けば内容は読める(この辺はTwitterと変わらない)。返事は自分の壁にしてもいいが、相手の壁に書き込みに行ってもいい。

別に単なるメッセージボード以外の使い方も出来る。上の例(CC)ではアンケートを取っている。扉には好きな物を貼りまくって自己主張してもいい。学生寮が想像しにくければオフィスのデスクを想定してほしい。

部屋の飾り

自己主張の場所は扉だけではない。友達が部屋に来たことを考えよう。このとき間取りも家具も固定な寮で、自分をアピールできるのは壁だ。大学生が壁に貼るといえば何か、一番に来るのは写真やポスターだろう。

上の写真のように(CC)自分が見るためでなく、自分がどんな人と仲がいいかなどを訪問者にもお伝えするわけだ。但し、ネット故に違うこともある。

他の人が自分が入った写真をアップロードし、タグすることもできる(タグというのは写真に人物を関連付けること)。プライバシー設定によっては自分がタグされている他人の写真も自分のプロフィールから見えるようになる。上の例では飲み会に森伊蔵が出てきて一人盛り上がる私が写っていた(写真自己規制)。

自分の趣味をポスターなんかでアピールする人もいる(CC)。Facebookだと、自分な好きな音楽・映画・言葉を登録したり、好きなバンドのファンになったりできる(何のファンかは友達などに見える)。

例えば日本酒が好きならSakeグループに入ってもいい。他の日本酒好きと知り合うこともできるだろう。

プライバシー

Facebookでよく問題となるのがプライバシーだ。メンバーは自分の情報を友達などに見てもらいたいが、誰にでも見せたいわけではない。上の例で言えば、ホワイトボードはドアの外=同じ寮の人は見れる、写真・ポスターは室内=友達しか見えない、という風になっているのが普通だ。

とはいえ、物理的にドアが存在するわけではないので、その区切りは自分で設定することができる。会社の人にはプライベートの写真は見せないとか、親しくない知り合いにはWallにも書き込ませないとかいう風に設定する。

友達まで、友達の友達まで、同じ学校の人といった大まかな設定から、ユーザーごと・リストごとの細かい設定まで可能だ。デフォルトではかなりの部分が一般公開になっているので、新しく始める場合にはプライバシーの設定に注意したい(アカウント>プライバシー設定)。

ポーク

Facebookの分かりにくい機能にPokeがある。Pokeというのは突っつくことだが、これはワン切りのようなもので、相手に自分がアクションをとったことだけが分かる。それを見てどうするかは受け手次第だが、頻繁にやると単なる変質者にしか見えないので注意。

フレンド

Facebookを始めると色んな人からフレンド登録申請がやってくるようになる。特に知らない人から来ると最初はビックリするが無視して構わない。間違って押したとか、向こうも使い方が分かってないとか、(女性なら)単なるナンパであることが多い。

ではフレンド登録は慎重にかというとそういうわけではない。会ったことがある人は登録というのが普通で、アメリカ人なら500とか1000とかフレンドがいることが多い。もちろん全員を同じように扱う必要はなく、上述のプライバシー設定を活用するとよい。

ありがちな例としては十年前の同級生が突然フレンドになって、今の友達に知られたくないことを壁に書き始めるとか、昔の卒業アルバムの写真にタグしはじめるなどという災害がある。

名刺・ローロデックスとしての利用

以上のようにFacebookは基本的に自意識過剰な大学生のためのSNSなわけだが、そんな時期を過ぎた人にとっても利用価値がある。

一つは名刺としての利用だ。Facebookは本名と自分の写真で登録する(注:それ以外のプロフィールは著しく胡散臭いのでやめたほうがいい)ので名刺の代わりになる。イベントなどで会ったときに名前だけ教えておけば、検索して簡単に(Facebook)フレンドになれる。

そこから他の情報を交換することもできるし、後で連絡する時にも便利だ。ステータス更新をしていれば相手に忘れられないという効果もある(あまり更新頻度が高いと邪魔で隠されること必至なので避けた方がいい;コロラリーとしてTwitterの更新をFacebookのステータスと同期するのもお勧めしない)。

逆に自分のフレンドリストは高機能なローロデックスとして利用できる(写真はCC)。時々自分の知り合いの近況を眺めつつ連絡をとってみる。年賀状を書くようなものだ。

Twitterとの違い

ではFacebookとTwitterの違いは何か。一番の差は利用目的だ。Facebookは例え薄い関係であっても現実に知っている人を登録、管理するものだ。面識のない人を登録することは基本的にない。デフォルトのプライバシー設定は段々緩くなってきているが、あくまで友達の友達まで公開といったレベルが基本だ。これについては以前「Twitterでは「つぶやく」な」というポストで述べた。

ではTwitterがFacebookのステータス更新やMixiの日記と違うのは何か。それはTwitterの仕組みの根底にある一方向性だ。従来のSNSでは友達になるためには相手の承認が必要だ。昔の友達を発見したり、最近会った人を見つけたりするのには役立つが、あくまで既存の人間関係を補完するものに過ぎない。見ず知らずの人間が友達リストにたくさんいる人は少ないだろう。それはまさに「友達」リストなのだ。

Twitterがデフォルトで誰にでも見え誰でもフォローできるのに対して、Facebookはあくまで仲良しグループでやりとりしたり、昔の知り合いを探したりするためのネットワークだ。現実の交友関係が基礎となっている。

もちろんTwitterで知りあった人と実際にあってみることもあるし、Facebookで友達の友達と知り合うこともあるのでその境界は曖昧だが、システムの違いはネットワークの形成に影響を与える

冒頭のFacebookが流行っているらしいのでアカウントを作ってみたが使い方が分からないというのはその典型だ。既存のネットワークを管理するのが基本なFacebookは自分の知り合いもFacebookにいなければ活用出来ない。TwitterなどでFacebookフレンドを募集してもいいが、フレンド同士は面識があるという想定のもとで作られたシステムなのでどうしても使用時に違和感が出てくる。これはまず面白そうな人を一方的にフォローしてみるTwitterとは対照的だ。現状では外国人の知り合いが多いのでなければ突然Facebookを活用してみるというのは難しいかもしれない。

School of Hard Knocks

アメリカのCEOがどんな大学を出ているか(@gshibayamaさんのtweetより):

Top 10 CEO Undergraduate Alma Maters

  1. University of California
  2. School of Hard Knocks
  3. Harvard College
  4. University of Missouri
  5. University of Texas
  6. University of Wisconsin
  7. Dartmouth College
  8. Princeton
  9. Indiana University
  10. Purdue University

殆どが州立大学のシステムだ。これには四つほど理由が思い当たる。

  1. アイビーなどにくらべ大学の規模が遥かに大きい
  2. アメリカの普通に優秀な人は州立のフラッグシップに行くことが多い(私立は学費が桁違いだし、卒業生の子弟を優遇するレガシー制度がある)
  3. キャリアを積んでからビジネススクールなどでトップ校に行く人も多い
  4. 私立トップ校にいくとそのままウォールストリートなどに就職する可能性も高い

それなりに優秀な学生が近くのいい大学に安く行き、ファイナンスやコンサル業界はネットワークがなく難しいこともあり、事業経営の世界に突き進むというシナリオはありそうだ。

ちなみに、第二位に上がっているSchool of Hard Knocksは知る人ぞ知る隠れた名門校…ではなく、

The School of Hard Knocks or the School of Hard Knocks and Tough Surprises is an idiomatic phrase meaning the (sometimes painful) education one gets from life’s usually negative experiences, often contrasted with formal education. (wikipedia)

大学を出ずに大企業のCEOにまで上り詰めた(というか自分で大企業を作り上げた)ということだ。

1000ページの温暖化対策法案

温暖化対策の法案であるAmerican Power ActKerry-Lieberman climate change bill)が987ページもあるのは何故か。

Making the Simple Complicated

経済学入門レベルでの温暖化対策は実に単純だ。温暖化が起きてしまうのは、大気汚染同様に、温暖化ガスを排出している主体=生産者が排出の本当のコストを負担していないからだ。二酸化炭素を出しても温暖化の分だけ罰金がかかるわけではないので出しすぎてしまう。

これを是正するのは簡単だ。生産者が排出の本当のコストを全て負担するように税金をかければいい。このような税金をピグー税という。税方式は、直接排出を規制するのに比べて多くの利点がある。以下はその例だ:

  • 経済主体が各自最適化するので情報面での政府の負担が少ない
  • 投資に関するインセンティブを歪めることなく税収が得られる

では、この法案はどうして1000ページ近くなってしまったのか。

First, it tries to do far more than just charge for carbon emissions.

一つ目の理由は二酸化炭素排出抑制以上のことに手を伸ばしすぎていることだ。

Standard economics suggests that many of these interventions would be unnecessary if we had the right tax on carbon emissions; if companies pay the full social costs of their actions, they have the right incentives to invest in greener technologies without any further help from Uncle Sam.

上に述べたように、適切な税(ないし排出権取引市場)を整備すればこうした政府によるマイクロマネジメントは本来必要ない。省エネ技術を直接補助しなくても、エネルギーが高くなれば投資・開発・利用は進むということだ。

The second reason that the bill is so big is that it uses a complicated cap-and-trade system rather than a simple Pigouvian tax.

二つ目の理由は、この法案が税方式ではなく排出権取引を利用していることだ。税方式であれば排出量さえ分かればあとは単に課税するだけだが、排出権取引の場合には権利の割り当てから取引市場の整備など制度的な負担は大きくなる。

In theory, a permit system can be identical to a tax.

排出権が税金に理論上劣っているということではない。どちらにしろ最適な水準を計算して、それだけの排出権を割り当てるかそれを実現するのに適切な税率を設定することになる。

Fixing the number of permits may actually be the right thing to do. As my colleague Martin Weitzman wrote almost 40 years ago, quantity controls are better than prices if we are more certain about the right quantity than we are about the right tax.

排出権という形で量を先に固定することは、税率よりも排出量に関する不確実性が大きい場合には(社会厚生的)に有利な政策となる。温暖化の場合でいえば、どれだけ温暖化ガス排出を抑えるべきかの方が単位当たりの費用を考える方がらくであれば排出権のほうが望ましいということになる。

Giving away permits rather than selling them is often defended as a means of ensuring that global warming doesn’t become an excuse for higher taxes.

排出権を無償で割り当てることは、温暖化対策を新たな税源とするのを防ぐという効果がある。これは税金に対する反感が根強いアメリカでは政治的に重要だろう。しかし、ピグー税による課税のメリットを享受できなくなる。

制度が複雑になる社会的な費用も考えればどちらが望ましいかは微妙なところだろう。

International trade is a third reason that this bill is so complicated, because we are trying to use domestic legislation to handle a global externality.

三つ目の理由は国際貿易だ。温暖化対策は国際的な枠組みで行わなければ効果がないが、現状では各国の国内法と条約を組み合わせていくしかなく、これによって制度が複雑になるのは避けられない。

If such treaties fail to materialize, the United States may start charging imports for the carbon used in their production.

ちなみに法案によれば貿易相手国が条約を遵守しない場合には、炭素量に応じて関税をかけるとのことだ。

While I understand the economic and political logic behind this approach, it is a distinctly dangerous path. Our trading partners will argue that these charges are tariffs in disguise.

これは、水掛け論から貿易戦争に突入する危険を孕んでいる。